文献詳細
病院長プロフイル・47
文献概要
国立療養所刀根山病院は大正6年日本最初の公立結核療養所として大阪市が設立したもので,昭和18年日本医療団,戦後国立へと,経営形態の変遷はあつたが,その設備陣容等あらゆる点から我が国結核療養所の本山的存在であることは自他共に認める処である。
渡辺三郎博士はこの由緒ある療養所の四代目院長である。鳥取県の生れ,米子中学の出身,大正9年大阪医科大学(阪大の前身)を卒業,大正11年刀根山病院医員となり,昭和18年院長に就任,今日まで30有余年間その全生活を結核に打ちこんで来た偉人である。昭和26年4月推されて日本結核病学会会長となつた。
渡辺三郎博士はこの由緒ある療養所の四代目院長である。鳥取県の生れ,米子中学の出身,大正9年大阪医科大学(阪大の前身)を卒業,大正11年刀根山病院医員となり,昭和18年院長に就任,今日まで30有余年間その全生活を結核に打ちこんで来た偉人である。昭和26年4月推されて日本結核病学会会長となつた。
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