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雑誌目次

雑誌文献

病院31巻13号

1972年12月発行

雑誌目次

特集 豊かさの中に取り残された病院

豊かな社会の中での病院の貧しさ

著者: 大渡順二

ページ範囲:P.22 - P.25

医療を侵す資本の論理
 ‘豊かな社会の中での病院の貧しさ’は,社会的病弊の中で正しく位置づけて考えるのでなければ何の建設にもならない.
 病院はその病院だけであるのではなく,病院をとりまく数多くの医院,診療所とともにあるのであり,また周囲の地域社会との密接な関係においてあるのであり,また,周囲の病める社会の中の医療的な中枢として機能しつつあることを忘れてはいけない.

豊かな社会の中の若者たち

著者: 二木宏二

ページ範囲:P.26 - P.29

最近の若者は外国人と思えの時代
 ‘最近の若者は外国人と思え’といったのは,たしか経営学者の野田一夫氏である.1960年代後半の‘大学の反乱’以来,社会の各層で,現代の若者の問題が,大きく脚光を浴びた.しかし,この野田氏のことばに代表されるように,その騒ぎの大きさの割には,若者に対する理解が深まったとはお義理にもいえないようだ.
 むしろ最近では,新旧世代間の断絶や相互理解のむずかしさを思い知らされ,お互いの間にシラけたあきらめムードが強くなっているようにさえ見える.この裂けめが,ますます大きくなるとしたら,同じ社会に生きる人間として,これほど不幸なことはあるまい.とくに1つの企業体とか団体といった小さな組織体のなかで,こうした裂けめが拡大してゆくことは,その組織体にとって致命的な事態をまねくことにもなりかねないだろう.

ディスポーザブル化の中にみる病院

著者: 山口寛人

ページ範囲:P.30 - P.32

‘建物’はいちばんやっかいなディスポーザブル
"この頃は世をあげて使い捨て時代となりました.それだけ社会全体が豊かになってきたということでしょう.病院の中でも年々ディスポーザブル物品の使用がふえてきていると思うのですが."
"そうですね.経済性の問題もあって,まだ米国ほど普及してはいませんが,遠からず日本でも米国なみになるでしょう."

座談会

病院経営のモジューラリズム

著者: 渡辺進 ,   太田清一 ,   石原信吾

ページ範囲:P.34 - P.43

 十年一昔ということばも,まにあわないくらいにスピードと変化の世の中になっています.この時代の荒波に呑みこまれてしまわないために発想一新の必要がありはしまいか.たとえばこのモジューラリズムという考え方…….

病院と統計

原材料生産性・資本生産性・設備生産性

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.10 - P.11

原材料生産性
 病院において原材料といえば,大まかには材料費である.一般生産企業であれば,電気・ガス・水とか,燃料なども原料としてあげるのであるが,病院において原材料生産性を測るというときは,これらを考慮していない.
 その理山は,生産性とは,前述のごとく,投入犠牲と産出効果とを比較することで得られるのであるが,病院においては,光熱水とか燃料は,医療における直接的な産出物を生み出さない.つまり,out putを測ることがむずかしいためである.

グラフ

県民と密着したがん制圧を目標に—千葉県がんセンター完成

ページ範囲:P.13 - P.17

 千葉県では,年間約3000人もの命が,がんのために奪われている.昭和33年,千葉県がん対策審議会が結成されて以来,千葉県がんセンター’の構想もようやく実現に移され,着工以来3年めを迎えた本年11月1日,開院披露がとり行なわれ,いよいよ患者の診断・治療にのり出すことになった.総事業費30億円という巨額の県費を投入して建設されたこのセンターは,元の国立千葉療養所跡の5万3000m2の広大な敷地に,地上6階・地下1階,200床をもつ,モダンな建物である.10億3000万円は器械設備に回されたというが,とくに放射線部門の充実はすばらしいもので,‘がん制圧’への体制はすっかりと整ったようである.

