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院長訪問・7
—佼成病院長—小野田敏郎先生
著者: 岩佐潔1
所属機関: 1病院管理研究所
ページ範囲:P.63 - P.63
文献購入ページに移動 小野田敏郎先生は永らく本誌編集幹事で,われわれには馴染み深い仲であるが,40年8月佼成病院長に就任されたので,新院長としての抱負を尋ねてみた。
先生は昭和10年に東大を卒業し,陸軍軍医学校で4年間軍陣衛生学の教官として勤務した。その後陸軍省医務局課員として教育および衛生に関する事項を担当し,軍医中佐で終戦を迎えた。終戦の12月から翌21年5月まで国立東京第一病院に勤め,その後復員船が帰港し温泉があり官舎もある国立大阪病院白浜分院に転じた。先生は復員者の医療に責任を感じてここで診療に従事していたのであるが,この仕事も一段落したと考え,22年7月職を辞し,白浜からほど近い郷里の海南市に引揚げ開業した。しかし開業3年にして再び東京の病院に勤務することになった。先生の説明では,高い税金にへこたれて開業を中止したということであるから,患者が来すぎて困ったのかも知れない。それとも先生にはsolo-practiceより組織の内にあるほうがふさわしく思われたのかも知れない。
先生は昭和10年に東大を卒業し,陸軍軍医学校で4年間軍陣衛生学の教官として勤務した。その後陸軍省医務局課員として教育および衛生に関する事項を担当し,軍医中佐で終戦を迎えた。終戦の12月から翌21年5月まで国立東京第一病院に勤め,その後復員船が帰港し温泉があり官舎もある国立大阪病院白浜分院に転じた。先生は復員者の医療に責任を感じてここで診療に従事していたのであるが,この仕事も一段落したと考え,22年7月職を辞し,白浜からほど近い郷里の海南市に引揚げ開業した。しかし開業3年にして再び東京の病院に勤務することになった。先生の説明では,高い税金にへこたれて開業を中止したということであるから,患者が来すぎて困ったのかも知れない。それとも先生にはsolo-practiceより組織の内にあるほうがふさわしく思われたのかも知れない。
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