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雑誌目次

雑誌文献

病院31巻12号

1972年11月発行

雑誌目次

特集 病院給食の変貌

食生活の変化を病院給食にいかに対応させるか

著者: 藤沢良知

ページ範囲:P.22 - P.24

●最近の食生活の変化から
 最近のように食糧が豊富に出回り,平均的な栄養水準がかなり高まってくると,国民の栄養に対する関心はともすると薄れるばかりでなく,栄養問題に対してもまた栄養士に対してもきびしい目を向ける人も多くなってきた.
 しかし,それははたして正しい認識であろうか.確かに平均的な栄養水準は上昇してきたため,足りない足りないといって蛋白質をはじめビタミン類,ミネラルなどなんでもよけいに食べることを目標に考えた栄養改善活動は,もう時代にそぐわなくなったのは事実である.

食糧構成を考え直す

著者: 山下光雄 ,   松本敦子 ,   白根章伍

ページ範囲:P.26 - P.29

●はじめに
 わが国における病院給食が行政的に取り上げられるようになったのは,昭和23年‘大都市における入院患者に対する食糧の増配に関する特別措置要領’にはじまり,翌24年には一般入院患者の食糧を増配し,常食および結核患者の食事に対する栄養基準が指示され,昭和29年から社会保険の病院が完全給食を実施,昭和36年6月には現在用いられている基準,すなわち‘患者食の栄養量および食事は,患者の病状に応じた適切なものとする.ただし,成人の一般食にあっては,1人1日について熱量2000Cal以上,蛋白質80g以上,脂肪20g以上とする’などを含めた,医療機関に対する基準給食承認基準指示が出されている.しかし,この基準ができてから約15年間になろうとしているが,この間,日本人の栄養所要量については,昭和34年と44年に改訂されているのに,基準給食についてはまだその改訂がなされないまま現在に至っている.この間,病院の食事は残飯が多く,おいしくないということから,その原因について,いろいろな角度から検討が行なわれてきている.そこで本稿では,昭和33年に指示された栄養基準の背景,および現状,そして今後のあり方について,食糧構成を入れて考えてみたい.

サイクルメニューを起点とした給食管理

著者: 小池孝子

ページ範囲:P.38 - P.45

●病院の概況
 当病院は瀬戸内海に面した須磨海岸沿いに昭和35年12月開設された.内科,外科,整形外科を診療科目とし,とくに昭和44年11月からは内科部門に人工腎臓の透析が取り入れられた.病床数140である.

治療食の普及に伴う病院側の体制整備

著者: 西原豊子

ページ範囲:P.46 - P.51

 医学の進歩に伴い,化学療法・理学療法・薬剤療法・手術療法に重きがおかれ,食事療法にはあまり重きがおかれなかったが,近年食事療法は大きく療法の一環として再確認されている.疾患によっては食事管理に大きく左右されるものもある.最近多く行なわれている人工透析などは,食事管理抜きには延命効果をはかれない代表的なものである.
 食治療法が大きくクローズアップされるに従い,治療食の内容は細分化され,複雑なものが要求されている.そしてその要求に応じられる体制が各病院でできているかどうかが問題であると思う.

コンピュータを利用したサイクルメニューの試み

著者: 中野迢

ページ範囲:P.52 - P.55

●はじめに
 病院給食は,とくに高度化する病院医療に十分な役割を果たさなければならない時期に到来している.先人が示した過去の病院給食に関する業績や,体系づけられてきた給食は,食事療法の分野で高く評価されてきた.昨今,病院では,患者に対する病院機能を生かした治療サービスの充実が最も重要視され,そのためにも病院給食の事務量の軽減が必要で,病院給食の計画業務のひとつである献立作成や,患者に給食した実態把握のひとつである栄養価計算が,コンピュータの導入で効果をきたさなければという気運が高い.
 当院栄養科が京都市計算センターに機械処理による計算を依頼し,献立作成などを試行してきたので,反省を含め,ここでは,コンピュータの活用やコンピュータを導入できにくい問題点についての私見を述べる.

