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雑誌目次

雑誌文献

病院31巻8号

1972年08月発行

雑誌目次

特集 生まれかわる病院組織

病院に新しい組織を生むもの

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.22 - P.25

●まえがき
 何が病院に新しい組織を生むかということを考察するためには,その前にまず,そもそも組織というもの自体がいかにして形成されるかということを理解しなければならない.そして,そのためにはさらに,組織そのものについての実体認識を明確にしておく必要がある.
 私は,組織とは内部構造をもった機能体であると考える.そうした組織の実体認識から出発して,その形成過程を考えてみると,そこには2つの方向が考えうるものと思われる.その1つは,機能自体に直接目を向けた場合の方向であり,他の1つは,機能発揮の効率性に目を向けた場合の方向である.組織はその2方向からの要請に促されて,その内部構造の形成と進化を進めていくものと思われる.

病棟組織の新しい機能<CCU>

著者: 町井潔

ページ範囲:P.26 - P.30

●はじめに
 CCUの目的は,急性心筋硬塞患者を収容し,心電図連続監視を中心とした専門的でかつintensiveなcareにより,この病気の死因の50%を占める不整脈による急死を防止することにある.CCUの中心となるのは,急性心筋硬塞症の看護,とくに心電図の上での不整脈の発見と治療方針について熟知した看護婦であり,医師と密接なチームワークを組んで患者の救命にあたる.緊急事態が発生し,医師が間に合わない場合には,看護婦は心臓マッサージ,電気的除細動などの救命措置も行なう必要がある.
 CCUは約10年前,年間50万人以上,死因の1/3を占めるほど心筋硬塞患者の多い米国で始まり,たちまち燎原の火のごとく全米に広まり,現在では100床以上の病院ではなんらかの形のCCUをもっているといわれる.実際その効果も上がっており,多くのCCUでは硬塞の不整脈による死亡がほとんどなくなったと報告されており,全体の死亡率がCCU開設以前の30%から20%程度に減少したといわれる.

北里大学病院におけるインフォメーションシステムの整備と充実

著者: 阿曽弘一 ,   大場正己 ,   間宮貞 ,   松沢孝子 ,   木下晴二

ページ範囲:P.32 - P.38

●はじめに
 北里大学は昭和45年4月医学部を新設し,現在第3学年までの学生が相模原キャンパスで教養課程と専門課程の勉学に励んでおり,また付属病院は昨46年7月に開院し,現在稼動している病床数は定床860の約半分であるが,外来患者数は1日1000名を越え,全職員一体となって日夜診療活動を続けている.
 医学部には診療,教育,研究の3つの大きな使命があるが,私どもの病院は大学病院である前にまず模範的な病院であることを出発点として,‘市民の健康で幸福な生活に直結する患者中心の病院’であることをモットーにしている.建物の建築および諸設備はこの根本理念を反映して,広く余裕のあるスペースをとり,‘光と緑と水’をふんだんに取り入れ,従来の病院のイメージを破ってホテルとしての機能を充実させ,ゆっくりと心身をやすめることができる場を提供している.

スタッフ化の進展

著者: 島内武文

ページ範囲:P.40 - P.45

●医療関係の原型
 ことわざにも‘自然は最良の医者である’といい,ヒポクラテスも‘自然はいやし,医師は助ける’といったように,医療の本源は自然の治癒力にある.しかしわれわれ人類はやがて種々の手段によって傷病を治すようになった.
 病苦をのがれるために神に祈り,いわゆる魔術医にたより,また身よりのものが看病を行なった.また身よりのない者は寺院・病院に収容されて僧尼の看護をうけた.医療の原型は患者の身のまわりを世話する看護者と積極的に病を除こうとする医者とに始まったといえよう.患者に対して医者と看護者がそれぞれ,子どもに対する父と母との関係にあることになる.

新しいサービスの中央化—ヨーロッパの病院に見る今日のサービス部について

著者: 池田有隣

ページ範囲:P.46 - P.51

 病院におけるサービス関係施設の中央化は,何も今に始まったことではない.私の話は,いつもドイツ一辺倒で恐縮であるが,今回は,その近隣で調査した分をも加えて,ヨーロッパにおける病院サービス部の現況と特質,ひいては多少とも新しそうな点に着目して,報告させていただくことにした.‘新しいサービスの中央化’と題したが,それほど目新しい画期的なものがあるわけではない.どうも羊頭狗肉の感なきにしもあらずで面映いが,お許し願いたい.

