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雑誌目次

雑誌文献

病院16巻6号

1957年06月発行

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OBSERVATIONS ON JAPANESE HOSPITALS

著者: L.Crosby ,   P.H.,FACHA

ページ範囲:P.342 - P.348

 The observations on Japanese hospitals reported in this paper are based on a visit to Japan made during the late months of 1956 as a consultant appointed by the World Health Organization at the request of the Japanese Government.
 The Japanese Government, through the staffs of the Ministry of Health and Welfare, of the National Institute of Hospital Administration, and representatives of the Japanese Hospital Association, were extremely helpful to this observer during the period (October 29 through November 17, 1956) spent in Japan.

日本病院視察(訳)

著者: クロスビーエドウィン エル ,   平賀稔

ページ範囲:P.351 - P.355

 本稿に報告されている日本の病院に就ての観察は.1956年の終り頃,日本政府の要請にこたえて,世界保健機構(WHO)によつて任命された顧問としての日本訪問に基ずくものである。
 日本政府側としての厚生省及び国立病院管理研修所の幹部,並びに日本病院協会代表者諸君が日本において過した期間(1956年10月29日から11月17日まで),私が行つた視察に対して援助する所は多大であつた。本稿中に報告されてある印象及び観察は,著者独自のものであつて,世界保健機構,或は日本政府のいずれによつて裏書されたものではない。

診療に対する協力的補助的機構—診療補助機関と中央診療施設

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.357 - P.362

 病院診療は医師の独力で行われる範囲をはるかに越えていることは衆知のことがらである。しかも医師の能力は次第に専門化されて行き,診療という領域をおおうには他の種々の協力を必要として来ている。また患者という面からみれば,看護や給食が病院の重要な機能として重視されて来ている。
 病院の機能としては診療と患者の収容とに大別でき,わが国では後者がかえりみられなかつたために,戦後この方面の発達に力がそそがれた。しかし病院機能の中心は診療にあることにはまちがいはない。しかもその診療の機構もまた忙しく進歩しているところに,現在のわが国の病院管理のあわただしさがあるのである。

Med.social Serviceの本質を活用している病院の一例

著者: 原素行

ページ範囲:P.365 - P.371

I.業務のオリエンテーシヨン
 1.病院のケースワーカーが,Med.social serviceという文字通りに働かされている病院や療養所は案外に多くないという。日本病院学会第6回大会の席上,児島美都子さんが日本医療社会事業家協会がその会員から集めたアンケートによるデーターを掲げて,病院勤務者がこの悩みを最も多く持つていることを示した。この結論は医師たる院長の理解への批判となることはいうまでもなかつた。誠に残念な仕儀ではあるが,それは病院の在り方或いは病院機能ということが我が国では未だによく理解されて身についていないこととも一つはMed.social serviceという仕事が,我が国では病院医療に欠くべからざる重要性を帯びていることが広く理解されていないせいでもあろう。一口にいうと医師に患者の診療を行うためにMed.social caseworkerを補助者として使うことをよく知られていないということになる。この批判は我が国だけのことではなく,この業務が発達しているアメリカでさえ医師の同感を得ることは未だ充分ではないという。アメリカの医療社会事業士が病院に根を下すために焦げついた診療未収金の取りたてのような仕事までしたという。いや,今日でも未だそれが少しは行われているという。

ニユーヨーク市立Sea View Hospitalに於ける看護婦の実態

著者: 片山一彦

ページ範囲:P.381 - P.385

 私は1昨年8月より約11ケ月間ニユーヨーク市の市立病院Sea View病院にレヂデントとして勤務しました。Sea View病院はヒドラヂツトを始めて臨床的に使用して有名になつた結核病院です。入院患者は1,800名おり,全部施療患者であり,幼児より老人迄肺結核患者のみならず骨関節結核患者も収容されています。そして勿論いわゆる完全給食,完全看護であります。以下私が勤務の余暇に看護婦達に就いて調べました所を述べる次第です。

附添婦全廢とそれに伴う看護量レベルの変動について

著者: 佐々木澄夫 ,   米山宮子

ページ範囲:P.387 - P.396

1,はしがき
 昭和30年の秋頃から問題化してきた,国立療養所の附添婦廃止制度も漸く1年を迎えようとしている現在,国立広島療養所が附添婦廃止に当つてとつた方法の経過と,調査検討した2,3の事項ならびにその結果について報告する。
 結核療養所の附添婦は胸部外科手術の発達と共に年々その数を増してきたものであつて,国立広島療養所における附添婦制度の歴史は古く,胸廓成形術を開始した傷痍軍人療養所時代の昭和17年頃からである。初期は家族附添が主であつたが,昭和21年以後は反対に主として職業附添婦となつた。昭和30年12月末日迄に実施した手術数は,胸廓成形術一次918例,肋膜外合成樹脂充填術159例,充填球除去兼成形術46例,肺葉切除術1,036例に達し,その間の手術患者看護ならびに,特に手のかかる重症患者看護は,その多くを附添婦に委ねられたかつこうであつて,病院管理上には幾多の疑義を残しながら,国立療養所における胸部外科手術の普及発達は実にこの制度に負うところが大きかつたといえよう。

