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雑誌目次

雑誌文献

病院18巻7号

1959年07月発行

雑誌目次

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病院及び医療の諸問題

著者: 橋本寛敏

ページ範囲:P.483 - P.487

 長い戦乱のため栄養失調,伝染病の流行で国民の健康が衰え切つている昭和20年9月米軍を主体とする占領軍が進駐して来て,その本部が丸ノ内の濠端に陣取り,日本改造の軍政を布いた。国民生活安定の一政策として衛生行政には特に力をいれたが,医療制度の革新をまず強制した。空襲の被害もあり,荒廃した病院を見た軍医たちは,国民医療の再建のためには何とかして病院医療を復興し同時にその近代式改革を実現しなければならないとした。昭和21年,22年の2カ年余は米軍医部が主動して日米合同協議会が幾回となく催され,病院医療と看護制度の改革について論じられ立案された結果,昭和23年7月に至つて病院と診療所の設置,運営についての医療法が公布された。明治初年以来日本に病院は確かにあつたが,漠然と医療機関というだけでその実態は如何にあるべきかは明らかでなかつた。この法律によつて初めて病院の規格が定まり,病院の存在が明らかになつたといつてよい。
 進歩した医学を日常の医療に十分応用するには,個人開業医の原始的医業では不十分であつて「科学的で適正な医療を行うに適する組織と運営を有する病院という機関」が是非とも必要なことが明らかにされたのである。

「病院管理研修所」創立10年のあゆみ

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.489 - P.495

はじめに
 この6月1日は,「病院管理研修所」創立10年の日に当る。敗戦後4年,日本の復興がようやく緒につきかけたばかりで,一般的にはまだ敗戦のなまきずが癒えない昭和24年6月1日,国立東京第一病院の看護学院の講堂で,何か悲そうな気持ちの中に林厚生大臣の開所の告辞を聞き,東一の1室を間借りして一応研修所の業務を開始してから早や10年の月日が流れた。実に感慨の深いものがある。
 それからというものは,本誌「病院」と表裏一体となつて,日本の病院の復興,病院管理の改善,外国の病院管理の知識の吸収及び応用,更に日本の病院管理法の具体的研究と体系化に努力を続け,本誌と共に,日本の病院界になくてはならない存在として認められ,支持を受けるようになつたことは読者の御承知の如くである。

病院学会の沿革

著者: 島内武文

ページ範囲:P.497 - P.500

I.沿革
 病院学会が生まれて早や8年,人ならば発育ざかりというところである。事実,本学会は,その発足以来すくすくとのびてきて,今日では,おしもおされもせぬ大学会になつてきている。あの国立東京第一病院屋上にある病院管理研修所の,ささやかな講堂に,昭和26年の6月,呱々の声をあげた時には,7年後の九州における大会が,2日間の会期に,4つの特殊演題と42の一般演題をかかげ,1000名におよぶ参会者の下に,大成功裡に行われようとは,誰も思いがけないことであつた。
 私は,この8回にわたる学会に,在米のために参加できなかつた第2回の他は,皆出席してきたので,ここに諸記録をひもどきながら,本学会の発展のあとをたぐつてみようと思う。

病院協会の発足

著者: 荘寛

ページ範囲:P.501 - P.503

 医務行政が未だ警視庁の所管であつた時代,即ち戦時より戦後に於ける所謂統制時代には主として医薬品,衛生材料,及び医療器械等の配給の衝に当つた団体は東京都指定需要者協議会(外郭団体)と称して,当時警視総監が都内の病院中特に医薬品,衛生材料等の大口消費者として指定した病院の団体であつた。
 この指定需要者協議会は其の後配給事務の主管が東京都衛生局薬務課に移つてから間もなく東京都病院協同会と改められて,その運営は主として有力病院の代表としての薬局長によつて構成された理事会に於て行われた。

終戰後病院組織の変化

著者: 守屋博

ページ範囲:P.505 - P.507

 病院サービスというものが,医師のサービスから,概念的に,分離したのは戦後の事である。勿論発生学的に考えると,後者が優先して,前者は追従するものであるが,後者の発生は相当成長するまでは,前者に包括されて,その私的機能の一部として,行われるものである。
 病院という定義を患者の収容所と限定するならば,我国に病院が移入されてから既に1世紀になる。その間東京大学病院がそうである如く,又,それを,規範として,右へならえした各大学病院,各県立公立病院,その他の公的病院例外なく,個人医師を中心としたセクシヨナリズムシステムであつたのである。このセクシヨンには,助手医群も,看護チームも,病棟施設も,手術機能,検査機能,X線機能も,完全独立の形態でレイ属したのである。僅に,病院本部に所属したのは,洗濯,給食のサービス部と,薬局と,事務の一部であつて,人事予算,購買,補給等も各科,別個に行われたのである。