病院給食最近の動き

1 日本医療食協会の発足

著者: 渥美節夫

ページ範囲:P.30 - P.31

 ‘安全でおいしい冷凍医療食を病院や在宅患者に提供しよう’という,本協会が発足して半年以上たった.その間,各界の専門家のお知恵をお借りして,冷凍医療食のあり方についての研究が重ねられてきた.そしていま,どうやら試作品製作のメドも立ち,10月末から導入を希望される病院と提携して,実地の研究が東京で始まった.引き続いて大阪でも,同様の研究が始められる予定である.

2 和歌山県私立病院事業協同組合の給食事業

著者: 中村了生

ページ範囲:P.32 - P.37

 激動する日本経済の下で現医療制度は矛盾にみち,病院経営を極度の困憊におとし入れ,病院経営ははなはだ困難となり,病院管理の一大転換期にあることは異論のないところである.病院の大同団結とか,医療保険制度の抜本改正とはいっても,なかなか,医療社会の‘パラダイス’は遠い遠い所のようである.そこで,われわれはいかにして,この難関を突破すべきか.お役所仕事ではとうてい早急に解決できる目安も見いだせない.われわれの手である程度の打開策を講じなければ,明日のわれわれの病院経営の変化は回復不能の非可逆的変動まで押しこまれるものと考えられる.
 まず,その打開策の1つの方法は,病院の合理化であろう.個々の病院の経営合理化も必要であるが,さらに一歩進めて,共同事業として合理化を推進することにあると考える.緊密なる病院の団結のもとに,事業協同組合を設立し,病院経営の総合的な合理化を図ることにある.

病院と統計

傷病別などからみた受療率

著者: 前田行雄

ページ範囲:P.10 - P.11

 患者調査は,昭和28年以来毎月7月中旬の1日(退院患者については6月1か月間)を調査日として行なわれてきた施設面からの傷病調査で,全国から層化無作為抽出法によって選出された約1/10の病院,約1/100の一般診療所で調査日に受療した患者について,受療の種類,傷病名,治療費支払方法などが調査される.
 受療の種類は,入院が新入院およびくり越し入院,外来が新来および再来に分けられている.

グラフ

動く総合病院 地域公衆衛生活動を進める—公立能登総合病院

ページ範囲:P.13 - P.17

地域医療ということばが最近とみに喧伝され,その推進が病院人にとって大きな目標となりつつあるものの,実際はさほど簡単にはいかない.しかし,日本海側の農村へき地と離島をかかえながら地域公衆衛生活動に積極的に取り組んでいる総合病院がある.公立能登総合病院である.
北陸線津幡から七尾線に乗り換え,能登半島の丘陵地帯にはいる鉄道は途中で単線になり,七尾駅につく.公立能登総合病院はこの七尾市にある.市の人口は約7万.能登地区の中核を形づくっている市である.

院長生活35年,病院は今年50周年 諏訪赤十字病院長 佐藤元一郎氏

著者: 渡辺進

ページ範囲:P.18 - P.18

 まことに若々しい先生である.今回,文化の日に,勲三等の叙勲の栄をになわれたわけであるが,この叙勲にはそれにふさわしいご功績と,そのお年までご健康であられたという二重のおめでたが伴わなければならないはずである.先生のこ端麗な,みずみずしいご容姿には,もうご叙勲をお受けになるお年であろうかということを真に疑わせるに足る若さがある.お心もおからだもまさに青年で,それが私ども後進一同からも親しい兄貴として慕われる一面でもある.
 しかし先生の真骨頂はそんなことでは決してない.山形県置賜郡に生まれ,旧制二高から東大医学部をご卒業後,島薗内科にて十分研鑚を積まれ,昭和8年水蒼き諏訪湖のほとり,諏訪赤十字病院に赴任され,同13年病院長就任.以来病院長たること35年,戦中戦後の未曽有の困苦を,その赤十字に対する至誠と情熱によって乗り切られ,現在500床を擁する大病院を完成されたのである.その病院も今般全く新装なり,先生のお人柄は周辺を薫染して止まるところがない.現在,私ども94の赤十字病院病院長連盟の副会長.叙勲に先だっての総会でも,現在の病院の苦境に処すべく持ち前の熱弁をふるって統制の妙を見せられた.これは全く先生の清廉さと無私の情熱が私どもを魅するからである.心からの祝意とともに今後いつまでもいままでのようにお若くあれと念願してやまない.

