文献詳細
文献概要
--------------------
ナイチンゲール賞を受賞して
著者: 仁木イワノ1
所属機関: 1小松島赤十字病院
ページ範囲:P.78 - P.79
文献購入ページに移動看護婦として歩んできた道を回顧して
明治30年6月23日徳島県の片田舎に生まれ,幼少にして父に死別,母の実父,私のためには祖父に当る医家に育ち,成長してから赤十字の看護婦になってお国のためにつくしたいという一念から日本赤十字社の看護婦になることを決意し,受験することになった。
大正6年3月入学試験にパスし,同年4月1日,日赤徳島県支部よりの委託生として香川県日赤支部病院救護看護婦養成所に入学が許可された。修業年限3カ年で厳格な規律,はげしい訓練に耐えることができ,3カ年間,1日の病欠もなく,大正9年3月31日卒業のよろこびを迎えることができ,家に帰ったが,自から選んだこの道一筋を歩むべく決意を新たにし,臨床看護修業のため日本赤十字社京都支部外勤部に入所し,修業を続けること2カ年にして日赤徳島支部の斡旋により,当時徳島県下,唯一の外科病院に看護婦長として就任し病院の管理に看護婦の指導監督にまた看護婦生徒の教育に微力をつくした。
明治30年6月23日徳島県の片田舎に生まれ,幼少にして父に死別,母の実父,私のためには祖父に当る医家に育ち,成長してから赤十字の看護婦になってお国のためにつくしたいという一念から日本赤十字社の看護婦になることを決意し,受験することになった。
大正6年3月入学試験にパスし,同年4月1日,日赤徳島県支部よりの委託生として香川県日赤支部病院救護看護婦養成所に入学が許可された。修業年限3カ年で厳格な規律,はげしい訓練に耐えることができ,3カ年間,1日の病欠もなく,大正9年3月31日卒業のよろこびを迎えることができ,家に帰ったが,自から選んだこの道一筋を歩むべく決意を新たにし,臨床看護修業のため日本赤十字社京都支部外勤部に入所し,修業を続けること2カ年にして日赤徳島支部の斡旋により,当時徳島県下,唯一の外科病院に看護婦長として就任し病院の管理に看護婦の指導監督にまた看護婦生徒の教育に微力をつくした。
掲載誌情報