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雑誌目次

雑誌文献

病院30巻9号

1971年09月発行

雑誌目次

特集 薬剤師のあり方を点検する

病院薬剤師の業務の変遷—その過去と将来

著者: 田口英雄

ページ範囲:P.23 - P.28

はじめに
 病院薬剤師の業務の目的は,ひと言にいって‘薬剤師の職能1),すなわち薬学の知識と技術に基づいて,診療の目的にかなった,良い薬を供給すること’である.この目的を果たすために,病院薬剤師は,薬品管理,調剤,製剤,薬品に関する試験・研究,薬品情報活動などの業務を行ない,また,必要に応じて,薬学生の教育,あるいは薬剤師の再教育にも力を注いでいる.
 病院薬剤師の業務は,結果的には,調剤した薬剤の交付と注射薬品などの補給という形で現われるが,その陰の力として,以上のような業務が行なわれている.

薬剤師の病棟進出—国立名古屋病院の場合

著者: 二宮英

ページ範囲:P.29 - P.34

薬剤師の職能について
 Clinicai pharmacy,臨床薬学,病院薬学,医療薬学など病院薬剤師の新しい方向づけとかあり方が最近特に関心がもたれ論議されている.医薬品について薬剤師が全般的な責任をもち,それが臨床の場につながっていることは当然であって,今日に始まったことではない.
 今日それが論議されるのは,病院における薬剤師の働きが早くから専門分科し,年とともに業務量が膨張の一途をたどったため,最近の急速な病院組織近代化の中にあっても比較的内部合理化に重点が指向され,あたかも調剤,製剤の技術面だけが職能であるような認識がもたれてきたためではないだろうか.そして,薬剤師の職能はもともとメディカルなものなのに,本来の職能的活動が十分でなかったたあにパラメディカルの範躊に入れられがちであるのは残念なことである.

薬剤師の病棟活動—国立東京第一病院

著者: 中野久寿雄

ページ範囲:P.35 - P.38

はじめに
 当院薬剤科がたどった昭和37年以降,現在に至るまでの調剤と病棟薬品管理に関する業務処理のおもな推移を表に示す(表1).このように積み重ねる形で経過をみながら,徐々に進めて現在に至ったが,昭和37年,38年ごろは,薬剤科から処方箋や請求伝票により各部処に渡した薬品の取り扱いについては,それぞれにまかせていたのが実状で,調剤薬の取り扱いや,病棟処置室にある薬品管理にも問題が多く,解決しなければならない点が多かった.
 月に1-2回病棟処置室を巡回して保管および取り扱いに関する注意などをしてはいたが,調剤業務の多忙や手不足もあって効果があがらなかった.しかし医療をめぐる諸状況からも,病院勤務薬剤師の使命は従来のように調剤行為のみに力を注ぐのではなく,院内活動を強化して,薬剤師がもつ薬に関する専門知識を医療に役だてるよう積極的に活動すべきであると判断した.

ドラッグ・インフォメーション活動(DI活動)

著者: 堀岡正義

ページ範囲:P.39 - P.43

はじめに
 病院管理の近代化,医療の近代化に対処するために,病院薬局の業務も常に新たなる脱皮がはかられねばならない.
 病院薬局の任務の1つは,院内で使用する医薬品の適正な管理と円滑な補給にあり,他の1つは医薬品に関する専門職として合理的薬物療法の確立に貢献することである.

Medical Auditの一環として行なった処方分析

著者: 高橋久男 ,   本田秀典

ページ範囲:P.44 - P.47

 現代医療の急進に伴い,薬物療法の複雑性は日を追って増大しつつある,こうした傾向下にあって,病院薬局をして,それに即応させるために,薬剤業務のあり方を検討し,改善を施し,医療のうちに占める病院薬剤師の医療的・企業的そして社会的有用性を増大していかなければならないと思う.
 近年,先進医療国にあっては,Clinical Pharmacyの必要性を唱える理由もここにある.

病院薬剤師のあり方に関するアンケート

著者: 渡辺健五 ,   清水貞知 ,   田中慶雄 ,   海野勝男 ,   稲村栄一

ページ範囲:P.48 - P.49

座談会

薬剤師の専門性と進むべき道

著者: 岩崎由雄 ,   斎藤太郎 ,   小原良衛 ,   砂原茂一 ,   上野高正

ページ範囲:P.50 - P.59

ある病院の薬局では,ここ4,5年のうちに散剤の調剤スペースは1/3に減り,錠剤がその分を占領してきたという.このような部屋の分画に象徴されるように,たとえば,薬剤師の仕事もどんどん質的な変貌をとげているのではあるまいか.‘薬’という専門分野をあずかる病院薬剤師の,その専門性ということを問題にしてみよう.

