文献詳細
文献概要
人
再会—台湾大学医学部病院副院長 江萬煊氏
著者: 守屋博
所属機関:
ページ範囲:P.18 - P.18
文献購入ページに移動 今から26-27年前,大東亜戦も末期に近づいたころ,連日の空襲で麹町辺がすっかり焦土になった中で,東京逓信病院の医局は,相つぐ応召,戦死で,残り10名前後になったが,全員連日当直した仲間に私も江萬煊君もいたのであった.江君は昭和19年東大卒業,泌尿科医局から派遣されていたのである.
戦後台北に帰られ,台湾大学の再建に尽力されたのであるが,泌尿科教授と同時に院長秘書に任命されたのである.院長秘書とは,病院管理責任者のことであるらしい.私は1950年,シカゴのノースウエスタン大学のマッケクレン博士の所で病院管理を勉強したのであるが,彼もまた1951年に,同じ大学の病院管理学を卒業してマスターをとられた.その帰途東京に寄られて,本誌13巻1号の座談会に出席,台湾の病院事情について語られた.その後,1965年に私は台湾大学を見学する機会があったが,その時は彼は副院長として,いろいろの改革に手をつけておられた.一番感心したのは病歴の中央化,OT・PTの強化および大規模の救急センターである.
戦後台北に帰られ,台湾大学の再建に尽力されたのであるが,泌尿科教授と同時に院長秘書に任命されたのである.院長秘書とは,病院管理責任者のことであるらしい.私は1950年,シカゴのノースウエスタン大学のマッケクレン博士の所で病院管理を勉強したのであるが,彼もまた1951年に,同じ大学の病院管理学を卒業してマスターをとられた.その帰途東京に寄られて,本誌13巻1号の座談会に出席,台湾の病院事情について語られた.その後,1965年に私は台湾大学を見学する機会があったが,その時は彼は副院長として,いろいろの改革に手をつけておられた.一番感心したのは病歴の中央化,OT・PTの強化および大規模の救急センターである.
掲載誌情報