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雑誌目次

雑誌文献

病院31巻5号

1972年05月発行

雑誌目次

特集 看護の独立を考える

総婦長制度のいきさつ

著者: 金子光

ページ範囲:P.22 - P.25

長く続いた医師への従属
 ‘医師の行なう診療を補佐し,医師の命令に従って医療処置を行なうものが看護であるという看護に対する概念は,長らく世界的なものであった.
 わが国においては,男女の社会的格差の影響もあって,いっそうこの関係は強められ,看護は診療に隷属するものとすら考えられてきたその歴史は長い.

"看護の独立"が意味するもの

著者: 吉武香代子

ページ範囲:P.26 - P.30

 ‘看護の独立’ということがいわれはじめてすでに久しい.昭和23年の保健婦助産婦看護婦法の施行前は,看護は診療に従属し,看護の独立はなかったといわれている.しかし,私どもが‘看護の独立’を得たといわれてから,既に20余年が過ぎた.この間に,私どもが得た‘看護の独立’とは何であったろう.このことばは,医師によって,またその他の医療関係者によって,更に何よりもまず看護婦自身によって,どのように理解されているだろうか.そしてまた,20余年のうちに,その理解の内容に変遷はなかっただろうか.
 ここでまず,‘看護’ということばの使い方を限定しておきたい.バージニア・ヘンダーソンによれば,看護とは健康・不健康を問わず,個大に援助を与えることであるといわれる.しかし,看護婦の援助を最も切実に欲しているのは患者である.そこで,本稿においては看護を主として病院における看護に限定し,病院の中で他の医療関係者とともに働く中での‘看護の独立’に焦点をしぼって考えたい.

病院組織と看護

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.32 - P.36

まえがき
 ‘看護の本質’とか‘病院組織における看護のあり方’とか‘医師と看護婦の関係’とかいうテーマほど,病院および看護関係者の間でくり返し問題とされ議論されてきたテーマも少ないであろう.くり返し問題とされてきたということは,それだけ問題としての重要性があるからであり,またくり返し議論されてきたということはそれだけ問題の内容が困難であるためと推定される.つまり,非常に重要な問題でありながら、それに対する明確な結論がなかなかえられないのである.われわれは,まずその点を問題にする必要がある.なぜ,20年以上も議論されていてなお結論がでないのか.そういう点の考察なしに,いくら議論をくり返していても,そこに事態の新しい展開は期待できないのではなかろうか.
 では,なぜそこでは議論がくり返しに陥って発展に向かわないのか.私は,議論が問題の根底を離れた表面的なところで行なわれているためではないかと考える.問題の本質と,その本質を構成する要件を根底的に把握する.もし,そういうことなしに議論がなされているとすれば,いつまでたっても結論がでないのは当然である.問題の内容がむずかしければ,その結論は容易にはでないであろう.しかし,そうであればあるほど議論の発展性が要請される.一歩一歩議論を発展させながら結論に向かう.それ以外に方法はないはずである.とすれば,議論に発展性を与えるものは何かという問題をまず考えなければならない.

医療チームとしての看護

著者: 川北祐幸

ページ範囲:P.38 - P.41

看護の独立を考える
 わが国における看護の歴史は多くの本に書かれており,皆がよく知っているところである.そしてこの大きな歴史の流れには2つの変換期があった.
 日本の看護も欧米のそれと同じように,宗教にその源を求めるなら,6世期から8世期にかけて聖徳太子や光明皇后の仏教を基盤にした救済事業の施薬院,悲田院などの設立された頃から,職業的・専門的看護が生まれたといえるであろう.しかしこれらの制度は断続的に細々と続きはするが永続きせず,16世期に至り,フランシスコ・ザビエルがキリスト教の宣教師として来日,まもなくルイス・アルメイダが来朝,洋式医学が輸入され,育児院・病院などがつくられてくる時代になり,1555年には洋式の育児院・病院を建てているが,織田信長,豊臣秀吉あるいは徳川幕府のキリスト教に対する政策につれて繁栄と衰退のくり返しを続け,一方庶民の間には今日の看護の仕事に最も近い産婆という職業を専門にする人びとが生まれ,明治期を迎えるわけである.このようにこの間わが国における医療は一貫したものがなく,時の為政者によって左右されてきた.

