icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

病院25巻3号

1966年03月発行

雑誌目次

特集 結核医療と病院

最近の結核医療の問題

著者: 御園生圭輔

ページ範囲:P.15 - P.19

 昭和38年結核実態調査による全結核要医療者推計数203万人について,生活規正面からの指導区分をみると,要入院46万人(22.7%),要在宅休業31万人(15.2%),就業化学療法126万人(62.1%)となっている。要医療者中要入院の占める割合は3回の結核実態調査の間では変化してきている。すなわち,昭和28年には46.8%であったものが33年には28.4%となり,38年には22.7%にまで低下してきた。この10年間の結核医療,結核行政の浸透により,結核のまん延程度が減少してきたこと,早期発見,早期治療が普及し重症者が減少してきたことが要入院の率を低下させているのであるが,一方,化学療法の進歩と治療後の追跡調査からの経験とが就業化学療法に対する自信をつけたこともこの率の変化に関係していることは否めない。
 安静は長い間,すべての結核患者の守らなければならない至上命令であったが,化学療法の進歩普及の結果は安静の価値をかなり変えてしまった。

結核医療事業の最近の動向

著者: 山形操六

ページ範囲:P.20 - P.24

はじめに
 結核が猛威をふるい,多くの人命を失わせ,経済的にも社会的にもはかり知れない損害を国民に与えてきたことは,今さら多言を必要としないであろう。しかし,国民全体の結核との戦いが実って,現在なおいくつかの間題をかかえながらも,近年ようやく成果の曙光がみられ始めたことは誠によろこばしいことである。ここに,最近の動向について,医療事業の面から考察することも,今後の結核根絶への道を歩むために有意義であると思う。ただし,結核の医療に関しては,医学の社会的な適用実践という意味から臨床医学に焦点を合わせた論議だけでは十分でない。疾病対策を推進するに当たっては,予防と治療とが離ればなれになっていたのでは総合力を発揮し得ないものである。健康増進,疾病予防,適正医療およびリハビリテーションの一連の対策が国民の1人々々に浸透してこそはじめて対策の効果が期待できるのではなかろうか。結核対策が一応成功をおさめたのも,このような総合的対策が官民一体の努力によってもたらされたことを忘れてはならないのである。

国立結核療養所の任務と今後の課題

著者: 大村潤四郎

ページ範囲:P.25 - P.29

国療の歴史
 国立結核療養所は昭和20年,軍事保護院の廃止に伴い,それまで傷痍軍人療養所であった36の療養所を引きついだことにはじまる。その後医療団の解散に伴って昭和22年医療団より94か所を移管した。当時は結核花やかなりし頃で病床は著しく不足であったから,陸・海軍病院から移管された国立病院のなかから数年にわたってあわせて43の国立病院が結核療養所に移管された。また国立温泉療養所からも4か所が結核療養所に転用された。結核病床数が最も大であったのは昭和33年であって結核病床の総数は263,235であった。この時国立結核療養所の病床数は65,500床で結核病床の24.9%を占めていた。この年から結核病床は減少をはじめ,昭和36年からは結核療養所の病院転換がはじまった。現在までに12か所が病院に転換され,2か所が精神療養所に転換されている。また昭和41年度には2か所が病院に転換される予定となっている。
 最近10年間における全国結核病床数の推移ならびに国立結核療養所の施設数ならびに病床数の推移は第1表に示す通りである。

結核療養所から胸部病院への転換

著者: 砂原茂一

ページ範囲:P.31 - P.34

1.療養所というもの
 結核療養所から胸部病院への転換という命題には,いうまでもなく,前者が古く後者が新しいという了解がふくまれている。しかし同時に結核から胸部疾患へと,もう1つの療養所から病院へという2つの道筋が示唆されていることにも気づかないわけにはいかない。
 結核療養所というコトバのほかに結核病院というコトバがあり,歴史的には後者の方が実は古いのである。療養所は1850年代にBrehmerによってはじめられたと考えていいが,すでにその前にイギリスにはRoyal Sea Bathing Hospital(1791) Royal Victoria Hospital for Consumption,Brompton Hospital for Consumption (1841)が存在していたのである。このうちBromptonHospitalなどは"for Consumption"という限定句を削除して,今日まで胸部疾患病院の典型として輝かしい存在をつづけているのである。

