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雑誌目次

雑誌文献

病院16巻4号

1957年04月発行

雑誌目次

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病院における人間関係

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.206 - P.215

 病院管理が研究され,応用されて来た結果,経営の合理化という面では著しい進歩がみとめられると思う。専門分化が行われ,組織は整理され,運営も秩序立つて来た。しかしその反面,そこに働いている職員の人格個性というものは,いつとはなしにうしろの方に追いやられがちになる。そのためにせつかく良い仕組みにはなつたが,かえつて能率が上らないということにもなりかねない。こうしたことは病院管理に限つた問題ではなく,すでに経営の合理化を卒先して行つている産業方面においては,前から問題とされているものである。
 病院というものは,人間性が中心となつた機構である。生命のない製品を作り出すとか販売するとかいうものとは性質が違う。医師,看護婦その他職員の人間性が患者の人間性に触れ合い,そこから医療の成果が生み出されるものである。病院管理を科学的にすることは大切であるが,その根底に横たわる人間性というものをおおいかくすべきではない。

統計から眺めた西欧の病院—イギリス・デンマーク・西独・日本の比較

著者: 田中明夫

ページ範囲:P.217 - P.221

まえがき
 本年1月から約7カ月間,WHO (世界保健機構)のフエローシツプにより,イギリス・デンマーク・西独の各国を訪れ,それらの国々の病院統計を研究し,同時にいくつかの病院を見学する機会を得たので,わが国の現状と比較しつつ御紹介したいと思う。

日米両国に於ける病院制度の比較(下)—特に根本的に相違する諸点について

著者: 小林玄一

ページ範囲:P.222 - P.236

IV.日本の病院長と米国病院のAdministrator
 両者の在り方にも両国の病院制度そのものの相違が深く影響している事を吾々は見逃す事は出来ません。日本人の通念では病院長と云いますと病院の診療面の代表者,即ち有能なお医者さんと云う印象が強いわけですが,米国のVoluntary hospitalsの長であるところのAdministrator(管理者)と云うのは,どちらかと云いますと,病院と云うSpecialized hotelのManagerと云う感じを強く与えています。こう云う一般人の印象は充分な根拠があるのであつて,それは日本の病院長の職務が診療面に重点を置かれているのに対して,米病院の管理者の仕事は病院の管理運営の面に重点がおかれているからです。即ち日本の病院長の場合,病院医師とその診療の監督統制と云う事に重点が置かれているわけですが,米病院のAdministratorの場合は診療上の責任は病院医師団の自治的統制を通じての間接的な責任としその直接責任は病院管理運営面にあるとしているわけです。
 従つて日本の病院長は是非医師でしかも有能なそして人望のある医師が望ましいわけだが,米病院の方では必ずしも医師でなくても良いと云う風になつて来ています。これは米国社会に於けるSpecialization専門分化の一つの現れであるとも考えられます。

病院の経営管理と原価計算(4)—病院の採算成績に関する諸要因の分析

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.247 - P.253

まえがき
 病院の採算成績が良いか悪いか,即ち病院がどの位黒字であるかあるいは赤字であるかということは,普通営業比率(病院で「営業」という言葉を用いることに語幣があれば,「採算比率」といい換えてもよい)と呼ばれている数字を見れば判る。営業比率とは収益を費用で割つたもの,即ち収益費用であるから,採算成績は結局,その比率の数値が1より大きければ大きい程よく,逆に1より小さければ小さい程悪いということになる。従つて,いうまでもなく,其処では収益は出来るだけ大きい方がよく,費用は出来るだけ小さいことが望ましい。若し採算成績を検討する場合単にそれだけのことでよければ問題は比較的簡単であるといえよう。だが,実際には問題はそれだけでは済まない。先ず,収益は費用と無関係に発生するものではない。その上,その費用には収益に比例して発生する変動費と収益の多少に拘らず発生する固定費とがある。而も,そうした収益及び費用の発生条件は,病気の種類により,あるいは病院の位置,規模および設備構造等により皆異る。従つて,病院の採算成績の良否は,結局は,採算比率の分子および分母を構成するそれぞれの収益および費用要素の大小に関係するとしても,其処にはその両者の複雑な相互関係があり,その上それに更に病院の種類等の上述の第二の要因も関係して来て,問題はそれ程簡単なものではないことになる。

