文献詳細
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文献概要
「病院」3月号をみると,まるで武藤院長の死が予期されていたような編集ぶりだ。彼の巻頭言,彼がお世話した日病の山陰地方病院視察旅行のグラビア,偶然といえば偶然だが,あまりにも武藤院長がクローズアップされている。彼から病院をとったら何も残らない。そんな男の死んだ月に出た「病院」だから,こうあっても不思議はない。私に追悼文をかけとのことだが,彼の追懐はそのまま私の自叙伝にもなる間柄,とても示された字数には収まらない,無理な注文だ。
彼との出会いは,今から51年前,大正4年に岡山の六高三部にはいった時,それから東大,日赤とずっと同じ道を歩んできた。
彼との出会いは,今から51年前,大正4年に岡山の六高三部にはいった時,それから東大,日赤とずっと同じ道を歩んできた。
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