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雑誌目次

雑誌文献

病院32巻1号

1973年01月発行

雑誌目次

特集 ホスピタル・インダストリー

1973年の病院の進路

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.22 - P.29

●まえがき
 病院は一個の社会的存在体である.したがって,その存続と発展については社会的存在の法則の支配はまぬがれない.同時に,病院は一個の目的体である.したがって,そのあり方としてそれ本来の目的の追及は放棄できない.この病院の両側面は,当然ともに関わり合うものであるが,その関わり方は常にプラスの関係に立つものではない.時にはマイナスの関係にも立つ.すなわち,互いに反発し合い,また矛盾し合うこともあるのである.そのどちらの関係に立つにせよ,そこに最も大きく作用するものは,言うまでもなく,環境条件およびその変化である.
 病院をめぐる環境条件が,十分でかつ良好な状態にある場合は,病院はその本来目的を十分に達成しながら存続し,また発展していくことができる.そこでは,病院の機能性と存在性は相互に助長し合う関係に立つ.機能性の向上とその発揮は経営的繁栄をもたらし,経営的繁栄はまた機能性の充実と発揚につながる.もし,病院にそうした良好な環境条件の与えられる日があるならば,それは病院にとってはまさに願ってもない恵まれた時節であると言えるであろう.過去にさかのぼれば,わが国の病院にもそれに近いぐらいの幸せの日の経験は,必ずしもなかったとは言えない.今にして,そうした時節をふり返ってみれば,ひとしお懐かしさの感に堪えないのである.

製薬産業と病院

著者: 常松己一

ページ範囲:P.30 - P.33

●はじめに
 今日の医療体制の中で,病院の占める役割は大きい.しかし全国病院の大半がその経営悪化に悩み,ある段階では危殆に瀕しているともいわれる.その理由には幾多の問題があり,これを軽々しく論ずることはできないが,われわれが第三者的にみるかぎりでは,だいいちに‘医療’というものを経営の主体として考えること自体に無理があり,医療はあくまで医療として先行すべきものであって,病院としての経営はそれに従属すべきだと思うのである.だが,全国に多く数えられる病院は,その組織体は別とし,いずれも独立採算制の下に運営されているものが多く,研究機関を兼ねる大学病院においてさえ,そうだというに至っては,他はおして知るべしというものであろう.
 それはともかく,独立採算制の下に運営される病院の大部分が赤字経営に追いつめられているという背景から,いかなる事態が生じているであろうか.端的にいえば,その赤字部分を埋めるためには,遺憾ながら物的節減,わかりやすくいえば医薬品とか医療用具の買いたたきという直接的な方法に訴えざるをえないはめに陥っている.

医療産業と病院

著者: 岩井喜典

ページ範囲:P.34 - P.37

●まえがき
 ‘医療は医学の適用の場である’といわれているが,また医療は社会におけるすべての多数の人びとを対象にしており,それゆえにまた医療は特定の人びとだけに対してではなく,広く社会に対する適用であると言い換えることもできる.
 世界のいずれの国においても,‘病院’は医療の場の中核的な存在であり,場合によっては医療の代名詞にさえ使われることがある.

資本,金融と病院

著者: 若松栄一

ページ範囲:P.38 - P.43

●医療への投資はどのくらいなされているか
 ‘アメリカの国内にある7144の病院は,1969年においてアメリカ最大産業の1つである.それは165万床のベッドを持ち,その総資産は335億ドルと推計されている.この産業の大まかな見積りをすれば,3070万人の患者を入院させ,1億6300万人の外来患者を診療し,220億ドルの収入をあげている.また250万人のフルタイム相当の職員を雇用し,138億ドルの俸給を支払っている.
 地域病院の施設に対する投資は1969年において165億ドルに上がっている.それは1950年に報告された金額の約6倍である(この間において総医療費は約5倍になっている).平均在院患者あたりに換算すると,平均収入日額あたりの資産額といってもよいが,その増大率は比較的低く,1950年に7478ドルであったのが,1969年には2万5370ドルになり,1950年の3.3倍にすぎない.