結核主体から総合病院への移行の問題

著者: 赤星一郎

ページ範囲:P.35 - P.38

 「結核主体から総合病院へ」ということはどういうことなんだろう。結核医療と病院という特集の中の1つの題として書けという注文である。他の題と,その執筆者の名前とをくらべながら考えた。編集者は何を目論んでいるのだろう。
 私がいま勤めている九州中央病院は約10年前に企画され,8年半前に開院した。九州に共済組合員が10万人くらいいて,結核による休職者約1,800人という状態であり,それに対して,九州に1か所の病院,結核病床300床,一般病床24床,リカバリー6床という規模で,内科,外科,耳鼻いんこう科,歯科が準備されたのである。

アメリカにおける結核療養所の転換の方向

著者: 長崎太郎

ページ範囲:P.39 - P.45

1.はじめに
 1961年に全米の結核病床数は67,634床しか残っておらず,過去7年間に約40%減になったというが3)1961年より現在迄の4年間に結核病床数は更に減少の一途をたどっていると推察される。
 創立50年を迎える本邦最古の療養所に籍を置く小生は,斜陽といわれるサナトリウムの将来を考えるため1961年1月より満1年間,米国コロンビア大学の病院管理学講座を受講するかたわら,その指導のもとに米国東部地区の結核療養所の近況を見聞し,米国の結核療養所の転換の方向を察知することができたので報告する。

座談会

結核医療の将来

著者: 岩佐潔 ,   加納保之 ,   河部秀雄 ,   藤岡萬雄 ,   石原信吾

ページ範囲:P.46 - P.54

 結核対策は,もはや"終戦処理"の段階という意見もある。しかし,ベッド利用率の低下と何十万もの野放し要入院患者との奇妙な関係は,何を物語るのか。若い医師の不足,精神病院への転換など問題は多い。結核医療の将来はどうなるのだろう……。

グラビア

第5回病院管理視察研究会—鳥取県立厚生病院

ページ範囲:P.5 - P.12

 世界病院協会の研究旅行に範をとった日本病院協会の病院管理視察研究会は,第5回を迎え,山陰の鳥取県と島根県の6病院の視察研究旅行に出かけた。
 秋も深まった昭和40年11月16〜18日の2泊3日の旅行は,病院を学ぶだけでなく,懇親とレクリエーションの最良の機会であった。

病院の広場

院長の仕事

著者: 武藤多作

ページ範囲:P.13 - P.13

 私は昭和12年,当時の満州国奉天の日赤病院から,現在の松江へ転勤して来たので,今年で正に29年間院長をつとめることになる。今過去を振り返えって見ると,病院の運命は実に波瀾万丈で,よくここまでやらて来たと思うが,考えて見るとその中心をなすものはやはり「人の和」ということだったと思う。
 院長の仕事は診療と管理との2方面があるのが普通である。しかし近頃は医師としての本来の仕事よりはむしろ管理という方向に非常に心と体とを使うようになって来たことは,実は私自身非常に不本意であり,これはわが国の医療のあり方が,ますますよくない方向にむかいつつある実証だと残念に思っている。

--------------------

第16回日本病院学会プログラム

ページ範囲:P.30 - P.30

委員会制度序説

著者: 角田信三 ,   山田豊

ページ範囲:P.60 - P.69

1.はじめに
 私どもは愛知県と近県各病院管理者の方がたにお願いし,病院院内委員会の実情について,いろいろご回答を得たので,これを中心として委員会をめぐる周辺の諸問題点を述べ,大方のご批判をいただきたいと思う。