"看護婦崇拝論"(賀川豊彦著)を読んで

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.42 - P.43

精神的なこと
 看護という仕事は,人のいのちをあずかるということで尊いものであるということは,だれでも認めている.そこで看護婦は尊敬されるべき職業であるということも当然である.
 しかし看護史をふり返ってみれば,看護婦は必ずしも尊ばれていたわけではない.近代看護がそれを乗り越えて,看護内容を科学的にし,看護婦の地位を向上させたことは事実である.しかし一方では,看護婦が技術者として,あるいは労働者としてとどまろうという傾向はないであろうか.そうでないとしても,現在のわが国において,看護婦を崇拝するということを正面きって言うことができるのだろうか.

座談会

"看護の独立"とはなにか

著者: 今村栄一 ,   大森文子 ,   砂原茂一 ,   川島みどり ,   岩佐潔

ページ範囲:P.44 - P.54

 ‘看護の独立’が看護婦のスローガンとして掲げられて既に久しい.医師の手足のごとく使われてきたという今までの歴史を顧ると,これにかけた看護婦の悲願もわからぬではないが,‘独立’と名のるほどの業務の確立がなされてきたのであろうか.医療を分担する医師やその他のスタッフにはさまれて,あえて‘独立’を主張する根拠を掘り下げてみよう.

病院と統計

在院期間からみた入院患者の動向

著者: 前田行雄

ページ範囲:P.10 - P.11

 3月号では,患者調査によって患者数と受療率の動向を観察したが,同調査では,このほかに6月中の退院患者についての調査も行なっている.退院患者の総数は,病院報告によって知ることができるが,患者調査では,患者の性,年齢,傷病の種類,在院期間,治療費の支払方法なども知ることができる.
 3月号で紹介した患者調査の入院患者数は,45年7月8日中に医療施設に在院していた入院患者数であって,これは7月7日以前から病院に在院していた患者数(繰越入院患者数)と7月8日に新たに入院した患者数(新入院患者数)とに分けられる.繰越入院患者数は,7月8日午前0時現在の在院患者数に相当するので静態統計であり,新入院患者数は,7月8日午前0時より7月9日午前0時までの間に発生した新入院患者数であるから動態統計である.また,これから紹介する退院患者数も,6月1か月間に発生した退院患者を取り扱っているので動態統計である.一般に,新入院患者についての統計が,より最近の発病状況をあらわすのに対し,退院患者についての統計は,新入院に比べて傷病名がより正確なこと,在院日数を知ることができることなどが,その特色ということができよう.

グラフ

医療はだれのためにあるのか—佐久総合病院

ページ範囲:P.13 - P.17

佐久の農民のいのちと健康を守つて
 敗戦の色濃くなった昭和20年3月,若月後一氏が外科医長として空襲の東京から赴任してきたときには,この佐久総合病院も,開設してまだ4年あまり,20床をもってはいたが,まだ1人も入院患者を入れたことがない,という病院であった.氏が赴任して3か月めに,乳がんの手術をしたという."おそらくあれが佐久地方における大きな手術の最初ではなかったでしょうか"と語っておられるが,南佐久郡23か町村,二十数万人の人にとって,初めて近代医学の恩恵が分かち与えられたのである.
 "新しい日本の再建のために,山の中で農民のために働かないか"という恩師大槻先生のことばは感激して,喜びに似た緊張感を抱いて"豊民のためにしっかり働こう…"と決意した氏のそれからの活動には,まことに目を見張るものがある.よき理解者,よき協力者に恵まれたこともあろう.

