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雑誌目次

雑誌文献

病院32巻11号

1973年11月発行

雑誌目次

特集 効果的な案内とは

人間工学からみた案内標識

著者: 倉田正一

ページ範囲:P.22 - P.25

患者に不案内な案内標識
 外来の受付事務をすませた老人,杖をたよりに中央廊下の四辻までやってきたが,そこで足がとまった.その中央に案内標識の棒があったからである.標識は診療科から売店に至るまで30はあったろうか.同じ型の標示板が1方向7つぐらいずつ4方向に並んでいる.くだんの老人,首をかしげながら左へ回った,さらに左へ,また左へ.けっきょく元の位置までひと回りして立ち去っていった.次に子供をおぶって,もう1人の子供の手をひいたかみさんがやってきた.標識にぶら下がろうとする子供を叱りながら右へ右へと棒の回りを回りだしたのである.彼女もけっきょく元の位置まできてから,足早に立ち去った.何のことはない,標識棒は四辻で患者の渦を作る役割を果たしていたのである.
 小児科外来の廊下の椅子に腰掛けて待つ母親に子供が何かいっている.‘おしっこ’である.あわてた母親,手洗はどこかと見回すがわからぬらしい.看護婦が通り合わせた.尋ねられた看護婦,あごをしゃくって‘そこに標識があるでしょ’といった.なるほどあったのであろ.薬局の前でテレビをみながら自分の番号標示を待っていた男,いそいで椅子から立ち上がって窓口へ突進した.とこるがぶつぶついいながら元の場所へ引き返してきたのである.彼は6と9の数字を読み違えたのであった.階段の踊場で立ち止まった見舞客らしき婦人,階数を示す標示を見上げながらびっくりしてアレと口ごもった.

人間のためのサイン—大手町駅のメトロ・サイン・システムから

著者: 鎌田経世

ページ範囲:P.26 - P.31

 駅と病院——この2つを並べたとき,相互に共通するイメージは何であろうか.そのひとつとして,両者が利用するものにとってタイヘン不案内だということがあるだろう.地下鉄の主要駅などは‘都市化’の波に直撃されて,タコの足のように1駅に数本の路線が集中・交錯するところも出てくる.こうなると利用者には乗り場へ行き着くことさえひと苦労になる.単純・明快に利用者を案内するためには——これがメトロ・サイン・システムの発想の基本である.地下鉄という‘場’のちがいはあるにせよ,病院の案内の‘理論的基礎に立った現実の工夫’への一助として本論文を提供したい.

入院患者の利用案内—虎の門病院ビジブル方式から

著者: 黒田幸男

ページ範囲:P.32 - P.36

パンフレットによる効果的な案内
 患者は病院のあらゆる場所を利用するが,病院内はわかりにくい.始めての来院患者は院内不案内のために戸惑って不安を増している.もちろん一応の案内標示をし,各窓口でよく説明はするのだが,それでも,何を,どこで,どのようにすればよいのかわからないことが多い.
 このように,院内標示や説明では患者の理解を得ることが十分でない場合を補完するものとして,多くの案内パンフレットが作成されている.この案内パンフレットは,診療制度やサービス内容を‘知らせる’‘理解してもらう’という積極的な面もあるので,内容は知らせたい事項の具体的な詳細説明になる.

わが病院の案内のくふう

著者: 藤田栄隆 ,   武井清次 ,   三浦敬太 ,   榊田博

ページ範囲:P.38 - P.49

大阪赤十字病院
数々の試みの結果からいろいろとくふうはしてみたのだが
 病院というところは,はじめてそこを訪れた患者には非常にわかりにくくできている.
 われわれ病院に慣れた者でも,いざ,他の病院を訪れてみると,しばしばとまどうことが多い.もちろん,どこの病院でも,案内にはいろいろと気は配っており,それなりのくふうや努力もしておられるのだが,どこかでポイントが狂っているのか,患者の側からいわせると,さっぱり効果らしいものがみられないのだそうである.

患者は何を問うて来たか—佼成病院外来案内にすわってみて

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.50 - P.53

予測と好奇心
 ‘百聞は一見にしかず’というけれども,何度も聞かなければ病院というところはわからない.しかるべき病院の外来にはだいたい‘案内’というプレートを立てたカウンターがあって,利用者(患者)はそこでわからないことを問うのだが,その質問の内容はさまざまである.‘案内’は,患者サービスに加えて病院の診療内容への理解を助ける意味で重要なポストである.進んでいるところでは,総合案内に婦長や保健婦を配置してかんたんなスクリーニングぐらいはやってしまおうということまで試みている,ときく.聞かれたことにただ答えていればよい,という域を脱した積極的な案内の利用,機能開発は確かに必要かもしれない.
 さて,現実に患者(利用者)は外来を訪れたとき,案内にかけつけて何を問い,案内はどのように利用されているのだろうか.それに対してもちろん患者教育,PRを含めて診療内容と直結させうる——たとえばスクリーニングのような——案内になれば理想的であると思うが,問題は日々問われている内容であり,事実である.その事実を確かめるため,といえば大げさにすぎるが,利用者が案内へ問い合わせるナマの声を聞いてみることも参考になるだろう.見てもわからない,聞いたが迷ってしまったときは,てっとり早く利用者は案内に聞きにいくだろう.たずねる内容の中には,思いもよらない問い合わせがあるやもしれぬ.

