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雑誌目次

雑誌文献

病院25巻9号

1966年09月発行

雑誌目次

特集 大学と病院

大学と病院

著者: 永沢滋

ページ範囲:P.15 - P.20

医学教育の問題点
 私に与えられたテーマは大学と病院であるが,この問題は文字のごとくまったく2つに分離される性質のものでなく,医学教育として基礎も臨床も1つの体系のもとに,あくまで医学は1つという考えのもとに教育も研究も組み立てられなければならない。
 昨今,方々で医学教育の改善が叫ばれているが,その問題点は第1に医科大学における教育目標は基礎医学,臨床医学,社会医学の全部をひと通り教育し完全医師を目標としているようであるが果たしてこれが妥当であるかどうかの問題である。

大学病院の院長—専任院長問題

著者: 篠田糺

ページ範囲:P.21 - P.25

1.専任院長制
 日本の国立大学病院(したがって公私立の大学病院)には,なぜ専任の院長をおかないのだろうか?教育機関の一部だとはいいながらこれほど大きい複雑な組織で多種多様の職種を擁し,年間10億ないし20億の予算を使い,教育と研究と診療との3大使命を担い,臨床医学発展の基礎であり,模範であり,すべての医師を養成する任務を帯びている大学病院が,同時に現業と同じように診療をしているのであるから,専任の院長がおかれても,少しもふしぎではない。それなのに今なお教授の併任で,しかもたいてい2年交替制であることのほうが,むしろふしぎである(大学以外の人は専任だと思っている)。
 ことに戦後は赤字経営つづきのため,施設の改善は遅々として進まず,臨床教育上の問題や,診療行政上にも,運営の制度上にも,さまざまの問題が多発しているにもかかわらず,根本解決の見通しが立たないでいるのに専任院長どころか副院長制度さえも,考えられていないのは何故だろうか?大学病院長経験者なら誰でも,明治,大正時代からの歴史的伝統だからと観念することなく,もっと積極的に新時代に対応して発展させるために,私と同じ疑問と発想をもつことであろう。

大学病院の中央施設

著者: 小酒井望

ページ範囲:P.26 - P.29

 病院の中央施設には,医師または医師のチームが来て診療(含検査)を行なうに必要な設備,機械,器具,人員を貸与するもの,すなわち俗なコトバでいえば"貸し座敷"的なもの,施設の中で診療各科の患者について,検査あるいは診療の一部を行なうものなど,いろいろの性格のものがある。
 中央検査部,中央放射線部は,主として患者自身あるいは患者から採取した検体について,診療各科の医師の指示にもとづいて検査を行なうところである。

大学病院における臨床教育

著者: 児玉俊夫

ページ範囲:P.30 - P.32

はじめに
 大学病院での臨床教育の対象となるものは,医学部学生,インターン,大学院学生,レジデントおよびレジデントを終了したものなどの多くの種類がある。
 ここで私たちの教室が実際にしていることを率直に述べて,皆さまの御批判を仰ぎたいと思う。

大学病院と他の病院との関係

著者: 前田信雄

ページ範囲:P.33 - P.38

 私に与えられたテーマは,大学病院と外部の病院との結びつき,ということであったが,その線にそって,いわゆる教育病院と非教育病院との関係を論じてみたい。なお,わが国の現状を考察する前に,前半で少し念入りにこの関係の一般的理論的な論述をしてみた。というのも,他の一般の病院との関係については,従来とりあげられたことが少ないように思われたからである。

アメリカの大学病院

著者: 川原啓美

ページ範囲:P.39 - P.43

 日本の大学病院は,現在無給副手問題,インターン問題などの多くの問題を抱え,その解決を迫られている。この際,目をひるがえして,かつてその範とした外国の大学病院の実情を見るのは,益の有ることと思われる。私は,私の滞米留学生活の後半に当たる,1960年から2年間,ニューヨーク州アルバニー医科大学病院で(第1図),胸部外科のレジデントとして勤務したので,その経験を中心としてアメリカの大学病院の実情を紹介し,わが国との相違にふれてみたい。

