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文献概要
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久松栄一郎先生の逝去を悼む
著者: 吉田幸雄1
所属機関: 1病院管理研究所
ページ範囲:P.64 - P.64
文献購入ページに移動 久松先生が3月23日夜急逝された.全く突然のことである.霊前にぬかずき生前のお写真を仰ぐと,白髪のあの温顔が声をかけてくるようであった……ネ,吉田君,最後は失敗したョ.だけど俺は幸福だった.みんなよい友だちやよい家族と生きられてネ.日本の医療問題では努力したが,後は頼むョ.さようなら……と.
先生のことは,何度も本誌でご紹介したように,本誌"病院"の発案者であり,国府津会議ののち本誌が発刊され,もちろん最初の編集メンバーの重鎮であった.当時の編集会議は談論風発,日本の医療の改新への熱情はいずれおとらず,編集会議は夜のふけるのも気にするものはなかった.いずれもが闘士であったが,久松さんこと栄チャンの壮気は,圧倒的だった.それもそのはずで,東大を昭和2年に卒業後,小児科に志を立てたが,単なる医師にあきたらず,ボーイスカウトで活躍し,さらに日本医療団が設立されると,医療課長として医療機関のレジオナリゼーションの企画にあたった人である.
先生のことは,何度も本誌でご紹介したように,本誌"病院"の発案者であり,国府津会議ののち本誌が発刊され,もちろん最初の編集メンバーの重鎮であった.当時の編集会議は談論風発,日本の医療の改新への熱情はいずれおとらず,編集会議は夜のふけるのも気にするものはなかった.いずれもが闘士であったが,久松さんこと栄チャンの壮気は,圧倒的だった.それもそのはずで,東大を昭和2年に卒業後,小児科に志を立てたが,単なる医師にあきたらず,ボーイスカウトで活躍し,さらに日本医療団が設立されると,医療課長として医療機関のレジオナリゼーションの企画にあたった人である.
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