話題・24

長寿は不老を伴わず—小説"恍惚の人"によせて

著者:

ページ範囲:P.24 - P.25

老人病院がことし開設されたことは日本の老人医療にひとつの歴史を画することになるだろう.時は,まさに"恍惚の人"ブームですらあるのだ.有吉佐和子のこの著の出現は何を意味し,老年とは何なのだろうか.

時評

韓国の看護婦

著者: あい

ページ範囲:P.56 - P.56

いずこの国も"看護婦不足"
 看護婦不足は日本ばかりの問題ではないようで,欧米の先進国と称される国々も不足が続いて充足に苦労している.
 なかでも西ドイツ,英国,スイスなどは著しく不足し,スウェーデンもこれに次いでいる.

精神医療の管理・11

精神病院における精神科医のリーダーシップ

著者: 猪瀬正

ページ範囲:P.57 - P.59

まえおき
 表題のようなことを書くのに適当な方は,ほかにたくさんおられるはずだし,私は具体的にそのようなことを考えたり,研究したことはないので,本稿では私の望んでいる精神科医像を書くことで許していただきたい.
 精神病院で,精神科医が果たさねばならない役割は非常に多岐であると同時に,病院の規模によっても,そのあり方はさまざまであることは論をまたない.精神病院が精神医療の1つの中心であることは今日においても変わりはない.そして,その病院がどのような性格を持つか,医療内容がどうかは,なによりも院長の考え方とその識見,そして指導力にまつものである.病院における精神科医のリーダーシップの第1は,院長職にあることはいうまでもない.どのようにりっぱな建物があっても,どれほど多くの職員がいても,いっこうに活気の出ない病院もある.それに反して,貧弱な設備と人手不足の状況でありながら,活気と治療雰囲気にあふれている病院もある.このような病院のあり方を決定する要因の最大のものは,院長の人格であるというべきである.

招待席

‘勉強する心’を守り育てた病院づくり

著者: 山本俊平 ,   冨田重良

ページ範囲:P.60 - P.68

奈良県天理市にある天理よろづ相談所病院は,その病院につけられた名前のひびきからして,‘おやっ’となにかを感じさせる雰囲気がある.この病院の草創期から押しも押されもせぬ日本有数の名病院にまでつくり上げられ先ごろ名誉院長になられた山本俊平先生に,医学・医療観から,人生観まで,広く話していただいた.

管理者訪問・56

—肢体不自由児施設・小児綜合療育病院・宮城県整肢拓桃園長—高橋 孝文先生

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.69 - P.69

 宮城県整肢拓桃園は仙台市の南西約20kmに位置した温泉郷秋保町にある.肢体不自由児施設として温泉を治療・訓練に利用できる数少ない施設のひとつである.
 先生は昭和22年東北大学医学部をご卒業,整形外科学を専攻され,24年同大学助手,28年講師に昇任された.同年12月福島医科大学助教授として赴任.31年5月当園二代目の園長に迎えられ,現在に至っている.一般病院の院長とは異なり,施設の園長は,病院の機能を十分に発揮できるように管理すると共に,学童に教育の場を提供し,義務教育機関の役割を十分に果たすことができるよう意を配らなければならないこともあって,なかなか複雑で管理しにくい面がある.これをうまくとりまとめてリードしてこられたのは,やはりもって生まれた人徳によるところが大きいように思われる.

看護管理・11

他職種とのトラブル(1)

著者: 錦織ハナ子 ,   根本豊枝

ページ範囲:P.70 - P.71

対医師・1
 最近,病院経営のむずかしさだけでなく医療に従事する者の職種が108種もあるといわれるようにライセンス所持者の集まる職場だけに,ややもするとトラブルは避けがたいのであるが,特に病院組織のなかで医師と看護婦との日常業務で惹起するトラブルの処理については,できるだけ摩擦を除いて,人間関係をそこなうことなく解決を望んでいる.一般論はさておき,当院において実際に生じた問題点,また他の病院でも経験されるであろうと思われる点を取り上げてその解決策にいたる過程を考えてみようと思う.

