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雑誌目次

雑誌文献

病院24巻2号

1965年02月発行

雑誌目次

特集 病歴の中央化

病歴中央管理への実現策—第14回日本病院学会専門集会「病歴の中央化」座長報告

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.14 - P.17

「病歴の中央化」専門集会
1.日時昭和39年7月8日9.00〜12.30
2.場所東京大学医学部講堂

わが国における病歴中央管理の現状について

著者: 吉田幸雄 ,   津田豊和 ,   高橋政祺

ページ範囲:P.38 - P.45

 病院の近代化が進むにつれて,病歴の中央管理の問題がとりあげられ,診療補助部門のひとつとして病歴室の設置が望まれるようになってきた。
 診療録の管理は医師法第24条に明記してあるように,病院においては「管理者」が保存することになっている。法的には「保存」が義務づけられているだけであるが,診療録にはいろいろな価値がある。患者診療上の価値,医学研究上の価値,医学教育上の価値,法的防衛上の価値である。これらの機能を最高度に発揮させるためには,組織的な病歴中央管理を行なわなければならない。

病歴室の機構と運営

著者: 高橋政祺

ページ範囲:P.46 - P.55

中央化制度のできるまで
 病歴の重要性についてはいまさらいうまでもない。診療録が病院における最重要記録であることは,医療関係者なら誰でもよく知っていることである。したがって当然病歴管理はよく行なわれていそうなのであるが,じっさいにはこれがなかなかうまくいっていない。
 私どもの駿河台日本大学病院においても,従前は各科の医局で自由に保管していたので,誰かその医局に整理に熱心な人がいる時期はきちんと管理されているが,担当者がかわると体制が乱れるということの繰り返しであった。もともと,事務員のいない医局がこれを整理するということが,どだいムリなのである。

病歴解析論

著者: 津田豊和

ページ範囲:P.56 - P.61

1.病歴解析の意義
 とにかくまず過去1年間の全退院患者の病歴を読んでみよう。そうしたら病歴が何を無言のうちに訴えているかがよくわかってくる。病歴を正確に作成しておかなければならないことも,病歴中央管理,診療管理,あるいは病院管理の必要性や要点,さらにはわが国の医療全般に関する問題までも読む人の身近かにクローズアップされてくるだろう。そして病歴がこれら諸問題の早急な解決や対策を切望していることに気がつくであろう。
 記載不完全な病歴は読む人をして嘆かせるが,病歴を読んでその患者の既往や入院中の経過,治療の効果さらに退院後の措置などが医学的にも社会的(とくに医療社会事業関係)にもよく理解できる病歴こそ完全な病歴であるといえよう。書いた医師の記憶による補足説明がなければ,その大半を理解することができないような病歴からは,何の訴えも聞いてやることもできず,したがって医療に関する諸問題の提起も対策も非常にたち遅れてしまうことになる。またもしその医師の記憶がうすれてしまったり,あるいは病院を辞めてしまったらなおのこと,せっかくのあらゆる意味での貴重な資料も闇に葬られてしまうことになる。

病歴中央化実現への問題点と打開策 中央化制度のできるまでの経験と意見

虎の門病院の場合

著者: 浅井一太郎

ページ範囲:P.18 - P.20

 今から30年以上前,昭和13年の夏だったと思うが,偶然の機会に米国オレゴン州立大学附属病院をくわしく参観することができた。当時私は大学病院の医局で若い臨床医としての歩みを始めてわずかに数年,病床の患者を受け持ち,病歴を書き,臨床検査を自分でやり,そして外来患者を診て働いていた時期である。そうした時期の私にとってひとつの驚異として映ったものは臨床検査技師の活動と中央病歴室の活動がその最たるものであって,今日でも鮮かにその時の光景を思い浮かべることができるぐらいである。将来日本にもこのような病院ができたらどんなに医師の仕事がやりやすくなるだろうかと羨望を禁じ得なかった。その後戦争になってマライ半島に従軍し,クアラルンプールの熱帯医学研究所に配属され,自分で約600床の一般病院であった附属病院を運営することになり,ここでも同じように中央病歴室があって,整然たる病歴の整理,保管が行なわれていることにもういちど驚いたしだいである。ここでは明らかに総婦長制が採用されていて,今日の日本の大病院と同じ看護体制があったことにも印象深いものがあった。
 約10年前虎の門病院設立の話が具体化して,大槻院長の下に石原事務長や幡井総婦長とともに集まった時に考えたことは,これを機会にひとつの新しい病院の姿を具体化してみようということであり,これが大槻院長が院長を引受けられた第一のお気持であったと思われる。