病院と統計

退院患者の統計から

著者: 前田行雄

ページ範囲:P.10 - P.11

 7月号では,昭和44年7月15日現在で行なわれた患者調査の結果の一部をお知らせしたが,同調査では,6月中に病院を退院した患者についての調査も行なわれている.
 今回は,退院患者をとおして病院の入院患者の実態を観察してみよう.なお,患者調査の行なわれた病院は,全国の病院(らい療養所を除く)を病院の種類(精神・結核・伝染およびその他),病床数,開設者などによって層化し,各層からその1/10を無作為抽出したものである.

グラフ

曠野にそそり立つ北里大学病院

ページ範囲:P.13 - P.17

 北里大学病院は本年4月に峻功し,7月から開院した.小田急相模大野駅から車で10分,人家がまばらになったあたりに突如として,この病院の偉容が出現する.医学校増設という時代の要請に応じて造られたもののひとつであるが,全く新奇な理念で計画され,21世紀を目ざす新しさをもつている.
 まず第1に地域の本格的医療センターであることを志向しているので,院長は理事会に直結し,大学医学部と並列し,患者中心の施設となっている.しかしもちろん研究および教育という共通の場を通して医学部と密着し,最新最高の医療が実現できる施設である.

病院の庭

ページ範囲:P.78 - P.81

 病院の造園は,まずその環境と立地計画から始まらなければならない.

前進また前進日本看護協会長 小林冨美栄

著者: 館林宣夫

ページ範囲:P.18 - P.18

 丸い目をいやがうえにも丸くして突進して行く.
 彼女の人生はすべてが学びであり,はげみである.

病院の広場

小さな病院のあり方

著者: 田淵昭

ページ範囲:P.21 - P.21

 私は本年3月広島大学医学部を停年退職し,第18回日本医学会総会に出席した後,4月10日に広島県大竹市の国立大竹病院に赴任した.
 大学から小さな市の国立病院に移り,病院の運営も十分でないときに日本医師会の保険医総辞退にあった.病院もその余波をうけて外来患者は2割前後増加したが,入院患者数には影響はなかった.これらの経過のうちに,小さな末梢地域の総合病院は現状のままでは存在の意義は失なわれていると考えるに至った.

資料

昭和44年度総医療費

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.61 - P.63

医療費の定義
 昭和44年度の総医療費はついに2兆円を越えて,2兆1519億円と発表された.国民1人あたりにして年額2万0963円である.
 ここでいう‘国民総医療費’とは"全国民がこの年度内の傷病の治療に要した費用を推計したものであって,その内容は,医師や歯科医師に支払う診療報酬のほか,薬局などで買う医薬品費,配置薬の費用,あんま師,はり師,きゅう師および柔道整復師などに支払う費用も含めている"ものである.

精神医療と精神病院・9

病院運営の組織構造—英国におけるTherapeutic Community (治療的共同社会)の運営

著者: 鈴木純一

ページ範囲:P.64 - P.68

 英国における精神病院の運営の組織構造は病院によってそれぞれ特色があり,変化に富むのであるが,幸い私は2つの代表的な英国の精神病院にそれぞれかなり長期にわたって勤務し,病院の運営に参加する機会を得た.ことに治療的共同社会の病院運営組織は,新しい病院運営の方法として,日本においてももっと活用されるべきだと考えるようになった.この与えられた機会にその機能構造の要点を簡単にご紹介してみたいと思う.
 第1の病院は,スコットランドのディングルトン病院である.1949年に英国で最初に全病棟を開放しその名を広めた.1962年にDr. Maxwell Jonesが病院長になって以来基本的な運営組織に大変革が行なわれ,病院全体が治療的共同社会となった.と同時に地域精神医療の発展にも大きく手を広げ,スコットランドとイングランドの国境約10万の人口に理想的ともいえる地域精神医療を供給している.ここでは,その臨床的な説明をできるだけ避け,病院運営との関係においてのみ述べることにしよう.病院は413床で100年の歴史をもち,もちろん全病院開放である.

