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雑誌目次

雑誌文献

病院28巻1号

1969年01月発行

雑誌目次

特集 日本の病院

日本の病院の発展

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.18 - P.31

病院発展の現況
 わが国の病院の戦後の発展は急速である.そして現在(昭和42年末)われわれは7500という多数の病院と96万病床(同年)——おそらく昨年末100万の大台に乗っているだろう——を有し,しかもなおかつ,年約200の病院増と4万病床の増加をみ,その衰えをみせていない.
 もうこれらの絶対数では,ソビエト,アメリカに次ぐ世界第3位の国となっている.これを人口比にしても,すでに人口10万対960病床で,アメリカ,イギリス,ドイツ,イタリアと比肩し,この急速な増加率では早晩これも凌駕するだろう(表1).

これからの病院行政の基調

著者: 松尾正雄

ページ範囲:P.33 - P.35

 わが国の病院についての行政を題として求められたが,ここでは今後の医療機関行政を進めるにあたり,基本となるような若干の問題を述べることとしたい.しかし,これはあくまで筆者の見解であり,公式に決定された方向ではないことをお断わりしておきたい.

わが国病院の現状とその将来像—混乱の本質を追求して将来にそなえる

著者: 橋本寿三雄

ページ範囲:P.37 - P.39

はじめに
 1969年を迎えて,わが国の医療制度はまさに混乱の極に達し,教育する者とされる者,管理する者とされる者とが入り乱れて,前途暗澹たるものを思わせる.‘する側’にその能力と識見を欠き,‘される側’に受け入れる意志を欠く場合は,革新というよりは暴動となり,泥試合の様相を呈してくるのであろう.ある人々は,そのなかから新しいものが生まれてくるという.
 1969年にわれわれは,それをすなおに期待してよいであろうか.そして,その新しいものが,わが国にとって,患者にとって,よりよい結果を招来するであろうか.

21世紀を目ざして—病院と医師会

著者: 武見太郎

ページ範囲:P.41 - P.44

れい明期の医学と病院の発生
 日本医師会は過去10年間にわたって,医学の社会的適用について科学的な検討を進めてきた.これは現状の科学的な分析と同時に,未来への資料を整理することであった.
 わが国においては,科学としての医学は大学を中心として,当時の古い社会的基盤の上にたって伸びるところまで伸びてきたと私は判断している.ことばを変えていうならば,無給医局制度のもとに日本の医学研究は異常な進歩をもたらした.これには,その社会的背景として家族制度があったことが忘れられていると思う.医局では無給であっても,家族制度の中でそれらの教室員は衣食を確保することができるのであった.

日本の病院の歴史と現状

自治体病院

著者: 尾口平吉

ページ範囲:P.49 - P.53

発祥
 地方公共団体の経営する病院の発祥は,西洋医学の渡来とともに始まっている.佐賀の好生館,山形の済生館など今日においてもその名が示すように,病院の先駆者となったのである.その後青森などで見られるように,県立病院は主として県庁所在地に県の中央病院,あるいは中都市の市民病院として遂次設立されるとともに,東京都などにみられるように貧民救済病院としての自治体病院も設立されてきた.しかし,終戦時の昭和20年において,自治体病院の数は99病院にすぎなかった.

済生会病院

著者: 藤井香

ページ範囲:P.55 - P.58

はじめに
 社会福祉法人恩賜財団済生会の経営する病院・福祉施設は,現在41都道府県にわたりその数124をかぞえるが,本会病院の姿を最もよく理解していただくためには,本会のたどってきた道,すなわち本会の性格や任務を知っていただくことが一番いいと思うし,またこの長い名前の由来もおのずから解明されることと思う.なぜなら,済生会はその全体が社会福祉法人という単一法人であり,各地の病院などの施設はこの法人の第一線実動機関であるからである.