輸入医療機器と病院

著者: 柳沢照治

ページ範囲:P.44 - P.45

●はじめに
 医療が人類の最高の英智を集めてはじめて可能となる以上,医療の一手段たる医療機器も全世界から最高のそれを集めて使用することはきわめて当然といえよう.
 とくに日本においては,歴史的に西欧の医学が取り入れられ,付随する医療機器も西欧先進国の品が主流をなし,現在輸入医療機器の全体に占める割合は国産技術の進歩に相まって減少しつつあるとはいえ,輸入金額では増加を続けており,貿易の自由化に伴って,医療機器生産の国際間の分業化・専門化は,当然考えられるべき傾向であろうと思われる.

冷凍食品の現状

著者: 野口日出照

ページ範囲:P.46 - P.50

●関心をもたれる冷凍食品
 最近,とくに冷凍食品に対する関心が高まっているようである.女性向雑誌をはじめ,食品関係誌など各誌に冷食関連機器,包装,輸送,小売と冷凍食品の生産,流通,消費の全体にわたって取り上げられ,‘給食’‘喫茶経営’などの専門部門の雑誌にもお目見えしている.また,新聞記事にも"○○会社○○と提携冷食に進出""○○会社中国の冷凍食品を輸入"など,時には大きな活字で経済面をにぎわし,地方百貨店や,地方テレビ局主催の冷凍食品フェアの開催などまことににぎやかなものである.その他いろいろな展示会,即売会などにも種々な形で参加したり,させられたりお忙しいかぎりである.
 これは,冷凍食品という新しい商品に対する期待と,その商品性から他の食品分野には少ない流通段階における品質管理の重要性がその関係業界の注目を浴びているということができよう.

病院と統計

人口構造の変化

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.10 - P.11

 生物の存続と発展は,それが置かれている周囲の環境条件によって左右される.社会的存在体である病院の場合も同様である.環境条件が変化していく場合,それへの適応が必要となるのはそのためである.
 現在は変化と激動の時代であるといわれる.病院にとっても,その環境変化は確かに激しい.うっかりして,そうした変化に気づかずにいると,病院はたちまちその大波に呑み込まれて沈没してしまうおそれもある.だから,こういう変化の時代には,なによりも周囲の状況をよく見定めていることがたいせつである.そして先を先をと見越して,先手を打っていかなければならない.そういう意味で,ことし1年は,そうした病院の環境条件に関係した統計を取り上げて見ていくことにしたい.

グラフ

'73—福祉優先の年を迎えて…—愛知県心身障害者コロニー中央病院をたずねて

ページ範囲:P.13 - P.17

 名古屋市から約1時間,10万人都市として建設のすすむ高蔵寺ニュータウンをつっきると,緑の丘陵地帯いっぱいに愛知県心身障害者コロニーが広がっている.総工費54億円をかけ,1000人の心身に障害をもつ人が訓練を受け,生活をする総合施設である.
 昭和43年6月重症心身障害児施設こばと学園の開所をかわきりに,44年4月には精神薄弱児施設はるひ台学園,精神薄弱者更生施設養楽荘.春日台職業訓練校,春日台養護学校が,そして45年5月には,待望の中央病院(200床)が開院をみた.昨年4月,発達障害研究所ができ上がり,ついにコロニーとしては一応その全貌が整い,相互に連けいを保ちながら愛知県の医療と福祉のために動き出したわけである.

