文献詳細
文献概要
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結核療養所の診療圏
著者: 御園生圭輔1
所属機関: 1結核予防会保生園
ページ範囲:P.209 - P.216
文献購入ページに移動 日本においては,結核患者を収容するための療養所は明治23年(1890)に鶴崎平三郎氏によつて須磨の浦につくられたものが最初であり,明治32年には南湖院,恵風園,養生園などが民間人の手によつて建設された。
大正時代に入つて始めて国家による療養所建設がとりあげられるようになり,大正6年に大阪に刀根山病院が最初の公立療養所として発足した。その後,次第に全国各地に官公立および民間人による療養所が建設されたが,当時の目標はせめて結核死亡者数と同数の結核病床数を整備したいものとされていた。昭和5年(1930)末には病床数はようやく4412となり全病床数の3.8%に達したような状態であつたが,昭和10年末には療養所数は106,病床数8090,全病床数に対する割合は5.1%にまで増加するにいたつた。
大正時代に入つて始めて国家による療養所建設がとりあげられるようになり,大正6年に大阪に刀根山病院が最初の公立療養所として発足した。その後,次第に全国各地に官公立および民間人による療養所が建設されたが,当時の目標はせめて結核死亡者数と同数の結核病床数を整備したいものとされていた。昭和5年(1930)末には病床数はようやく4412となり全病床数の3.8%に達したような状態であつたが,昭和10年末には療養所数は106,病床数8090,全病床数に対する割合は5.1%にまで増加するにいたつた。
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