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雑誌目次

雑誌文献

病院19巻5号

1960年05月発行

雑誌目次

特集 看護

美しい看護婦

著者: 坂西志保

ページ範囲:P.315 - P.317

 誰でもみな,美しく優しい看護婦の思い出をもつているのではなかろうか。母親に抱かれて病院へ行き,お医者さんにおびえて泣き出し,看護婦さんに慰さめられたことがある。暗い不安な顔をした患者がたくさん待つている待合室で,廊下をいそがしそうに行き来する看護婦の姿を眺めて,自分も間もなく健康を回復することが出来るという自信をもつたことがある。まるで凱旋将軍でもあるかのように,自分の病症や手術をことこまかに語り出した人から,私を救つてくれたのは眼の美しい看護婦さんであつた。戦争中,屋根に這い登つた南瓜を見ようとして梯子から落ち,怪我して入院した。日に数回,寝返りをさせてくれた若い看護婦さんのあの柔らかい手を,いまでもなつかしく思い出すことが出来る。
 私も一度看護婦になろうと思つたことがある。まだ学校へ行く前であつたが,腸チフスに罹り,入院した。若い元気な看護婦さんで,おとぎ話がうまく,指人形でお芝居も上手であつた。しかし,幼いながらあの制服を着て,権威をもつてことに当る態度にひどく感激し,家人のいうことはきかないくせに,看護婦さんの命令には絶対服従した。そして,自分は将来この職を選ぶと決意したのであつた。こう書くと大そう体裁がよく,物のよく解つた子のような印象を与えるが,実は,全快しても病院に残つて看護婦になるといつてだだをこね,家人を大いに困らせたのであつた。

看護婦と人間関係

著者: 早坂泰次郎

ページ範囲:P.319 - P.322

1.人間関係(ヒューマン・リレーションズ)とは
 人間関係ということばはいろいろな意味をもつている。単なる複数個人の間の関係という意味での人間問の関係(インターパースナル・リレーションズ)は,社会学や社会心理学を成立させる基本的問題領域である一方,教育(親—子,教師—学生)や治療(医師—患者)の実践領域においても,とくに最近では重視されてきている。しかしながら,産業心理学や人事管理の領域でもちいられるヒューマン・リレーションズということばは特別な意味をふくんでいる。
(1)それはいわば,生産や事業のためにつくられている制度的組織の人間的半面といつた意味をふくんでいる。事業体はその存続のためにこうした制度的組織をどうしても必要とする。そして,人がかわることによつて組織の性格がひどくかわつたり,存続が危うくなつたりすることがないためには,制度はできるだけ合理的客観的につくられている必要があるが,その結果ある程度の形式化はどうしても避けがたい。課長Aと課員Bがいて,Bはその個人的能力においてAよりすぐれていたとしても,課長の位置にあるかぎりAはBを指揮監督する権限と責任があり,Bは仕事に関するかぎりはAにしたがう義務がある。この関係が恣意的に破られてしまうならばその課(およびその課をふくむ組織全体)には混乱と分裂がもたらされるほかはない。

看護学校教育のあり方

著者: 湯槇ます

ページ範囲:P.323 - P.326

 看護教育に関する問題は,私共が看護の目標をもう一度再認識して,そこから速急にしかも深く追求していかなければならないものであると思う。それも私共が看護の立場から考えたいわゆる広義の看護とか,あるいは専門職としての身分の確立等の観点からのみではなく,看護の今日置かれている状態,いいかえればあらゆる角度からの看護に対する要求を認識した上で解決の方向へ進めていくべき問題ではないであろうか。
 最近,保健医療上の要求の拡大に伴ない医療保障制度に関連する経済的な問題,業務従事者の機能のあり方,及びその教育等が強い論点となっている時,この複雑な事態の中における看護のあり方についても,看護の対象である一般社会,他の保健医療従事者,それに看護自身の立場,この3者からの要求をつなぎ合わせて,まず現実に直面し,必要性を見透し,更にそこから現在の制度其他の枠にとらわれず納得のいく形で方向づけをしたい。これを私共自身がすることには非常に意味がある。過去において私共は自分自身の責任についての決定をあまりにも他人任せでやってきたと思われるからである。