コロニー中央病院とそれを動かしている人

著者: 鈴木未造

ページ範囲:P.18 - P.18

 愛知県心身障害者コロニーは現行制度の中で最も実施の困難である医療中心の保護育成をなしとげ,中央病院には広く県内の心身障害治療のセンターとして地域在宅障害者療育のパイオニアという意義があると思う.したがってこの責任者に,真に障害者を理解し,その福祉に情熱をかたむけてくれる医学者を,さらには看護者を得ることがコロニー運営の課題でもある.
 この点,中央病院長に北野博一前本県衛生部長を,副院長に村地俊二前名古屋大学医学部助教授を得たことは,コロニー開発と障害者療育のためまことに喜ばしい人材を得たと確信している.北野院長は医学者であるが全国屈指の医療行政の専門家である.厚生部長も歴任し,障害福祉行政のベテランでもあり,この面の驚くべき積極論者でもある.また村地副院長は整形医学の当地方の権威者であることは周知であるが,心身障害医療と愛知コロニー将来の発展のために,ある大学の教授の要請をしりぞけて参加してくれた意義は大きい.

時評

身代わりヤギは死ぬのか

著者:

ページ範囲:P.51 - P.51

 多難だった1972年も過ぎ去り,1973年を迎えた.1年を終えるごとに病院を取り巻く環境は困難さを加えるような気がする.
 1972年の病院を取り巻く多くの問題を象徴的にとらえたのは,12月13日のK市立病院事務長K氏の自殺の報道であった気がする.事実を新聞報道がどれだけ正確にとらえているかはさておくとして,病棟閉鎖までしなければならなかった看護婦不足に悩む病院事務長が,開設者,議会と労働者組織との板ばさみに悩み,個人的な事情もあって遂に飛び降り自殺した事情ほど,今日の病院の問題を,病院関係者に身につまされて問いかけたものはなかった.

今日の精神医療・1

精神病院をみつめる眼

著者: 杉森久英 ,   小林美代子

ページ範囲:P.52 - P.62

 この数年間はげしい非難のまととしてとりあげられてきた‘精神病院の内部状況’は,多くの場合,いつわりではないにもかかわらず,一般には‘読物’として終わってしまったのは,みつめる眼に冷静さを欠いていたからではあるまいか.しかし,小林さんには誇張やかたよった構えはない.それに加えて,ほのぼのとした暖かさと明るささえ感じられる.これは生来の人柄であろうが……

講演

新しい社会の病院

著者: 武見太郎

ページ範囲:P.63 - P.68

日本の病院は,どのような歴史的特質の中から今後の姿を位置づけて考えられるのだろうか.この論文は,1972年11月25日,厚生省病院管理研究所の専攻科研修生に武見日本医師会長の行なった講義を再録したものである.

病院史のひとこま

国立東京第一病院における臨床検査中央化

著者: 小酒井望

ページ範囲:P.69 - P.69

3人の医師と8人のスタッフで検査を一手に引き受ける
 国立東京第一病院で細菌・血清検査を担当する医師が必要だということで着任したのは昭和23年11月である.細菌・血清検査,生化学検査は相接した部屋で行なわれており,病理検査はかなり離れた部屋で行なわれていた.そして病理部門には大橋成一,橋本敬祐両博士がすでにおられた.私は3人目の検査部門専任の医師となったわけである(当時まだ研究検査科の名称はついていなかった).
 各検査室には1,2名の技術者がいた.のちに技師長となり,‘臨床検査のパイオニア’といわれるようになった広明竹雄氏は,細菌・血清検査を担当していた.なお生化学検査室のめんどうは,当時の内科医長小山善之博士(現副院長),内科医員鴫谷亮一博士(現群大教授)がみておられた.そして一般検査,血液検査は病棟や外来で,主としてインターンや医師(当時無給医が多数いた)によって行なわれていた.翌年になって病理検査室が細菌・血清検査室,生化学検査室の近くに移転してきた.

看護管理・13

他職種とのトラブル(3)

著者: 小林スミ ,   内田卿子

ページ範囲:P.70 - P.71

病棟と中材
 中央滅菌材料室といえば,医療器械器具,衛生材料の滅菌が主体となっているが,それら取扱品の経済的な面も常に考慮しなければならない.
 しかし,この節約を旨として,日常の受け払い業務を厳重にすると,各病棟との間に大小のトラブルが数多く生ずることになる.