日本の看護をどうする—病院管理発達のために

著者: 福田邦三

ページ範囲:P.256 - P.258

 近頃看護婦の程度を下げよかという働きが医師の側にあるという。現在の保健婦助産婦看護婦法及び関連省令で規定している看護婦は高等学校卒業後3年間実習中心の教育で養成することになつている。そしてその初任待遇は六級職で大学卒と同格であるが,そんな高級な看護婦は要らないというのである。これを以下私はナース看護婦と呼ぶことにする。
 多くの医師から,これよりも簡単に資格が得られて,低い待遇で使える医師の技術的メイドの様なものが要望されているらしい。それは大体に於て明治,大正時代の看護婦に相当している様である。これを以下メイド看護婦と云うことにしよう。

中小級国立病院研究検査科の実態について

著者: 佐藤乙一

ページ範囲:P.261 - P.268

まえがき
 さきに竹内,小酒井氏等は,国立病院中大施設又は大施設と思われる病院を対象として研究検査科の実態を調査し,その内容を詳細に発表した1)2)。この大きな仕事は共同研究班としてなされたもののようであるが,この外自分の施設を中心に詳細な分析を加えて報告したものもある。しかし今までの文献によると,中あるいは小級国立病院検査科の報告が殆んどなされていないようである。
 ここ2,3年来国立病院中,小級の研究検査科も相当整備,拡充され,ある地域によつては官公私立医療機関の中枢となつているところも少くない。

Doctors' Taperecord

著者:

ページ範囲:P.269 - P.271

1.院内放送
 大勢の人が集まつている所では報知のために放送が用いられる。駅の放送など毎日いやでも聞かされる。病院でもスピーカーで院内放送をしている所が少くない。
 駅の放送は,ほとんど皆に必要である。だから少しくらいガアガア言つても電車の雑音よりましだといつた顔で乗客は平気な顔をしている。それに電車に乗つてしまえばそれまでである。しかし気がきかない放送や叱られたような放送は,あと味が悪いものである。

あとがき

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.272 - P.272

 東京を離れて4年と数カ月。病院に対する情熱を冷した積りはなかつたが,矢張り,総ては日進月歩,病院問題の中心に帰つて来て見ると,今浦島の体たらく。ウロチヨロしている最中に「病院編集」というバトンを小西氏か,ヒヨイと渡されてしまつた。いや困つたものである。私自身の人間編集やり直しから始めているので,小西氏の名編集の後をしばらく汚すことになりますが,昔のよしみという重宝な言葉を使つて御勘弁を乞う次第。
 偖て,今月号は出版が大変遅れて申訳ありません。(但し,これはどうも私でなく,医学書院が謝るのが至当らしい?)精々,スピード・アツプさせねばなりません。

グラフ

薬局の1日

ページ範囲:P.237 - P.243

 医薬分業は,むつかしい問題になつているが,病院では昔から分業である。それはしつかりした薬局長と,立派な組織と完備した設備をもつているからである.凡ての医師は安心して,この薬局を信用するからである。
 薬局の一日は,大方針の決定から始る.どんな薬を使うか,いくらでおさえるか,病院経営の10〜20%をしめる薬品は,あまりゆるめると経営がもたぬがあまりしめると医療水準が下る。

病院長プロフイル・42

国立神奈川療養所長 上島三郎先生

ページ範囲:P.244 - P.244

 戦時中,傷痍軍人療養所の一つとして設けられた傷痍軍人神奈川療養所は,戦後国立神奈川療養所と更められたが,その間所長のバトンは,黒川,小山,上島の三人によつて美事に引継がれた。世の中の多くの施設では,初代所長の築きあげた業績は,三代目頃にはすつかり崩れがちのものであるが,この国立神奈川療養所だけはその逆で.三代目になつて一段と光彩を放つようになつた。
 さらばそうした手腕力量の持主である三代目所長上島三郎博士とは,一体どんな人物かというと探索が必要になつてくる。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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