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雑誌目次

雑誌文献

病院32巻10号

1973年10月発行

雑誌目次

特集 火災対策

高層建築の火災と問題点

著者: 高野公男

ページ範囲:P.22 - P.36

都市と火災
 昔から,都市に火災はつきものであった.江戸時代には5年に1回の割合で大火があり,中でも死者11万人を出し江戸城本丸を含む市内の大半を焼失させた明暦の大火(振袖火事,1657)は有名である.出火元は本郷丸山町本妙寺であるが,振袖火事のいわれは当時振袖を着た娘が次々と病死するので本妙寺で供養し焼捨てようとしたところ,突然風が吹きはじめ火のついた振袖が無数に空に舞いあがり,これが原因で大火になったといわれる.このほか八百屋お七の火事(1682.12)も有名だし,西欧では帝政ローマの暴君ネロの大火,またパン屋から出火し全市の3/4を焼失,またその後のレン卿による都市改造計画と都市の不燃化で有名になったロンドン大火,今世紀にはいってからは,多くの火災保険会社を倒産させ,現在の建築防火学の確立の発端となったシカゴ大火やボストン大火などがある.古今東西を問わず,都市の歴史は災害の歴史であるといえ,過去の都市計画は戦争,疫病大火,飢饉に対する防衛,防災を基本として成り立っていたといってよい.
 最近では建築物の不燃化や街区の整備,あるいは消防力の近代化によって,日本では昭和35年以降平時の大火はほとんど姿を消したが,これはある意味では技術革新の成果であるとみてよい.しかしこれに替わって現代の都市は新しい災害危険をかかえこみ,いろいろな災害パターンを生み出した.

病院火災の教えるもの

著者: 石川増弘

ページ範囲:P.38 - P.43

医療施設の特殊性
 医療施設は,一般の建築物がおもに健康者を対象としているのと異なり,身体弱者および精神弱者を収容するための施設である.
 近年の急速な医学の進歩,医療設備の向上,人口の増加,敷地の減少などにより病院は,今まで以上に複雑な建築構成ならびに高層化としなければ,病院としての機能を十分に発揮することが困難である.

資料 1,他

ページ範囲:P.43 - P.43

<渡り廊下>
建物と建物を空中で結ぶ渡り廊下は,最近各病院でみられるようになった.この渡り廊下も,避難のさいには大事な役割を果たすものとなる.しかし,ただ1フロアをつなげるよりも,各階あるいは,数階をつなげるほうが役に立つ場合が多い.また,防火扉の設置も忘れてはならない.

火災時の心理

著者: 安倍北夫

ページ範囲:P.44 - P.48

火災習慣をあらためる
 近頃どうも火災の様子がおかしいということを感じられないだろうか.火災件数に比較しての死者の数が顕著にふえている.焼死者に対して煙死者が増加している.一口に煙死者というが,その中には,これまで常識であった一酸化炭素中毒ではないものが増加している.2階3階といった高層の建物の場合でも,火災の直上階が一番危険と考えられていたのに,最上階で真先に死者が出る.耐火構造だから火事に安全と単純に信じられていたのに,高層のそれこそ堂々たる鉄筋ビルで多数の死者が出る.こうした事情は,これまで火災についての常識と考えられていたものや,それに基づいてできあがり,無意識のうちに人びとの間にうけつがれてきた,いわゆる火災習慣なるものを再検討しなければならぬことを示唆しているように思われる.
 大体これまでの火災習慣なるものは,それこそ木と紙でできた木造建築の,それも平屋についてのそれであったようである.だから,それ火事だといえば,人びとはとるものもとりあえず,そのまま外へハダシでとび出せばよかった.