座談会

大学病院のあり方

著者: 吉田幸雄 ,   守屋博 ,   織畑秀夫 ,   水野肇 ,   高橋晄正

ページ範囲:P.44 - P.57

 "病院"という診療の場ではあるが,教育・研究の大きな使命をもつ大学病院--「カゼをひいて東大にいくバカ」というセリフもあるが……。大学病院の本来の姿はどうあるべきか?内在するさまざまな問題点を話し合っていただくと……。

パネル・ディスカッション

大学病院の諸問題

著者: 樫田良精 ,   鈴木次郎 ,   懸田克躬 ,   古谷国四郎

ページ範囲:P.70 - P.85

 司会 これから事務職員研修会としては初めてのパネル・ディスカッション「大学病院の諸問題」を始めたいと思います。最初に医学部長,病院長,あるいは事務部長のそれぞれの立場から問題点を提起していただいて,その後,講師同士で意見を交換していただく。次には受講者の皆様からも活発なご意見をいただきたい。必ずしも結論は出なくても,何か益するところが多かったという催しにしたいと思います。ご協力をねがいます。大学病院の問題ですから,病院長の鈴木先生からまず口火を切っていただくことにいたします。

グラビア

歴史を重ねて発展する私立大学病院—東京慈恵会医科大学付属病院

ページ範囲:P.5 - P.8

 東京慈恵会医科大学(東京都港区西新橋3丁目18番8号)は,明治14年1月に高木兼寛博士により設立された。明治15年8月に有志共立東京病院が発足し,また明治19年には皇后陛下(昭憲皇太后)の御厚志により東京慈恵医院(のちに東京慈恵会医院と改称)が設立された。大正11年,高木博士より東京病院が寄贈されて付属病院となり,戦後にいたり,慈恵会医院と合併して付属東京病院となった。
 昭和36年,地上7階,地下2階の近代設備を誇る本館を起工し,37年10月に開設すると同時に,東京慈恵会医科大学付属病院と改称し,現在にいたっている。病床数800,外来1日約2,000名。

心臓血圧疾患の専門医療化—東京女子医科大学

ページ範囲:P.9 - P.12

 東京女子医科大学(東京都新宿区河田町10)は,昭和30年5月に心臓血圧疾患の専門医療と研究とを目的として日本心臓血圧研究所を付設した。近代医療の大きいテーマとして注目されてきた心疾患の総合的機能を発揮する当所は,昭和40年5月に新しい地上6階,地下1階の建築を完成し,いよいよその機能の拡大充実をはかるにいたった。所長榊原仟先生。

病院の広場

ドクターのモラールについて

著者: 河野稔

ページ範囲:P.13 - P.13

 病院の近代経営が唱えられて十数年になり,厚生省の病院管理研究所や日病などの封建的,旧態依然たる病院の民主化への指導は,日本の病院近代化に大きい功績を残しておりますが,よくみますと全国7,700の病院中はたして何%くらいが民主化された近代病院に変貌しつつありましょうか。今日では近代化された病院とそうでない病院の格差は,ますますはなはだしくなっている寒心すべき状態のように思われます。特に私が昨年3月より20〜200床以下の病院の病院管理総合部会の世話役を橋本先生より仰せつかり,小野田先生などの指導で約1年半つづけてまいりますと,その感を深くいたします。
 まず第1にドクター不足,ナース不足,臨床検査師をふくめたパラメディカルの人びとの不足は想像以上深刻で,このままの低医療費のもとでは人手不足の面で,中小病院は数年ならずして崩壊してしまうような感がします。しかし泣きごとをいっても致し方ないので自存自衛上,経営の合理化をはかり,収入をあげるより支出をつめて,営利性はないが少しでも収益性の期待される病院の経営へと近代化すべく努力をせねばならない。

病院図書館

—津田豊和著—「診療録管理の実際」

著者: 小野田敏郎

ページ範囲:P.25 - P.25

タイムリーな診療録管理の教科書
 病院管理研究所にあって,ながく病歴解析の仕事をつづけてこられた津田先生が,こんど病歴管理についての著書をだされた。厚生科学研究で津田先生と病歴解析から得られるある仕事を一緒させていただいた私は,こちらは勝手な口仕事ばかりを申している間に,津田先生は尨大な資料にとり組んで黙々とこれを処理されてゆく,その地道なご努力におどろきと敬意を表していたのであるが,いわば心魂を傾けられたその病歴の管理についていよいよ書を著わされたのである。
 この書を手にして間もなく,日本病院協会は病歴管理のセミナーをおこなったが,全国から百余名の方がたが集まり,津田先生がその講師のひとりとして出席された。この会において,病歴という名称はニックネームとして正しくは本書の題名のごとく"診療録"と呼ぶこととしようと意見の一致をみたのであった。

