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雑誌目次

雑誌文献

病院29巻8号

1970年08月発行

雑誌目次

特集 ニッパチ問題

ニッパチ問題の発端と経過

著者: 松井耶依

ページ範囲:P.19 - P.23

 看護の危機を鮮明にクローズアップした‘ニッパチ闘争’は,いくつかの波を刻みながら全国的に広がった.
 ‘ニッパチ’という合ことばは,‘夜勤人員を2人以上に夜勤回数を月8日以内に’という要求を簡単に表現したものである.この要求は全医労(全日本国立医療労働組合)が,看護婦の労働条件を改善するために夜勤制限が必要だと,人事院に働きかけたもので,人事院は40年5月,これを認めて‘夜勤回数月8日以内とし,1人夜勤を廃止すべきである’という判定を出したのだった.

ニッパチ問題の分析的把握

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.25 - P.30

まえがき
 ニッパチ問題とは何であるか,また,それはどのようにして発生し,どのような経過をたどって今日に至っているかというようなことは,病院関係者ならだれでも,そのだいたいは知っているであろうし,本号でも他の筆者の解説があるので,ここでは触れない.ただ,ニッパチ問題のもつ意味とか影響とかは,現在のわが国の医療あるいは病院のあり方を考え,またその今後のゆくえを予測するうえで,見のがすことのできない重要性をもつものと思われる.そういった観点から,ニッパチ問題の本質はどこにあるのか,あるいは,そのあらわれ方の特徴はどういう点に認められるか,また,今後そこからどういう問題が派生してくるかというようなことを検討してみようとするのが本稿の目的である.そして,分析的把握と題した趣旨は,単なる主観的・印象的な見方では,そうした目的は達せられないと考えたからである.
 ニッパチ問題に対する理解や評価のしかたにはいろいろの差があって,病院関係者の間でも一致しない.それは立場の相違によるものであって,立場が違えば事柄の理解やそれに対する態度に違いがでてくることはやむをえない.ただし,実体認識の差がその根底にあるとすれば問題である.実体は実体として,その認識を誤ってはならない.しかも,その上に立って,立場の相違は,なお理解や評価の差を生むのである.

夜勤の定義

著者: 大塚基弘

ページ範囲:P.31 - P.38

はじめに
 人事院の‘判定’が出てから,もうまる5年数か月もたってしまった.5年といえば,公務員にとって一番めんどうな問題である‘給与’でも,69%も差がでている,関係者が努力していないのではない.厚生省の予算なり,国会の論議なりをみれば,まるっきり事態が進展しないのではないが,行政措置の要求者である‘全医労’は依然として‘人事院規則’の制定を迫り続けているし,自治体病院に波及しては,一昨年から昨年にかけて相当な紛争が多発していたし,民間病院でも‘人事院判定’へ‘右へならえ’してくれという交渉がときには争議をひき起こすしまつ.
 責任のない第三者なら,‘あまりにも知恵がない’と捨てゼリフですませようが,当事者はそうはいかない.そして実は,抜本的な‘解決策’はだれしもわかっていながら,そこへ踏みきれないところに,泥沼でもがいているような苦渋な境涯の原因があろう.

‘ニッパチ’を計算する

著者:

ページ範囲:P.39 - P.42

 昭和40年5月の人事院判定が,俗に‘ニッパチ’と呼ばれ,全国各地の病院における看護婦増員闘争の焦点となってすでに久しい.これはいうまでもなく,夜勤2人以上,月8日以内の意である.1看護単位の患者数40人以内という1項も付いていたが,このほうはやや影がうすい.
 これらのほかにも,看護の世界のなかには,いわゆる患者数と看護婦数の比率を定めた4:1という数字がある.さらに,看護要員のうちの看護婦,准看護婦,看護助手の比率を定めた5:3:2,または4:2:2なども広く知られている.

夜間における看護活動の分析—5病院調査

著者: 兼田喜代子

ページ範囲:P.43 - P.51

 標題についての研究は,社会保険医学雑誌に掲載したが,依頼によりその一部を再発表させていただく.全文については全国社会保険協会連合会発行‘社会保険医学雑誌’1969年12巻3号(通巻54号)を参照されたい.