初秋の京都で華やかに—第5回世界麻酔学会開かる

ページ範囲:P.78 - P.81

 9月17日から7日間,初秋の京都の国立京都国際会館において,第5回世界麻酔学会が開催された.世界麻酔学会は,1956年オランダのシェベニンゲンにおいて第1回が開催され,そのさい世界各国の麻酔学会を統一する世界麻酔学会連合(The World Federation of Societiesof Anaesthesiologists)が結成され,今後世界麻酔学会を4年ごとに開催することも決定された.この決定に基づき第2回はトロント(カナダ),第3回サンパウロ(ブラジル),第4回ロンドン(英国)と開催され,このロンドンでの学会で第5回学会は東京で開催することが満場一致で可決された.
 こののち会長・山村東大教授,組織委員長・稲本京大教授ほか13名の組織委員と,万博の経験のある松山事務部長らを迎え,4年間にわたり企画,準備をして開催にいたったものである.今回の参加者は64か国から約3000名,うち国内からの参加は500名であった.

兄弟がひとりふえた喜び—千葉県がんセンターの開所を祝して—千葉県がんセンター長 福間誠吾博士

著者: 今永一

ページ範囲:P.18 - P.18

 30億の巨額と3年の歳月をもって建設されました千葉県がんセンターの開所式が,去る11月1日に行なわれ,私も列席の栄を与えられました.そのさい私は,千葉県がんセンターは愛知県がんセンターのよいところは全部取り入れて,足らないところは補って,理想的に作られていることをみまして,これは,センター長の福間博士が3年間愛知県がんセンターのよいところ,悪いところを知りつくした結果つくり上げられたものだ,と思いました.
 福間博士は肺癌外科の権威者で,私は先年愛知県がんセンターの肺癌治療の基礎をつくっていただきたいと思って,千葉大学より無理やりに引っ張ってきたのであります.おかげで,愛知県がんセンターの胸部外科の基礎もかたまり,福間博士のご努力に対して,私はいつも感謝しているのであります.

病院図書館

—日本病院協会 編—「監督者のために」

著者: 鈴木郁子

ページ範囲:P.24 - P.25

鮮やかですがすがしい読後感
 戦後日本の経済発展とともに,各企業はその生産活動の過程の中で,機械化の開発とともに従来の組織機構を一大飛躍的に発展展開させた.とくに,その人事管理について,その組織が民主化を求め,能力主義を追求することもあって,アメリカの組織管理に学ぶところ大であったといわれる.
 戦前戦中,封建主義の形態にあった日本が,とくに技術職の中に,徒弟制度を強く残し,最後まで,その封建制を残したのが病院である.こうした病院のあり方が,世相の発展にずいぶんと立ちおくれて,前近代的組織として,敬遠されたのも最近のことである.

—R.E.ウォルシュ 著—「アメリカの地域病院」

著者: 弓倉藤楠

ページ範囲:P.62 - P.62

アメリカの医療問題を深く観察
 著者R.E.ウォルシュはボストン・グローブ社の記者である.彼はこの本の取材のため広く全米をかけまわり,多くの病院を訪れて医師,病院管理者,その他の医療関係者と対話するとともに,医療に関するさまざまの委員会の勧告を調査し,かつまた医療制度の歴史的変遷にまでメスを加えて,アメリカの医療問題を幅広く立体的に解説している.章を追うごとに読者の興味はいやが上にも高められてゆく.足で歩いて全米を取材しているため,読者はあらゆる地区の病院に案内され,数多くの管理者の説明を受けているようである.アメリカ地図を広げて文中の病院所在地を追ってゆくと,見学旅行の気分にもひたれよう.
 著者はまず,第1章‘5人の患者’で,それぞれ経営体の異なった病院に入院した5人の患者を取り上げる.そしてふだんは病院について無関心であっても,いざ患者となると医療費や看護婦に関心を持たざるをえなくなるものであり,読者が,年間8人に1人の入院患者にいつなんどきなるかもしれないという,関心を高めることから書き起こしている.