妥協を排して前進する人 佐久総合病院長 若月俊一氏

著者: 大槻菊男

ページ範囲:P.18 - P.18

 私の東大時代のおおぜいの弟子のうちでも,若月君はきわめて誠実で,正義感が強く,そして信念に忠実な人であった.とくに,世の中を見る目が鋭く,理論も明快であった.戦争中のことで,周囲から思想の点でいろいろ言って来たこともあったが,同君ははじめから私の教室にいて,どこまでも信頼のできる人であることを知っていたから,こちらからは,いっさいああせいこうせいと言ったことはなかった.
 昭和20年の春,1年間の拘留から釈放された若月君を今の佐久病院に行くようにすすめた時,"君のような人が後に残ってやってくれなければ,これからの日本はどうなるか"というようなことを言ったことを覚えている.その後,上京のついでに時どき尋ねてきてくれたが,戦争がはげしくなっていたころで,いつも玄関で立話をするだけで帰って行った.以来ずっと,大いにやっているなと思って遠くから見守ってきた.若月君は,ひたむきで,正しいと思ったことにはいっさいの妥協を排して前進する人だから,戦争中に一度尋ねたことのあるあの美しい千曲川のほとりの農村で,これからもきっと,一生大いにがんばって行くことだろうと期待している.

時評

人件費に食いつぶされる病院経営

著者: あい

ページ範囲:P.55 - P.55

 去年の春もそうだったが,ことしの春も日本中が春闘で明け暮れて,騒々しくごったがえしている.そればかりではない,梅雨前線が覆っているみたいで,ぐずぐずと長引いてうっとおしい.それにしても,公共的な事業までが荒れているのはひどいものだ.交通機関にせよ,史上空前といわれる交通ゼネストを組んで市民の足をとめるし,通信機関にせよ,また100におよぶ病院までがストを続発させている.
 戦争中もそうだったが,しわよせはいつでも市民がかぶってしまう.つらいめにあうのも市民,あきらめとがまんを余儀なくされるのも市民である.市民はたまったものではない.

招待席

農民とともに農民のいのちと健康を守る—佐久総合病院 若月俊一院長にきく

著者: 若月俊一 ,   石原信吾

ページ範囲:P.58 - P.68

病院のいまの姿は,民衆のニードがつくり上げたものです……
 石原 今日,お忙しいところをおじゃましましたのは今のように,病院がひどい条件に置かれているときにこれだけの卓越した業績をあげておられる先生のお話をうかがいまして,最近多少意気沮喪気味のわれわれ病院人に少し活を入れていただけたらということなんです.
 とにかく,この病院を拝見しますとなぜこんなりっぱな病院がこういうところにできたか不思議がらない人はないと思うんですね.その促進要素といいますか,原動力になったものは何かということです.‘まかぬ種は生えぬ’といいますが,とにかく先生は種をおまきになった.しかし,一般的には病院にとって日本の現在の土壌というものは,なかなかまいた種が生えないという感じを持つんです.しかし,ここには奇跡的といわれるようなりっぱな殿堂が現にできあがっているわけです.そこでまず,その秘密は何かという,そのへんのお話からうかがえたらと思います.

管理者訪問・50

福島県厚生農業協同組合連合会白河厚生総合病院長 町田 保 先生

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.69 - P.69

 白河市は昔から日本三関のひとつとして,芭蕉の‘奥の細道’にもでてくる白河関址のあるところで,東北地方の南の玄関にあたる.白河厚生総合病院はこの市内に所在し,現在390床を有する.当院はいわばこの周辺地域の保健センター的な役割を果たしている.つまり福島県厚生農業協同組合連合会の農村医学研究所を併設しており,地域住民の健康管理に大きな働きを蓄積しつつある.
 今回は当病院長である町田保先生を訪問した.