感染症センター

著者: 柳下徳雄

ページ範囲:P.52 - P.55

 わが国では,伝染病院といえば法定伝染病を強制隔離して診察する病院とされてきた.しかし,近年,これが大きく変わろうとする情勢にある.すなわち,伝染病予防法の改正がいろいろの面で検討されているが,その中で伝染病院のあり方については,現在のところ次のように構想されている.
 昭和45年6月,伝染病予防調査会が厚生大臣に提出した中間答申では,‘伝染病院については,従来の隔離病院的な考え方を改め,伝染病予防の対象疾病の拡大に呼応して,伝染病全体の診断・治療を行なうものとし,さらに,その研究・開発を含めた施設(感染症センターともいうべきもの)に改編し,情報管理についても重要な役割をになわせることが適当……’とある.

座談会

新しい外来診療

著者: 藤本吉秀 ,   尾本良三 ,   八木義弘 ,   湯地重壬 ,   中村芳郎 ,   川北祐幸

ページ範囲:P.58 - P.67

 医学の進歩を,いかに実際の医療の場に取り入れるのか.最近,いくつかの病院で顕著にみられる,いわゆる‘専門外来’の存在も,この現象のひとつであろう.
 ‘専門外来’と一口でいっても,そのシステムは各病院千差万別であり,よほどうまい方法で支えられないかぎり,かえって逆効果となってしまうことがある.

病院と統計

生産量(Out Put)を測ること

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.10 - P.11

 生産性指標は一般に<out put÷in put>であらわし,労働生産性は<生産量÷職員数>で測るものとされている.このインディックスは生産企業における労働者の生産能率をあらわすために考えられている.生産量に相当するものを病院事業について求めると,職員1人あたり取扱患者数とか薬剤部門職員1人あたり調剤件数といった指標がその例である.
 物量や件数は,それが同類で等質のものであれば指標として効果的であるが,病院業務は多様で,バラツキが多いので,正確な比較がむずかしい.そこでこれら質量的に違った多種類の行為を合算するときに,それぞれになんらかの重みづけをすることが必要である.この重みづけとしては,現行の社会保険診療報酬点数が便利であり,職員1人あたり医業収益とか,さらには限界利益額あるいは粗付加価値額をとることが好ましいということを前に述べた.

グラフ —

動き始めた国立病院九州がんセンター

ページ範囲:P.13 - P.17

 毎年約12万の人が癌で死んでいくという.とくに九州地区は,癌の死亡率が全国でもずば抜けて高く,しかもこれは,年々増加の傾向を示している.
 こんなところへ,本年3月,国立病院九州がんセンターが,国立福岡南病院の敷地に名のりをあげた.九州における癌対策の専門施設として,診断や治療ばかりでなく,医師の研修指導,さらに臨床研究部も設置して,癌への総合的な取り組みを企図した施設である.しかし,現在でき上がっているのは,外来診療棟と特殊放射線棟の2つ.400床の病棟や検査棟,手術棟などは,昭和48年までには完成する予定であるという.

関東逓信病院の新診療棟

ページ範囲:P.78 - P.81

 本年7月,ちょうど病院の創立20周年と期を同じくして,7階建の堂々たる新診療棟が完成をみた.全国14の電々公社直轄病院の中心病院としての役割が課せられている病院である.
 "日本一の診療を提供できる病院にせよ"との米沢電々公社総裁の命と理解とを得て,中村兼次院長をはじめとする病院のスタッフは,一路それを実現すべく努力しておられる最中である.今でも,ゆうに10指の中に数えられるだけのものはもっているが,日本一となると,なかなかたいへんである."やはりそれは患者さんが決めてくれることなのでしょうね"と話される院長の口調は明かるい.他の病院のように,独立採算への重圧が少ないから,提供する医療の質に集中的に挑戦できるからである.