病院看護と公衆衛生

著者: 曾田長宗

ページ範囲:P.327 - P.331

I.病院機能の拡大
 病院の出来始めは,傷病の苦しみになやむ人達の苦痛をとりのぞくことを,主なる目的としていたものと思われる。しかし,その後,病者が家庭内にいつまでも,とどまつているのでは,同居する家族も看護につかれ,家業をつづけることも出来ず,ことに伝染性の病気のような場合には,感染の危険さえあるので,傷病者の手当てのためのみでなく,家族や近隣に住むもののためにも,これを特別の施設にうつして,介ほうすることが必要と考えられた。時に,病院とも認めにくい避病舎,隔離病舎が設けられたりしたことも,そのためである。今日では,たとえ他の多数の社会人の健康を守るためとはいえ,病者の人命をおろそかにするような考え方は許されないが,傷病者に及ぶ限りの手当てをすると同時に,家族や近隣の人達に病気をうつさせないよう,新しい患者を発生させないようにすることも,病院の基本的な社会的任務の重要な一面であることが,一般に広く認められるようになつた。

座談会

看護管理はどうあるべきか

著者: 石本茂 ,   今村栄一 ,   園部梅 ,   高須婦美子 ,   常葉恵子 ,   室賀不二男 ,   吉田幸雄

ページ範囲:P.332 - P.340

看護要員の構成について
 吉田最近看護婦さんたちの間で,看護管理の研究が盛んになつてきております。また,病院側でも病院管理の面で,経済的に最も大きなパーセンテージをしめているのは看護婦の人件費の問題です。病院というのは診療と管理という2本立で成り立つているのですから,病院の管理の上手,下手が病院機能のよい,悪いに関係してきます。また病院の経済という問題に大きな影響を与えるものです。従つて病院側としても大いに勉強しなければならないと思います。実際,院長先生も,事務長さんも,また各科の先生方も,本当に新しい看護のあり方を理解しておられるかと申しますと,残念ながらまだ不十分なのが現状ではないかと思われます。そこで今日は,皆さん方婦長さん,および院長先生方にお集り願つてこの看護管理はどうあるべきか,というテーマで,それぞれの立場からお話し願いたいと思います。
 まず最初に看護要員の構成はどうあつたらよいか,ということからとりあげて見たいと思います。簡単に申しますと,今迄は,患者何人について1人という考え方でしたが,今度の看護基準でいいますと,5:3:2,4:4:2という考え方が出て来たわけです。これは,正看と准看と補助婦とを区別して考えているのか,または正看の人員が足りないからというので区分したのか,あるいは看護のあり方から考えて,この割合でやつた方が能率的であるからということなのか,この点について御意見を伺いたいと思います。

対談

看護婦と労働問題

著者: 林塩 ,   野村平爾

ページ範囲:P.357 - P.362

争議行為についての考え方
 編集部最近しばしば論議をかもしております看護婦の労働問題につきまして,看護連盟会長の林塩先生と,早稲田大学で労働法を教えておられる野村先生においでいただきましていろいろと御意見をお伺いすることになりました。林先生から一つお願いいたします。
 林編集部の方からお話がありましたように,最近病院の中に労働問題が入つて来まして,近い例が年末闘争ですが--組合活動が活発になつております。私の知つている病院でも看護婦も組合員ですから運動に参加しましたが,看護婦自身としましても,これでよいのだろうか自問している面も見受けられるのでございます。また経営者側も看護婦が何をするかという考え方が強いのです。やはり気分の上に矛盾があるようです。この点先生はどうお考えでしようか。

グラフ

看護婦寄宿舍と看護学生寮

ページ範囲:P.343 - P.349

 看護婦と寄宿舎という言葉は、対句のようである.これは世界的でもありまた歴史的でもある.この頃では、この対句に対して看護婦は懐疑的であるという.物言わぬグラフは敢てこれを批判し、または同調もしないが、佳き寄宿舎の現実の面を描こうとして、心と身体との憩いの場となる寄宿舎を探し求めた.「幸福な人にして、はじめて気の毒な人々の世話が出来る」ということが看護婦寄宿舎についても言える.
 看護学生の生活は、全寮制度である,日本の徒弟制看護婦養成方法が新制度の看護教育にかわって、寮生活は教育の一環として個人完成の教育に成功した.