資料

人事院判定

ページ範囲:P.32 - P.37

 人事院は,全日本国立医療労働組合委員長岩崎清作から,昭和38年4月19日付で提出された「看護婦,准看護婦および助産婦の夜間勤務規制等に関する行政措置の要求」について,次のように判定する.
昭和40年5月10日人事院総裁 佐藤 達夫

座談会

ニッパチ問題をめぐって

著者: 吉武香代子 ,   小林弘子 ,   池谷允 ,   諸橋芳夫

ページ範囲:P.52 - P.61

ニッパチの要求自体,患者のためにも看護婦のためにも,むしろ当然すぎるものなのだが,看護婦の数の不足と医療費の関係から,この要求を満たしえないところが大問題てある.
人事院の判定をめぐって,各病院での反響をうかがってみると……

グラフ

新しい精神病院

ページ範囲:P.9 - P.13

ついこの間まで,精神病院は一般社会から遠くかけ離れた存在であった.かつて外来は入院に通じ,入院は監禁と同義語てあったし,院内には独特の空気がよどんでいた.
いまや,精神病院は,精神医学史上から第3革命とよばれるほど,すっかり変貌しつつある.病室の鍵は姿をひそめ,病院の扉は社会に向かって開かれ,外来は一般病院なみに近づいている.この変貌に,ある人びとは即時性を,他の人びとは漸進性を求め,このために激しい葛藤さえも生まれている.たが,ともに目ざすのは"社会内存在としての精神病院"てある.

変わりゆく患者生活—新しい精神病院

ページ範囲:P.74 - P.77

生活療法
身体的機能訓練のことはよく知られているが,精神科で行なわれているリハビリテーションについては理解がうすい.呼び名も,院内で行なわれている場合は,生活療法,となっていることが多い."療法"という概念にあたるかどうか,疑義をもっている関係者もいるが,療法指導であることを疑う者はいない.社会保険で,医療費の支払い対象になっていないことは,その1例である.一方,多くの公立病院には,運営費として,療養指導料・リハビリテーション費などの項目で予算が交付されているし,設備(建物・機械器具など)新設の予算交付の道もひらけている.
"生活療法"が,国のもっている精神医療の方針のなかで,どのような位置を占めているのか,裏づけのある態度を示すべきだろう.

やぁ,やぁ,やぁ—東京都立広尾病院3,4,5代めの3院長

著者: 原素行 ,   河上利勝 ,   石川幸雄

ページ範囲:P.14 - P.14

 5月下旬,日本病院学会のとき,都立広尾病院の現院長と元院長が久闊(きゅうかつ)を叙して"やあ,やあ,やあ"とやっているところを写真に撮られた.原が3代め,河上は4代め,石川が5代め.原が終戦前後から10年間,河上はその後を受け,石川が現院長である.3人ともに,終戦後の病院管理全般の建て直しに苦労した同志である,口の悪い人が,法皇,上皇,天皇かと言った.3人集まって,なにか方策を練っているらしいと言う人もいるらしい.原は70歳を越え,河上は60歳台,石川はまだ60歳に手が届いていない.年齢の差が20年ぐらい.3人集まっても文珠の知恵が現われるはずはない."やあ,やあ,やあ"だけであった.文珠の知恵を使うのが院長職で,若いブレーンとともに策を練ると,文珠の知恵が出てくるものだ.
 石川院長は,いま人材を集め,病院医療水準を高め,教育病院の創造に力を注いでいる.都立病院は都民大衆の病院であるとともに,世界先進国なみに教育病院でもなければ高い医療水準を維持できないと思うが,開設者たる都首脳部もその気になって十分な後援をするよう,私は期待してやまない.