管理者訪問・42

兵庫県立病院柏原荘院長 山本善信先生

著者: 冨田重良

ページ範囲:P.69 - P.69

 兵庫県立病院柏原荘の山本善信院長は,兵庫県では名院長の令名高い内科医である.昭和17年京大医学部ご卒業後,国立結核療養所春霞園に勤務され,28年には兵庫県立結核療養所柏原荘の初代院長に就任された.以来18年,その人間尊重の診療方針と医療内容の充実ぶりが次第に地域住民に認識され,先生を慕う一般患者も集まり,かつての療養所は現在では,兵庫県の過疎地帯丹波地方の中核病院として,6科,353床(結核179,一般174床)を擁する県立病院柏原荘となったのである.
 昨年,初めて私が柏原荘を訪れたとき,人里離れた山すそにまるでユートピアのように存在する病院——よく手入れされた建物,礼儀正しく親切な従業員,都会の総合病院にもまさる完備した医療設備にびっくりし,これぞ真の病院と感銘を受けたのである.したがって,この訪問記事を委嘱されたとき,先生の真髄を探ぐる絶好の機会と大いに張り切って,各方面からいろいろと予備知識を貯えた上で訪問し,次々と失礼な質問をぶっつけてみたのである.

ミズーラだより・9

アメリカの生活

著者: 紀伊国献三

ページ範囲:P.70 - P.71

 アメリカの生活と日本の生活との比較をよく聞かれますが,それほど長くアメリカで生活したわけでもなし,ましてミズーラのコロンビアが代表的アメリカとも考えられませんので,‘たいへんむずかしい質問ですね’とまず予防線をはることにしています.しかし考えてみると,日本といっても,いったい何が日本的なのか,どこが代表的なのかも考えるとむずかしい問題のようです.そんなわけで,印象批評なことは百も承知のうえで,少し比較論をしてみましょう.

麻酔科医日誌・9

麻酔医の不足

著者: 山下九三夫

ページ範囲:P.72 - P.73

 500名しかいない麻酔専従者いったい日本の麻酔がどのようにして消化されているかは,その調査がなかなかむずかしい.たとえば人工妊娠中絶が年間150万件行なわれたとすると,その大部分がいわゆる静脈麻酔で行なわれていると考えられるので,静麻の麻酔件数は150万以上ということになる.しかし手術中に必ず独立した麻酔科医が必要なのは,麻酔技術が完全に独立していないわが国では,主として麻酔器を用いる吸入麻酔であるとすると,その件数は健保の請求などから推定すると年間150万件程度と考えられている.
 これらの数字は,日本麻酔学会が中心となって,厚生省とも連絡し,更に確実な数を把握しなくてはならない.一方年3〜4回,麻酔科標榜審査会が審査,医道審議会を経て認可される麻酔科標榜医の数は,本年5月現在で,適当な指導者のいる病院で5年以上専従した者という第一項—482名,300例以上の麻酔器を用いた全身麻酔の経験をした者という第二項—2010名,これらと同等以上と思われる外国での研修者という第三項—89名,合計2581名であり,指導医の数は223名である.このような麻酔科標榜医がはたして麻酔を担当しているかとなると,第一,第三項の合計571名は大部分が麻酔を担当している者と考えられるが,第二項はほとんどが他科と兼任であり,少なくとも麻酔専従者とは考えられにくい.したがってわが国における麻酔専従者は現在訓練中の者を含め500名内外と考えられる.

新管理技術講座・9

IE

著者:

ページ範囲:P.74 - P.75

 管理技術の源流このへんで,もうそろそろIEに触れてもよいであろう.現在新管理技術と呼ばれているものは,その源流をすべてIEに求めることができるといっても過言ではない.その意味で,IEは,最も古くしてかつまた最も新しい管理技術であるともいえよう.
 IEはindustrial engineeringの略.このことばは,19世紀の末頃すでにアメリカで用いられていたという.そして,1902年(明治35年)には,‘Indu-strial Engineering’という雑誌が創刊されている.しかし,それが本格的に体系化されるようになったのは,科学的管理法の生みの親であるF.W.テイラーおよびその流れを汲む人たち以後である.

病院の職員教育 駿河台日本大学病院職員教育資料より・21

防災組織(診療時間外)

著者: 田中栄一

ページ範囲:P.76 - P.76

今月のニュース

病院管理研究所卒業者の同窓会および研究会開かる/第23回保健文化賞の受賞者決まる

ページ範囲:P.82 - P.83

 まだ夏の暑さのなごりの感じられる9月1,2,3の3日間,場所を静岡県御殿場市にとり,第4回めを迎える‘病院管理研究所同窓会および夏期セミナーの研究会’が開かれた.永沢滋同窓会長のよびかけに,44人の参加者をみ,文字どおり,寝食をともにしてのディスカッションや講演は,病院管理研究所卒業生への‘卒後研修’として,また情報交換の場として,密度高く展開された.
 紀伊国献三氏‘これからの病院管理者の責任アメリカにおける経験から’,一条勝夫氏‘最近の病院経営管理指標について’の2つの講演のほか,①外来管理体制,②病院職員の勤務時間体制,③給与費対策の3つのテーマについてグループ別討議がなされ,最終日には各グループの報告と,その後の全体討議の中で,それぞれの問題点と方策が確認された.