東京警察病院の場合

著者: 小野田敏郎

ページ範囲:P.20 - P.22

病院の規模と病歴の変遷
 私どもの東京警察病院は36年前の創立にかかり,現在の病床数は一般病床のみ462床,結核病床数は0で純粋の急性病院である。(結核病棟は数年前全廃し,結核は分院的在存の警視庁府中療養所に送っている)平均在院日数は23日である。
 創立当時の入院病歴は各科ごとに病類別に分類してりっぱな製本をいたし,いまも保存されているが,人名別の索引はなく,純学問的な意図から整理がおこなわれたと考えられる。戦中,戦後には,医師の召集,混乱といったことから,入院病歴はまったく未整理のままにうち捨てられ,昭和25年ころよりは各科の病歴担当医が病歴番号と簡単な索引ノートをつくるといった状態であった。戦後10年,このままではすまされないということで,昭和31年,塩沢院長は中央病歴室を設置する決心をされた。

県立がんセンター新潟病院の場合

著者: 木村臻策

ページ範囲:P.22 - P.25

はじめに
 私どもの病院は昭和36年1月から370床の癌に重点をおいた特殊の総合病院となった。翌37年1月から退院患者の病歴管理の中央化を始めたので,その経験は2年半にすぎないが,ご指名を受けたので,ささやかながら経験談を述べて,ご参考に供したい。

公立刈田総合病院の場合

著者: 今田拓

ページ範囲:P.25 - P.27

I.創世紀前
 昭和30年私は宮城県白石市にある公立刈田病院の初代整形外科科長として赴任した。この病院は創立来70年の歴史をもってはいるものの当時は古い組織と建物で運営されていたようである。昭和26年末に赴任して病院の近代化に手をつけて日々努力を重ねていた菅原院長によってまず建築改造がはじめられ,私が赴任してきた当時はそれが半分できあがった頃であったと思う。病院の外側は逐次整備されつつあったが,中身はほとんど手がつけられていなかった。病歴などは年度もなければ外来・入院の別もなく,名簿もないという状態であった。
 新築の病院は予想以上に患者の急増をきたし,各部に機能の改善を考慮されなくてはならない状態であった。病歴も従来の整理では紛失すれば2度とお目にかかれない日が続いた。

国立東京第一病院の場合

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.28 - P.30

発足
1.発案
 病歴は従来は医師の手元に保管され,医師の私物化の傾向があった。しかしながら,病歴の内容が単に医師のメモではなくなり,検査・手術・看護・ケースワークその他の事項も多くなるとともに,病院の責任のもとに管理するという必要性が生じてきた。
 国立東京第一病院においては,当時の守屋博管理部長が病歴の中央管理について発案し,昭和27年7月1日より実行に移され,今日に及んでいる1)。当時は他に手本とするものがなく,また国立病院の特殊性のもとに小規模に発足したのであるが,その後他の病院にも病歴室の設置を促す機運を作った点は記録にとどめておいてよいであろう。

病歴中央化発足当時の問題点と解決策 中央化が発足してからの経験と意見

聖路加国際病院の場合

著者: 栗田静枝

ページ範囲:P.31 - P.33

 診療記録中央化の発足は,病院において,設置の計画がたてられると,医師をはじめ関係者の間で,それぞれ病院の特色を生かした整理保管,統計,管理などの方針を具体的に検討した結果,もっともその病院に適した方法が採用されて実現するのがつねである。
 すでに中央化を行っている病院で,発足当時から現在に至るまでの実状を見聞きしてみたが,これらの病院で中央化を新しく企画して実行に移した場合,病院の大きさ,組織の特色その他,多少のちがいのあるなしにかかわらず,必ず問題点は出てきており,とくに発足当時には,不備も原因してか,いろいろ支障が起こるので,院内各方面から何かと不便さを指摘されるが,これは過渡期においては,どこでも当然おこりうることであってよいと思う。もちろん,病院内で診療記録の関係者は,それぞれの立場上,また問題点の大小にかかわらず,当分の間相互間で検討を重ねてゆく中に,問題点もしだいに改善され,中央化の運営が軌道にのってくれば,自然よりよい方向への順調な発展が可能であると確信をもっていうことができる。