円型病棟を使つて見て

著者: 神崎三益

ページ範囲:P.397 - P.400

 「病院」1月号に東大LVグループの「円形病院の得失について」という記事が載つていた。それを読んだ或る病院長さんが,あれでは円型病棟というのは全然失敗という感じを受けるが,創案者であり,管理者である君の使つた者の立場からの話が聞きたいという注文を受けた。勿論素人だから建築学上の難しい話は判らないが,素人なりの考え方と体験とを書いてみよう。
 先ず冒頭に,私は急性伝染病棟として円型を採用したということを申上げて置きたい。

固定費,変動費による経営管理

著者: 福岡寿三 ,   山本猛

ページ範囲:P.403 - P.406

1.固定費と変動費
 経営のために生ずる費用を,その性質から固定費と変動費に分類することは,経営管理上極めて有効な手段であることが一般に認められている。固定費は経営内で生産される製品又はサービスの量に関係なく,主として時間の経過につれて発生する経営準備又は経営維持のための費用であり,一方変動費は生産量又はサービス量と函数関係にあり概ねこれと比例的関連のある費用である。
 ところで,病院における経営費用を固定費,変動費に分類すれば,患者数の増減が収支にどんな影響を及ぼすかを極めて簡単に,しかも,正確に算出することができるし,又これを図表で表わせば,任意の患者数に対応する収支の状況を一見して容易に知ることも可能である。

病床管理に役立つ伝票事務合理化の一考察

著者: 安田幸男

ページ範囲:P.407 - P.409

 病院の事務所に於て病棟の病床を管理する事は非常に重要な事であるにも拘らず殆んど病棟主任に任せきりで事務所に於て病床の使用状態を適確に把握して居る病院は少ないのでないかと思われます。例えば事務所にて其の日の病床使用状態即ち何病棟何号室に誰々が入院して居り何病床が空いて居ると云う事が確実に即答出来る所は多くない様です。此の事は単に患者訪問客へのサービスに関係するばかりでなく病院の管理上にも大きな影響を与える物と思います。病床の管理が不充分であれば来訪者に対し不必要な不快感を与えるばかりでなく空病床があるにも拘らず急救患者を断つたり廊下に収容したりする不都合が生じます。或は病床を各棟で専有すると云う様な状態にも立到り病床の中央管理はほとんど出来なくなります。病院を訪問する見舞客が時々遭遇する最も不愉快な事は受付に於て直ちに入院患者の病室を明示してくれない事であります。此の第一の印象により此の病院がよく行届いて居るかどうかを判断されても止むを得ない事だと思います。病院のサービス向上が喧ましく叫ばれて居る時大病院に於てすら目的の患者の病室を訪ずれるまで半日を要したと云う例は少なくない様です。此の連絡が不充分になる原因は特に外科的病院に於ては病状の急変,入院期間の短い事等にもよりますが最も根本をなすものは入退転室の事務処理が拙劣で其れに対し何等改善の考慮が払われて居ない為であります。

あとがき

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.412 - P.412

 梅雨期に入ると,病院内は薄暗く,しとしとして,何となく不潔な状態になつて来る。そして,職員自身もけだるいこの季節に,病院に忍込んで来るのは伝染病である。病院の人達は一匹の蠅さえ気にしなければならない。このときから一層の防疫態勢がとられていないと,夏季秋季に赤痢の集団発生の温床を作つていることになりはしないだろうか。老婆心まで。
 偖,本誌の発行が大変遅れていましたのを,段々早めて,前月に出せるようにしたいと努力していますが,仲々思うに任せません。もうしばらく御辛棒願います。

グラフ

厚生省病院管理研修所

ページ範囲:P.373 - P.379

I.研修所の概観
1.所在地東京都新宿区戸山町1(国立東京第一病院構内)

病院長プロフイル・44

東京第一病院長 栗山重信先生

ページ範囲:P.380 - P.380

新しい病院管理のリーダー
 国立病院と看板を塗りかえて10年経つた今日でも,界隈の住民から「院軍病院」という愛称で親しまれている東一は,昔に変らぬ堂々たる偉容を戸山ケ原の一角に聳えさせているが,先頃,その主がかわつた。名院長と謳われた坂口初代院長から栗山副院長へと,バトンがうけつがれたのである。坂口前院長は病院造りの名人として天下周知の人であつたが,庶民病院への脱皮からうるさい占領時代を経て,遂に今日の東一を築き上げられた。しかしその蔭には終始よき相談役としての栗山副院長のサポートがあつたことは,知る人ぞ知る。殊に坂口院長晩年の1,2年は完全に一心同体の感が深かつた。坂口・栗山の名コンビは,東大における長年の同僚という誼みが与つていたとはいえ,栗山副院長の重篤な人柄に負う処も多かつたのであろう。その点まことによき女房振りであつた。
 御両所の年配はおつかつであるから,今度の交代は年令上の若返りという点では,変りばえはない。しかし肉体年令では新院長の方がずつと若そうに見える。生来病気というものを知らず,その健啖ぶりは既に定評がある。又東一勤務10年間,無欠勤・無遅刻・無休暇というレコードホルダーで,アプレゲールにとつては原爆以上の驚きに値いしよう。副院長時代は通勤は専ら都電の吊革とテク。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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