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雑誌目次

雑誌文献

病院2巻1号

1950年01月発行

雑誌目次

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病院概史(その4)

著者:

ページ範囲:P.2 - P.2

 病人が全くみじめな取扱いを受けていた,所謂暗黒時代の病院というものから脱脚して,明るい,清潔な,親切な近代病院への基礎を作つた人こそはかのフローレンス・ナイチンゲールFlorence Nightingaleである。彼女はTheodore Fleidner夫妻が創設した,カイザースウエルトKaiser Swerthの一病院で初めて看護というものを教育された。しかしその内容については大きな疑問と不満とを持つて英国に帰り,こゝに彼女独特の新しい合理約な看護法を創案した。そしてこれを主張し,実践して急速に有名な存在となり,1853年クリミヤ戦役が勃発するや,英国政府の要請に応じて,勇躍部下の小看護班を引連れてはるばる野戦病院に赴いた。そこには,泥にまみれ,毒虫に悩まされ,ズツク布の上に藁を敷いたという床に寝かされ,洗濯はおろか,衣服の世話も全くされていない,あわれな多数の傷病兵が彼女の救いの手を待つていた。そこで彼女は早速手はずを定め,先ず第一に病院内を清潔にし,続いて,食事,洗濯,衛生材料の補給という新しい組織を作つて活躍した結果,従来40%という高い死亡率を,たちまちの内に2%に減少せしめることに成功したという。彼女こそ,最初の真の病院管理者であり,組織の天才であるといわれる所以である。

社會保障とその根據

著者: 大河內一男

ページ範囲:P.3 - P.5

 「社会保障」という言葉は,終戦後における流行語の一つになつている。それほど,誰もが社会保障を口にしながら,而もこの制度の正しい歴史的意義や位置づけについては,何人も冷静な反省をしているとは言い雑い。単に,日本だけのことではない,イギリスやアメリカを暫く措くとしても,世界全体として今日では「社会保険から社会保障へ」の動きは,最早やさけることを得ないであろう。だとすれば,社会保障制度への動きが世界的に不可避なものになつてきたと言うのは,そもそも如何なる理由によるものであろうか。そして若し,社会保険制度や社会事業などに代つて,新たに綜合的な社会保障制度が登場するとしたなら,それに応じて,如何なる条件が,産業制度の上で,労働法制の上で,また医療制度の上で,みたされなければならないか,従来の既存のものに対して,どのような変革が準備されなければならないのか。今日,日本でも社会保障制度樹立の必要が叫ばれ,われわれはまさにその門口に立つているのであるが,それだけに,この新しい制度の個々の点の細目を論議する前に,右のような問題の一般的意味,その現段階における重要性について,充分な反省をするだけの誠実さがなければならないのではないか。
 何故,社会保障というような,新しい制度が必要とされるに至つたのであるか。従来の生活扶助のそれぞれの制度を,新たに社会保障制度に改変する必要はどこにあるのだろうか。

病院管理の諸問題

著者: 尾村偉久

ページ範囲:P.6 - P.9

2 社会保障調査団の病院改良に対する勸告
a)病院の公的奉仕の性格(国民に奉仕すという)を認識せしめること
 病院並びにその附属施設が,利潤をあげるため商業企業であると考えられていると判断される場合が極めて多い。この考え方は公立の場合にも私立の場合にも存するのである。大半を公金によりまかなわれている国立病院の場合に於てすら,ごく限られた豫算をわりあてられて病院当事者は,出来うる限り多くの收入を患者の側からあげなければならないような影響を受けている。この結果左の樣な欠点を生じているのである。
(1)入院者の場合,全費用を負担しえないものに差別的待遇をなしやすい。かゝる差別は多くの場合一般患者からの方が多額の收入をあげうるという理由で保険患者に向つて為され勝である。