駿河台日大病院の場合

著者: 植木幸子

ページ範囲:P.33 - P.35

 私が駿河台日本大学病院に勤務し始めた時は,すでに病院が外来病歴の中央管理を実施してから約2年半,入院病歴の中央管理を実施してから約1年半経過していた時であったので,いわゆる発足,当初のもっとも困難な時期を経験しなかったといえる。しかしその頃でさえ,まだまだ医局側からの中央管理に対する不満や,反対の声を耳にすることはたびたびで,その運営にもうまく行かぬところがあって,種々の問題が残っており,円滑に行なわれているとはいい難かった。
 外来病歴について述べるならば,これは毎日の診療に関係して絶えず動きまわるものであり,その数が厖大なものであるだけに,入院病歴以上に医局側との軋轢を生ぜしめ,反対意見を助長したといえる。

東京警察病院の場合

著者: 百々勝子

ページ範囲:P.35 - P.37

病歴整理
 入院病歴の中央化実施後,最初に直面する問題は,患者退院後の病歴整理についてであります。患者退院後,担当医師が,ただちに病歴を整理し,病棟婦長から病歴室へ,回送することになっているのですが,なかなかこれが実行されず,しぜん病歴整理期間を限定することとなり,患者退院後1週間と定めたのでありますが,いつのまにかルーズになり,遅延病歴の続出に閉口する結果になりました。そこで,当院では,病歴委員会において,良策を検討の末,病歴整理期間を2週間にのばし,この期限をオーバーすると,1日1冊につき,金50円也を担当医ならびに医長からも同額を,連帯責任の意味で,罰金を徴収することに決定し,実施しましたが,罰金制度施行後は,年間・数十冊の病歴提出率は,百パーセントの好結果を得るに至りました。
 病歴整理期間が2週間というと,少々期限が長すぎるように思えますが,医長点検提出日が決まっている関係もあり,提出期日に,提出数が少ないと,医長よりおこごとが出るので,事実上は,ほとんど1週間以内に提出されており,病歴収集に関しては,大いに成果を上げております。

グラビア

母と子の病院—聖バルナバ病院

ページ範囲:P.5 - P.8

 聖バルナバ病院は,明治6年にアメリカのエピスコパル伝道教会によって一般診療所から出発した,古い歴史と長い伝統を持っている病院である。現在の建物は昭和3年に建造されたものである。
 産科と小児科を有し,分娩数はきわめて多い。アメリカの病院の形態をとり入れ,看護の確立と患者生活の充実とに重点がおかれている(大阪市天王寺区細工谷町66)。

救急病院は年中無休—京都第二赤十字病院救急分院

ページ範囲:P.9 - P.12

 交通災害の急増に伴い,病院における救急活動が重視されるようになった。
 本病院は救急患者の医療を専門とする病院として,わが国では他に例を見ないものである。京都第二赤十字病院を母体とし,昭和31年2月に設立された。赤十字精神のもとに,日曜,祭日,夜間も休みなく,まさに年中無休の活動を続けている。昭和39年9月には増改築を完了して100床となり,設備や機能の充実をみた。

病院管理研究所だより

第2回病歴管理専攻科開講

著者:

ページ範囲:P.61 - P.61

 昨年6月中旬から7月上旬にかけて病院管現研究所で,第1回病歴管理専攻科の研修会を開講いたしましたところ,講師各位,実習病院のご協力,受講生各位の熱意によって多大の成果をおさめることができました。
 本年もやはり同じ頃に,第2同研修会を開講いたしますので,各病院におかれましてもまた担当の職員(医師または病歴係)をご派遺,ご参加くださいますよう。

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病院管理とカウンセリング・サービス

著者: 金子敏輔

ページ範囲:P.70 - P.76

医療と宗教の結びつき
 古来から医術医療と宗教は切り離せない歴史的関係がある。東洋西洋の歴史にはいずれも医療の宗教的背景が強いが,病院医療からみれば西洋の病院は宗教とくにキリスト教に基盤をもって発展してきた。宗教団体が病院を開設経営し,シスターなどが一生を医療奉仕に捧げ,その宗派病院で看護から経営管理に当たっていることは昔から近代社会の病院につづいている。看護も教会が併設した診療所から病院へと発展の歴史を示している。近代病院の経営は欧米ではその大半が宗教団体によって運営され,アメリカではキリスト系のカトリック病院協会,プロテスタント病院協会はともに有力で強力の財的背景をもち近代病院医療の役割を果たしている。これらの病院のほとんどは病院内に礼拝堂やチャペルをもち,大多数は病院専属牧師,神父,伝導師をもち,宗教的精神指導を(Chaplaincy Service)行なっている。
 一方欧米とくにアメリカでは,諸外国で医療水準の低開発国に対して,宗教的医療活動をつづけているながい歴史をもち,医療伝導は今日ますます盛んで莫大な基金が,毎年キリスト系各派を通じて行われている。最近のアメリカ医師会雑誌によると,医学と宗教は近代歴史にみられないほど連結が深くなったとのべ,約50万に近い白衣の人たちと,黒衣の人たちが協同医療しているといわれ,この両者の関係が再検討され,保健と信仰は一致化されつつあるとみている。