病院の広場

日本大学板橋病院開設にあたって

著者: 永沢滋

ページ範囲:P.17 - P.17

 昭和42年末より工事を始めた新病院も,この5月25日になんとか診療開始というところまでこぎつけた.しかしまだ軌道に乗ったわけではなく,毎日が苦情・トラブルの処理に忙殺されている,今1か月を経て,やっと落ち着きをみてきたようである.
 1200の病床数の設定には,それなりの考慮の下に,経営面・教育面よりの算定であって,その機能がスムーズに運営されるかどうかは全く自信がない,ただ病床の需要ということについては,最近の社会構造,特に都会人の生活様式の変更によって必ず増大するという確信はあるが,その運営は皆で責任をもって協力する以外,方法はないと思われる.

病院図書館

—南条 薫 著—「日本の看護婦 その実態とビジョン」

著者: 森日出男

ページ範囲:P.28 - P.29

ナースよ,怒れそして主張せよ
 まず,私は,著者に拍手を送りたい.真に看護婦としてありたいと願うために,鬱積してきた現実と矛盾への憤りと悲しみを世に問うた勇気ある行動に.そしてこれだけの本を書き上げた努力と見識に対して.
 看護を愛し,看護に徹し,看護に生きる人の声をすなおに聞いてほしい.医療人として悩む看護婦の批判と訴えを,心を開いて考えてほしい.著者の主張し訴えるところの正当性・合理性を,そのよってきたるところの原因的条件や環境を,私も事実として知っているからである.

第21回日本病院学会ニュース

名鉄病院および湯の町下呂分院

ページ範囲:P.38 - P.38

 来年の病院学会は,先号でお知らせしたとおり,名鉄病院阿久津慎院長主催で,5月27-29日の3日間開催されます.
 栄生にある名鉄病院は,名鉄の従業員とその家族,一般の人々に利用されている総合病院です.

Editorial

夜勤について思うこと

著者: 神崎三益

ページ範囲:P.62 - P.62

 ニッパチ問題でトラブルを起こし,罪のない患者を苦しめることは申し訳けないことだ.
 夜働くことは,だれとていやだろう.しかし世の中には職業柄そうしてもらわねば困る職種がいくつかある,医者,看護婦なども,そのひとつ.その道を選んだ者には最初からその覚悟はできていたはずだが,近頃やかましくいわれてきたのには,2つの大きな理由があると思う.

管理者訪問・29

秋田大学教授兼秋田県立中央病院長 前多 豊吉 先生

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.65 - P.65

 東北地方には,昨年までは医科大学のない県が秋田県と山形県の2つであった.今年からは秋田県に秋田大学医学部が新設されることになった.今回は新設された秋田大学医学部教授であられる前多豊吉先生を訪問することにした.先生は秋田県立中央病院に長い間奉職され,現在も県立病院長を兼任されておられる.もともと県立中央病院は大学付属病院の性格を兼ねそなえていたところである.
 病院の由来をみると,昭和20年4月に秋田県立女子医学専門学校が設置され,付属第一医院(私立小泉病院買収),付属第二医院(秋田県農業会組合病院譲受)を併設された.ところが,22年4月不幸にして校舎を焼失し,22年11月に学校および付属病院を廃止し,秋田県立病院が設置されたのである(楢山病棟,堀反病棟204床).27年12月には国立秋田病院の移譲をうけ,県立の中央病棟が設置(169床)された.さらに29年7月に秋田県立中央病院と名称も改められ(楢山病棟,堀反病棟,中央病棟448床),名実ともに堂々たる病院に発展したのである.現在では一般病床595,結核病床90,精神病床118,計803床という大規模病院と化したのである.