—大段 智亮 著—「看護の中の人間」

著者: 可知董子

ページ範囲:P.105 - P.105

お互いが人間的成長につながる人間関係を!
 著者との出会いは,いつだったかおぼえていないが,たぶん講演会であったと思う.‘わたしの苗字は,オオダンです.黄疸という病気にまちがえられて……’私は笑うに笑えず,困ったことを,今思い出している.
 この本は,著者が看護人間学教室という小人数の学習会を,看護婦や保健婦を対象に各地で開き,その経験をもとに看護についての考えをまとめたものである.

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秋の学会より

ページ範囲:P.33 - P.33

医療と医学教育のあり方をむすびつけて最近の医学教育学会
 病院医療に関連のある学会・研究会が数多くある.日本医学教育学会もその1つといえよう.小世帯であることをむしろ生かした研究活動が続けられている.
 ことしの学会総会(8月)も,東工大電子物理工学科の末武氏に‘教育工学の実践について’との特別講演を依頼し,医学教育の‘カベ’を突きくずそうという積極さをみせ,さらにチャッカリタイプの学生がふえているなかで‘学生の自主的勉学態度を促進する教育方法’とは何か,地域における生涯教育の実践例などの諸問題につき討論された.

読者の声

著者: 津田順吉

ページ範囲:P.68 - P.68

聖フランシスコ病院長の教示(7月号より)——病人ファーストという考え方——
 ‘病院’という雑誌を創刊号からながめている.ことに最近の20年間はながめるばかりだった.
 それは内容が次第にむずかしくなってきたので理解ができなくなったからで,読めなくなったのだ.しかし,3年に1度,2年に1度,1年に1度くらいは,私にも理解のできるものがあって,このときの喜びは,金銭にかえがたく,30年の年月のかいがあるというべきであり,全く物の用にもならぬ片隅の老医も何かを申し上げたくなる.よし一冊の雑誌でも読めもせず,私だけのために書棚に積み重ねておくことの恥しさから,せめてもと,私より貧しい町の保健婦さん方に見ていただき(私同様読めぬかもしれないが),そして1年分をとりまとめて,大学の歯学部図書館にお贈り申し上げてはいる.せめてものなぐさめだ.そして1冊700円もする7月号で秋月・岩佐の対談の教示を頂いたのだった(招待席‘被爆地にとどまって診療しつづけた25年’p.64).私は秋月院長を知らなかった.日本医師会雑誌に杉靖三郎(この人の力も大きかったと思う)の書評が4,5行出ていたのも知らなかった.ただ,朝日グラフの最後の頁の‘わが家の夕めし’で秋月院長の白髪頭の写真と談話を見ていた."青年期に,姉妹ふたりと私も結核になった.魚をみるとまくらを並べた病床を思う"ということは,何かへんてこりんな院長だと思った.

高島平ニュータウンに医師

著者: 本誌編集部

ページ範囲:P.82 - P.87

 板橋区医師会病院が‘オープンシステム病院’という方式をとってはじめておめみえしたのは,昭和41年のことである.場所は同区大和町,石神井川のそばであった.しかし,すぐに氾濫するこの川の改修工事が開始されることになり,かねてより計画のたてられていた同区高島平への移転が進められたわけである.
 高島平は,人口2.5万を擁する都内随一のニュータウンとして,日一日とその全貌をあらわしつつあるが,3年後には付近の住民も入れると56万人という,驚くほどの居住者をかかえることになる.この地区の中心地,銀行や郵便局などのたちならぶ‘官庁街’の一角に,8階建,100ベッドの板橋区医師会病院がオープンした.