看護管理・5

看護部の人事

著者: 日向幸子

ページ範囲:P.70 - P.71

佐久病院運営の特徴
 昭和20年3月,若月現院長が外科医長として赴任したときは内科・小児科だけで入院患者は1人もいなかった.その後今日に至るまで佐久総合病院は一貫して農村の医療を守るために,あらゆる努力を続けてきた.
 創設当時は,病床数20床の小病院であったが,患者の増加,地域住民の要望と協力によって遂次施設の拡充整備をはかり,現在では病床数761床となっている.また,昭和29年に小海町診療所,昭和35年には小諸分院を設置して,佐久地方の医療をより充実したものとした.

医事業務あれこれ事例集・5

病床の効率的運営とその管理(1)

著者: 町支義明

ページ範囲:P.72 - P.73

空床がありながら予約患者を抱える矛盾
 病院が,病床の効率的運営をはかろうとする理由には主として2つの目的がある.
 その第1は傷病者の医療需要に対応して,できるかぎり入院待ちの期間を最少限度にとどめるように努力し,もってより多くの人びとが適切な医療を,適切な時機に受けられるようにすることによって,地域社会に対する社会的使命を果たそうとするもの,

検査室の窓から・5

臨床病理医・病理医の不足

著者: 冨田重良

ページ範囲:P.74 - P.75

検査室の指導者——臨床病理医
 臨床検査部門の病院診療に占める重要性についての認識は,次第に深まってきたように思われる.‘検査室を見ればその病院の内容がわかる’などという発言は,このことを端的に表わしたことばであろう.加えて,検査は病院経済上にもプラス要因であるとして,各病院とも最近こぞってその設備を充実させているようである.
 しかし,そこに働く指導者の問題がなおざりにされてはいないだろうか.尼崎病院においては,私以外に4名の専任・兼任の指導者がおり,検査の技術的な指導についての問題は少ないと思われる.しかし,検査項目の選択,検査成績の判読などに関して主治医に有効適切なアドバイスを与えるという面では,まだまだ不十分なのではなかろうか.

病院建築・40

新那覇病院建設のプランニング

著者: 倉田正一 ,   山元昌之 ,   柳沢忠

ページ範囲:P.77 - P.80

 本土復帰を目前にひかえた沖縄の中心那覇市に,新しい教育病院として新那覇病院が琉球大学保健学部に続いて発足しようとしている.やがて医学部も姿を現わすことであろう.筆者らはこれらの計画をお手伝いした関係で,沖縄の医療事情をはじめ,保健学部と教育病院の設計の経過を御紹介する次第である.

病院史のひとこま

新医療費体系のころ

著者: 橋本寿三男

ページ範囲:P.85 - P.85

議論のための足がかりとして
 昭和29年はじめ,そのころ,私はたいへんいやな思いを捨てられずに,厚生省の一隅で,日々を送っていた.あと半年で,なんらかの形で新しい医療費のあり方を国会に提出する必要があり,私は明け暮れ数字にとりつかれていたからである.医務局が主管することになっていたのが運のつき,医務局自体にそれを担当すべき適当な場もなく,諸統計は官房の統計調査部に所管されていて,‘おまえまとめろ’といわれても,一介の課長補佐ではどうにもなるものではなかった.
 幸いにして,当時の曽田医務局長,高田浩運次長や今はなき,小沢竜統計調査部長などの理解とお骨折りで,どうやら急ごしらえの調査班ができた.調査は既に2年にわたってそれぞれ集計されつつあったものではあったが,それからどんな答えを出すかが問題であった.もはや,土壇場にきてしまっていたのである.

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医師不足と新設私立医大

著者: 水野肇

ページ範囲:P.88 - P.92

 医学部紛争が全国の大学をアラシのように吹きまくってから,もう4年の歳月がたった.医学部のあり方が,そして医師のあり方が根本的に問われ,医学界の明治維新が起きるかに見えた.しかし,現実は改革された面がいくらかはあるにしても,総じていえば大差ないし,むしろ医師づくりの面ではマイナスの方向に向かっているといってもいいのではないかと思えるのだが……