精神病院の特殊性

著者: 岩佐金次郎

ページ範囲:P.66 - P.69

はじめに
 病院の塀に接した民家から火事がおこった.12月の西北風にのって,火の粉がとんできたので,深夜の病室に,退避命令が急報され,病棟の扉は開放された.500名余りの男女患者は,火元とは反対側の,構内広場へ集められた.たいした混乱はなく,集結患者数は,当夜の在院者数と一致していて,当直者をまず安心させた.吹き上げるあかい焔が黒い煙に変わっていく頃には,近所に住んでいる職員たちも応援にかけつけてきて,警戒体制は十分となった.30分たたないうちに,鎮火となり,患者たちは,病室へ戻った.人員点呼をすると,火元の民家に最も近い女子病棟の患者がひとりいない.火事が消えて,静かになっていく近辺とは逆に,多くの職員が騒々しく捜しはじめた.入院者調査票に記入されている住所は,病院から3kmばかりの近距離である.自転車でそこを訪れた職員は‘たったいま,帰ってきました’というねまき姿の兄夫婦の側にその患者を見いだして,息をついた.
 ところが,その翌夜10時ころ,同じ患者のいる女子病棟(木造)の天井からキナ臭い煙が洩れている,という.たしかに,病棟の浴場をはじめとして,数か所でそのような臭いがする.近い病室の天井板を突きあげて開くと,臭いはすこしだが強くなっていて,薄褐色の煙が天井板にそって広がりながら立ちこめていく.‘天井裏で漏電発火!’この判断で,院内出火を知らせる3吹鳴サイレンがひびき渡った.

小倉記念病院の防火・避難対策

著者: 北崎彊 ,   竹内辰夫

ページ範囲:P.70 - P.76

社会保険小倉記念病院
 前身は大正5年5月発足の私立総合病院.昭和23年1月厚生省が買収し,社会福祉法人朝日新聞西部厚生文化事業団に経営を委託,以来"国有民営"のユニークな社会保険病院として今日にいたる.病床数550.

避難対策

新生児室・未熟児室の場合

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.50 - P.52

 新生児室や未熟児室は,火災発生に対して救出が困難な条件が多い.根本的には火災の発生予防が大切であり,建築設備を完備し,防火教育を徹底することである.しかしそれには費用と時間がかかる.火災はいつ発生するかもしれない.そこで不完全な条件のもとで,どのような避難対策を立てるべきかということを考えてみたいと思う.
 この問題については,新生児管理改善促進連合(日本医師会,日本小児科学会,日本産科婦人科学会等12団体)が,昭和45年と47年に検討を加え,筆者もそれに参加したので,その趣旨を中心にまとめてみる.

手術中の場合

著者: 歌代一朗 ,   馬杉則彦 ,   小林寛伊 ,   久保田歌子 ,   都築正和

ページ範囲:P.53 - P.57

はじめに——最も完全なる火災避難対策に対する考え方
 人類が約200万年前に地球上に誕生して,人間社会が形成されて以来,その構成社会の全体的な要求としての安全対策は,時間の経過と共に確実に増加してきているといえるのではないだろうか.そして有史以来,人間は常に次の事柄から一時的にも解放されることがなかったことも事実であろう.すなわち‘現在が今までのうちで一番安全対策の必要な時である’という考え方である.
 ということは,たとえば江戸時代に生活していた人は,江戸時代がそれ以前の時代に比べて,安全対策の一番必要な時であると考えたであろう.これは明治時代になっても,大正時代になっても,否,現在でさえも同じである.とくにこの10年間における安全対策の問題が重要性を帯びてきているように感じるのは,だれしもだと思う.その安全対策が公害についてであれ,火災についてであれ,こういった危機感はいつの時代でも同様に存在していたと思うのである.これを端的にいい表わしている言葉が‘昔は良かった’ということばで代表される古老の言ではなかろうか.

ICUにおける火災上の問題点

著者: 佐藤光男

ページ範囲:P.58 - P.60

患者の特徴
 ICU(intensive care unit)とは,呼吸,循環および代謝などに急性に機能不全をきたし,生命の維持に困難がおこったような症例を選んで収容し,これに集中的に治療を加える病院の1つのセンターである.優秀な看護力と豊富な設備のもとに,いくつかの専門科(医)が協力し合って1人の患者の診療にあたる体制がとられている.
 このような特殊な病棟に収容される患者には,問題となるいくつかの特徴がある.