看護について

著者: 橋本寛敏

ページ範囲:P.529 - P.531

 昭和23年に医療法が公布されたと同時に保健婦,助産婦,看護婦法が制定されたことは,日本の病院発達史の新時代を劃する重大なる転換を意味するのだが,連合国進駐軍と名のるアメリカ軍の軍政の一端として日本に押しつけた数々の制度改革の1つであつて,意味がわからない人々も多かつた。
 アメリカ人が日本の医学は相当のものと思つていたが,病院を見ると全く型をなさないし,殊に看護婦は制服は着ているが看護はしないで,医師にかしずく女中の如く,下碑の如く働いているだけなのを見て驚いて,日本の医療と保健を再建するにはどうしてもこの方面を改革しなければならないと考えたのであつた。

日本の病院給食の推移—特に戦後における病院給食の著しい向上について

著者: 原素行

ページ範囲:P.533 - P.536

 日本における病院給食の諸問題とその推移とについては,これを病院給食自身の単独なる問題として論議し,或は評価することは至難の業である。先ず,日本の病院における給食が,種々の事情に左右されて,円満なる発達が不当に阻害されていたことを銘記しておく必要があろう。そして,このような不幸なる病院給食の状況を知る者は,今日の病院給食の高姿勢を見て,正に隔世の感ありとして,刮目に価すというのは誠に無理からぬことである。従来病院の給食を左右して,病院給食を圧迫した因子として,次ぎの5つの事柄を指摘することが出来よう。
 ①日本の病院が,診療所的性格から発達したため,その主動力が直接の診療面におかれ,診療補助業務に対する関心が薄かつた。従つて,患者の食餌についても,理解に乏しく,仮令,生理学乃至生化学が人体栄養を重視し,これを国民生活への啓蒙の必要ありとしながら,病院側はこれを等閑視していた。

病院事務の合理化

著者: 尾口平吉

ページ範囲:P.537 - P.539

 病院は職員と施設が組み合わされ,1つの組織体として,診療という目的を継続的に追求している事業体であるが,近時その業務が拡大され,複雑化して来た。経済的にみると,病院業務の主体である診療が,大量生産方式のとれない個別的サービスである上に,日進月歩の医学を国民に享受させるため,その設備の拡大,職員の増加,資材の消費増を益々要求している。
 これに反し,病院収入は社会保険という特定の,弾力性のない,政策的価格によつて抑えられ,公共事業料金決定の原則である原価主義料金制さえとられていないという極めて経営の困難な事業体である。

病院と教育—インターン制度の実施

著者: 守屋博

ページ範囲:P.541 - P.542

 教育の方法としては,2つの大きな分野がある。1つは,学校教室を中心として,組織的な知識を与えるものであり,他は,実際の職場で毎日毎日行われている実務にたずさわる事によつて自然におぼえるという方法である。
 歴史的に見ると,自然発生時には後者の方がまず行われて,次第に前者に吸収されて行くという経過をたどつている。しかし,職種によつては殆んど100%学校教育で完成されるものと,僅に20〜30%が学校で習得されあとの大部分は,実務を通じて得られるものとがある。演劇,航海術,洋裁,調理等凡てそうである。

人間ドツクのあゆみ

著者: 塩沢総一 ,   小野田敏郎

ページ範囲:P.543 - P.546

 中年をすぎた社会人あるいは主婦を,しばらくしずかに病院に収容して,からだ全般に亘つて精密な臨牀的検査をおこない,一見健康そうに見える諸系統,諸臓器の中に損耗の個所を見いだして其後の生活指導をおこなう人間ドツクの仕事は,これを健康保険の方面でとりあげられる機運となつて,病院の臨牀予防医学活動に重要な方向を与え俄かにトツプライトを浴びつつある。
 長い航海を終えて帰つた船がドツクに入り次の航海の安全を期するにも似て,これにいみじくも人間ドツクの名称を与えたのは前国立東京第一病院長であられた坂口先生である。坂口先生が東大在職のころ当時の坂口内科に俵孫一氏その他の名士が冒頭に述べたような趣旨の精密検査をうけた際素人にもその趣意が解かるように,たわむれにこれは人間のドツクのようなものだといわれたことがある。これが人間ドツクの名称の濫觴といわれている。

医療費問題

著者: 大村潤四郎

ページ範囲:P.547 - P.550

I.はじめに
 医療費の問題にはいろいろの方面からの見方がある。これを大きくわけると医療費を支払う側の立場即ち消費経済の立場から見る見方,医療を供給する立場即ち病院や診療所,医療の生産者の立場からする見方である。この間にあつて医療の需要と供給の関係から診療報酬が定まるのであるが,現物給付の下における計画医療にあつては,診療報酬を自由市場の自由価格にまかしておくことが出来ないので各種の条件を規定して診療報酬の公定を行うことになるのである。このきめ方の如何によつては医療機関の経営に影響を与え,また医療の内容さえも左右することとなるので,病院にとつても近年重要な関心事となつたのである。