病院図書館

—大和人士著—「離島の社会医学」

著者: 奥田幸造

ページ範囲:P.93 - P.93

‘へき地の健康をいかに守るか’に共感する
 国民の医療に対する関心が高まっている折がら,特に本書は貴重なしかも現代医療を考えさせる資料であると思う.私にとっては能登半島という過疎地帯の不採算性医療地域の多い農村へき地医療に挺身すること20年余,ことに私どもの病院の診療圏であり,七尾市対岸の能登島(人口約4000有余)はほとんど無医村に等しく,私ども常に巡回診療や出張診療に携っているものにとって,本書に深い感銘をおぼえた.瀬戸内海という波静かな比較的気候のよい地帯に比べ,われわれ能登半島という日本海の波荒く,しかも北陸の寒風にさらされている環境上の悪条件と,その上交通不便で医師の分布密度もきわめて低い地方と対比しながら興味深く読ませていただいた.
 巡回診療船もレントゲンなどを塔載したり,かなりりっぱなものであるが,私どもの能登島でも,数年前厚生省のわずかな補助で,瀬戸内海のまねをしたわけではないが,全く小さな漁船ほどの巡回診療船(当時約200万円)をこしらえて,私もそのささやかな進水式にも出席した記憶があるが,その後,波荒き日本海ではこのような小さな船では対岸の七尾さえ患者を運べず,その後まもなくたった1人の若い医師も島を去り,この船は使用されることなく廃船となったことを思えば,まさしくこの‘済生丸’は著者のいう‘瀬戸内海医学’のために貢献すること大であるといわざるをえない.

—内村祐之著—「精神医学の基本問題」

著者: 西丸四方

ページ範囲:P.108 - P.108

精神医学の歴史的な鳥瞰をふまえて
 18章350ページにわたる本書は一昨年の夏から今春まで毎号,雑誌"精神医学"に連載されたものをまとめたものである.構造論といっても症状の構造だけでなく精神障害全体について,19世紀の中ごろから初めて形を整えてきた学問的‘精神’医学研究の今日までの発展を,各学説の主唱者を歴史的に配列しつつ,各説の内容とその批判を非常に正確に,かつ要を得て述べたものである.
 昔出たKraepelinのHundertJahre Psychiatrieは主として19世紀の発展を記してあるが,ごく簡単なものにすぎない.近ごろ出たMillonの"精神病理学諸説"は各学者の所説をそのまま引用しただけで批判はなく,学者の選択も英米的にかたよっている.Kolleの"大神経医"3冊は各学者のエピゴーネたちがその師をたたえたもののコングロメラートで,体系は全くない.

私的病院からのレポート・5

—郡山市・星総合病院—10年先を念頭にして現在の経営がある

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.94 - P.100

 郡山駅から徒歩で5分.6階建の真新しい病院の屋上に‘星総合病院’の大きな文字がみえる."あの看板をあげたときは,私もまだ30代でしたからね"と照れる院長ではあるが,どんどん進む医学に対応していくためには,それなりの投資が必要とされる.したがって,とどまることは許されない——という固い決意が看板の大きさにもつい表われたのではあるまいか.
 星一雄院長は,昭和29年の慈恵医大卒.父上星一郎氏医跡を継ぎ,2代目として病院の拡充と充実に意を尽しておられる.

精神医療の管理・5

精神病院の老人—老人病棟の経験から

著者: 鈴木喬 ,   村田明

ページ範囲:P.103 - P.107

 平均寿命の延長に伴う老年人口の増加や社会の変容,特に生活様式の都市化,核家族化の傾向は,老人をめぐる多くの問題を提起している.とりわけ複雑な諸面をもつ精神科医療での老人対策は,その数の増加とあいまって近来わが国でも大いに注目されており,各施設で老人病棟が開設運営されている.
 いささか古い資料ではあるが最も確実な全国統計によると,表1のように精神病有病率は精神分裂病,躁うつ病,てんかんなどについては昭和29年と昭和38年とでほとんど変わっていないのに対して,脳器質性精神障害についてはその10年間に2倍に増加している.そしてその約半数が脳血管性(脳溢血など)によるものとされている.これは人口の老年化や交通事故など世相の変化の影響によるものと考えられ,この傾向は最近の10年,あるいは今後とも続くものとみられ,精神衛生上の関心をひいている.