編集主幹ノート

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.100 - P.100

 本号は結核医療を特集しました。結核患者はこの数年急激な減少を見ています。そのために結核医療に関係する各方面に急激な動揺を与えています。まず最初に現われた現象は一般病院の結核病棟が一般病棟に転換を始めました。つづいて中小の私的の結核病院が他科への転換を急ぎました。遅れたものの中には,不幸に閉鎖を余儀なくしたものもあります。社会の福祉施設であった結核療養所も次第に閉鎖されて行きつつあります。中でも結核病床を最も多く全国的にかかえている国立療養所は,一時は結核検診の強化によって老人結核などを吸収して一息ついたこともありますが,それも結核患者の発生が急激に減少した状態ではこたえることができないようになり,その立地条件の不利のために,急速に収容患者が誠少し,職員の減員を毎年余儀なくし,今や一部の療養所は転換をせまられています。
 このような医療機関の大変化は,高所から見るならば喜ぶべき現象ですが,その変化を直接にうけている多くのものにとっては大きな社会問題としてとり上ぐべき問題であると思います。本号を特集した意義はここにあります。かくのごときいわゆる退却時のもろもろの現象にいかに対処するかは,直接に術に当るものには重大な課題でありますが,結核以外の疾病についても同様なことがいつ繰りかえされるかわかりません。病院人のすべての関心事でなければならないと思います。

院長訪問・8

—岡山労災病院長—津田誠次先生

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.59 - P.59

 亡くなった三木知事が光と緑にめぐました百万都市を夢みた岡山ではあるけれども,労災病院のある児島湾旧埋立地付近は人家も少なく工場も乏しくて,市の中心部からは車で30〜40分の距離にあるので,立地条件としてはめぐまれない所である。その結果,岡山労災病院は外来患者は200名に満たないごくわずかを集めているに過ぎない。しかし入院のほうは盛んで,もともと250床予定で造られた施設を300床につめて運用し,その病床利用率は99%の盛況を示している。優秀な医師陣容を持ち,院内の清潔整頓が保たれて優れた病院であるのは,院長の津田先生の力によるところが多い。
 津田先生は古武士の風格を持つ老先生である。大正6年東大を卒業して佐藤三吉教授の外科に入局したが,在局2年にもならぬ時に招かれて台湾赤十字病院の外科医長兼台湾医専の教授になった。その後,大正14年岡山大学の外科教授に移り,昭和33年そこを停年退職するまで教授生活が46年間もつづいたのであるから,先生の学者,教育家でしかも臨床家としての態度が板についていることは当然である。

研究と報告【投稿】

結核施設の現状とその問題点

著者: 藤岡萬雄

ページ範囲:P.71 - P.79

緒言
 現在われわれ結核病院あるいは結核病棟は重大な転換期に際会している。それは病床利用率は全国的に低下しているが,特に地理的に不便な所あるいは設備の悪い所ではその低下ははなはだしく,一方地理的に便利な所あるいは設備の良い所はそれほど低下せず,格差がますます大きくなって来ている。また老人や重症者の入院希望が多くなって来ているのに,小室が足りなくて収容ができない。あるいは,建物や設備が古く,旧式で最近の医学の水準に追いつけない。
 以上のようないろいいろな理由から,私どもは結核病院あるいは一般病院の結核病棟の体質改善を行なう必要があると考えているのであるが,その1つの手がかりとして現状を調査し,その問題点を探ろうとしたのである。本調査に御協力くださった各施設の方がたに厚くお礼申し上げる。

多目的委員会

著者: 斎藤明

ページ範囲:P.81 - P.87

I.緒言
 一般の企業とは違って,病院には多くの専門職種が含まれており,それらが互いに有機的な連繋を保って運営されている。この複雑な機構が円滑に日常の活動を続けてゆくために,またさらに充実し発展するためにも,各種の連絡会,協議会などが必要である。これら諸種の会合が,上層管理者の独断専行に陥いることなく,民主的に運営されるために委員会の形をとることとなる。この委員会制度は,近代的な病院運営の手段として,ますます活用される傾向にある。
 元来,病院業務の中核は患者を収容し治療することである。いかに病院の近代化,業務の合理化とはいえ,多くの会議を作り,頻回に委員会や協議会に明け暮れていたのでは,診療への支障をどうしても避けることができない。このことは診療似外の業務についても同様にいえる事柄である。したがって従業員,特に指導的立場にある人びとが,各種の会合にたびたび呼び出され,多くの時間を浪費しないように,委員会およびその他の会議自体の能率向上を計ることが必要である。