心身障害児施設の避難対策

著者: 高橋孝文

ページ範囲:P.61 - P.63

 ここ数年来,肢体不自由児施設の全国的なすう勢として,重度肢体不自由児,とりわけ重度かつ年少の脳性マヒ児の入園が急激に増加しており,その中には治療プログラムがまだ低位段階にあるために,寝たままのものや,動作能力としては這う,立つ,歩くことが可能であっても実用性に欠けていたり,車椅子の乗り降りが自力でできないなど,日常生活動作(ADL)上の体移動に常時介助を必要とする患児が数多くいる.
 加えて手術後の就床や,ペルテス病や脱臼性股関節症などで持続牽引療法を行なっているため,長期間就床している患児も少なくない.

老人病院の避難対策

著者: 大林寛

ページ範囲:P.64 - P.64

 当会においては,老人病院,老人ホームに約900名の老人を収容している特殊性を考慮して,火災事故の未然防止を最大の重点事項としている.
 万一,火災が発生したならば,全職員ただちにこれに対処しうるよう事前の教育訓練を徹底し,的確な状況判断と迅速な行動により,通報連絡,避難誘導,初期消火,救急活動などと,その状況に応じた資機材の活用,適切な人員勢力の投入により,入院老人の生命・身体の安全確保に万全を期し,被害を最小限度にとどめるよう非常災害の発生に対処している.

病院と統計

医事紛争

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.10 - P.11

 医師が患者のために献身し,患者が心からの感謝をもってこれに応える.そうした医師と患者の間の美しい信頼関係は今はもう失われてしまったのだろうか.
 それどころか,現在では,そうした信頼関係とは逆に怨恨関係とすら言えるような状況が一般的にあらわれはじめてきている.それは,今回取り上げた医事紛争の問題に最も端的に見ることができる.資料は,最高裁民事局から得たもの以外は,日本医師会法制委員会の報告書(日本医師会雑誌 第68巻第2号所収)からお借りした.

グラフ

地下鉄と直結した‘中村日赤’病院—防火の備えに意をつくす名古屋第一赤十字病院

ページ範囲:P.13 - P.17

 国鉄名古屋駅から市営地下鉄で8分.‘中村日赤’駅で下車,170メートルの地下道を通って上にあがったところがちょうど名古屋第一赤十字病院の外来診療棟の玄関になっている.‘中村日赤’という病院名が公営交通路線の駅名になっているのも珍しいが,その駅と病院が地下道で結ばれているのはもっと珍しい.世界にもあまり例がないだろう.この地下道は,5億円もかけて病院自身でつくったというからこれまた驚く.
 一昨年建てたばかりの2階建の外来診療棟と360床を有する8階建の病棟は,工費13億円と3年の歳月がかかったというだけあってさすがにりっぱである.

赤十字の理想に生きる 名古屋第一赤十字病院 田代勝洲院長

著者: 橋本義雄

ページ範囲:P.18 - P.18

 「友は第二の我なり」という.田代院長と私とは大学の同級生で,昭和4年卒業後同じく名大第一外科,斎藤真教授の門下生になった.在局中でも田代院長は私に比べれば確かに社会に通じ,常識も豊かで,ある信念を持ち,思想的にも"よりおとな"であった.そのころ農村の疲弊による住民を救うために医療利用組合病院の設立に尽力し,遠く秋田県能代にまで出向し悪条件を克服して医療奉仕に尽された.まさに赤十字創立者デュナンの「みな人間同士なのに!」という精神に類するものがあった.私もこれによってその後医療のあり方についてひとつの考え方を実際に教えられた.
 現在の病院に赴任されてからは主として"ガンと闘う"の精神に燃え,愛知県対ガン協会の発足に奔走し,次いで愛知県がんセンターの創立に尽し,日赤病院にはガン治療センターを新設して専門の外科技術を通じてガン治療に挑戦された.院長就任後はますます赤十字の理想とする博愛の精神と公平な心の実践を医学教育面にも及ぼし,年の長ずるとともに頑迷のうちにも温情ある心をもって,奉仕という具体的行為により福祉に貢献しておられる.それだからこそ現在の発展した病院の姿があるのだと思う.「友は失うは易く得るは難し」私は田代院長を友に持ったことをこの上なく幸いに思って感謝している.

