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雑誌目次

雑誌文献

病院28巻11号

1969年10月発行

雑誌目次

特集 輸血の管理

血液行政の推移と現況

著者: 山中和

ページ範囲:P.19 - P.23

推移
 わが国における最近20年間の医療の進歩はめざましいものがある.外科的領域においても麻酔学の進歩,抗性物質の開発などにより,しだいに大規模な手術が一般化するようになってきている.この傾向は,外科的領域における輸血の頻度・数量を増大させ,手術などに際し,枕元輸血とよばれている医師と患者の関係者のみで輸血に必要な血液を集めることは困難となり,輸血用の血液を1つの組織として確保する必要が生じてきた.これが血液銀行と称する機関の誕生となったのである.
 わが国においては,1951年はじめて,日赤中央病院と横須賀市立病院に血液銀行が設立された.その後つぎつぎに主として民間において血液銀行が設立され,医療の担い手として登場してきた.これらの銀行のほとんどが供血者から血液を買いとり,これから保存血液を製造して医療機関に供給する,いわゆる売血制度として成り立ってきたものである.

わが国の血液需給の問題

著者: 村上省三

ページ範囲:P.25 - P.29

 昭和39年8月21日,閣議において,政府としては可及的すみやかに‘保存血液’を献血により確保する体制を確立することが決定されて,はや5年の歳月が流れ去ろうとしている.その間関係者の努力もあって,とにもかくにも,わが国の医療用血液源は,一握りの売血者から医学的常識を無視して強行されていた過剰採血を主とするいまわしい制度から,相互扶助を表にかかげた献血制度へと切り替わり,今日ではすでに医療用血液の80-90%は献血で,残りは預血でという状態にまで育ってきたことは,慶賀にたえないところである.
 しかし新しい献預血の制度自体は,またわれわれに新しい問題を投げかけ,その解決が迫られているというのが実情であろう.血液需給の国家的見地からの検討,将来計画などについては他の筆者も予定されているようであるし,いたずらに同じ問題を論じてみてもしかたがないので,ここでは主として血液使用者側からながめた問題点について論じてみたいと思う.もっとも医療用血液の問題の解決はその提供者,製造加工を行なう側,さらには使用者の密接な協力によってはじめて達しうるものであるので,使用者側の一員としていたずらに他を責めるのみの立場はとりえないし,またとりたくもない.おたがいに反省すべき点を謙虚に提示し,解決をはかるべきなのではあるまいか.

血液需給と日赤の役割

著者: 大林静男

ページ範囲:P.31 - P.35

 5年前,政府の決定した輸血用保存血液を献血によって確保する方針を軸として,再出発したわが国の血液事業が,今日内外の注目を集めるほどの進展をみたのは,いうまでもなく相互扶助の精神に立ち,輸血を必要とする人びとのために,健康な血を献げた献血者の協力と,この推進に挺身した人びとの努力にほかならない.
 この事実に深い感謝を表わし,最善の輸血への奉仕にこたえるためにも,今までの結果を検討し,輸血に関係する当事者はさらに新しい思いに立って,歩みを始めねばならない時期に赤十字の立場から一文を書く機会を与えられたので,その責を果たしたい.

病院内における血液の管理

著者: 鳥居有人

ページ範囲:P.37 - P.40

緒言
 病院内において輸血を実施する場合,事故を起こさないようにすることが第1条件であり,第2には,緊急な場合,必要量を短時間に供給できる機構を確立することが肝要である.
 昭和27,8年ごろまでは,輸血はすべて新鮮血輸血,もしくは間接輸血とよばれる方法で行なわれていた.すなわち,患者の親類,知人もしくは輸血協会とよばれる組織からの派遣者から,注射器で採血して,そのまま患者の静脈内へ注射する方法であった.ABO血液型を決定するだけで(誤りやすい三滴法という検査を行なって適合性を調べる場合もあるが),ただちに輸血するため,梅毒の感染とか,型不適合とかによる事故を起こしたり,多量の輸血を迅速に行なうということもなかなか困難で,前述した2つの条件を満足させるものではなかった.

座談会

輸血をめぐる諸問題

著者: 神崎三益 ,   大内正夫 ,   桑原武夫 ,   徳永栄一 ,   佐分利六郎 ,   長尾真澄 ,   室賀不二男

ページ範囲:P.42 - P.51

 ある昼下がり.人の混みあう街頭で,献血を呼びかける赤十字マークの採血車.歩みを止め,これに応ずる市民.このように苦労して集められた貴重な血液を,最後の1滴まで有効に使えるように…….病院側,血院センター側の両者から,その需要と供給のスムーズなルートを今一度検討していただこう.

