icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

病院29巻6号

1970年06月発行

雑誌目次

特集1 社会へのPR

病院の行なう社会へのPR

著者: 杉政孝

ページ範囲:P.19 - P.22

心臓移植だけが病院の提供するサービスではない
 東京大学付属病院の北病棟が,新築されたにもかかわらず,使用されていないとなると新聞記事になるのに,さまざまな喜怒哀楽や問題をはらみながら,診療サービスや研究活動が現実に行なわれている病院の実情は,案外,外部の一般人には知られていない.心臓移植などのドラマチックな医療活動は大きく報道されても,それと同じに患者にとっては生命をかけた手術でありながら,胃の亜全摘手術は珍しくないというだけの理由でニュースにならない.
 それは,結局,病院における活動やできごとの報道が,その素材の取捨選択あるいは表現の方法について,主として報道機関側の担当者の判断にまかされているからである.換言すれば,病院の側から,一定の基本方針に基づいて,計画的に情帳を流すPR活動が少ないからである.

座談会

社会へのPR

著者: 小林貞次 ,   長野信正 ,   佐藤元一郎 ,   岡光序治 ,   今村栄一

ページ範囲:P.24 - P.33

 PRとは一般の方に知ってもらう,理解してもらうというのが本質でして,そのもとには病院自身が正しいことをやっていなきゃいけないということがございますね.職員が病院を理解し,職員全体がよいことをするというか,いい医療をするという気持ちが大事なわけでございますね.

特集2 鼠害・虫害対策

病院と鼠害・虫害

著者: 加納六郎

ページ範囲:P.35 - P.38

はじめに
 病院における鼠害・虫害を述べる前に,一般の鼠害・虫害について考えてみたいと思う.全世界には約2000種のネズミと60万種をこえるダニや昆虫がいるが,これらが皆われわれ人間に害をするわけではない.これらの大部分は,人間社会とほとんど無関係に生活していて,その中の一部のものが人間に害を及ぼしたり,逆に益を与えたりしている.
 ネズミや昆虫の害で最も大きいのは農林上のものであるが,最も重要なのは衛生上の害といえるであろう.日本には約14種のネズミがいるが,そのうち衛生上問題となるのは,半数の7種で,さらに人家内に侵入したり生息して,われわれに脅威を与えるのは3種である.また,日本には70数種の蚊や数千種の蝿がいるが,特に衛生上重要なものは,それぞれ,そのうちの数種にすぎない

厨房における鼠害・虫害対策

著者: 目黒きよ

ページ範囲:P.39 - P.41

はじめに
 標題に関してご依頼を受けたおりもおり,佼成病院には,幸か不幸か,どこからかネズミが侵入し,頭を痛めていたときであった.それまではネズミ・ゴキブリがいないということを誇りとしていたわが病院だけに,すわ一大事と院長を中心に,緊急鼠対策協議会なるものを開いたしだいであった.おそらく,依頼されたのは,この病院が完全防鼠であることからではないかと,推察申し上げるのであるが,全くこのテーマのためにネズミ族が現われたような感じで,苦笑を禁じえなかった.以下,私どものネズミ追放談をご披露して,ご要望におこたえしたいと思う.
 侵入したネズミは油断している間に繁殖し,早出職員が厨房内に一番スイッチを入れるやいなや,数匹がすばやく逃げ去るという報告を受けたのが3月下旬であった.さっそく院長にその旨を報告し,鼠害・虫害について研究しているエキスパートの施設課長をはじめ,関係職員を召集していただいた.

病棟におけるネズミ駆除の記

著者: 中井愛子

ページ範囲:P.43 - P.44

 ネズミ——この,怜悧ではあるけれど,決して愉快でない小動物が,われわれ人間と同じ家に住みついて,同じ食物を食べて生活し,駆除しようとすると害を与える.しかも,細菌をばらまいて,伝染病を媒介し,寄生虫をうつし,人間の生活に多くの害をなして,忌みきらわれている.それがしかも病院のように最も衛生的な環境にあるはずの所にも出没するのは,もってのほかのことであるが,他の建築物と同様に,時には,ネズミが出るのである.