病院ブーム—日本の病院10年間の発展

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.551 - P.554

I.はじめに
 今から10年前のわが国の病院の状態は,全く戦禍の大きな傷手にうごめいていたといつても過言ではないだろう。全国の主要都市は戦災によつて病院を焼失し,辛じて乏しい財政の中からバラツク建築の病院が復興し始めた状態であり,幸い焼失をまぬかれたが,戦災を被らない病院といえども,その建物や設備は永年修理の出来ないままに放置されたままの状態で且つ食糧事情から自炊を余儀なくされた患者の七りんから立上る煙で壁天井はすすけるにまかせるという,実に惨たんたる有様であつた。そしてこの病床も,50%を僅に上廻る程度にしか利用されていないような状況であつた。
 しかるに,現今においては,大都市には1床当り数百万円の巨費をかけ,冷暖房の設備さえされた近代建築と設備をほこる高層巨大の大病院さえ出現するようになり,また農村地帯でさえ,その地方の中心に数百床を有する永久建築の近代的設備の病院が整備されるようになり,その病床の利用率も85%以上を上廻るというようになつて来て,この僅か10年の間の日本の病院の状態は,その容ぼうを一変し全く今昔の感にたえないものがある。

研修所だより

著者: 岩佐

ページ範囲:P.557 - P.557

 5月7日から14日まで事務長対象の研修会があつてこれには大変多数の申込があつたことは前回おたよりした通りです。今日病院数は5,000を越え100床以上のものも2,000近くあります。これら病院の事務長のうち2割が年間に交替するとしても400人もの新しい事務長が出来るわけですからそれだけでも我々研修所の仕事はなかなか大変です。院長の方も少くても5分は替ると思われますから100人の新院長が出来るわけです。それに医長先生方の中での管理への関心も次第にたかまつていますので我々としても益々能率的に研修をすすめる必要があると考えている所です。
 5月19日から26日までは総婦長の研修会で51名の参加がありました。この内にはわざわざ台湾から参加した呉蜜蓮(ウーミーレン)さんもまざつていました。呉さんは台湾省立病院の婦長でICAのフエローとして来日したわけです。台湾では毎年5人の看護婦がICAで外国へ勉強に行くそうですがその内2人は日本へ来るのが普通だそうです。昨年末に台湾から政府の衛生関係の役人と医師会幹部が当研修所を訪問されましたがそんなことが呉さんの受講に影響したかとも思います。これまでにも何人か台湾から参加されていますが日本語が通じるということがなによりの強みですから今後ともこの国と協力して病院管理の面でお手伝い出来たら大変幸だと思います。

あとがき

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.558 - P.558

 本誌もついに創刊10年を迎えることになりました。今月号はその10年を記念して「病院10年の回顧」の特集号としました。本誌の歩みについては,創立以来10年一貫して本誌の育成に関係した諸先生にお集り頂いて座談会を開き,読者の思い出としました。三号誌といわれた当時のことを考えると夢のようですが,本誌がこの10年スクスクと成長したことは,全く日本の病院の発達をそのまま反映した事実を裏書きするものでしよう。
 終戦後の混乱の中から立ち上り,新しい社会の新しい近代病院へと出発したこの10年の日本の病院の発展の様相は,日本の医療史上一大新時期を画したものであつて,永い戦争により世界と隔絶した遅れをとりかえすばかりでなく,慣習に支配され独善的であつた日本の病院が初めて近代社会の要求する病院に目覚め生まれかわつた大変革の10年でありました。

座談会

「病院」10年を顧みて

著者: 吉田幸雄 ,   木下正一 ,   守屋博 ,   久松栄一郎 ,   栗山重信 ,   小西宏 ,   尾村偉久 ,   長谷川泉

ページ範囲:P.508 - P.520

医療団の頃からの構想
 長谷川 雑誌「病院」がスタートして,ちようど10年になります。病院管理研修所と同じ年齢で,創刊いたしましたときはどうも3号雑誌の恐れがあるといわれておりましたが,現在では押しも押されもせぬ大雑誌に発展いたしました。スタートの時は80円ですが,現在は200円で,これは単に値段が高くなつただけじやなしに,内容上も飛躍してきたわけです。性格上病院協会の機関誌に変りましたが,編集上は創刊当時の開拓精神が脈々と生きているように考えられます。今日は創刊の時の編集委員の先生では,千種先生が病気欠席で,橋本寛敏先生は,先程お見えになつたんですが,所用でお出かけになりました。では司会は吉田先生にお願いして始めていきたいと思います。
吉田 今,長谷川さんからも話がありましたように,10年間の思い出話を,これを経験した先生方から伺おうというわけです。現在の編集にご関係の先生方の中で,最初から10年間,皆勤の先生は橋本先生,尾村先生,千種先生,守屋先生,木下先生,それから私ということになるわけですが,当時の国内情勢では,栗山先生が進駐軍,或いは東一,厚生省関係の間で,いろいろご体験があり,しかもなおかつ現在まで病院の雑誌とは浅からぬご縁がありますので特にご出席願いました。もう一つ忘れることができないのは,この雑誌を企画された久松先生に,ご出席いただいて,当時を回顧いたしたい。ま

グラフ

10年の記録

ページ範囲:P.521 - P.528

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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