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お知らせ

ページ範囲:P.36 - P.36

第2回日本病院設備学会
日時 昭和48年10月20日(土)9.30-17.00
会場 日本都市センター別館講堂

時評

週休2日制と年中無休制

著者: えい

ページ範囲:P.77 - P.77

 週休2日制については,本誌の8月号に特集が出ている.週休2日制の理論と実際は,この特集に盛りこまれているので,ここでそれをくり返すつもりはない.ただ最近見聞したエピソードを書いてみる.

問いかける沖繩・10

‘地域医療’部(2)—保健医療圏の設定

著者: 鈴木淳

ページ範囲:P.78 - P.79

‘沖繩らしさ’を数量化する……
 復帰以前から沖縄には無限に近いほどの医療需要が潜存していたが,他方では医療供給力はまことに限られていた.復帰後は需要の顕化が著しく,供給力は逆に縮小し,受診者の不平不満が渦巻くこととなった.
 供給力を一時的に増すために,復帰前から国が25名の専門医を派遣するという制度があったが,実際の派遣数は枠の半分にも満たず,レトロスペクティヴには定着度はゼロに近く,診療力の移入はあくまでも暫定効果しか生まなかった.派遣医制度の評価にあたって,異口同音に提言されたことは長期総合計画の必要性とその計画内の派遣医の役割であった.

欧州における救急医療の問題・2

フランスとイタリアの救急医療

著者: 渡辺茂夫

ページ範囲:P.80 - P.84

フランス
 パリの救急医療パリの救急医療の現状は,4つの,いわゆる国立病院(大学の付属病院はパリにはない)を中心にして,各国立病院が曜日をきめて分担して救急医療を担当している.次の病院はいろいろの意味で有名である.すなわち,1)ラリボアジア病院,2)サンダンス病院,3)ピチイエ病院,4)サルピトリエ病院である.また,最近設立し,整備したものにホッシュ病院とアンリイモンドール病院がある.現在は,医療情報センターの独立したものはないが,情報は警察のAmbulance station (救急車駐在所)に連絡がはいる.救急車が出動して,この4つの病院の当番に当たっているいずれかの最寄りの所に運搬する.4つの病院は,4日に1回ずつ交替して責任を果たしている.また,他の救急輸送組織の中にEurope assistance (ヨーロッパ救急協会)があり,これは別に述べるが,かかる組織の下に搬送をしている.
 搬送は救急自動車,救急ヘリコプター,小型・中型航空機を使用している.とくにヨーロッパアシスタンスは,外国からの搬送をすみやかにするため小型救急輸送機,時に大型機を利用している.ヨーロッパにおいて飛行機を最も幅広く利用するための計画のできているところは,フランスが一番である.

病院史のひとこま

クロスビー会長の来日

著者: 落合勝一郎

ページ範囲:P.85 - P.85

 1956年(昭和31年)10月29日,エドウィン・クロスビー(Edwin Cros-by)先生がようやく来日した.本当に‘ようやくやって来た’という感じが強かった.それにはつぎのような3年越しのいきさつがあった.

看護管理・22

看護学院から総婦長に期待するもの—卒業生をこう受けとめてほしい

著者: 鈴木美恵子

ページ範囲:P.86 - P.87

看護教員は臨床を知らないという批判
 よく学院の先生は‘臨床を知らない’とか‘臨床看護をもっと理解すべきだ’とかいったことばを耳にします.臨床看護を知らずに,現に行なわれている看護の‘実体’を考えずに教育が行なわれているとすれば,それこそ地に足がつかない,やたらと理想を追い,理論のみをふりまわし,批判はするけれども具体的には,ろくろくケアもできない看護婦を育ててしまうことになるでしょうから,もっともな話だと思います.そして確かに近ごろは急速に看護学院が増設・拡大されてきておりますので,臨床経験の乏しい教員がふえたことも事実のようです.いくら教育が,かくありたい姿,建前を教えるのだといっても,現場というものをより把握し,現に行なわれている看護の実体を理解するよう努力しなければならないと思います.
 しかしこの‘臨床を知らない’という言葉のなかには,少々違ったニュアンスがあるというのです.それは先のことがらとは違った,現実の看護要員の不足からくる繁雑さのなかに,多くの看護学生の臨床実習を受け入れさせられて繁雑さが煩雑に変わるその‘苦労’‘たいへんさ’をわかってほしい,理解すべきだということのようです.こまごまとしたことは別としても,看護婦不足,とりわけ指導者の不足,忙しい業務を痛いほど知らされています.なればこそ,看護教員はジレンマに苦しみ,悩んでいるのです.

