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Parisの救急外傷センター
著者: 鈴木淳1
所属機関: 1厚生省病院管理研究所
ページ範囲:P.57 - P.62
文献購入ページに移動フランスの救急外傷センターの設立運動は約30年前に遡る。昭和7年,Paris大学整形外科教授Dr.MathieuはCochin病院のLister病棟を主宰した。当時その病棟の定床は77床で,第一次大戦々傷患者や交通外傷患者やさらに災害外傷者等で外来患者は激増し,病棟は常に満床であった。教授はParis市会に対し病棟拡張か外傷センター新設かを提案し,市会も応諾の決議をした。その後数カ年経過してようやく予算措置がなされ,交通量の多い《下町地区》の中から,Taubourg-Saint—Jacques通りのCochin病院が敷地に選ばれ,1,900万円で1病棟を新築することになった。これは将来の外傷センターの一部をなすものであり,完成図としては地下1階,地上3階で1室14人から18人定床で総計152床を定員とし,職能訓練,理学療法,研究実験室を含む最新の設備を施す予定であった。1941(昭和17年)2月,国も本センターに失業対策費から2億9千万円拠出することとなり,基礎工事が開始されたが,ドイツ軍占領のため,工事は中断された。戦争終了と同時に工事再開の声が関係者の間におこったが,昭和16年の企画がみすぼらしく,また,Paris解放前ひそかに占領下で続けられた医療改善有志会が1病室当りの人数制限を強調し,さらに専門医は手術や治療手技の進歩に基づく新設備を要求したので,旧計画はふたたびねりなおされることになった。
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