殺虫駆除業者の行なう駆除方法

著者: 大森正孝

ページ範囲:P.45 - P.48

はじめに
 現在,わが国でも衛生害虫ならびにネズミ族および殺菌消毒に対し,大きな関心を得るようになったが,一般には,まだ消毒ということばが戦後大いに流行した伝染病ということばに即置き替え考える人びとが少なくないようである.このような考え方を改めないかぎり,衛生害虫を撲滅することはできない.それには,われわれ1人ひとりが衛生害虫に対し,立ち上がらなくてはいけないのである.
 しかし,駆除の規模が大きくなると,個人では不可能になり,効果も上がらない.そのときには,殺虫駆除業者に委託ということになるであろう.

グラフ

個人立の病院も伸展する—河北病院

ページ範囲:P.9 - P.11

世界の病院に目を開いて...
 親子3代にわたる病院として,東京の西北に根をおろした河北病院.創生のときは草原の中であったが,いまではぎっしりつまった家並の中に押し包まれている.この限られた敷地に昭和40年に5階建ての新しい病院を建築したが,昭和45年5月に増改築を行なったので訪れてみた(386床).
昭和42年,日本病院管理学会主催の世界病院管理専門調査団に加わって世界の病院を見てきた院長は,患者の老人化,循環器障害の患者の増加に着目し,患者が起きて生活するスペースを重視して,設計に取り入れたという.(河北恵文院長 東京都杉並区阿佐北1-7-3)

1万人の看護婦集会—昭和45年度日本看護協会総会(4月25-27日 東京都)

ページ範囲:P.66 - P.66

 会場は花をまき散らしたように色彩豊かな集合であった.ひと昔前の会場は,おもに紺と黒と白とが交差して,どちらかといえば沈うつな色彩であったのだが.女性がおおぜいを占める武道館の中は,一種特有のにおいに満ちて,まるで一瞬足元が雲に乗り,遠い視線が色に霞んでゆくような錯覚を感じさせる景色であった.
 1階中央は代議員席,おもな一般参加席は2階3階にあって,正面の一角を除き,ほとんど満席に近かった.全員がただ黙して静かであり,議長団と発表者とがマイクを占有していた.プリント類もくまなく配布され,その内容説明は1字のもれもない."ページをめくって…"という一声に,会場全体のページめくりの音があたかも潮音のようにわきあがって消える.その忠実な行為のくりかえしは,個人主義や自由をたてまえとしたそうぞうしい現代の中では奇異に感ずるほどの統一されたリズムであった.

小林玄一—シャーマン病院副院長

著者: 落合勝一郎

ページ範囲:P.14 - P.14

 私がはじめて小林玄一氏と会ったのは,今から16年前,昭和29年の冬であった.その時,彼はまだノースウェスタン大学の学生で,マッケクレン先生の下で病院管理学の勉強中であった.同じマッケクレン先生の弟子どうしということで,その夜は私と2人でウイスキーを飲み明かし,病院の医療のqualityの向上について,メディカルオーデットの必要性について,熱のこもった彼の明快な意見を聞いたものだった.
 2度めは5年前,橋本寛敏院長といっしょにエルジンのお宅を訪問したが,彼はすでにシカゴから40分ばかりのところにあるシャーマン病院の副院長として,大学の同期生であった院長のサルモン氏とともに,ぴったりと息のあった病院運営に腕をふるっておられた.

病院の広場

総合病院の連携と地域医療

著者: 山本修

ページ範囲:P.17 - P.17

 欧米の病院では,病院は入院を主体とし,一般開業医は外来を中心とし,病院と診療所の機能分化がはっきりしているが,わが国ではお互いの守備範囲が明確でないため常に紛争の種をまき散らしているのは周知のとおりである.しかし,わが国では病院と診療所の競合のみならず.いわゆる公的病院およびこれに近い性格のものを取り上げてみても,国立・都道府県立・市町村立・日赤・済生会・農協その他多くの病院があり,国鉄・電電公社などの職域病院も多く,これらの病院が地域の医療需要とは無関係に乱立して拡張・整備に狂奔し,まったく百鬼夜行のありさまである.
 これらの多くの病院にはそれぞれ設立の根拠と由来があり,いまこれを整理・統合せよなどとはいわないし,またそのようなことができる筈もないが,これらの病院がお互いになんの連携もなく,それぞれ独自のプランに従って発展していることは,限られた国民医療という見地からみた場合,大きなムダと非能率を招いているのは事実である.