プロフイル・74

国立名古屋病院総婦長 津坂サキエ氏/大阪赤十字病院看護部長 篠崎はる氏

ページ範囲:P.350 - P.350

 140cmにも足りない小柄なお体のどこにあのようなたくましい意慾が隠されているのかと,可愛いらしいおばあ様と申上げたい御風ぼうに接する度に思うことです.
 始めてお目にかかつたのは,昭和25年ですが,爾来姉を通じて「自然的年齢」云々は問題でないということを如実に知りました.若い人に負けない若さ,体力然り精神力然り,殊に思考力の柔軟性に富んでおられることは驚く程で,謂所老人臭がなく,又職業を背景とする御識見は卓越し,加うるに優れた人間性とでも申しますか魅力のある御態度とおおらかな愛情は,万人をして心服させるものをもつておられます.

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In-service Training

著者: 湯本きみ ,   佐々木ノブ

ページ範囲:P.351 - P.354

 戦後の新しい看護制度の下に,看護学校教育も今年は14年を迎えました。この間年々看護の勉強を志ざした若い人達を育ててきた病院或いは先輩の看護婦の方にも共にそれぞれに大きな変化がありました。看護がこのめまぐるしい社会の動きの中で,その職業的責任を果してくれるためには,この十数年をそれぞれの職業に於いてお互いにその年輪を重ねつつ成長して参りました。
 私共の病院も,殊にこの数年間の動きは,きわだつて変化の多い時を過ごして参りましたが,この間に行なつてきた看護の院内教育についてお話しいたします。

看護学関係図書の分類について

著者: 長門谷洋治

ページ範囲:P.385 - P.387

はじめに
 看護学院や准看護学院のあるところは無論全国どこの看護婦寮・寄宿舎でも,少なくとも数册の看護学関係の図書があると思われる。多いところでは数百册,否何千册におよぶ蔵書があるかもしれない。しかしこれらは他の一般図書も含めて,一体どのように整理が行なわれているだろうか。一部のところでは公共図書館,あるいは大学の図書館のように整然と整理が行なわれているであろうが,その他の大部分のところでは,他の仕事をも兼ねた人がボツボツとこの整理にあたつている程度ではないかと想像される。
 ところで図書館,あるいは図書室の図書がその数,数十册を越えるに至るときはやはり何らかの基準によつて,これを整理していく必要があると思われる。

あとがき

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.390 - P.390

 陽春5月,万物生々の月である。いよいよ第10回日本病院学会の総会が開かれる。
 更に今月は,日本病院協会創立10年の記念式典が盛大に催される実におめでたい月である。なお5月12日は,国際病院日であつて昨年の国際病院連合の総会で決議され,今年より各国で一せいに病院祭がこの日に行われることになつたものである。

外国の看護

ニュージーランドの看護

著者: 壁島あや子

ページ範囲:P.364 - P.369

 ニュージーランド(以下N.Zと略す)の看護をかくにあたりまして,はじめにN.Zの国について少し説明してみたいと思います。
 N.Zは,御存知の如く,英連邦内の独立君主国で,オーストラリアの東方1,200哩,南緯34度から48度の間に位し,首府Wellingtonは,大体青森と同緯度にあり(北島,南島の2大島及びスチュワート島よりなり)その面積は103,736平方哩(日本の面積の約13%に当る),人口約230万,気候は寒暑の差が殆どなく,都市を一歩出れば,到る処みどりの草原,丘が広々としており,その中で人々は,恵まれた社会保障のもとに,平和な生活を営んでいる姿は,外国人の私の眼からみれば,たしかに1つの楽園の様に感ぜられたのも無理もないと存じます。