グラフ

注目される日本医学教育学会

ページ範囲:P.5 - P.5

 さる8月30日,東京・神田学士会館で,日本医学教育学会設立発起人会がもたれ,牛場大蔵氏(慶大教授・写真左)を第1回学会長に選出し,会則の決定,役員の選出にひきつづき,学術講演会に移った.講演は"第1部・わが国の医学教育の問題点""第2部・諸外国の医学教育制度の紹介"で,出席した81名の目をひきつけた.なお,この学会は医学教育に関する研究の充実発展を目標として,学術講演会の開催,機関誌の刊行を強力に押しすすめる予定である.個人入会金1000円,会費年1000円.事務所は東京都文京区本郷2-39-5,ニュー本郷ビル30号室におかれる.

輸血を支える—日本赤十字社中央血液センター

ページ範囲:P.6 - P.11

血液確保の方法は,地域住民が自給自足するのが理想である.健康なときに献血をしておき,輸血が必要な患者にただちに血液を供給するシステムが必要である.赤十字や県立の血液センターは,この活動をするために設置されている.
日本赤十字社中央血液センターは,昭和26年に,わが国ではじめての血液センターとして設立された.それから毎年12—13万本の血液の供給を行なってきている.

病院管理のパイオニア・9

永沢滋—日本大学教授(病院管理)

著者:

ページ範囲:P.12 - P.12

日本大学に病院管理学講座が永沢教授によって昭和32年に開講された.東北大学に次いで2番めである.永沢教授の識見と人格は,教室に多才の士を集め,多くの業績を生んできた."病院倫理"を説く永沢教授の姿に,医学生を育てるまごころがにじみでている.

病院の広場

思うことども

著者: 大和人士

ページ範囲:P.17 - P.17

医の本質は患者のためのものといわれるが,現実の医療は,あらゆる面で,患者中心が口先だけではなかろうかと思われるこのごろである,それでは,われわれ500床級の病院はどうしたらいいのか.ずばりいって,魅力ある病院にする必要がある.まず,患者から,次に全職員,なかんずく医師から見てである.具体的には,治療・検査に経済的負担がかからないで,なるべく早く社会復帰できる病院,そのためには実地医療のレベル・アップが必要であり,勉強できる病院になることである.ポストグラジュエート教育は総合病院でといったら言い過ぎであろうか.
 最近,年代の違いによる考え方の断層を味わっているが,そういった教育にかなった病院をつくるために若い人に力を貸してもらいたい.それには,大学——総合病院——診療所が,それぞれ‘3分の1損’的な考えで,歩み寄るほかあるまい,学生のいう大学の封建性が,かりにあるとすれば,その解決の動きは,まず年代の古いほうからすべきだと考えるが,若い入の協力もまた欠かせないことであろう.

病院を考える・12

病院医師数の問題

著者: 弓削経一

ページ範囲:P.53 - P.57

 病院を考えてみて,少しも考えられていない問題が1つあるのに気がつく.それは,病院医師数のことである.
 医療法第19条には,病院医師数についての規定がのっている.数についての規定である以上,看護婦数と同様に,どの病院でもこの規定が尊重せられるべきであるとは思われるが,どうもそうではないようである.地方公営企業年鑑(第15集,病院,昭和42-43年)を見ると,病床100床あたりの医師数は5.5人くらいであって,規定数を割っている病院が相当あるのではないかと考えられる.

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第3回看護トラベリングセミナー

ページ範囲:P.57 - P.57

 第3同アメリカ病院看護研究団(日本病院協会)は,11月18日から14日間,アメリカの病院における看護の実際を見学・研究する.スケジュールは次のとおり.
 11月18日東京出発,19日White Memorial Hospital視察,20日Kaiser FoundationHospital視察,21日U.C.L.A.Hospital視察,22日ハリウッドなど見学,23日午前自由行動→ロスアンゼルス→サンフランシスコ,24日カリフォルニア大学Medical Center視察,25日Santa Clara Country Hospital視察,26日自由視察(または1日病棟実習),27日市内観光→サンフランシスコ→ホノルル,28日オアフ島一周観光,現地看護婦との交歓会,29日自由観光日,夜は現地セミナー,30日ホノルル発.12月1日東京着.