農業協同組合病院

著者: 星野正三

ページ範囲:P.58 - P.63

はじめに
1.医制の制定
 明治7年8月16日,太政官布告をもって,医制が定められた.これによって,わが国の医療制度の根本ができたが,その中で"医業免許制""医薬分業""診察料の地区別決定"などが定められている.とくに注目すべきことは,医師の申し出によって,医務取締や区戸長が,診察料を病家から取り立てるなどの規定で,開業医制度の確立に国家権力の保護助長がみられる.

健康保険病院

著者: 山口寛人

ページ範囲:P.63 - P.65

設立の事情
 昭和2年にわが国に健康保険制度ができた.当初は労働者のみを対象としていたが,昭和16年には職員を対象とする健康保険ができ,17年には両者を統合するとともに家族給付も行なうようになった.このように健保制度は発達したものの,被保険者の利用度は現在に比べればはるかに少なかった.さらに第2次大戦のため医師の多くは軍医として召集され,また病医院の多くが戦災により焼失・破壊され,被保険者などが医療を受ける機会がますます少なくなった.そのため政管健保では,約1年分に相当する剰余金が生じた.
 健保財政は黒字ではあるが,まことに憂慮すべき事態である.すなわち被保険者は保険料を毎月強制的に納入させられているのに,医療を受けられない"やらず,ぶったくり"状態にあった.この窮状を解決する一助として,剰余金を利用して医療機関を設けようということになった.

日本赤十字病院

著者: 佐藤元一郎

ページ範囲:P.65 - P.67

赤十字とは何か
 日本赤十字社の傘下にある赤十字病院(以下日赤病院という)の発端を語るには,まず"赤十字とは何か"を理解されなければならない.しかし,これを述べることは今日のテーマでないので,私は赤十字の起原を簡単に記することにとどめて本題にはいることにする.
 1859年,スイス人アンリー・ジュナンがイタリア統一戦争におけるソルフェリーノの戦場で,戦野に放り出されたまま見すてられている傷病者の悲惨なありさまを見て,"傷ついた兵士を敵味方の別なく愛情をもって救護することがまことの人道である"という信念に燃え,民間の篤志者に呼びかけ寝食を忘れて救護活動をつづけた.そして彼はその戦争終了後も,ソルフェリーノの体験から博愛人道の精神に基づき,平時における救護組織の準備が必要であることを各国に説き回り,1863年赤十字国際会議を開くまでに進展させ.翌1864年ジュネーブ条約(赤十字条約)が調印されたのである.

医療法人病院

著者: 荘寛

ページ範囲:P.69 - P.73

 ‘病医院税務の問題’については,その経営者ならびに管理者のかたがたは,じゅうぶんに関心をもっておられることと思うが,現在,医療機関のかたがたが税問題で苦しんでおり,悲惨な状況に追いこまれたという例も相当にあるようである.全国的にみても,大阪や山形地区にも経営困難になって,これではとうてい,病院経営は不可能というので,アパートに変えてしまったという実例がある.ことに,私的医療機関においては,この問題についてじゅうぶんな認識をもたないと,病医院の経営が困難になる.
 まず最初に,わが国の医療機関に関する税法の,今日までの変遷の概論を先に記し,次に最近の——主として終戦後における医療機関に対する税制は,どのような変遷があったかということについて記すことにする.

精神病院

著者: 渡辺栄市

ページ範囲:P.73 - P.76

はじめに
 わが国も明治以来100年を経て,まさに過去から脱皮し,将来に向かって飛躍すべき年になったわけであるが,われわれは真の意味における脱皮と,末来への展望をみずからの英知をもってなさねばならない.
 この機会に,わが国精神医学および病院の今昔を注視してみることは,意義深いことと思う.