病院職員のための医学知識・10

ここまできた癌の治療

著者: 石井兼央

ページ範囲:P.88 - P.89

 日本人では胃癌がたいへん多いといわれていますが,最近でもそうでしょうか.
 そのとおりです.昭和46年の癌の部位別死亡者数や死亡率をみましても,男子では胃癌がもっとも多く,ついで肺癌,肝臓癌,食道癌,膵臓癌の順ですし,女子でも胃癌,子宮癌,肝臓癌,肺癌,乳癌の順になっております(表1).しかし昭和22年以後の癌による死亡者数の年次推移によりますと,胃癌は昭和43年頃からあまり増える傾向はみられなくなりましたし,子宮癌はむしろ年々減っていく傾向があるようです.
 胃癌や子宮癌などの日本人で多い癌による死亡率が増えないことはたいへん喜ばしいことですが,この原因ははっきりしません.胃癌,子宮癌の集団検診,早期発見という対策も役にたっているかもしれませんが,環境の変化が関連していることも考えられます.

病院におこりやすい法律問題・10

病院と労働争議

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.90 - P.91

事例 1
 病院の組合員が上部団体の指示のもとに争議行為を始めたが,病院の外来患者や,入院患者の面会人に対しても病院当局の非を宣伝するような行為をなし,ついにはピケットをはって病院へはいるのを阻止しようとしている.違法な争議行為と考えられるが,見解をうかがいたい.

病院図書館

「朝日市民教室〈日本の医療1〉病人は告発している」

著者: 穴沢咊光

ページ範囲:P.92 - P.92

煽情的な‘医者ワルモノ論’——告発には相応の医学的根拠が必要
 ‘告発’ばやりの世の中である.とくに医療荒廃の諸悪の原因を一方的に医師の職業倫理の低下になすりつけたような‘告発’ものは,俗受けもするし,出版企画として十分に利潤を生むご時勢らしい.困ったことである.
 本書は医療制度の欠陥により,または医療側の手落ちにより,自分や肉親が生命を失い不治の障害をこうむった人びと,または生命を失い障害をこうむったと称している人びとの呪詛と怨念にみちみちた手記やルポを集め,小児科医で医事評論家の松田道雄氏がその1つ1つに注釈をつけ,患者の側から日本の医療を告発しようとする出版である.

今月のニュース

昭和48年度病院管理研究会—総会ならびに研究会"夏期セミナー"開かる

ページ範囲:P.93 - P.93

 ‘病院管理研究所同窓会および夏期セミナーの研究会’が,‘病院管理研究会’(永沢滋会長)に改称されて2年目.去る8月29,30日の両日,同会の本年度総会および夏期セミナーが東京・烏山クラブで開催された.参加者は80余名にわたり,第1日は3つのシンポジウムと総会・懇親会,第2日はグループ討議・報告が行なわれた.シンポジウムは①看護婦不足の切抜け策(司会:尾村偉久氏),②週休2日制への取組み方(司会:阿久津慎氏),③病院経営の改善(司会:一条勝夫氏)で,本年のブームともいうべき②はもちろんのこと,どのテーマも病院管理の抱えている厳しい現状を反映していて,活発な質疑応答がかわされた.

病院のゆくすえをみつめて……—第1回日本医師会病院学会

ページ範囲:P.94 - P.95

第1回日本医師会病院学会が,去る8月22日,東京大手町の経団連会館ホールで開催された.日本医師会は昭和34年以来"病院委員会総会"のもとで"病院"にかんする問題を検討してきたが,このたび"病院学会"として拡大し新発足させたものである.病院委員会総会委員のほか各地からの一般参加者も多く,定員約500名のホールはほぼ満席となった.
現在,医療のあり方が全国民的な規模で問われ,医療界が大きな転換の時期をむかえていることは言をまたない.そしてこの状況のなかで,病院の質的飛躍が望まれているのもまた事実である.日本医師会がこの問題に全力で取り組む姿勢を示したことは,当然のなりゆきとはいえやはり歓迎されるべきものであろう.第1回の学会は,会期こそ1日だけであったが,きわめて現在的なテーマのもとで内容のある討論が行なわれた.