日本の技術を母国の病院へ

ページ範囲:P.82 - P.83

 いま,日大板橋病院では,13人の南ヴェトナム(ヴェトナム共和国)の人たちがカタコトの日本語を駆使して,熱心にたち働いている姿をみることができる.この人たちは,サイゴンのチョーライ病院から派遣されてきた看護婦(夫),検査技師,X線技師の面々で,750床の新病棟が3年後にオープンするのに備え,日本の技術を研修しにきているのである.
 チョーライ病院(現在1000床,南ヴェトナム最大の国立病院)は,日本政府が無償援助で全面改築を引き受けたもので,佐藤武夫設計事務所の設計による近代的で高度の医療を提供しうる病院を目ざしているものである.

国立がんセンター総長 塚本憲甫氏

著者: 小西宏

ページ範囲:P.18 - P.18

10年めの国立がんセンターを受け持つ
 塚本先生にはじめてお会いしたのは,私がまだ病院管理研修所にいたころであったから,およそ20年も前のことであろうか.東大病院に中央検査部と中央手術部が発足しかけたころで,日本が,ちょうど"病院の中央化"に取り組みはじめたころのことであった.その当時,先生は癌研付属病院の放射線科部長をしておられたが,病院における放射線科のあり方についてはなかなか深い識見と情熱をもっておられ,いろいろ話し合ったりしたものであった.昭和33年には科学技術庁の放射線総合医学研究所長として赴任され,いままでの実際の場における診断や治療に加えて,放射線障害の予防や防止に意を注がれ,放射線科の専門医として,新しい分野をりっぱに確立されたわけである.
 国立がんセンターへ病院長として来られたのが,昭和42年.久留総長の信頼も厚く,久留先生亡きあとを継ぎ,2年前総長にお就きになられた.

時評

‘看護制度改善検討会’に望むこと

著者:

ページ範囲:P.68 - P.68

 厚生省では学識経験者8名からなる‘看護制度改善検討会’を設置し,その第1回の会合が7月26日に開かれたという.
 今日,看護については各方面で困難な問題が頻発しているが,そのほとんどが看護婦不足に起因するか,あるいはそれに関係をもつといってもまちがいないであろう.とくに,最近では状況はいっそう悪化し,せっかくりっぱな病院を建てても,看護婦が集まらなくて半数以上のベッドが遊んでいたり,看護婦が減ったためにベッドが使えず,なかには病棟の閉鎖にまで追い込まれるという病院も出てきている.診療所になるともっとひどく,3チャン農業ならぬ,院長と院長夫人の2チャン診療に転落するものが続出しているという.

管理者訪問・53

労働福祉事業団東北労災病院長 槇 哲夫先生

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.69 - P.69

 仙台市の北部に今や近代的総合病院として面目を一新し,発展をとげつつある東北労災病院がある.今回は当院長,槙哲夫先生を訪問した.先生は,大学で長年教鞭をとられ,医師の育成にあたってこられた.ちなみに先生の経歴をうかがうと次のとおりである.
 先生は,東北帝国大学医学部を昭和8年にご卒業になり,杉村外科にて外科学を専攻された.14年同大学の助教授に就任され,在任中に17年から19年まで中支那無錫同仁会病院長を併任された.20年に秋田女子医専教授,24年には弘前大学第二外科学教授,36年4月から東北大学教授(医学部)に就任され,46年3月同大学を定年退官された.大学に在任中は,東北大学付属病院長(40年4月から42年3月まで)や東北大学医学部長(42年4月から45年10月15日まで)などを歴任され,管理者としての経験を十分に積まれ,46年4月から当院の院長として任にあたっておられる.なお先生は現在,東北大学名誉教授である.

看護管理・8

看護管理における法的問題

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.70 - P.71

まえがき
 個々の看護婦の職務は,傷病者もしくはじょく婦に対する療養上の世話または診療の補助をなすことであるが(保助看法5条),病院のなかにおいては,その病院内における総合的な管理体制のなかで,それぞれの職務が最大限に生かされることが求められる.
 それは,患者の総合的な看護計画,職員の選考,職務分担,他部門との関係,一般公衆との関係や,さらに退院後の患者に対する指導まで,組織的な計画に従って行なわれるものである.