編集主幹ノート

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.100 - P.100

 本号は"輸血の管理"を特集した.本誌で輸血に関する論文が最初に現われたのは1951年の4月号で当時日赤中央病院院長をしておられた東陽一先生が,"血液銀行"と題して執筆された.それから18年たったことになる.その後のわが国の輸血技術とシステムは非常に進歩したものである.すでに当時,アメリカにおいては大量輸血に必要な体制ができあがり,各病院で十分な輸血が用いられるようになっていた.これは第2次大戦中に軍によってその技術とシステムが開発され,民間でもそれにならって体制が整備されるようになったからである.
 この大量輸血は,1)血液供給源の確保,2)純粋かつ無菌的な採血,3)安全保存,4)確実なる血液検査と輸血,という条件が備わらなければならないが,わが国では,第2次大戦中,軍においてもこのシステムが確立されていなかった.もちろん民間にそのシステムは皆無であり,小量輸血が個々のケースごと,近親者から直接輸血で行なわれていたにすぎなかった.

病院建築・10

横浜市立大学医学部病院新館

著者: 中西祐一

ページ範囲:P.59 - P.63

 新館建設以前の横浜市立大学医学部病院は,横浜市の歴史とともに,その建物の歴史も古く,建物・設備の老朽化も著しく,近年医学の著しい発達に伴い,現況では大学病院としての機能を十分果たしえないということで,市としても前々からその検討が進められていたが,昭和40年,敷地も決定され新館の建設に踏み切られることとなり,当事務所がその設計の委託を受けた.

管理者訪問・19

川崎病院院長 川崎 祐宣 先生

著者: 森日出男

ページ範囲:P.65 - P.65

 岡山に川崎病院ありとは以前から聞かされていた.それだけ,それを築き上げられた川崎祐宣病院長に,一度はぜひおめにかかりたいとかねがね思っていた.当方よりご都合をお尋ねしたところ,それは丁重なご返事をいただいた.もともと感激屋の私ではあるが,そこに先生の姿勢の一端をうかがうことができるようにも思えたのである.
 先生にあらためて来訪の意を告げたところ,‘私は管理者というようなものでなく,開業医のなれの果てですよ’とおっしゃった.なれの果てとは,いささかめんくらうおことばである.

イギリス病院管理うらおもて・9

看護管理

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.66 - P.67

看護要員の1/3は学生・生徒
 ナイチンゲールを生んだイギリスは,看護婦にとってメッカといってよい存在であろう.
 戦後わが国で病院管理の改善が叫ばれ,その焦点となったのは病院看護のあり方であった.そこで専門ではないにしても,大いに彼らの看護事情が気になり,素人なりに努めて観察したわけである.

病院と統計

伝染病と食中毒・2

著者: 前田行雄

ページ範囲:P.68 - P.69

 月別・年次別のように,時間的に統計を並べたものを‘時系列’という.一般に時系列を分析するには,これを系統的な部分と偶然に変動する部分とに分けて考える.系統的な部分を全体的な流れを表わす傾向線とくり返しを表わす循環変動に分け,循環変動をさらにそのくり返しの周期が一定のものと,そうでないものとに分類する.また,周期が一定の変動のうち,1年を周期とするものを特に季節変動とよんでいる.時系列のこのような分析方法は他の機会にゆずるとしても,このような考え方も考慮しながら,前回に引き続き伝染病統計を観察してみよう.

霞ガ関だより

精神病院建築基準の改正について

ページ範囲:P.70 - P.71

 厚生省では,このほど昭和29年に決められたままであった"精神病院建築基準"を全面的に改正して,関係方面に通知した.さきの建築基準は精神病床の飛躍的増床が国家的急務であった当時の社会的背景と精神医療の革命的発展の途上に作成されたが,十分将来への見通しのもとで立てられたモデルプランとして,精神病院の建築を細部にわたって規定したものであった.
 その後15年を経た現在でも,必ずしもこの基準の指向する段階にまで達しがたいものもあるが,総体的にみて,精神病院の建築水準は著しく向上した.しかも最近,精神病院での治療は生活療法を中心課題として展開され,かつまた地域の病院として通院医療から社会復帰活動までの一貫した治療体系の確立が期待されるようになったため,中央精神衛生審議会では改めて検討審議のうえ,次のとおり"精神病院建築基準"を全面的に改めた(昭和44年6月23日,衛発第431号).