医療業務あれこれ事例集・11

レセプトの返戻および査定減に関する課員教育とその処理要領(1)

著者: 町支義明

ページ範囲:P.72 - P.73

誤請求を減少させるためには
 病院企業における医事課の役割のなかで,最も重要といわれ,かつ宿命的な責任業務とされているものに診療報酬の保険請求という膨大な業務(当院では毎月約1万5,000件の請求がある)がある.困ったことには,この保険請求業務というものには,きわめて,きびしい期限的制約(すなわち,社会保険および諸法関係の診療報酬については,診療月の翌月7日または8日(地方によって多少の差がある)までに請求し,国民健康保険および労災保険などは翌月10日までに国保連合会または労働基準監督署などへ請求する)が課せられており,もし当該所定の期間内に診療報酬請求しない場合は,法律によって支払いが1か月遅延することになっていることはご存じのとおりである.
 また請求した診療報酬については,審査委員会というところで厳重な審査を受け,無事に審査をパスした診療報酬についてのみ支払われることになっていることも衆知のとおりである.

検査室の窓から・11

新しい病院づくり

著者: 冨田重良

ページ範囲:P.74 - P.75

塚口分院のなりたち
 兵庫県立尼崎病院塚口分院は,尼崎病院の北方約5km,公害都市尼崎の中では比較的空気のきれいな北部の塚口地区に位置している.昭和28年,尼崎市北部や伊丹市など阪神間北部の医療機関として,また尼崎病院の結核患者の収容施設として,一般病床82,結核病床84,計166床で設立された.敷地が狭くて拡張の余地に乏しい尼崎病院を補う存在として,その後しだいに増設を重ね,尼崎市立伝染病棟(60床)や兵庫県立厚生専門学院も隣接して設けられ,昭和43年には病院近代化(鉄筋化)の第1期工事も終了して300床となった.
 病院が大きくなるにつれて,行政的に本院より独立し,分院とはいうものの独立した1個の県立病院になり,生みの親である尼崎病院N院長が分院長を兼ねてはおられたものの,両院間の連絡も円滑を欠き,いろいろな悪条件下,分院の経営状態はしだいに悪化傾向をたどっていた.

病院史のひとこま

‘人間ドック’ことはじめ—昭和29年のできごと(2)

著者: 守屋博

ページ範囲:P.77 - P.77

いよいよ本番
 そこでいよいよ本番にはいるわけだが,当時東一では,常に満床で空床待ちの患者が2倍以上いたので,ドック患者をスケジュールどおり入れることができない.そうなると手をあけて待っている先生方にたいへん失礼なことになる.どうしても固定ベッドをもって,しかも同一曜日にはいって同一曜日に退院させる必要があり,しかも一般患者の平均収入を下回らぬという条件がつけられた.週1回にするか2回にするか議論されたが,はじめてのことでもあり,週1回,月曜に入院,土曜退院ということに決まった.外来ドックも考えないではなかったが,当時の交通事情では,時間どおり来てもらえる確信がないので見送ることにした.
 内科病棟のいちばんはずれに,ちょっと離れた2床室があって,とりあえずそれを使うことになったが,看護チームにいわせると,本来の看護行為は少ないが,検査の前後の処置が多いし,ことに各科外来や検査室に時間どおり案内するという責任があるので,全く異質のサービスであるというのである.私もそのとおりであると思い,2床のために専属の熟練した看護婦を投入することを考えた.しかし国立病院の組織では,そんなことができるはずもないので,室料差額ということで患者に負担してもらう計画をたてたが,それも国庫にはいってしまうので自由にならない.

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第1回日本病院設備学会の開催

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.78 - P.79

学会開催への道のり
 日本病院設備協会は,昭和28年に創立された.わが国で病院管理が芽ばえたのが昭和23年であるから,病院に関する団体としては古いもののひとつである.そして昭和34年からは機関誌‘病院設備’を刊行し,地味ではあるが,着実な歩みを遂げてきている.
 この協会の目標は,病院の近代化の推進の一翼として,病院の産業革命を目ざしてきたが,ときにはメーカーの同業者団体ではないかと誤解されたこともあったようである.しかし本来はメーカーと病院側の共同により,病院設備の向上を図るのが目的であり,それが見学や講演会,さらに機関誌の発行ということで示されてきた.今回その意図をいっそう明確にし,病院設備への関心を深め,研究を進めるということで,学会を開くことになった.

中央手術部の理念と研究課題

著者: 高木忠信

ページ範囲:P.105 - P.108

病院機能の中央化の中での手術室はどうあるべきか.東大医学部中央手術部の歴史を,将来の展望にもふれてお書きいただいた.