国道に面した一総合病院の騒音の実態について—≪第2報≫騒音に関する測定成績

著者: 芦沢正見 ,   久保田美恵子 ,   岩佐淳子 ,   中村友輔 ,   藤田篤雄 ,   長沢長治 ,   加藤英夫 ,   西郡まさ

ページ範囲:P.77 - P.83

 第1報(本誌23巻3号)で著者らは本病院入院患者に騒音がどのようにうけとられているかを質問調査によって調査した成績を報じた。今回のは問題とした騒音自体の性状について計器を用いて測定した成績および,同時に調査した交通量の報告である。

編集主幹ノート

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.94 - P.94

 本号は「病歴の中央化」を特集しました。すでに御承知のように,第14回日本病院学会の専門集会のテーマとしてとり上げられた課題であって,本号の特集は主としてその際の報告を骨子として編集した。
 病歴管理のわが国の現状は非常に立遅れてしまっている。それは吉田以下の「わが国における病歴中央管理の現状について」でおわかりのとおりです。しかし多くの病院長は必要性を意識しておられることも事実である。病歴を中央化して管理することによって,患者のためにも,医師のためにも,病院のためにも,公衆衛生や社会福祉のためにも,学問のたあにも有益であるという観念は病院管理者の内に普及されているが,しかし,何故これが実施に移されないのだろうか。

ホスピタルトピックス 事務管理

病院従業員の職務分類

著者:

ページ範囲:P.87 - P.88

 病院人件費の高騰は日本ばかりでなく,世界的な現象のようである。しかし病院を利用する民衆は,必ずしもじゅうぶんな理解を示さず,最良の医療の提供だけを期待する場合が少なくない。それに要する費用の必要さを民衆に納得させるには,人件費について病院側のじゅうぶんな検討がつねに前提となる。
 病院人件費の説明には,①どれだけの人数が必要か②給与はどれだけか③どれだけ効果的に働いているかの3面,すなわち定員,給与体系,労働生産性の面から検討が必要であろう。とくに問題となるのは,在来の年功序列給与への疑問と,職務給の採用であろう。職務給の前提は申すまでもなく,職務を確定することである。病院のごとく多種多様な専門職,非専門職種の存在するところでは,この作業は決して簡単ではない。ひとつの参考に,米国の病院における(マサチューセッツ・メモリアル病院)の職務分類を紹介してみよう。

特殊病院

ラングーンの精神病院

著者: 岩佐金次郎

ページ範囲:P.88 - P.89

 羽田から,ジェット機に約8時間のれば,ビルマの国際空港ミンガラドンに着く。ここからラングーン市内へ通じるPROME ROADに沿った,TADAGALE地区に,国立精神病院がある。市域が拡張されて市内に編入されてはいるが,このへんは人家も多くはなく,村落といった感じのする風景が展けている。ひろく枝を張ったミモザの大木が両側に植えられている街道から,病院の色あせた高い煉瓦塀が見わたせる。
 正門の鉄扉は,患者との面会時刻以外は,閉じられている。面会時刻以外に門の扉が閉じられるのは,この地の病院では,いわば規則になっていて,精神病院だけではない。面会は,午後の数時間に限られている。この頃になると,開扉を待つ人びとが群がり,煙草,菓子類,歯磨,石けんなどを,小さな箱にならべた露店が開き始める。

霞ガ関だより

ラジオ・アイソトープの医学利用

著者:

ページ範囲:P.90 - P.91

 ラジオ・アイソトープ(RI)が,わが国で利用されるようになったのは,大正時代であるが,これが本格的に利用されるようになったのは,原子炉の開発がさかんになり,いろいろなRIの輸入がはじめられた昭和25年以降である。
 そこで,科学技術庁原子力局と厚生省医務局は,現在のRIの利用の実態を調査し,利用上の問題点と希望意見などを知り,今後よりいっそう円滑に,RIの医学利用を促進するために,昭和38年11月1日現在で実態調査をおこなった。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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