病院と管理(その7)—病院長は何をしなければならないか

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.10 - P.15

 あけましてお目出とうございます。「病院と管理」の拙稿も,発刊以来毎月続けて,いよいよ1950年を迎えることになりました。ふだんもう少し勉強出来れば,お役に立つものにもなるのでしようが,仲々思うような研究に入れませんので,つい抽象論になり,何時も歯がゆい文章を綴らねばならぬことを遺憾に思つております。今年はもう少し勉強させて頂きたいと思つておりますから,何卒御鞭撻下さいますようお願い致します。
 偖愈々病院長の問題に入つて行き度いと思つておりますが,仲々大問題で,いろいろの御批判を仰がねばならぬものと覚悟しております。

近代的病院組織—その發生學的考察と醫療事務(醫事)の業務

著者: 島內武文

ページ範囲:P.16 - P.19

 診療関係の發生 胃がつかえた時に指を口に入れて嘔吐を促してこれをなおす人がある。犬等が怪我をすると,舌でなめて治してしまう。既ち原始的形態に於ては患者自身が診療をやつている。然し乍ら人類は更に其の経験と思索とを生かして,他人の傷病にこれを及ぼす事が出来た為に,茲に患者と医者との関係が生じて来た。
 初期の診療に於ては,その診断過程は簡単であつて,寧ろ症候的治療の知識技術に於て進歩が見られた。患者は自分で大凡病を判断し,医者はこれに応じた治療の方法を工夫し,あてはめて行つたものである。其処には時代の宗教・哲学・科学の信念・理論が織り込まれて,夫々の時代の医療を形づくつていた。

病院人事消患

ページ範囲:P.19 - P.19

 ◇本名 文任氏 日大医学部外科教授から京城大教授となり,終戦後内地に引揚げ国立相模原病院長となつた氏は国立身体害霧者厚生指導所長を兼務される。
 ◇小沢 祐保氏 国立相模原病院附属の国立身体障害者厚生指導所医務課長に就任。

其の他の從業者

著者: 守屋博

ページ範囲:P.20 - P.22

 医療法施行規則の,第十九条を見ると,医師,薬剤師,看護婦数に関しては非常に細かく,指定してあるが,其の他の職種は単に『レントゲン技術者,事務員,雑仕婦,其の他の従業者は,病院の実情に応じ適当数』と云う,記載で終つている。
 その適当数とは一体どれ位の数をさすのであろうか,私の知つている田舎の街の組合病院では,内,外,眼耳,産科で50床を有する綜合病院だが,医師5,薬局1,看護婦12,事務員2,レ線技師1,小使2が,其の凡ての,従業員である。

醫學の進歩に伴う治療形態の變化

著者: T.

ページ範囲:P.32 - P.32

胃潰瘍の治療
 胃潰瘍の療法と言えば,昔から食餌療法を第一とし,之に極めて数多くの薬物療法と外科的療法とが併用せられて来た。その中特殊の薬物として,今から10年あまり以前にドイツのWe-issu. Aronの発表した塩酸ヒスチヂンの注射療法が,わが国でも大いに持てはやされ,今日でもなお之を愛用する者もあるが,アメリカでは早くから医師会が之を無效と認定してその使用を禁止したということであつた。
 次でわが国では岡田清三郎氏の創案になるスチムリンという臓器製剤が用いられたこともあつたが,今では全く影をひそめてしまつた。外科的療法としては十指にあまる手術方法があるが最近アメリカのWalters等は迷走神経切断術を提唱し,更に之にGastroenterrostomyを合併して80%以上の成功を牧めているという。しかしまたこの迷走神経手術の持続的效果に疑いを持ち,却て従来からの胃切除法を推奨するアリカの学者もある。

經營費用に關する國際病院協會の見解—続・病院経理の理論(II)