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欧米ひとり歩き

著者: 神崎三益

ページ範囲:P.62 - P.67

 何も好んで独り旅というわけではなかったが,急にとりきめたし,医道徳会議に一緒に行こうという物好きの人もなかったので結果としてこうなった。負け惜しみではないがやって見ると独り旅にはまたなかなかよいところもある。第1,興味のあることに深くつっこんで行ける。第2,夜は昼間のことを整理する以外にすることがないので今度の旅行では記録がよくできた。第3,私のような年になると寝たいときに寝,休みたいときに休まないと身体がもたない。連れがあるとそうわがままもできなかったろうと思うと,あえて独り旅礼讃ということになるが,独り合点の危険を大いにはらんでいることも否めない。
 しかし幸いに神は,必要な時必要な処ではもっともよい援助者を与えられた。

一級臨床病理技術士第11回資格認定試験実施要領

ページ範囲:P.93 - P.93

 一級臨床病理技術士資格認定試験は,日本臨床病理学会が,その責任と標準において行なう臨床病理技術士資格認定制度による最高級の試験であって,全科二級ならびに単科二級臨床病理技術士の資格を有するものに対して行なうものである。

編集主幹ノート

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.96 - P.96

 「大学病院」を特集しました。現在医学教育問題はようやく医大の中で真剣に議論されるようになり,あわせて大学病院のあり方についてもほうはいと合理化が叫ばれるようになってきました。戦後本誌をはじめ各方面の努力でわが国の病院も遅々たる歩みとはいいながら近代化の方向へ進んできましたが,その影響が保守的な大学病院内にもしだいに現われてくるようになってきたことは幸いといわねばならぬでしょう。本来大学病院は病院のあり方としても師表的であるべきで,大学病院こそ他の病院をリードすべき役割を持たねばならなかったのですが,教育と研究のための病院であるからまったく異質のものであるように観念づけられておりました。しかし医師はもっとも模範的病院の環境で教育されるべきであるでしょう。患者のため,社会のために模範的な病院であって,しかもこれが教育と研究に活用されることこそ大学病院のあり方であるはずです。
 巻頭に,永沢日大医学部長と篠田岩手医大学長の玉稿を頂けたことはこの企画の大半の目的を達しえたと申せましょう。ご多忙な両先生のご協力に厚く御礼を申し上げます。読者もご承知のごとく,永沢教授は日大病院管理学教室初代の教授であり,篠田先生は東北大学病院管理学教室の生みの親であります。両先生は今や,永年の抱いておられた抱負をいよいよわが医学教育界に大きく発言しうる枢要の職につかれておられるので心強り限りと申せましょう。

ホスピタルトピックス 特殊病院

精神病院給食の変化

著者: 鈴木淳

ページ範囲:P.91 - P.92

 かつての精神病院は隔離収容が主であったから,給食も生存最低量を与えることに終始していた。ピネルはその実状に痛烈な批判をあびせ,給食は治療の理念の下に指導されるべきと主張したけれども,その完全な結実は戦後まで不可能であった。近着の"Inforrnation psychiatrique"40e Annèe, N°10にはフランスの精神病院給食の過去と現状が特集されているので,ごく簡単に紹介する。掲載論文は2つのジャンルに大別される。
 その第1は必要栄養量の確保である。1940年から45年までのナチ占領下のフランス精神病院で,約1万の入院患者が餓死した。死に至らないまでも,必要熱量の欠乏から,結核などの合併消耗性疾患が増悪し,消化障害を惹起した例はごくありふれた日常の出来事であった。

霞ガ関だより

40年版病院報告の概要

著者: E.N.

ページ範囲:P.94 - P.95

 病院報告は医療法施行規則第13条の規定に基づき毎月病院の管理者から提出される報告を全国的にとりまとめるものであるが,今回この40年版の速報が厚生省から発表されたのでその概要を紹介する。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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