第12回全国自治体病院学会,盛岡市で開催

ページ範囲:P.96 - P.96

 まだ残暑のきびしい8月23,24日,第12回全国自治体病院学会が盛岡市で開かれた(会長:阿部辰夫・岩手県立大船渡病院長).会場の岩手県民会館大ホールで行なわれた開会式では,会長の開会のことばにつづいて,諸橋芳夫全国自治体協議会長のあいさつ,受け入れ側の岩手県知事・盛岡市長,および県医師会長の祝辞が述べられた.特別講演として‘医療従事者のモラル’(篠田糺・岩手医大学長)と‘平泉文化と岩手’(今東光・中尊寺貫主)が終わったあとは郷芸能‘鬼剣舞’.そして23日の午後から各部会の一般演題とシンポジウムに移っていった.
 ますます複雑多岐にわたってきた医療行政の中で,地域住民のニードも増大する一方であるが,これに対する自治体病院の使命と役割は大きい.‘近代医療における看護体制を考える’,‘自治体病院の未来像’などのシンポジウムはその意味で,あらためて自治体病院のありかたが,包括医療・高度医療・地域医療システムなどの点から見直されるべき時期に来たことを物語っていた.

病院建築・57

リハビリテーションセンターの設計—兵庫県リハビリテーションセンター その企画と,開設後4年をかえりみて

著者: 沢村誠志

ページ範囲:P.97 - P.103

はじめに
 兵庫県リハビリテーション(以下リハビリと略)センターは,兵庫県が県政百年記念事業の1つとして,身体障害者のうち,主として肢体障害者を中心として,たんに医療にとどまらず,心理,社会,職業にわたる総合リハビリ体系をとり入れることを目的としたものである.昭和43年より47年までの5か年に計画建築されたもので,第1期には,付属病院,機能回復訓練部門,第2期には,職業訓練校とに分けられた.総合化の目的のもとに当初よりプランされた身体障害者のスポーツ部門,自動車訓練部門,授産施設の整備と最近問題とされている身体障害者の相談評価を行ない能力の開発を行なう能力開発センターが現在なおプラン中である.この意味では,総合化を今なお目ざしているセンターといえる.
 しかしながら,付属病院および機能回復訓練課の開設された昭和44年10月には,全国にも類をみないセンターであった.最近,神奈川県をはじめとして規摸の大きいすぐれたリハビリセンターが建設またはプラン中であるが,このセンターが1つのモデルとして注目され,いろいろの参考の資料を提供したように思われる.そこで,昭和36年ごろから当センターのプランの一端を担当し,開設後も現場の業務に携ってきた筆者がこれまでのリハビリセンターの経緯を述べてみたい.

今日の精神医療・10 座談会

精神衛生法措置患者—その実態とこれからの問題

著者: 鈴木喬 ,   守屋裕文 ,   竹村堅次

ページ範囲:P.104 - P.114

 竹村(司会) 今日は,措置患者の問題をいろいろな角度からお話しいただくわけですが,鈴木先生は公的病院の立場,守屋先生は民間病院からみてというようなことでよろしくお願いいたします.

私的病院からのレポート・22

—大阪市・大阪回生病院—互恵の精神を説く株式会社組織の病院—菊池二郎病院長にきく

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.115 - P.123

 明治33年の創立というから,この病院の歴史も七十余年を重ねたことになる.しかし,大阪という土地の合理性が常に新しいアイデアを取り入れさせるのか,四方に病室を配した完全コアの建物,防音,フレキシブルな看護単位の考え方など,先取り的な思想にもこと欠かない.このたびはまた,コンピュータの導入をはかり,運営に役立てようと,病院をあげてかかっている真最中であった.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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