英国国営医療研究メモ・8

II.国営医療の問題点—D.医師不足とその対策

著者: 姉崎正平

ページ範囲:P.66 - P.67

 英国でも医師不足が叫ばれている.その形態や原因は,英国の特殊条件を反映している面が多い.すなわち,英国人医師が,英語を常用語とし,自由診療を基調とするアメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなどの先進国へ移住する.他方,それを補うようにインド・パキスタンをはじめ,アフリカ・中近東・アジアの主として英国の旧植民地から英国の病院助手医の職へ医師が流入している,英国人医師の海外流出が,国営医療に対する不満の現われとの主張があり,有色人医師の流入が人種差別問題と結びつきやすい.
 これら英国の旧植民地帝国としての条件のほかに,国営医療という点から,中央での政策が全国的に浸透,固定化しやすい.これは長所にも短所にもなる.1957年,Willink委員会による医学生の定員減勧告は,医師の需給関係の予測を誤っていたにもかかわらず,実施され,医師不足を招いた.しかし,逆に1968年,王立委員会により出された‘医学教育に関する勧告’に示された医学教育の改善案など,政府が承認すれば,医学部を含め医療機関が国営であるため,徹底した実施を期しやすいであろう.

病院と統計・8

静態・動態からみた傷病量

著者: 前田行雄

ページ範囲:P.68 - P.69

 統計を調査日の面からみると静態統計と動態統計とに分けられる.本年は国勢調査が行なわれるが,国勢調査による人口は10月1日午前0時現在のものであって,このようにある一時点における統計を静態統計という.これに対し,昭和45年の人口動態統計による出生数や死亡数は,同年1月1日から12月31日の間に発生したもので,このようにある期間中に発生した件数を計上するものを動態統計という.
 図1は,国勢調査による人口と,人口動態統計による出生数および死亡数との関係を表わしたものである.すなわち,図は横軸に時間をとり,個人の出生を○,死亡を×で表わし,その間を直線で結んだものである.この図で,横軸の10月1日の点から点線を引くと,この点線と各直線との交点の数が国勢調査による人口を表わす.したがって静態統計は,時間的に継続して存在している対象を,ある一時点でとらえたものということができる.

見のがされやすい実務の知識

病院の通報連絡設備

著者: 倉持一雄

ページ範囲:P.70 - P.70

 社会の急速な発展に伴い,人と人,人と仕事,仕事と仕事が複雑にからみあう現代では,業務上スムーズなコミュニケーションは欠くことのできない要件であり,事業体の企業経営の合理化は通報連絡設備の合理化より始まるといっても過言ではない.病院でもより早く,より正確に用件を処理するために,インターホン設備・拡声放送設備・電話設備などがあるが,その概要と問題点について少し述べてみたい.
 インターホン設備 インターホンは,業務の相互連絡を主体として設備されたもので,取り付けの容易さ,操作と保守の簡便さなどのほか,設備費が廉価なため利用が多く,病院では看護管理上,特に重要な設備となっているが,使用目的と機能に対する認識が少なく,性能について不満の声を聞くことがあるので,設備の要点を述べて理解を深めたい.

病院の職員教育 駿河台日本大学病院職員教育資料より・8

相手の性格の見分け方と扱い方—(前号つづき)

著者: 田中栄一

ページ範囲:P.71 - P.71

 5)優柔不断型
 物事を決断する力が弱く,とかく尻ごみをする人.この場合は,相手に欠けているものを補足してあげるような態度やことばが必要で,引き込まれたという感じを与えないように手を引いてやるようにします.

病院営戦前戦後・8

病院組織の変化(1)

著者: 山元昌之

ページ範囲:P.72 - P.72

 わが国の戦前の病院は,医師の仕事場的性格が強かったといわれる.このことは,わが国の病院が外来から発達したといわれるのと同じ意味で,たとえば総合病院についてみると,各診療科の長を頂点とした単科病院が集まったようなかっこうであった.したがって診療各科は病院組織上の単位となり,その長の下に後輩の医師と看護婦が配置され,科によってはさらに技術員も配置される.病棟も各診療科ごとに固定して,診療科所属病棟(あるいは病室)であった.検査も現在のように高度ではなかったが,各診療科の中だけで処理される.
 手術場もメッサザイテは各科ごとに持つ.小規模の病院で,各科ごとに手術場の持てない場合でも,手術場に専属看護婦の配置はなく,手術のつど,各科から医師が看護婦を連れていってその手術場を使うというのが通例であった.もちろん中材はなく,消毒や材料準備はそれぞれ各科で行なっていた.したがって当時の病院組織は,一般に図1のようであった.