見のがされやすい実務の知識

病院の院内表示

著者: 倉持一雄

ページ範囲:P.72 - P.72

 すでに日本病院協会の研究会で討議がなされたと聞いているが,内容については後日発表されるので,表示の取付計画を担当する立場から,2,3私見を述べてみたい.
 一般の建物の中には,その事業内容によって各種の表示がある.さまざまな形,統一された形,大きなもの,小さなもの,取り付けされたもの,吊り下げられたものなど,その数は多くしかも多岐にわたっている.商業政策上とはいえ,その氾濫は目にあまり,案内されるどころか戸惑いを感ずることさえある.

研究と報告【投稿】

医師の病院成員性について—どうしたら医師を病院にとどめることができるか

著者: 吉田尚美

ページ範囲:P.73 - P.77

はじめに
 現在,病院における医師不足はきわめて深刻であり,早急になんらかの対策を講じないかぎり,病院の医療は一部崩壊するのではないかと思われる.その原因となるものにはいろいろあるであろう.たとえば若い医師が経済的な理由でどんどん開業に流れること,大学の紛争で新医師の社会的流出が阻害されていること,さらには医療機関の増設などにより医師に対する需要がとみにふえてきたことなどによるであろう.
 それはとにかく,現在,地方では定員を維持できる病院は,いわゆる教育病院およびそれに準ずる2,3の病院だけであって,大半の中小病院やへき地の病院では定員をはるかに下回る人員であり,これをようやく非常勤医師によってカバーしているか,それもできぬような所では,もはや医療を継続していくことすら困難となってくる.医療調査(1968)によれば,地域別1施設あたりの医師数は,7大都市では20.4人,人口30万以上の都市では8.9人,人口5万以上の都市では7.2人と,小都市になるほど少なくなり,医師の都市集中の現象を示してい,地方では十分な医師を確保することがきわめて困難なことを物語っている.

調剤室における薬品の常備定数化

著者: 牛田晴夫

ページ範囲:P.85 - P.87

はじめに
 薬品管理は,薬剤科業務のうち調剤業務とならび重要な業務であり,医薬品を正しく円滑に供給するはもちろん,病院経営の近代化に伴い予算の効率的使用の見地から,経済的にもその管理の重要性を看過することはできない.
 現在,当病院では予算管理面の重要な手段として,薬品標準管理資料(図1)を作り,薬品予算の効率的使用を図っており,注射薬品については,診療科・病棟ナースステーションとも常備定数を設定し,伝票による自動補給制度を実施して,薬品使用の合理化を図っている.

名鉄病院の診療録管理のEDPS化の現況

著者: 小川保彦

ページ範囲:P.89 - P.97

はじめに
 現代の企業においては,電子計算機と無縁に生きることはしだいに困難となり,現代人の常識として,電算機の知識を把握しておかねばならない時代になってきた,病院業務とてけっして例外ではないとかたく信じている.
 ところで,EDPS(Electronic DataProcessing Systern)は,俗にわれわれがComputer (計算機)と呼んでいるものの1つである.このCo-mputerは人間と同じように判断する力をもっているが,その行動は,人間とともにすすみ,ともに営むものであっても,人間より先にすすんでいってしまうものではない.だから,Computerに,これから何をやるのかと問いかける前に,やるべきことを詳しく指示し,それをプログラムしてやらなければならない.すなわち,いかなる課題も,まず人間がやってみたその過程をしくんだことによって,何度でも望むかぎりの演算を遂行するものであることを,われわれはよく認識してかからなければならないと考える.ここに,作業システムの分析と設計の必要が生じてくる.

英国キング財団報告・4

英国の新しい病院環境造園

著者: 国立病院療養所病院環境造園共同研究班

ページ範囲:P.79 - P.83

開発中の造園状態の保存(Holding the Landscape Situation during Development)
86.敷地の獲得酷と開発開始との間に時間的ずれがある.また,開発総合計画ができあがるまでには,かなりの時間が経過する.自然は決してとどまってはおらず,植物も成長しつづける.そして手を加えている造園(Sophi-sticated Landscape)の物理的コントロール(PhysicalControl)が弱まれば,最高調の植物の成長(ClimaxVegetation)にゆっくりした進化があらわれるであろう.
87.それゆえ,調査の結果,造園評価が完了し,開発方針が決まったら,着工までの空白期間中の造園保存策と最終的な造園達成に要する有効な予備措置いかんという問題に考慮を向けるべきである.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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