医事業務あれこれ事例集・8

病床の効率的運営とその管理(4)

著者: 町支義明

ページ範囲:P.72 - P.73

入院係の業務
 前号に続いて病床中央管理実施要綱のうち,業務分掌,4)入院係,の項を連載する.
(8)退院通知書または電話連絡などにより,空床予定日に関する通知を受けた場合は,予約順位にしたがって患者または保護者,家族などに入院日時(来院時間は午前9時を原則とする)を連絡する.同時に,関係病棟ならびに関係診療科には患者などに連絡した入院日時を電話で連絡しておくこと.

検査室の窓から・8

縁の下のそのまた縁の下の力持ち

著者: 冨田重良

ページ範囲:P.74 - P.75

 前号にも述べたように,検査技術者たちは病院医療を支える‘縁の下の力持ち’として活躍してきた.ところが,その‘縁の下の力持ち’の働きを陰で支えている一群の人びとがいる.‘縁の下のそのまた縁の下の力持ち’とでもいえようか.検査技術者たちは彼らの助けを得て,思う存分その力を発揮しているのである.本号ではこれらの人びとのことを紹介してみたい.

病院建築・43

国立医療センター

著者: 伊藤誠

ページ範囲:P.85 - P.90

はじめに
 国立医療センターは,国立東京第一病院の敷地に,既存建物を取り壊しつつ建設が進あられている研究・教育に主眼をおいた病院である.各方面にわたる多角的な研究部門を擁し,1,000床を越すベッドと高度の診療機能とを備え,その名のとおり,国のメディカルセンターにしようという構想のものである.
 そもそも国が直接に病院を営むとするならば,相応に存在意義の明確なものでなければならない.県や市町村には望めないような内容・水準のものであってこそ,はじめて国立病院としての意味も認められるのであろう.ところが現実には必ずしもそうはなっていない.性格のはっきりした病院としては,国立がんセンターと国立小児病院のほか,ほんのいくつかが各地方で基幹病院としての役割を果たしているにすぎない.

精神医療の管理

分裂病と精神病院

著者: 竹村堅次 ,   福井東一

ページ範囲:P.91 - P.98

1.入院,退院,再入院をめぐって
患者構成の変化
 この10年ほどで,精神病院の在院者の疾病別の変化はある程度まで有意の差を示している(表1).10年前といえば,わが国では薬物療法の普遍化とともに,開放療法の幕あけ時代であり,精神病院でも精神療法が論じられ,さらには地域精神医療も強調され,中間(昭和40年)にこれに見合う精神衛生法の改正も不十分ながら行なわれた.これは精神医療の歴史からみてもかなり大きな変化といえる.しかし新しい時代にふさわしい精神障害者のリハビリテーションを中心とする患者処遇は,社会の受け入れ態勢,諸制度の未整備という条件下で,非常に困難な業務遂行を精神病院にシワ寄せしている現状でもある.
 したがって病院の治療方式も大幅に変わり,いつも中心課題となっている精神分裂病の治療効果も,ここで総合的に再評価される気運にあるが,リハビリテーションを目標に分裂病者の処遇を改善しようとすれば,悪条件はいろいろある.しかしともかくも患者は動き,対応して病棟構成も変化する.表1では在院者の1,2位に分裂病,精薄と並ぶ点は10年間で変わらないが,分裂病が圧倒的に多く,10年でさらに10%以上も増えているのが注目される.進行麻痺が5位に転落したのも次に目立つ特徴であるが,その他の疾患はてんかんと躁うつ病を除けば数字のうえで問題にならぬほど少ない.

病院史のひとこま

医療法成立のころ

著者: 五十嵐義明

ページ範囲:P.99 - P.99

はじめに
 終戦の年の春から医療法が制定された昭和23年の秋まで,私は厚生省衛生局(のちの医務局)医務課の技官として勤務した.そこで私は,当時行なわれた一連の医療制度の改革に,技術的な面から一応関与した形になる.
 実のところは,厚生大臣の諮問に応じて‘日本医療団解散後における同団の一般医療施設の処理方針’および‘医療機関の整備改善方策’の2つの事項について審議にあたった‘医療制度審議会’と,‘国民医療法改正の具体的方針如何’の審議を行なった‘医薬制度調査会’との2つの会のお世話役として,資料や会場の準備をしたり,ご討議の結果を整理したりして,うろちょろしていたというのが真相であるが,本誌の編集者から言われてみると,‘病院史のひとこま’にささやかにでも顔を出したことは否めない.