訃報

武蔵野赤十字病院事務部長 森 直一 氏を語る

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.79 - P.79

 武蔵野赤十字病院事務部長の森 直一氏が入院中,亡くなられた.昭和47年11月5日である.享年65歳.病院界から明治生まれの指導者がまた1人消えたわけだ.
 森さんが厚生省の国立公園課長,同統計調査部指導課長などを経て武蔵野日赤の事務部長に転進されたのは昭和34年で,ちょうど日本の病院が近代化と経営上の苦難の両道に踏み込みはじめたころだった.以来約14年間,エピソードのないのがエピソードといわれる謹厳剛直の生涯を,文字どおり病院のために捧げたのだ,とくに,昭和35年,36年に国じゅうを吹きまくった大争議の嵐は,森さんにとっても大きな試練だった.受身でなく常に一歩踏み出して事に当たる森さんは,神崎院長を助けて,まともにその嵐に対向した.森さんはその後も,病院管理者として同じその姿勢を保持し続けたのだ.日本病院協会の地方勉強会では全国に足跡を残し,また厚生省病院管理研究所でも講師をつとめるなど,その日本の病院界に果たした功績も大きい.

病院建築・46

香川県立中央病院

著者: 浦良一

ページ範囲:P.81 - P.86

はじめに
 本病院の改築計画および保健衛生センター(着工昭和41年3月)の設計を始めてから既に数年の年月が経過し,本年8月ようやく病棟竣工によって全体の完成をみたので,その機会に本病院の建築計画を紹介し,あわせて設計の経過をふり返り反省したい.
 本病院の建築のためには副知事の主宰する建築委員会が設置されたが,企画設計には次の者が参加した.

私的病院からのレポート・11

—名古屋市・岡山病院—個人病院の特殊性をどう生かすか

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.88 - P.95

 はじめに6階の講堂へ案内され,岡山病院のカラー映画(22分)をみせていただいた.残念ながら映画を再映することはできないが,ナレーションのあら筋から画面のほうをご想像いただきたい.

座談会

公立病院のこれからのあり方

著者: 沼正三 ,   弓削経一 ,   長島三郎 ,   森日出男 ,   奥田幸造 ,   矢野輝男

ページ範囲:P.96 - P.104

いまわが国の公立病院は,その体質の面で,また経営の面で一つの岐路に立たされているといわれる.今後,真の地域医療を実施していく上で,官公立病院はどのような機能的役割を果たさなければならないか,現状を省みつつ,将来の方向をさぐっていただいた.

研究と報告【投稿】

病院事務長に関する研究—2.事務長の任免および人事交流

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.109 - P.113

はじめに
 病院の経営が困難さを増し,病院管理が複雑になってきている今日,特に病院事務長のあり方が問われるようになってきた.第18回日本病院学会(昭和43年)の専門部会において,‘病院事務長はいかにあるべきか’というテーマのもとに議論がなされた.
 ひとつは人事とか財政の面について,事務長のあり方が問われたのであるが,自治体病院の場合を例にとると一般に地方出先機関として病院が設置され,したがって人事や財政に対して開設者に強力に干渉されるということである.たとえば,‘事務長の任免は行政部と一体的な人事によって行なわれ,一般行政部との交流が激しく病院事業の特殊性が無視され,行政優先の考え方から事務長職は1つのポストとして利用される傾向さえある’という尾口平吉氏の発言があった.また人事交流については,関谷友一郎氏によると,‘自治体病院の事務長の人事は,都道府県を越えて,病院間に交流すべきである’としている.

霞ガ関だより

人工透析の実態調査結果

著者: R.N

ページ範囲:P.114 - P.115

はじめに
 厚生省医務局では,腎不全対策のための基礎資料を得るために昭和46年9月に人工透析に関する実態調査を実施した.調査の対象は,調査日現在において人工腎臓を備えているすべての病院および当該病院に調査期間中に人工透析による治療を受けたすべての患者であった.調査期間は昭和46年9月6日(調査日)から12日までの1週間とし,調査方法は‘調査票’によったが,‘施設調査票’は病院の管理者が自計作成し,‘患者調査票’は病院の管理者が必要に応じ患者に面接のうえ,調査作成した.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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