私の一週間

眼科と図書室をスミカに

著者: 森日出男

ページ範囲:P.90 - P.92

 眼科診療のかたわら,ヒマをつくっては,書庫にこもり,「図書室」の整理に情熱を燃やす。"もの好きな奴と思うかも知れない。しかし,必要なことは間違いない。必要だから価値がある"とは氏の論理。もの静かな人柄の反面,大の野球ファン。ヒイキは南海。キ印の領域である。……さて,その1週間の行状は……。

病院図書館

—川上 武著—「医療の論理」

著者:

ページ範囲:P.92 - P.92

野心的な医療の論理への挑戦
 医学のめざましい発達と,それによって促進された専門分化は,医療全般に著しい混乱をまき起こし,いまや反省期を迎えつつあることは,多くのすぐれた専門家によって指摘されているところである。
 「医療の論理」は,こうした高度の医学が日常診療とどのように結びついているかに,実践を通して論理を与えようとした,極めて野心的な試みである。

ホスピタルトピックス 診療

医療保険制度改正の根本問題

著者: T.S.

ページ範囲:P.94 - P.95

 厚生省は,昭和42年度の実施を目標として,最近巨額の赤字に悩まされている医療保険制度の抜本的改正をおこなう準備を進めている。この医療保険制度改正の今後のスケジュールとしては,まず,さる11月末に厚生省内に設けられた牛丸事務次官を委員長とし関係各局長などを委員とする"医療保険基本問題対策委員会"で制度改正の事務局案を審議したのち,社会保険審議会(会長末高信氏),中央社会保険医療協議会(会長東畑精一氏),さらに社会保障制度審議会(会長大内兵衛氏)に諮問することとしている。
 この対策委員会が現在検討中の医療保険制度の改正案については,まだ詳細は不明であるが,その骨子になっていると予想される構想は,さる9月上旬社会保障制度審議会が,保険三法の改正案に関する答申にさいして提出した「医療費問題に関する意見」に近いのではないかと考えられている。この意見書においては,まず医療保険行政に対する従来の政府の"腰だめ式"な政策をきびしく批判するとともに,医業経営実態調査の実施や医療費体系の合理化,財源のプール制,薬価対策など医療保険全般の根本的な検討を求めており今後の制度改正にかなり大きな影響を与えるものと考えられるので以下その概要を紹介することとしよう。

特殊病院

Hamburg大学の神経外科とその病棟について

著者: 今関好晴

ページ範囲:P.95 - P.95

 脳神経外科がわが国で新しく診療科目となってから,まだ日が浅い。
 欧米での神経外科は,長い伝統を持った神経科の中での外科的治療部門として発達して来たので,わが国の脳神経外科とは,その発足においても,また内容的にも相違があるようである。

霞ガ関だより

国立病院の臨床検査部門について

ページ範囲:P.96 - P.98

運営方式と問題点
 国立病院の臨床検査部門は中央管理方式が採用されており,研究検査科として独立した運営が行なわれている。戦後提唱されたこの中央管理方式については異論のないところであるが,検査科専任の臨床病理医(病理・生化学などの専門医師)が配置されている病院は全国88施設の中で基幹病院10か所をはじめ国立がんセンター,国立小児病院など4分の1程度であって,その他の施設においては本来の所属診療科のほかに研究検査科を兼任する形式で医師が配置されているに過ぎない。一般に国立病院は大規模なものが多く半数に近い施設が病床数300床以上であり,400床以上を保有する病院が30施設にも及んでいる事実から考えると,急速な医学の進歩に適応して医療の質を維持して行くためには,衛生検査技師の労働条件を緩和するに止まらず研究検査科専属医師の配置が必要な現状といえよう。最近の資料をもとに国立病院における臨床検査部門の稼働状況について2,3の知見を述べる。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?