カトリック病院

著者: 井手一郎

ページ範囲:P.76 - P.80

はじめに
 天文18年7月(1549年8月15日)フランシスコ・ザベリオー行が鹿児島に上陸して,わが国にキリスト教を伝えて以来,カトリック教会は困難な布教活動に従事しつつ,一方,救貧,医療などキリスト教的隣人愛の精神にもとづく事業を挺身的に行なってきた.
 当時は,わが国は室町末期の時代であり,打ち続く戦乱,悪政,疫病の流行,飢餓などのため,民衆は心身ともにより所を失っており,これらに対し,キリスト教の宣教は燎原の火のごとく広がっていったのである.

グラフ

東京散策Tokyo and Hospitals

ページ範囲:P.5 - P.11

 日本の人口の1割を占める東京——それは何物をものみこむ怪物である.騒音とスモッグと混乱が,その怪物のえさである.その中に多くの病院がうずくまっている.
 ある日,特別のあてもなく,東京を歩いてみた.そこにたまたま病院があった.

病院管理のパイオニア・1

橋本 寛敏—聖路加国際病院長

著者:

ページ範囲:P.12 - P.12

 聖路加病院に一歩はいると,病院管理の眼がすみずみまでゆき届いているのを感じる.病院管理の実際の姿を堂々と示してきたのが聖路加病院であり,橋本院長である.院長の院内巡視を率先して行なったのも橋本院長である.現在病院管理に関係している人びとは,必ず一度は橋本院長の"生きた病院管理"に接しているはずである.また,わが国の看護の発展のためにつくされた功績も高く評価されるものである.

病院図書館

—杉田暉道・津田忠美著—「統計学入門」

著者: 宍戸昌夫

ページ範囲:P.39 - P.39

公式の導入から計算の過程まで記す
 著者らが「はしがき」で述べているように,現在医療または公衆衛生関係者の統計に対する知識の乏しさと統計学的思考の欠如と分析検討する方法の稚拙さが,往々にして判断を誤ったり,あいまいな結論を導き出したり,無意味な対策を打ち出したりする状態を招いていることは否めない事実である.
 本書の画期的な特長は本文中にほとんど記号を用いないで記述したことで,統計といえば直観的に高等数学の応用として,敬遠しようとする学習者にそれを払拭して手に取りやすくしたことである.それだけに多少記号に親しんでいる人には読みずらさが伴うかもしれない.

管理者訪問・12

山中義一先生—県立岐阜病院長

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.81 - P.81

 ‘院長訪問’は昭和40年6月号から始まり断続的に11回つづけたが,41年11月号でとぎれたままに,すでに2年余を経過した.これをまたつづけるように編集部からすすめられていたが,私はめんどうであまりのり気でなかった.
 ところが,最近たまたま岐阜へ行った機会に,県立岐阜病院長・山中義一先生にお会いして話をうかがっているうちに,またあらためて‘管理者訪問’と題して書いてみたくなったのは,なにか心にふれるものがあったからかもしれない.

イギリス病院管理うらおもて1

院長不要論

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.82 - P.83

 院長が医師であるべきか否かは洋の東西を問わず,関心のある問題らしい.というのは昨年3月国際病院協会が主催し19か国の病院管理関係者を集めて行なわれた海外病院管理者研修会で,もっとも花の咲いた議論がそれであったからである.
 それが病院がひとつしかない小国の場合も,数千の大国でも,事情が全く同じであった.

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病院と統計

著者: 前田行雄

ページ範囲:P.84 - P.85

 全国の病院から,毎月,病床数,入院外来別患者数などが報告され,病院報告としてまとめられている.今月はこの統計を中心にして全国の病院の概況を観察しよう.

編集主幹ノート

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.110 - P.111

 新年明けましておめでとうございます.
 明治100年も去り,ここに新しい日本の歴史がはじまろうとしています.戦後,国民はゼロから立ちあがって,がむしゃらに今日まで働いてきました.先進国の知識・技術を吸収し,経済は急速に発展し,一応衣食足るようになりました.また民主化についても,わずかの間にいろいろ試行錯誤を行なってきました.そして大学問題も最後のテーマであるようです.