病院建築・33

西ドイツの病院—その特性と最近の作品

著者: 池田有隣

ページ範囲:P.85 - P.89

はじめに
 ドイツの病院建築の最近の特徴を書く,というのが与えられたテーマであるが,スペースが限られているので,話がどうしても部分的断片的にならざるをえない.ご勘弁いただきたい.
 さて,私が文部省在外研究員としてヨーロッパへ出張したのは,昭和43年から44年にかけてであった.最初,ベルリン工科大学の病院建築研究所で研究生活を送った後,ミュンヘン,ヴィーンの各工科大学やロンドンのIHF事務局,更に各地の病院建築家と連絡をもちながら,西ドイツを中心にヨーロッパ各地の病院建築の調査を行なった.その間,実際に訪問した病院は,西ドイツ33施設,その他の国を合わせて合計52施設である.

座談会

ICU(Intensive Care Unit)の設備と運営

著者: 芳賀敏彦 ,   美濃部𡸳 ,   緒方博丸

ページ範囲:P.90 - P.102

 芳賀(司会) 国立療養所も昔は結核が非常に多かったんですが,だんだんいろんな患者がはいってきたということ,しかし,いまだにどちらかというと,やや慢性的な疾患を収り扱う.ところが,慢性疾患を取り扱っていながら,その途中において非常に急性増悪,あるいは急性的変化,生命に異常のある変化を起こすことが多くなってきたということで,簡単にいってしまえば慢性病院の中におけるICUの姿,その慢性病院がまた非常に多岐にわたるんですが,ほとんどは結核を主とする胸部疾患,それも感染症としての結核よりもむしろ機能不全としての結核の後遺症がふえているということ,それとある病院では心臓のほうへ進まれますし,ある病院ではきわめて特異的な筋ジストロフィーあるいは重症身障児という特殊な子どもを取り扱う.そこでますます急性増悪期のときのいろんな問題に取り組むというようなことで前々から私どもが,ここでは主として呼吸器障害の患者が非常に出るものですから,外からも入院させてくれというようなことが多いので,いくらかそういう形態を整えて,ことばでいえばICUの中のほんの呼吸管理だけを,いくつかのベッドを割いてやり出したということです.

研究と報告【投稿】

病院医師に関する研究—5.病院医師の職場における不満について

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.103 - P.108

はじめに
 病院に勤務している医師は医師不足などに伴って,本来の診療業務を十分に発揮することができないという不満をしばしば耳にすることがある.医師は看護婦や臨床検査技師,診療X線技師などのパラメディカルの職種と違ってかなり主体的に業務を遂行していく場合が多いので,本来はすべての業務が診療業務だといってもよいはずである.ところがこれは,必ずしも十分になされているとはいえない面がある.いったい,これはどうしてなのであろうか.
 このようなことについての調査研究1-2)は,看護婦やパラメディカル職種について行なわれてきたが,医師についてはほとんどみられない.そこで今回はこのようなことに関連しながら,いわゆる医師の職場における専門職務上の不満とその問題点を明確にし,考察を加えることにした.

院内癌登録

著者: 妹尾巌 ,   草信正志 ,   中島行正 ,   荒川雅久

ページ範囲:P.109 - P.112

癌患者の院内登録態勢
 川崎病院は昭和35年3月15日綜合病院として発足以来川崎癌研究所を併設し,中央病歴室をもち,院内癌患者の登録を実施してきた.癌と診断されたすべての患者(I.C.D.140-209)の基本的情報と積極的追跡活動による情報を加えて整理保管し,その情報が医療スタッフに容易に役立つよう努めている.その組み立ては‘発見届け’と‘抄録票’の作成,ならびに‘追跡’の3段階に分かれており,病歴の正確性と完全性を主軸としている.

霞ガ関だより

血液事業の現状

著者:

ページ範囲:P.114 - P.115

 医療に用いられる輸血用血液の確保は,従来,医師と患者家族らの当事者間によってまかなわれてきたが,急速な医学の進歩に伴って血液需要が急激に増加し,当事者間の採血ではまにあわなくなり,血液斡旋業者の媒介や昭和26年にはわが国ではじめて血液銀行が誕生し,以後次々と民間の血液銀行(以下,血液銀行)が設立されたわけである.
 この血液銀行の働きによって血液需要がまかなわれてきたが,しだいに売血・貧困者・常習供血者が結びつき,その結果,供血者貧血,黄色い血,血清肝炎の頻発など売血に伴う弊害が大きな社会問題となってきた.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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