「病院」 第31巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

時評

公害病・難病の公費負担と医療機関側の事務繁雑化

著者: てん

ページ範囲:P.44 - P.44

アメリカの友人のことば
 アメリカの友人が会うたびに‘医療費が高いアメリカからみると皆保険で安く医者にかかれる日本がとてもうらやましい’といっている.社会保障制度の中に医療費の組み込まれていないアメリカでは,医療費はドクター・フィーとホスピタル・フィーと別々に請求されて非常に高額なものになっている.しかしその医療の質はきわめて高い.このために民間の医療保険が発達し200種余りのものがあり,経済に少しでも余裕ができれば,個人的に加入し,有事に備えている.
 一方わが国では,戦後社会保障制度の確立を目ざし,年々改善されていくなかで,医療に関する保障も増大し,政府または組合による健康保険・国民健康保険を中心にして,現在30種近い公費負担制度があり,国民の健康をより安い医療費で社会的に保障する努力が行なわれ,さらに公害・難病に対しても公費負担を拡大し医療費の負担に悩んでいる患者の社会的救済を強力に進めようとしている.

精神医療の管理・12 臨床心理員(CP)の業務

1.CPの歴史と現状

著者: 秋山誠一郎

ページ範囲:P.45 - P.50

はじめに
 精神科施設の管理的な立場にある方がたは,心理学ということばを聞かれたときにどのようなイメージを思い浮かべられるであろうか.旧制高校や大学予科で聞いた,当時の心理学を想起し,およそ生きている,生活している人間の問題とはかけ離れたことがらを扱っている,おもしろくもない,精神科医療とは関係のない抽象的な学問というようなことが浮かんでくるかもしれない.あるいはまた,心理学というとただちにテストを連想されるかとも考えられる.
 だが,ここで取り上げてゆこうとしているのはそれと趣を異にした分野である.臨床心理学ということばを聞かれたり,目にとめられたりした方がたもおられると思うが,その臨床心理学と心理学的な臨床の活動のことについて紹介してゆきたいと思う.

2.一私立病院におけるCPの役割—新武庫川病院心理室小史および今後の展望

著者: 松永一郎 ,   久野能弘 ,   木下功

ページ範囲:P.50 - P.53

はじめに
 現在,われわれ新武庫川病院臨床心理室は,対外的にも内部的にも大きな変動期にある.去年11月22日に学校法人兵庫医科大学が認可され,森村茂樹院長が理事長に就任したことは周知のとおりであるが,武庫川病院の発展に伴って,現在の新武庫川病院心理室の母体たる武庫川病院心理室は,種々な変遷をたどってきている.すなわち,34年に新武庫川病院が設立され,その後,新武庫川病院が総合病院の形態を整えるに従って,武庫川病院心理室は精神科医局から独立し,心理部として各科の臨床心理的アプローチの要望に応えてきた.
 そして,去る46年4月に至り,医大設立の動きに伴って20年に近い歴史をもつわれわれの心理室は,新武庫川病院に移転し,新たな歩みを始めているのである.編集部からわれわれに与えられたテーマは,われわれの病院の心理室の現状を報告せよとのことであったが,上述のように,われわれは,なお病院全体の機構の変動の中で,非常に流動的な位置にある.

私的病院からのレポート・12

—東京清瀬市 織本病院—院内テレビ局をもつ病院—織本正慶院長に聞く

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.54 - P.61

 東京のはずれ,埼玉県との県境にある町,清瀬は,国立療養所東京病院をはじめとして,数々の結核病院が林立する結核療養所の町であった.一昨年市政が敷かれ,ベッドタウンとして発展をとげているところである.
いわゆる‘病院街’とは反対の方角,駅から旭が丘団地行きのバスで約15分,まだまだ緑の豊かに残っている場所に,真白の4階建の病院がある.結核を主力にして発展してきた病院だけに空気のきれいさはバツグン.しかし,天は二物を与えずのたとえどおり,交通の便は少々悪い.こうした状況をいかに克服するかが,これからの課題である,人工腎臓センター,呼吸器センター,熱傷センターの設置により,力強く広域を相手とする病院へと踏み出したその成果が楽しみなところである.

