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院長訪問・8
—岡山労災病院長—津田誠次先生
著者: 岩佐潔1
所属機関: 1病院管理研究所
ページ範囲:P.59 - P.59
文献購入ページに移動 亡くなった三木知事が光と緑にめぐました百万都市を夢みた岡山ではあるけれども,労災病院のある児島湾旧埋立地付近は人家も少なく工場も乏しくて,市の中心部からは車で30〜40分の距離にあるので,立地条件としてはめぐまれない所である。その結果,岡山労災病院は外来患者は200名に満たないごくわずかを集めているに過ぎない。しかし入院のほうは盛んで,もともと250床予定で造られた施設を300床につめて運用し,その病床利用率は99%の盛況を示している。優秀な医師陣容を持ち,院内の清潔整頓が保たれて優れた病院であるのは,院長の津田先生の力によるところが多い。
津田先生は古武士の風格を持つ老先生である。大正6年東大を卒業して佐藤三吉教授の外科に入局したが,在局2年にもならぬ時に招かれて台湾赤十字病院の外科医長兼台湾医専の教授になった。その後,大正14年岡山大学の外科教授に移り,昭和33年そこを停年退職するまで教授生活が46年間もつづいたのであるから,先生の学者,教育家でしかも臨床家としての態度が板についていることは当然である。
津田先生は古武士の風格を持つ老先生である。大正6年東大を卒業して佐藤三吉教授の外科に入局したが,在局2年にもならぬ時に招かれて台湾赤十字病院の外科医長兼台湾医専の教授になった。その後,大正14年岡山大学の外科教授に移り,昭和33年そこを停年退職するまで教授生活が46年間もつづいたのであるから,先生の学者,教育家でしかも臨床家としての態度が板についていることは当然である。
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