研究と報告【投稿】

病院薬剤在庫管理の試み

著者: 守宮之輔 ,   守睦夫

ページ範囲:P.111 - P.112

 今日ほど病院経営管理の近代化が問題になっている時期は少ない.旧態依然の経営状態では低単価医療の犠牲となり,合理化されつつある他の企業に置き去りにされるであろう.
 このときにあたり,われわれは院長を中心に,薬剤在庫および金銭管理の合理化のための機械化を進め,病院経営上見るべき効果をあげたので,まず‘病院薬剤管理の実際について’発表する.

病院事務長に関する研究—1.事務長の人事,主として属性について

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.113 - P.117

 今回は主として病院事務長の人的属性に関連する事項についてまとめたが,それを要約すると次のとおりである.
 1.年齢分布・勤務年数
 (1)全体として,平均年齢は51.7歳であったが,前年に比較して,やや高くなっている.経営主体別では,日赤に高く(59.5歳),会社に低い(48.9歳).規模別には99床未満は48.1歳と低かったが他はやや高く平均年齢50歳を越えていた.
 (2)全体として,勤務年数は10年前に比してやや長くなっている.平均5.5年であった.経営主体別には日赤が12.5年でもっとも長く,逆に都道府県立が2.7年でもっとも短かった.病院の規模の大小による変化はあまりみられなかった.
 2.学歴
 学歴は全体として,旧制中学卒が多い.大学卒は全体の14.9%にすぎない.病院の規模との関係では,規模が大きくなるにつれて旧制中学卒の事務長が多いことがわかる.しかも,この学歴について構成割合をみると10年前とほとんど差がみられないということである.大学卒業者も必ずしも多くなっていない.これは事務長職の位置づけについて考察するためにも興味のあることである.
 3.支持政党について
 10年前はとかく,支持政党を明記しなかったのであるが,今回はこの点を明確に記されていた.その結果,自由民主党の支持者が圧倒的に高いことがわかった.他の職種に比しても高い.平均年齢が高いことも一因であろう.

話題

医療基本法の主旨など説明—全国国立病院長会議開かる 昭和47年3月23日

著者: 春日斉 ,   左奈田幸夫

ページ範囲:P.120 - P.121

 例年新年度にはいる前にがんセンターと全国国立病院94施設の長が一堂に集まり,医務局から運営方針について説明され,質疑応答も行なわれる.
 今年は東京築地のがんセンター講堂において開かれたが,厚生大臣は国会開会中のため欠席,松尾医務局長も国会から遅れて来場し,およそ次のようなあいさつがなされた.

霞ガ関だより

病院における電子計算機の利用

著者:

ページ範囲:P.122 - P.123

 近年の医療需要の増大と医療技術の進歩発展に伴い病院における医療情報は多量化かつ複雑化してきたが,この情報を的確に処理し医療の能率を高めるために電子計算機の導入がはかられつつある.
 医務局指導課では昭和45年度の診療管理検討会のテーマとして‘病院における電子計算機の利用’をとりあげいろいろの面から考察を加えた.検討会参加者は坂本捷房氏(東京電機大学教授)を座長とし,石井威望氏(東京大学工学部助教授),石原信吾氏(虎の門病院事務部長),岩井喜典氏(電子機械工業会),小野田敏郎氏(佼成病院長),大島正光氏(東京大学医学部教授),萩野義夫氏(エレクトロニクス協議会),樫田良精氏(東京大学医学部教授),高橋政祺氏(杏林大学医学部教授),原田幸彦氏(東京女子医科大学情報管理統計室),福田昭氏(関東逓信病院医療近代化準備室長),戸塚英二氏(前関東逓信病院医療近代化準備室長)の諸氏であった.この検討会の総括的な報告が46年12月に医務局編集により出版されたのでそれを中心に内容を紹介する.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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