招待席

若い考えが生んだ新しい大学病院

著者: 菊池順一郎 ,   小酒井望

ページ範囲:P.100 - P.111

 ここ3年間に13の新しい医科大学(医学部)が生まれ,いずれも1000床程度の大病院を建設することになっている.このうちで,いちばん早く整備されたのは,北里大学病院であろう.
 神奈川県相模原市の広々とした敷地に,巨大な建物が出現したとき,新しい大学病院とはこういうものか--とみんなの目をひきつけたものであった.ここでは,なにもかもが新しく,そして若い.今月は,菊池院長に北里大学病院の若さを代表して,お話をうかがってみよう.

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岩佐潔君の霊に

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.110 - P.111

 岩佐潔君の霊に申し上げたい.
 今やわが国もようやく福祉優先の時代にはいろうとして,私らの努力がようやく実を結び花を開こうとする時にあたって,君を卒然として失ったことは,同志として,また友人として実に痛恨に堪えない.

私的病院からのレポート・8—東京都・高山整形外科病院

単科専門病院を補佐するインストラクターシステムの導入

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.112 - P.120

 高山整形外科病院は,東京の下町,葛飾区金町に建つ地上3階・地下1階のこじんまりしたまっ白な病院である.玄関をはいっても,隅から隅までよく手入れが行き届き,清潔な印象を与える.これも,後ほど話しに出る‘庶務課の作業確認’によってなされる業務チェックの実施によるものであるという.
 高山瑩院長は,昭和25年の慈恵医大のご卒業.37年にこの病院を開設されたというが,とにかくいろいろと非常にユニークな方法を取り入れて病院の運営をしておられる.まず,企業およびメディカルのインストラクターシステム,詳細綿密な業務チェックリストの完備,患者の病状質問カード等々.これらの合理的なやり方は,多くの仕事の密度と確実性を保障し,それとともに単科専門病院の陥りやすい欠点をみごとにカバーしているわけである.

病院のひろば

呼吸器系特殊病棟のこと

著者: 平山圭一郎

ページ範囲:P.121 - P.121

高度の医療は専門分化を生む
 現代医界のすう勢は各専門分野に細分化される傾向にあると考えられるが,このことは日本医学会が近来とみに分派細分化したことからもうかがえると思う.これもひとつの医学の進歩の過程であろうから,私ども日頃臨床医学に携わっている者は,こういった医学のすう勢についても順応して対処しなければならないと考えている.したがって,これからの公的医療機関では高度の医療を行なおうとすればするほど,特殊の専門科が生まれてくるのは時代の傾向であると思う.総合病院という名称が,単に病院組織のデパート的な名称に終始するのではなく,総合病院を構成する各専門科が,それぞれ高度の医療ができる権威のあるものでなければ,これからはどうしても遅れをとると考えられる.

霞ガ関だより

血清銀行の設置

著者:

ページ範囲:P.122 - P.123

 昭和45年6月,厚生大臣の諮問機関である伝染病予防調査会の中間答申が発表され,今後の伝染病対策のあり方に関連して,従来の患者発生時における患者隔離などのいわゆる感染源対策にとどまらず,伝染病に関する情報収集をはじめとする平常時における対策の必要性が強調されている.この中間答申の中では,伝染病に関する情報として,届出情報,平常時情報,検査室情報,血清疫学情報の4つをあげ,とくに血清疫学情報については,‘……各種疾病に対する国民の抗体保有状況を,年齢階級別,地域別などに常時把握しうるよう,血清疫学情報が収集されることが必要である.このため,血清を計画的に収集保存し必要に応じて血清検査を実施する組織--すなわち,いわゆる血清銀行を設置することが必要である’と述べている.
 また一方,厚生省が各都道府県に委託して行なっている伝染病流行予測事業によって,ポリオ,インフルエンザ,日本脳炎,風疹,ジフテリアの5疾病について各種の情報を収集している.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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