病院建築・47

星ヶ丘厚生年金病院リハビリテーション部

著者: 博田節夫

ページ範囲:P.63 - P.68

はじめに
 星ケ丘厚生年金病院の前身である健康保険星ケ丘病院は,昭和28年,結核療養所として設立され,時代の変遷とともにその存在価値がうすれ,メディカルリハビリテーション病院として再生した過程については,本誌29巻7号においてすでに鏡山前院長により発表されている.病院は大阪と京都との中間にある枚方市に所在し,国道1号線枚方バイパスに面した丘陵地帯に位置している.
 リハビリテーション病院としてのプランニングは昭和44年に始まり,大幅な遅延をみて,昭和47年4月に本館が完成するに至り,同年7月に新病院の開院のはこびとなった.

管理者訪問・57

国立療養所青森病院長 沼畑 哲三 先生

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.69 - P.69

 温泉の町,浅虫は,今では青森市の一部となって,別名東北の熱海などともいわれ,観光地としても知られている.国立療養所青森病院はこの浅虫町内で,日本海に面した高台の風光明媚な所にある.当院は旧国立療養所臨浦園であったが,今年7月に国立青森療養所を統合し,国立療養所青森病院と名称も改められ,その初代院長として就任されたのが沼畑先生である.
 先生は,東北帝国大学医学部を昭和12年にご卒業,内科学(結核)を専攻.卒後まもなくして,日支事変のため軍医として召集された.17年に帰国され,一時東北大学抗酸菌病研究所に籍をおきその後3年間釜石製鉄所病院に勤務した.22年日本医療団結核療養所臨浦園に3代めの院長として招かれ,この7月までその任にあたられたのである.

看護管理・12

他職種とのトラブルの処理(2)

著者: 池田ヤス子 ,   鈴木イチ

ページ範囲:P.70 - P.71

対食養科
 病院に従事する職種の中で看護部門ほど他部門と連けいの多い職種はないが,そのなかでも食養科との関連は大きな位置を占めるものと考えられる.当院においてもかつて食養科との間に幾多のトラブルがあり,看護科としてはこの解決策として給食の中央化を強く希望し,幾度か食養科と話し合いを持ったが,設備,人員,病棟配列などの問題があって,なかなか実現がむずかしかった.
 昭和45年5月,当院の改築を機会に看護科のかねての懸案であった給食の中央化を強力に推進してその実現をみた.以来給食に関する問題は漸次減少して,現在トラブルらしきものがほとんどみられなくなった.

医事業務あれこれ事例集・12

レセプト返戻および査定減に関する課員教育とその処理要領(2)

著者: 町支義明

ページ範囲:P.72 - P.73

前号からつづく
 なお,これらのシステムと併行して業務関係の面についても,現在までいろいろと改善を加えてみた.
 たとえば,当院のレセプト返戻理由のなかで最も件数の高いものに,該当者なし,記号と保険者名の不一致,保険者名不備,記号番号不備,というものがあったのでこれらの誤りを少しでも減少させるために,その発生原因を調査検討した.改善前には,中央受付部門新患業務の一部(カルテおよび会計カードの作成)を業務分散させ診療科の受付係に行なわせていた(理由としては,従来から当院では各科カルテシステムを採用している関係で医事課員を診療科の受付係として配置しているので,受付係を活用することにより中央受付部門の定員を節減することと,もう1つは業務量の均衡化をはかる目的があった)ため,受付係としては,再来の受付,カルテの抽出,患者の相談,諸法の手続き,電話応対などの業務をサバキながら合間をみて新患のカルテやら会計カードの作成をしていた.

検査室の窓から・12

医療効果の方程式

著者: 冨田重良

ページ範囲:P.74 - P.75

病院診療の特異性
 6年余りの尼崎病院生活から得たこと,考えたことを,これまで1年間にわたって書かせていただいた.何よりも痛感するのは‘病院医療は医師の力だけでできるものではない’ということである.今まで多くの病院を見学させていただいたが,医療内容の高度な病院では,必ず医療補助部門も充実していた.いや,そういう病院だからこそ,すぐれた医師が集まり,かつ育つ,といったほうがよいのかもしれない.
 現に尼崎病院でも‘検査室が充実しているから’という理由で勤務を希望された医師たちが多数おられるのである.看護部門の重要性はもちろんいうまでもない.そしてこれらの部門といえども,病院組織の複雑な網の目を通して,院内他部門の助けを受けている.したがって,病院職員のごく一部の機能の低下といえども,たちまち全病院の働きに影響する.