霞ガ関だより

公害行政回顧

著者: 吉崎正義

ページ範囲:P.86 - P.87

 公害が今日のように大きな問題になったのはそれほど古いことではない.したがって,公害行政にもそれほど古い歴史はない.
 しかし,人が活動し,生活していた場所には公害がつきまとっていたはずであって,ニューサンスの概念がイギリスのコモン・ローの中で数世紀の歴史をもっていることと比べると,わが国の事情は,少なからずおくれているといわざるをえない.

病院を考える・6

人手不足に悩む病院

著者: 落合勝一郎

ページ範囲:P.91 - P.94

定着性のない事務・現業職員
 本文の冒頭から身近の話で恐縮であるが,今年にはいって,事務と現業で働く職員の不足が目だっていちじるしくなってきた,従来は縁故関係や3月の新卒で十分補充もできたし,むしろ希望者のほうが欠員を上回っていたから選考も十分でき,余裕のある採用が可能であった.
 最近不足してきた職種を列挙してみると,特徴は女子で間にあう事務の補助業務や女子の単純労務の系統が多い.たとえば,(1)事務では——珠算・記帳を主とする業務員,医療事務員,受付事務員・事務助手(2)現業では——洗瓶作業員,ミシン作業員,洗濯作業員,エレベーター係,売店員,炊事作業員,配膳作業員,保清・清掃作業員,雑役婦,メッセンジャーなどである.このほか病棟,外来,中央材料室などで働く看護助手や夜勤専任看護婦も不足がいちじるしく,男子では雑役員や夜間専任事務員が足りなくなっている.

病院建設の基本問題・9

地域の医療需要と施設計画—4 住宅団地の産科施設

著者: 伊藤誠

ページ範囲:P.95 - P.101

はじめに
 1.大都市周辺における住宅団地の建設は年々大規模化しつつある.それに伴って,教育・購買・その他の地域施設についても,生活環境の充実という観点から,ようやく行き届いた配慮がなされるようになってきた.しかるに,医療保健関係の施設は,筋道だった計画という面では,やや取り残された形になっているのが実状である.
 ことに,住宅公団が建設する団地の入居者は比較的年齢の若い家族によって占められ,それゆえに既成住宅地とくらべてはるかに高い出産率を示すことが知られていながら,出産施設を特に計画的に扱った例を聞かない.手がかりとなるべき基礎資料を欠いていたことからやむ,をえなかったとも言える.

病院建築・3

農村地域小病院の建設

著者: 筧和夫

ページ範囲:P.103 - P.106

 岩手県胆沢郡胆沢町国民健康保険若柳病院は,1966年2月に開設された33床の小病院であるが,農村地域における医療サービスの中心施設として,町当局の積極的熱意のもとに,企画段階の調査検討から運営方針の論議を経て建築設計まで進められた1つの実例である.その経緯には興味深いいくつかの問題が介在し,また診療開始後の運営状況の調査結果からは,多くの成果が認められながらもなおいくつかの重要な問題が残されていることを知った.
 本稿では,この企画調査から使用調査までの詳細を記す余地をもたないが,設計紹介に加えてその概要を述べたい.地域小病院の建設にとって,何らかの考慮の素材になれば幸いである.

話題

病院事務長はいかにあるべきか—東北・北海道60名の事務長が参加—日本病院協会の病院管理研究会

著者: 亀卦川正喜

ページ範囲:P.107 - P.107

 標題は,今年の日本病院協会学会で取りあげられたものを,特に宮城県官公立病院事務長会が日本病院協会にお願いして仙台で開催することにしたものである.
 仙台から南西に約40km蔵王の中腹に青根温泉があり,その一隅に宮城県が"こまくさ荘"というママさんホームを創設したのを会場に,43年7月25-27の2泊3日で東北・北海道の病院事務長60名の参加を得,盛大に有意義な会議を開催したので,その模様を報告しよう.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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