著者: 山元昌之

ページ範囲:P.33 - P.36

 最近関係者の間にその重要性が認識されて,各地に病院協会が設立される機運になつてきたことは洵に喜ばしい傾向である,筆者は前に本誌に病院経理の理論の素描を試みた際,国際病院協会のことに言及した関係から今少し詳しく紹介する義務があるように考えられるので,前稿の続篇として,国際病院協会と,経営費用に対する同協会の見解とを紹介したい。
 1927年9月17日アメリカ病院協会(the American Hospital Association)の招請に応じて,12箇国の代表者がパリの赤十字協会聯盟事務所に参集して国際病院会議(An InternationalHospital Congress)設立の問題を協議した。当日の会議は終日興味のある啓蒙的議論に終始したが,終にこの種の国際会議を設立しようということに意見の一致を見た。この記念すべき日から後に,二回会議が持たれ,第1回は1929年にアメリカで,第2回は1931年にヴイエナで。この後の会議に於て国際病院協会(The International Hospitals Association)が創立されたのである。最初この問題を論議した人達はこのような会合は必ず国際病院協会の構成にまで進展するものだということを考えていた。既ち病気は普遍的なものであつて,国境や言語の相違を無視するものである。

病人が少くてさかる病院

著者: E.

ページ範囲:P.36 - P.36

 医師という職業は人の不幸を救う仁者の職業であるが,その経済は病人に依存している。病人が多いことが,はやる医者であり,はやる病院である。従つて医の理想としている病人の少いことから正反対の病人の多いはやる病院を希望することになる。
 公衆衛生・豫防医学,治療医学は医学として一つの殿堂の中に包含されるものであ,医師の一日一日の働きも,この3つを兼ね行うことが理想でもあり又そうしなければならないことである。例えば結核の患者が外来を訪れるとすると,その病人に気胸療法を行うとか又人院させて社会的伝播を防ぐとかすると共にその家族をしらべ病人の有無を探し若しレツベルクリン反応陰性の子供があればB.C.G等の豫防接種を行う。この様にして出来るだけ病人の発生を少くする様に努める。即ち始めは病院の門の中から1つ1つの現実の問題を捕えて社会に打つて出る。公衆衛生事業,疾病豫防事業は保健所がすることであるとして,ないがしろにしないで,自らの問題として解決に乗り出す。病院はその地方の疾病治療のセンターである許りでなく,その他方の人々の疾病を豫防し,健康を保持増進する機関とする。保健所と病院とを同一建物内におき,その長は両方を兼ねる如く綜合活動をする。

日本に於ける病院建築の實際(その1)

著者: 小林仙次

ページ範囲:P.37 - P.42

 先進諸外国ことにアメリカの病院建築と日本の大部分のそれとは,余りに隔りがあつて,これを直ちに日本に探り人れることは,生活水準の相違,風俗習慣の相違,はては経済上等の諸条件の為めに非常に困難であつて,管理方式の改善と相俟つて,現在の我国力の段階に於て,可能なことから先ず実行にうつすことが,現下喫緊の問題と考える。
 筆者は二十数年来主として病院建築の設計に携わつてきて,感じたこと,考案して見たこと等を述べて御参考に供したい。

外誌渉讀(3)

ページ範囲:P.42 - P.42

◇病院職員の給料
 米国各地の70-150床の病院からの報告により次の結果が出ている。
 給料の平均は前年に比べて5%増であるが病院経費は9%増である,患者1名1日経費は,83ドルである。