Editorial

病院の働きを社会に認識せしめるのは病院経営者の社会的責任である—病院協会よ 社会にPRせよ

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.34 - P.34

 PRとプロパガンダとは,とかく混同されやすい.PRとは,事業に直結する利害者集団の善意に働きかけ,事業を発展させる1つの技術である.PRの対象は患者即地域社会,医師その他の病院従事者,病院の資本の提供者,その他地域の医師会,保健所,病院との取り引き先などがある.そして,PRを行なう責任者は病院経営者である.
 プロパガンダとは,誇大宣伝である.PRは,社会に必要な事業を維持発展させるために関係者の善意を結集する,いわば公的な行為であって,利害者集団の一部の利益のために行なわれるのではない.

招待席

診療を支える衛生検査技師

著者: 佐藤乙一 ,   岩佐潔

ページ範囲:P.50 - P.56

 新しく病院を作るときは,検査室をうんと広くとれ——先見の明のある病院管理者が心がけるそうである.それほどに検査数はふえ続け,検査技師も数を増す.
 今回は,検査技師の誕生のころから技術の向上と身分の確立に意を注いでこられた佐藤乙一氏にお尋ねしよう.

管理者訪問・27

いわき市立総合磐城共立病院長 畠山 靖夫 先生

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.57 - P.57

 日本でひらがなの市名をもつところは東北に2つある.1つは青森県のむつ市であり,他は福島県のいわき市である.ここは,黒いダイヤモンドの発掘地として知られている常磐炭鉱のある地域であり,現在は人口33万3881人(昭40.10)で,東北では仙台に次いで多い.面積では122万2808km2(昭42.10)で市としては日本一広く,太平洋沿岸に面したところにある.今回はこのいわき市にあるいわき市立総合磐城共立病院の院長であられる畠山靖夫先生を訪問することにした.
 先生は昭和11年に東北大学医学部を卒業され,黒川内科に入局された.一時は,台北大学で生理学を専攻されたこともある.しかし終戦後,内科の医師として再出発し,特に恩師であられる黒川利雄博士(現在癌研付属病院長・東北大名誉教授)のすすめもあって,磐城共立病院の院長となられたのである.

英国国営医療研究メモ・6

II.国営医療の問題点—B.国営医療事業運営費財源の国庫一般会計負担方式をめぐる議論(自由診療・差額徴収導入に対する賛否)

著者: 姉崎正平

ページ範囲:P.58 - P.59

 前号に記したごとく,英国の医療組織において純粋に国有国営なのは病院部門のみで,地方衛生部は地方自治体に属し,開業一般医・歯科医・薬局・眼鏡店は国の代理機関との契約である.しかし,これら3部門の保健・医療事業は,包括的に保健大臣の管轄下に統合されているという点では,国営事業といえる.この国民保健事業(the National Health Ser-vice)運営費の財源を見る時,国営事業としての性格がより明白になる.次ページに最近1年間の,国民保健事業の財源と費用を金額と百分比で示す.
 この表に見るように,国営保健事業の財源の86%以上が,中央・地方政府の一般会計によってまかなわれており,10%弱が国営医療税ともいうべき使用者も分担する被用者・自営業者・無職・性別・18歳以上・未満別一律の拠出金,したがって患者が医療や入院サービスを受けるとき直接支払う自己負担分は,わずか4%である.それは私費および差額病床に対する徴収,そしておもに成人の歯科治療費および眼鏡代の差額徴収である.なお,1962年来廃止されていた薬剤処方箋料が1968年6月復活したので,今後は自己負担分の比率が若干ふえるかと思われるが,経年的傾向としては,拠出分および自己負担分の比率が減り,一般会計分の比率がふえている.

病院と統計

医療施設と従事者数

著者: 前田行雄

ページ範囲:P.60 - P.61

 病院・診療所・歯科診療所については,毎年12月31日現在で医療施設調査が行なわれている.これは,全国の医療施設の分布および設備・従事者などについての実態を把握するために行なわれている.今回は,昭和43年末調査の結果から病院・診療所・歯科診療所の実態を観察してみよう.

見のがされやすい実務の知識

病院の消防設備

著者: 倉持一雄

ページ範囲:P.62 - P.62

 昭和44年度の東京消防庁の白書によれば,火災発生件数は8458件,死者140人で,前年度に比してそれぞれ2%,47%の増加がみられる.これはわれわれの生活様式が向上し,危険物類の使用が急増したことにもよるが,新建材と合成樹脂製品の利用もそのうえに拍車をかけていることも事実である,特に死者は,全国でも1268人と昨年に比し11.4%も急増を示している.東京の47%と激増していることは,人口の都市集中による過密現象と思うが,火災原因を,昭和29年より43年の15年間の統計よりみると,たばこが15年間第1位で,第2位にあげられたのは,放火11回,石油コンロ3回,煙突1回で,第3位には,火遊び4回,石油コンロ4回,煙突3回,たき火2回,石油ストーブ1回,放火1回となっている.
 この統計は一般的な総合集計であるため,病院の火災原因に該当するものではないが,しかし,起因となる要素である.

