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文献概要
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金子敏輔君を悼む
著者: 萩原義雄1
所属機関: 1元国立京都病院
ページ範囲:P.73 - P.73
文献購入ページに移動 金子敏輔君がなくなられた。本年7月27日のことである。尿毒症だったという。迂濶千万なことでもあり,また氏に対しては甚だ申し訳のないことであるが,筆不精な私は平素お便りを怠っていて,御病気のことを少しも存ぜず,おなくなりになったことも,医学書院から追悼文の依頼があって初めて知った様な次第で,何ともお詑びのしようもない気持でいる。金子君どうぞ許してくれ給え。
1956年アメリカ病院協会理事長エドウィン・クロスビー氏が日本政府の招きで来日し,沢山の病院を視察されたことがあった。私の病院(当時はお話にならぬ汚いもので,旧陸軍病院時代と大差ないものだった)へも来られるという話で,当時病院を少しでもよいものにしようという気持で一杯だった私は,クロスビー氏から管理上いろんなことを教えてもらおうと思ったが,英語に弱い私には十分なことが出来ないと考え,金子君に通訳をお願いし,快諾を得,日本人離れのした英語でクロスビー氏と話し,随分沢山の知識を与えてもらったことを,今でもなまなましく記憶している。
1956年アメリカ病院協会理事長エドウィン・クロスビー氏が日本政府の招きで来日し,沢山の病院を視察されたことがあった。私の病院(当時はお話にならぬ汚いもので,旧陸軍病院時代と大差ないものだった)へも来られるという話で,当時病院を少しでもよいものにしようという気持で一杯だった私は,クロスビー氏から管理上いろんなことを教えてもらおうと思ったが,英語に弱い私には十分なことが出来ないと考え,金子君に通訳をお願いし,快諾を得,日本人離れのした英語でクロスビー氏と話し,随分沢山の知識を与えてもらったことを,今でもなまなましく記憶している。
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