イギリスの看護

著者: 岸井キミコ

ページ範囲:P.369 - P.373

 英国と云えば,クリミヤ戦争を契機として看護の重点が宗教的理想から,これに加えて科学的理想へと移され,看護教育並びに看護業務の面に一大改革をなした近代看護確立の母,フローレンス・ナイチンゲール女史の国として有名であると共に,医療国営の国でありますことは周知のところであります。(私も留学中,主治医の登録をすすめられ又病気になれば入院加療が受けられる(無料)と聞かされ,1銭の税金も納めない私は吃驚仰天しました。もつとも,このお世話にはなりませんでしたが)。
 病院に於ける看護業務は,その国の病院発達の歴史によつて,大きく左右されることはいずこも同じことで,この国では病院患者の収容が主体となつて発達して来たと承知しております。その結果病院に於ける看護は,患者の身の廻りの世話を本務として発達し,現代に到つていると云えましよう。従つて,これが医師の助手として発達して来た我が国の病院に於ける看護のあり方と現在までのところ非常に,ひらきがある感じは,否めません。

ハイデルベルク大学看護学科

著者: 金子光

ページ範囲:P.373 - P.377

 "アルト・ハイデルベルヒ"で青年の血を湧かせ,学生生活を限りなく謳歌する有名なハイデルベルグ大学,ドイツ国内では勿論,遠く東洋の果の日本にまで,世界的に名の知られた伝統を誇る権威ある大学,わが国ならさしずめ東京大学というところでありましようか。
 ゆるやかに流れるネッカ河に沿つて,美しい緑の森のハイデルベルグの町,この町は,町全体が大学の構内のような感じがする位,至るところに大学の建物があり,寮があり,学生相手の酒場があり,そしてどこにも学生が群れている。河にかけられた頑丈な石の橋の袂には,いかめしい物見塔のある城門がある。そこを通ると,眼の前の丘陵の上に,歴史に輝くハイデルベルグの古城が,戦渦のあとをそのままにした姿でげん然と控えている。17世紀の独仏戦争で,無惨にも敗戦の憂目をみたこの町は,その傷あとをこの古城にまざまざとみせ,往時をしのび再起を誓い奮起する町の人々の祈りと希いが,その象徴としての古城をそのままの姿にしてあるのだという。そして1年に1回,町の記念日には,この古城が戦火で炎々と燃えあがる姿を再現させているのだという。私は幸にもその記念日を含めた数週間をこの町の大学に過し,寮のテラスの上から,夜空にくつきりと猛火にもえあがる古城の悲しい姿を眺めて,思いはいつか広島の平和公園に残されているやけたドームをしのび,胸をしめられるばかりでありました。

海外事情

アメリカ滯在1年間(III)

著者: 山村好弘

ページ範囲:P.379 - P.382

 滞在2日,さらに北上してモンタナ州に進入しました。この州はカナダの国境にあり,遠く山脈がのぞまれ,砂漠は牧草地帯となり,小川が流れ水清く,野は緑に日本を思わせる美しい州です。人間も素朴で人なつこく親切。人々もカウボーイのような帽子をかぶり,ただピストルを吊つていないのが,映画と異つているだけです。この州の大きさは,日本と略同じ,さきのワイオミングから,このモンタナ州はアメリカンインディアンの最も多い州で,いたるところで彼等を見かけます。この州の東南方に,かの有名なカスター将軍の第7騎兵隊の全滅した戦場の遺跡があります。このインディアン,今では静かに,白人といつしよに町で働いたり寄留地に住んでいますが,ニグロと違つてアメリカ政府は彼等を非常に厚遇しているようです。何といつても先住民族,100年前に詭計にかけて侵略し,大虐殺をやつたのを恥じてか,1人50〜60ドルの補助金をあたえ,公営事業には出来るだけ優先的に採用するという調子,しかしニグロの活気のある,いかにも生活力の旺盛なのにくらべて,どことなく元気がなくて活気のないような顔をしています。聞くところによりますと,100年又は200年前に先祖がアメリカにやつて来たというアメリカ人の殆んどはインディアンの血が混つているということです。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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