病院の職員教育 駿河台日本大学病院職員教育資料より・6

ことばづかいの基本—(前回つづき)

著者: 田中栄一

ページ範囲:P.63 - P.63

3.話の聞き方
 前節では話のしかたについて説明したのですが,関連してたいせつなことは話の聞き方です.

病院経営戦前戦後・6

医師の俸給

著者: 山元昌之

ページ範囲:P.64 - P.64

 "医師の技術料"ということばが目につくようになってから,何年たつだろうか.今日では,この用語が一般に熟してきたように思われる.‘医術’ということばは古くからある.これは通常,‘医学・医術’というように用いられ,‘医師が医学を実地に施用する’ことを意味する.‘技術とは理論を実地に応用する手段’のことだから,その意味では,医術は医学を実地に応用する手段だから,技術には違いない.
 しかし元来,医療は医師と患者との信頼関係の上に成り立つものだから,医術は単なる技術ではない.これは‘医は仁術’の術であって,‘人間愛を基盤として医学を実地に施用すること’を意味する.‘医師の技術料’ということばは,具体的には,医師の行なう診察・治療など医師の医行為に対する報酬のことだが,この技術料ということばは,医の本質たる人間愛の基盤を無視した香りが強く,まことに危険な用語である.日本語は,文字そのものが意味を持っているので,このような用語については特に慎重であってほしい.

病院建築・18

日本大学医学部付属板橋病院

著者: 高野重文

ページ範囲:P.69 - P.76

 昭和40年,新病院建設の構想がまとまってからまる5年,45年4月に日大板橋病院が竣工した.現在まだ既存建物との接続工事中であり,運営が完全に軌道にのるのは9月ごろになるだろう.

精神病院の管理・6

作業療法

著者: 関英馬

ページ範囲:P.77 - P.80

まえがき
 精神医療における作業療法の効果については,もはやだれもが疑わないであろうが,未解決の問題もまた非常に多い.私は現在精神病院で行なわれている作業療法を紹介しながら,さらにその問題点にも触れ,これからの作業療法のあり方について,私なりの展望を試みたいと思う.
 さて近代精神医療の作業療法を顧みるとき,多くの叙述がきまってSimon (1867-1947)の名をあげ,その開祖的功績をたたえているが,わが国では,加藤晋佐次郎の業績を種々の意味で,もっと大きく取り上げて考えてよいと思う.Simonが1914年,ギューテルスロー病院におもむき,作業療法を開始し,その成果を公表したのが1924年,加藤が松沢病院で独自の作業療法を実施したのが1919年より1925年にかけてであり,奇しくも時を同じくしていることを,当時の東西の社会背景とともに想起したいものである1-4)

講座 賃金用語の概念規定・1

賃金形態・賃金体系・賃金制度

著者: 菅谷章

ページ範囲:P.81 - P.86

 賃金問題は,労働問題のなかでも最も重要な問題であるばかりではなく,労使間の利害関係を直接反映する基本的問題でもあるので,当事者である労働音や経営者は,好むと好まざるとにかかわらず,これに大いに関心をもたざるをえない.
 それほど重要かつ基本的な問題であるにもかかわらず,それを解明する手がかりとなる賃金用語が,関係者の間でしばしば誤って理解され,誤用され,ために混乱に陥っている状況は,なんとしても是正されていかなければならないであろう.

研究と報告【投稿】

新しい精神科医療—総合病院精神科

著者: 冨永一 ,   石田元男

ページ範囲:P.87 - P.90

近代的な高度の医療
 一般社会やまた医師の中にさえ,今日なお精神障害について,偏見をいだく人びとが少なくない.精神科の患者といえば,すぐに,他に危害を及ぼすおそれのある興奮・錯乱の様子や自殺などを思い浮かべる.そして,これは精神病院に送るべきで,とても総合病院では扱えない.そこに設けるとすれば,せいぜい外来だけで,それも精神科とむきだしにいわずに神経科とでもよび,病陳はつくれないと考えがちである.
 しかし,けいれん治療についで,特にフェノチアジン,レセルピン,ブチロフェノンを3本の柱とする向精神薬が,近年次つぎに,とどまるところを知らないほど,種類多く開発せられ,急激に進歩してきている現在,それらを適切に用いると,ただちにしずめられるようになった.また,異常行動を起こすもとになる幻覚や妄想などの症状も,早くみつけてそういう手当てを施すと,ただちにそれらへの関心が薄れはじめ,行動異常をなくすることができる.このように,精神科の身体治療の面が特に急速に進んだので,ますます多くの総合病院に精神科がおかれるようになったともいえる.