病院職員のための医学知識・1

院内感染

著者: 神木照雄

ページ範囲:P.72 - P.73

 日進月歩の医学は臨床のあらゆる分野に新しい技術の開発をもたらし,人員配置や高度医療設備の導入など,病院の機能の面にも大きな変革をもたらしつつある.病院職員の方々もこれらの問題に無関心ではいられなくなった.そこで,むこう12回にわたって,現代医学のトピックスを拾い,わかりやすく解説していただく.

病院におこりやすい法律問題・1

基本的な2つの事例から

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.74 - P.75

病院の近代化が進むにつれ,法律との関わりあいも深くなってきた.‘知らなかった’では経営はすまなくなりつつあるといってよいだろう.そこでこれから1年間,饗庭弁護士に病院経営から労務にわたるさまざまな問題を講義してもらうことにした.

病院建築・48

順天堂大学付属医院新館の検査室

著者: 林康之

ページ範囲:P.81 - P.86

はじめに
 順天堂大学付属医院新館は昭和47年5月に完成開院した.その新館3階に設けられた本院中検の一部を紹介し,設計から実稼動に至るまで携わったものとして,気づいた点を述べたい.
 新館は13階建ての400床で,外来,手術室,救急施設,輸血部などのほか管理部門も含み,1つの病院として十分に独立した機能を備えている.従来の本院病床数を加えると付属医院全体の病床数は約1000床となり,外来患者の臨床検査も多く,検査件数にして最近は10-13万件/月を中検で処理している.この検査件数は新館建設にあたって当然予想されたところであり,旧病棟中検ではとうてい処理できない状態にあった.そこで,中検の拡張整備のため新館内に入れることが検討され,結局はスペースの関係で中検の一部が新館に移転し,残余が旧中検内で移転あとの部分を占めるという拡張の形式となった.すなわち,病院中検が旧本院側と新館とに2分されており,両者を合わせて完全な中検ということである.したがって,中検全体としての設計は新館内中検には考慮されていない.そこで最初の設計の段階から中検の一部,とくに化学,血清など精密な器具,機械を用いる検査部門のみを設置するつもりであった.理想的な中検の設計,設備というには全体がまとまっていないことをお断わりしておきたい.

話題

聖路加国際病院に自動化総合健診システム導入

ページ範囲:P.87 - P.87

 治療偏重といわれたわが国の医療も,近来は一貫した医療体制といったものが強く求められるようになってきた.とくに最近はコンピュータの発達に支えられた自動健診システムの形で疾病の早期発見,健康管理体制の確立に力が注がれてきつつある.
 聖路加国際病院も,1972年12月8日,コンピュータを駆使した近代的ドック検診を行なう"健診センター"をオープンした.ここには米国サール・メディデータ社の"自動化総合健診システム"が導入されている.

招待席

臨床と研究の協力体制が生み出すこれからのがん診療

著者: 塚本憲甫 ,   牧野永城

ページ範囲:P.88 - P.94

放射線技術の進歩は,今日でこそ癌の診断治療の面で縦横の活躍ぶりを見せているが,むかし放射線をやるといえば"変わり者"くらいにしか思われなかった.が,昭和の初期,いち早く放射線による癌治療の将来に着目し,癌研,がんセンターと,一途に癌の診療に打ち込まれてきた塚本氏に当時の模様から,がんセンターの今後までお話し願った.