病院建築・20

都立梅ケ丘病院のいわゆる自閉症病棟

著者: 詫摩武元 ,   大場則夫 ,   平口勇

ページ範囲:P.79 - P.83

病院の側から
 昭和42年暮もおし迫ってからであったと思う.都衛生局から‘厚生省で43年度に全国で40床の自閉症の療育施設を2か所設置する方針になった.1つは東京,1つは大阪になりそうである.梅ケ丘で引き受けないか’とのお話があった.梅ケ丘病院は,現在のところ,まだまだ患者の年齢構成は混然としてはいるが,児童患者を多数お預りしており,早くから児童科精神病院を目標としているので,世界にも類のまれな事業であるための困難が山積していることは覚悟してお引き受けしたのであった.厚生省の決意の陰には,全国組織である‘自閉症児親の会’が大きな力となっていたことは申すまでもない.

招待席

病院は国民のもの

著者: 神崎三益 ,   紀伊国献三

ページ範囲:P.84 - P.91

 今回は,新しく日本病院協会長になられた神崎先生に,めまぐるしく変動する社会にあって,医療はどう志向すべきか,協会として何をなすべきかを,武蔵野日赤の院長室ていろいろお尋ねしてみた.

話題

第19回総合医学賞入賞論文発表

ページ範囲:P.91 - P.91

 第19回総合医学賞入賞論文は,例年通り昨年1月から12月までの医学書院発行各原著収載雑誌から最優秀論文として選ばれた下記11篇に決定した.
 贈呈式は7月10日午後5時から東京・麻布のホテルオークラで開かれ,入賞の11論文に対してそれぞれ賞状・賞金・賞牌および副賞が贈呈された.式終了後引続いて行なわれた祝賀パーティーでは選考委員(各誌編集委員),来賓多数が受賞者をかこみ,新しい研究をめぐっての歓談が続いた.

病院長時代の思い出・2

混乱の収拾から新たな発展の道へ

著者: 萩原義雄

ページ範囲:P.93 - P.97

病院の職員組合と患者新生会
 病院創立の初期,昭和21年12月14日,内科の一ノ瀬君の熱心な勧誘により全員を集めて大会を開き,職員組合を結成し,出井さんが組査長に選挙された.その時の出井組合長の就任のあいさつがふるっていたらしい.‘不肖出井勝重は身命をとして……’とやったもんだから,みんな笑い出してしまったという話だ.こういう組合長さんでは病院長たるわたしは非常に楽である.約1年くらいで組合長は内科の柏村君に代わった.これまた非常に穏やかな人だったが,労働協約を締結したりして,初期にはなかなか活発だった.
 元来わたしは健全な労働組合ならあったほうがよいと思っているので,組合幹部の人たちとはそういう方向で時どき話しあった.しかし近畿地連に対する不満でもあったのか,1人去り,2人去り,しまいには会費を払わぬ会員ばかりになり,ついに消滅してしまったらしい.

精神病院の管理・8

身体医学的管理

著者: 岩佐金次郎

ページ範囲:P.99 - P.102

はじめに
 戦前はもとより,戦後数年間の精神病院における身体医学的管理は,今思い出してみても,ぞっとする.たとえば,肺結核患者は,1室に隔離されていると言えばきこえはよいが,実体は,島流しにされているようなものであった.全国の精神病院で,レントゲン写真撮影装置を持っている施設はほとんどなかったし,備えてあっても,活用されていなかった.精神病院内の肺結核の蔓延は,最近まで関係者を悩ませたが,根源は,長い間の管理の不適切に基づいている.
 赤痢についても同じようなことがいえる.私の経験によると,肺結核は処理できるが,赤痢とは,永久に縁をきることはできないのではないかとさえ思う.‘赤痢をなくす一番の妙案は,保菌者摘出に努めないことだ’などという冗談でも言いたくなるくらいである.統計は古いが,昭和27年の保健所の全国調査によると,赤痢菌健康保有者は0.6%であり(現在も,ほぼ同じであるという),関東地区では,東京都・川口市・浦和市と川崎市付近は汚染度が高いという.しかし,事実は,これよりはるかに高率である.井之頭病院が入院時赤痢菌検索で得た保菌者比率は,昭和35年3.74%,36年4.03%であった.