日本病院協会お知らせ

第3回国際病院連盟地域会議出席とオセアニア・東南アジア医療視察団の日程

ページ範囲:P.88 - P.88

 日本病院協会主催の第3回国際病院連盟地域会議出席およびオセアニア・東南アジア医療視察団の日程は次のとおりである.

資料

最近の病院数・病床数・患者数—昭和43年病院報告から

著者: 坂本靖

ページ範囲:P.92 - P.99

調査の概要
 病院報告は,医療法施行規則第13条の規定に基づき毎月病院の管理者から提出される"病院報告"をもとに年間分を整理集計したものである.
 本報告の目的は,医療法に定める病院の基礎的な実態,患者の利用状況などをつかみ,医療行政の基礎資料とすることにあり,全国の病院を報告の対象としている.報告の事項は病院の名称・所在地・開設者・月末病床数・在院患者延数・月末在院患者数・新入院・退院患者数・外来患者延数および新生児数である.したがって,病院における患者の実数が把握できることが本報告の特徴である点を踏まえて,さきに公表された"昭和43年病院報告"から,その要点を述べることとする.

ホスピタルトピックス

アルジェリアの精神病院

著者: 鈴木淳

ページ範囲:P.100 - P.101

 アラブ社会ではすでに9世紀にdar el Maridineというりっぱな精神病院がバグダットにつくられ,Ibn Imran医師が"うつ病の療法"を出版していたし,中世紀でも精神病者を神の特別の使者として慈愛の心で接しており,当時つき者として迫害した欧州諸国と対照的であった.
 しかし,西欧風の精神診療施設が最初にできたのが1870年であり,公的に規則が公布されたのは1934年で,その後一般病院に43床から62床までの規模で3併設精神科がつくられ,単独精神病院としてBlidaに1000床が新設された.だが.どの診療施設もすべて創設直後に増床の必要性が叫ばれていた.1954年にはPorot教授の努力により医療体系の根幹がつくられ,各県ごとに第1線診療の併設精神科と第2線医療担当の単独精神病院の系列化がなされ,現在の精神病床は1630床で,1830名の住民に精神病床1床の割合である.だが,この対策進展の裏に精神行政担当専任官がほとんどないことが注目される.

フランスの精神神経科専門医の数的変化

著者: 鈴木淳

ページ範囲:P.101 - P.101

 1950年のフランス国民総支出を100とすると,1964年には197とほぼ倍増している.その構成種目ごとに同期間の同指数をみると,衣食住はほぼ総支出なみであるが,レジャーは240,交通は307,衛生医療は318であって最高の増率である.おなじようにして衛生医療費の3要素(診療・入院・薬品費)の変化をみると,表1のように,薬品費が575もの著しい数を示しているが,診療費がさほどでないことが注目される.精神医療のために支出された額の正確な統計はみられないが,1952年の精神病院在院患者4.9万が1963年には10万8000となり,院外診療施設の受診者が1954年には8万8000であったが,61年には28万5000に達していることから,他の疾病に比べて驚異的増加であることが推定される.
 1952年から1965年までの間に人口は4271万から4915万と増加したのであるが,表2のように,医師数は152の増率をみ,なかでも一般医よりも専門医がふえている.専門医の専攻科別指導をみると,小児科284,循環器科と消化器科の両科がともに279,精神神経科が224,産婦人科が198である.精神科医数のこのような伸長の結果,専門医総数のなかに占める精神神経科医の序列は1952年の第7位から第5位に上昇した.

霞ガ関だより

公的病院の経営管理状況

著者:

ページ範囲:P.102 - P.103

 このたび,公的病院(一般病院)の43年度の経営管理状況の概要がまとまった.
 厚生省医務局指導課では,都道府県衛生主管部局をして,各管下の病院の経営管理状況を把握させ,それに基づいて,全般的な指導を行なうほか,必要な場合には特定のものについて重点的に指導するよう指示している.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?