『養成所』の追憶(1)—「養成所」は長崎に在つた日本最初の洋式病院である

著者: 荒瀨進

ページ範囲:P.43 - P.45

 この蕪稿を蘭醫ボムペ(Pompe)教官の門下生であつた祖父,荒瀬幾造(十七歳で委贅した)の靈に捧げる。生存中,師に對する忠信(Trouw)は並々ではなかつた。

編集後記

著者: 編者

ページ範囲:P.50 - P.50

 明けましてお目出度うございます。愈々1950年を迎えることになりました。20世紀も途に半ばに達しました。前半世紀は石炭の時代を脱皮して,ガソリンの時代でした。これからの後半世紀はガソリンから原子力の時代に向つて行くのではないでせうか。そして,この後半世紀には,物質文明の大きな革命が生来するでせう。科学は,精神の問題を全く消化し盡さなければ,人類は破滅のるつぼにあえがなければならぬかも知れません。生命学である医学は,従つて,物質と精神の綜合科学としての本質的課題を解決しなければならぬ重責を負うことになり,医人は一層神に近づかなかればならぬでせう。病院はメヂカル,センター即生命のセンターとなるでせう。
 ××一般に,文化の進んだ国は,整つた病院と学校の存在を誇りとします。平和な町,生命を尊重する国は,医療問題に非常に熱心です。世の中から病の苦悩を全くなくしてしまうことは不可能でせう。然しお互がもう少し努力したならば,病める人々が,安心して,気持ちよく病と闘えるようになる筈で,すれば必ず出来る問題が,未だ未だ沢山にあります——特に日本では,

座談會

家庭婦人と病院(下)

著者: 羽仁說子 ,   川西田鶴子 ,   風岡とき子 ,   金子真子 ,   吉田幸雄 ,   守屋博 ,   久松榮一郞

ページ範囲:P.23 - P.31

○看護婦の質が低下していますネ……
金子 看護婦さんになり手が今少くなつておりませんか。一たいに人も少ないんでしようが○大なんか看護婦さんが非常に少くて,逃げられては困るというので,先生方がチヤホヤして,外科の看護婦にはなり手がないというので実に少い看護婦で大勢の人を見ているというふうで,看護婦さんの言葉つきも何もあつたものじやない。実に看護婦というものが低下しておりますね,素質が…
 守屋 良い病院だといくらでも来る。看護婦が若干いても,良い所に行つて勤めたい,勉強の出来る所に勤めたい。病院が悪いと勉強出来ないんですね。それで看護婦の働きいい病院をつくるということはいいことで,どつちが先になるか分りませんが,看護婦が来ないと良い看護もできないし,勉強もできないということになりますから,病院によつては看護婦をとる豫算というものが出さえすれば,いくらでもあるという状態なんです。

管理者メモ

医療機関整備中央実議会

ページ範囲:P.46 - P.46

病院等の医療機関整備計画
 厚生省では全国の医療機関を整備するため中央と地方に審議会を設置し,中央委員に各団体代表の左の諸氏を依嘱した。
高橋明,竹內一(医師会)西野忠次郎(国立病院)橋本寛敏(聖路加)佐藤運雄(日歯)西村豊治(国立第二病院)原泰一(全民盟)斎藤齊(全経盟)上条愛一(総同盟)村岡花子(評論家)岸田日出巳(東大工教授)伊藤謹二(日赤)千種峰蔵(厚生省)木村請司(国保)赤松金雄(健保)高野一夫(日薬)末高信(早大教授)勝俣稔(結核豫防会)小野木貞久(医療従業員)荻田保(地方自治)高野与佐(安本)河野一六(大蔵省)三木行治,東龍太郎,安田嚴(厚生省)

アンケート

1950年への抱負

著者: 小松好郎 ,   斎藤堯夫 ,   山下秀之助 ,   桑本正雄 ,   木畑辰夫 ,   吉村正一 ,   山際源一郎 ,   石井吉五郎 ,   五味朝一郎 ,   岡野建二 ,   村田三千彦 ,   笠潤一郎 ,   吉田幸雄 ,   坂口康蔵 ,   守屋博 ,   長尾重人 ,   木下正一

ページ範囲:P.47 - P.49

 病院は社会施設である,従つて民衆のためのものである。既ち社会に対しての奉仕に力を入れなければならない。
 管理もその方向に進めたい,傷病者の世話は勿論なるもその基礎をなすべき医師,看護婦,医療従業員の教育又医学の研究に力をそゝぎたい,更に民衆の健康増進に意を用い,よつて信頼の出来る親しみのある病院に設備,構造の拡充を計りたい。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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