救急医療に関する研究・2

救急医療に対する開設者別協力度と問題点

著者: 岩本正信

ページ範囲:P.103 - P.107

 そもそも,救急医療機関の告示は‘開設者から救急業務に関し協力する旨の申出’のあったものを単に受動的に告示し,国としての計画性のある救急医療体制は整備されていない.したがって,現状では救急医療機関として告示を受けるかいなかは,救急医療に対するvoluntary的な協力意識の度合いによって決定されるものである.すなわち,日赤・済生会・北海道社会事業協会のごとき,医療施設開設の目的,基本方針が社会奉仕的な開設者ほど協力度が高い,しかし,救急医療はcharityではない.したがって,独立採算制をとっている国立病院や,公営企業会計となった公立病院は赤字を心配することなく,積極的に協力できる体制を整備すべきであろう,また,救急医療センターの整備にあたっては,画一的な整備をなすことなく,地域の実状を織り込んだ財政的助成がなされるべきであろう.

講座 賃金用語の概念規定・3

職務給・職階給

著者: 菅谷章

ページ範囲:P.109 - P.113

職務給
 職務給を理解するには,まずわが国賃金構造の特徴である年功序列賃金(以下,年功賃金と略す)との対比において説明するのが最も便利であろう,そこで前号に引き続き,年功賃金についてさらに検討をすすめてみることにしよう.

研究と報告【投稿】

医師秘書について

著者: 加籐勇

ページ範囲:P.114 - P.115

はじめに
 技術革新の急速な発展の中にあって,旧態然ということは,とりもなおさず,その企業の退化を意味する.
 表面,変化の少ないよう考えられる病院業務も,この例にもれず,内部の変化・改革は徐々に行なわれつつあり,発展を意図するならば,大いに改革を考えるべきである.

ホスピタルトピックス

国立小児病院視能訓練学院の発足

著者: 尾村偉久

ページ範囲:P.116 - P.116

 去る昭和45年5月,国立小児病院の構内に,わが国としては最初の視能訓練技術者の養成施設が厚生省立として設置開校された.視能訓練ということばは,従来病院管理用語のなかではあまり使われていないことであるが,これは,主として機能弱視を有する眼科患者に対して各種の光学器械を駆使して視機能の訓練を行ない,それによって視力の改善回復を図ることである.
 医師の指示下に,もっぱらこの視能訓練ならびに訓練に必要な視機能検査に従事する技術者を‘視能訓練士’(ORT—オルソプチスト)と呼んで,欧米諸国ではすでに古くからその養成施設が多数設けられていて,多くのオルソプチストが眼科診療のなかで有力なパラメディカルスタッフとして活躍してきている.

霞ガ関だより

血液問題の現状と推移

ページ範囲:P.117 - P.119

推移
 戦前においても,輸血は疾病の治療に際して小規模に行なわれ,主として患者の近縁者を対象とし,これを医療機関に集める,いわゆる枕元輸血が行なわれていた.これ以外にも供血者を医療機関に斡旋する業者があり,これに対して昭和20年に輸血取締規則が制定され,供血者の保護がはかられていた.当時は血液の需要も少なく,戦争の混乱中にありながらも,血液問題が現在のように大きな社会問題として取りあげられることはほとんどなかった.
 戦後,上述の観則には昭和22年の新憲法の発足と同時に失効し,以後数年間,血液問題は野放しの状態となった.一方,社会秩序の回復に伴い,戦争中閉されていた欧米との学問の交流が再開されるとともに,わが国の医学も飛躍的な進歩を遂げ,なかでも外科領域において麻酔学の進歩,抗生物質の開発などにより患者管理技術の向上がはかられ,外科的手術は増加し,輸血用血液は質量ともに急激な需要増を来たすこととなった.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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