病院史のひとこま

病歴中央化に踏み切る

著者: 郡勝

ページ範囲:P.76 - P.76

 病歴中央化の発足について書けと,編集子からいわれた.病歴中央化について自分のとった道が完成したとは決して思っていないし,形は中央化であっても内容的にまだまだであるが,初期の作業に携わった者として主題にそって発足の状態をありのままに書いてみる.

座談会

国営医療の変貌—英国の現状から

著者: 赤倉一郎 ,   若井一朗 ,   若松栄一 ,   松田忠義 ,   村上衛 ,   紀伊国献三

ページ範囲:P.88 - P.95

英国に国営医療(National Health Service)の制度がしかれたのは1948年のことであるから,すでに24年の歳月を経たことになる.わが国の保健医療政策の手本として,そちこちで例をひかれる英国の医療制度であるが,激しい世界の動勢の中で,これらがどう変わり,あるいはどう補正されているか—現地で視察にあたられた諸氏からお話いただこう.

卒後教育

卒後医学教育のあり方

著者: 弓削経一

ページ範囲:P.96 - P.100

医師は生涯教育だといわれているが,それがことばだけに終わることのない,背景と基盤を作ることが必要であろう.とくに卒後医学教育の重要度は高い.この論文は72年5月27日,第3回京都府立医科大学同窓医学会での講演をお寄せいただいたものである.

研究と報告【投稿】

病院事務長に関する研究—3.病院事務長の給与

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.101 - P.105

はじめに
 病院事務長の給与は,一般にいくらなのか,またいくらであるのが妥当なのかということは,なかなかわからないものである.そこで,現在病院に勤務している事務長の給与を調査し,比較検討することが必要となってくる.ところが,病院関係の医師や看護婦について給与調査1-10)をする場合はこれまでにも何度かあったが,事務長についての給与まで,調査をするということはあまりにも少ない11-13).当教室においても10年前に調査をしたことがあるが,それ以後今度で2度めである.
 そこで今回は10年前の資料をも参考にしながら分析を試みた,特にわが国の給与体系は14-16),一般に年齢や学歴などが考慮されている年功序列型の給与体系になっているので,この点についても考慮して分析をした.

貯蔵品の払い出しと経理

著者: 大野武雄

ページ範囲:P.106 - P.108

物量消費高の算定と貯蔵品伝票
 医療サービスという事業も,多種多様な在庫品をもち,その消費のウェイトがかなり高い.だから一般的に継続記録法をとらなければ理論的な原価管理ができないことは,いうまでもない.この小論は貯蔵品伝票と貯蔵品受払カードを使用し,加えて予定払出価額制を導入して能率的な物量消費高の算定方法を追求しようとするものである.
 ところで物量消費高を正確に把握するためには,必要とする部門が物品を請求し,それと引き替えに物品を交付する方法がとられるのであるが,その請求書が能率的に物品受払台帳に継続記録され,経営管理上必要とする使途別に消費高算定ができなければ意味をなさない.

霞ガ関だより

医療システムの開発

著者: J.K

ページ範囲:P.110 - P.111

医療需要の増大
 医療の必要性,重要性は,大古の昔から人類の歴史とともにあったわけであるが,ごく近年に至るまでは,医療は治療を意味することばとして一般に用いられていた.しかし,医学医術の進歩と社会経済情勢の変化は,医療の概念を改変させ,いまや治療のみならず,疾病の予防,健康の増進からリハビリテーションを含むものが医療(いわゆる包括医療)の名の下に国民から求められている.
 しかも,かつてのように専門家による医療の供給が一部上流階層に独占されるといったことが許される時代でなく,すべての国民が適切な医療を受ける機会を与えられなければならないという至上命令がある.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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