病院図書館

—富岡 次郎 著—「日本医療労働運動史」

著者: 野村拓

ページ範囲:P.95 - P.95

未開拓の分野にいどんだ労作
 医療労働運動ということばをきいたとき,さて自分は労働者なのかと考えてみる医療従事者がかなりいることだろう.また,世間が医療従事者を見る目も,ともすれば聖職というわくをはめがちである.そして教育関係者と医療従事者とは,もっとも聖職のわくをはめられやすいし,またそのような方向への世論操作で,しばしば苦境に追いつめられてきた.
しかし,聖職の名のもとに医療従事者をしめつけ,低医療費政策,医療合理化政策を強行することが,国民の医療上の要求を無視し,国民の健康問題に破壊的な影響を与え,かつ医療従事者の生活と生存を脅かすものであることがわかってきた場合,医療従事者は医療労働者としての自覚をもって闘わざるをえなくなり,また患者,国民もこの闘いを支持するようになる.この過程は多くの困難を含み,また曲折に富んだ歴史を構成するわけだが,富岡次郎氏の"日本医療労働運動史"は,豊富な原資料を駆使しながら,医療労働者の闘いと成長の歴史をまとめている.しかも,著者が指摘しているように,‘医療労働運動に関する研究は現今のところ未開拓である’がゆえに,まことに価値の高い労作といわねばならない.

私的病院からのレポート・13

—東京・銀座菊地病院—銀座に位置し,私的病院のリーダーシップをとる—菊地真一郎院長にきく

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.96 - P.104

 昭和7年以来,銀座は菊地院長の仕事の場であった.いま,銀座は,昼間の人口は世界一,夜間の人口は皆無に近いという変則的な地区となった.ここで開業する菊地病院もこの状況をうまくのみこんだ形態をとる.ここでは都会型病院の形態が,あらゆる点で模索され試されている.

病院人訪問

佐世保市立総合病院検査技師長 後藤大九郎氏

著者: 冨田重良

ページ範囲:P.105 - P.105

病院には数十の職種がある.そこに働く人々の日々の努力の積み重ねが病院医療を支えているといっていいであろう.つまり‘病院人’なのである.そんな人々にご登場ねがおう.

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ルイス・デ・アルメイダの業績と西洋医学の伝来

著者: 片岡弥吉

ページ範囲:P.106 - P.109

日本カトリック医療施設協会は昨年第8回の大会を長崎で開いた(5月27-29日).本稿は2日めに特別講演として発表されたもの.医学や医療のあり方を根本から見直してみようという気運のあるこんにち,ひとつの参考にと片岡教授にとくに求めてご寄稿いただいた.(カット写真は,1606年メルカトール作の日本地図.)

問いかける沖繩・1

沖繩の保健医療と病院

著者: 大城喜久次

ページ範囲:P.110 - P.111

昨年5月,いろいろの問題を抱えながらも,人口100万人を擁する沖縄は,念願の本土復帰を実現した.しかし,日本から放置されていたこの27年間のうちに,本土と沖縄との格差はあらゆる面ではなはだしいものがある.とくに医療の面に関してのきびしい沖縄の実情と復帰の動きを,現地からのレポートにより,1年間の連載をつづけよう.(カットは沖縄の伊野波節)

研究と報告【投稿】

狭いスペースを利用するカルテ保管庫

著者: 上原九美可 ,   伊集院しな子

ページ範囲:P.112 - P.113

はじめに
 私どもの病院で病歴管理を始めたのが,昭和47年1月からである.したがって,病院建築の時,病歴室設置を考えていなかったので,いざ始めるとなると,部屋の問題にぶつかった.空室を改造して病歴室にあてたが,なにしろ部屋の間口が狭い.この狭いスペースをいかに利用するかで,病歴の保管能力が増減する.従来の移動式保管庫を縦スライド式とするなら,私どもは横スライド式を用いて作業をすすめているが,使用してみて非常に便利であったので報告したい.病歴保管庫選定の際の参考の一助にしていただければ幸いである.

霞ガ関だより

厚生行政の今後の課題

著者: 春日斉

ページ範囲:P.114 - P.115

医系技官の不足から
 12月23日に厚生大臣が交替し,48年度の予算案がいまだ内示もされていない47年12月末の段階で,48年度の厚生行政の方向を卜することは役人として不きんしんのそしりをまぬがれないかも知れぬ.
 ところで,厚生行政にとってきわめて脅威的な地すべり的事実が秘かに進行中のことをご存じだろうか,まず基本論としてそれから始めてみよう.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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