病院の案内を実地に点検する—北里大学病院をみて

著者: 石原昭 ,   菊池順一郎 ,   阿曽弘一 ,   大森文子 ,   古谷国四郎 ,   清水釤太郎 ,   野口駿平 ,   松沢孝子 ,   武和子 ,   石原信吾 ,   一条勝夫

ページ範囲:P.54 - P.64

駅と病院とが,人を迷わせる筆頭の場所だという.そういわれてみれば,この2つにはいくつかの共通点がある.構内が広く動線が複雑なこと,北口・南口・西口——などと入り組んでいること,表示が不親切なこと,誰に尋ねればいいのかわからないこと……
 今日は,2年前に開院した北里大学病院を,訪れる側の立場から,その‘案内’を点検してみようというわけである.

病院と統計

病院におけるコンピュータの利用状況

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.10 - P.11

 電算機が今世紀の社会的発展をリードし特色づける最大の利器であることは疑問の余地がない.本年3月現在のわが国の汎用電算機の保有台数は約17,255台で,アメリカに次いで自由世界第2位の台数を誇っている.昭和40年以降の増加状況をみても,さすが,その躍進ぶりで世界を驚倒させた産業王国の面目躍如たるものがある.
 しかし,産業別実動状況の図の病院のところを見ていただきたい.よくよく目をこらして見ないと見落とすほどに落ち込んだところに37という数字が見える.全体の0.24%という保有台数だ.金額では0.1%にすぎない.

グラフ

‘難病’へのとりくみ—東京都立府中病院神経内科をみて

ページ範囲:P.13 - P.19

‘難病の条件’
①原因不明で適切な治療法がなく,かつ死亡率が高い.②慢性の長期経過をとり,後遺症を残す.③療養に高額の費用がかかり,患者・家族の経済的・精神的負担が大きい.

虎の門病院‘山脈’の三代目院長 浅井一太郎先生

著者: 幡井ぎん

ページ範囲:P.20 - P.20

 院長との最初の出会いは昭和31年であったと記憶している.以後17年間のおつきあいである.当時先生は大蔵省診療所所長であり,また専門分野である血液学会の重鎮でもあられた.その診療所を病院にという話がしだいにふくれて虎の門病院が生まれたのであるが,言い出した先生が土地探しから計画など一手にすすめられたようである.いつのまにか成果が集積されたという感じで,虎の門病院が発展したのは先生の人格によるところが大きく,これは衆目の一致するところである.東京に点在する数か所の共済病院の一環化など,先生の抱かれる百年先を見通した構想は常に高く深くその大きさに驚かされることはしばしばである.三代目の院長ではあるが‘種’の時点から今日に至るまでの経過を追うと‘カイゼルのものはカイゼルへ’の感じが生々しく迫ってくる.ふさふさとした素敵なロマンスグレイであった頭髪もいまは多少淋しくなられた.将来へ無限の夢を擁している虎の門病院の院長として先生のお年を今のところで止めたい………と願うことしきりである.

ニュース

医療費値上げをめぐる2つの大会—全国病院大会と全国医師大会

ページ範囲:P.31 - P.31

 緊迫した状態を迎えた‘医療費値上げ’をめぐって,10月16日東京で2つの大会が開かれた.第1は‘9・21大臣公約実現要求全国病院大会’(主催・全国公私病院連盟).これは去る9月21日‘病院の危機’を訴えて厚生省内に座りこみ,厚相に緊急是正の年内実施を迫った病院代表団が,その実現をめざして運動を全国的に盛り上げるべく挙行したものである.大会は,①中医協即時開催,②30%以上の緊急是正を11月1日から実施,の2点を決議,その後参加者(1300名)は会場(芝・ニッショウホール)から厚生省へ向けてデモ行進した.
 かたや,"自民党激励・公約履行大会"と銘打った‘全国医師大会’(主催・日本医師会).1500名あまりの各都道府県の医師会代表が,スライド制の即時導入と中医協解体をスローガンに,マトを政府自民党一本にしぼっての集会である.翌17日には,中医協の支払い側委員が中医協の即刻開催を厚相に申し入れるなど,この2つの大会を機に医療費アップへの具体的な動きがようやくみえはじめてきたようである.

第11回日本病院管理学会—昭和48年10月12日,13日

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.37 - P.37

創成期を越えて
 わが国の大学にはじめて病院管理学講座が開かれたのは,昭和28年,東北大学医学部である.島内教授がその講座を担当して20年たったが,今回第11回日本病院管理学会が島内教授を会頭として,仙台市で開催された.
 この学会も10年間という創成期を乗り越え,地盤もしっかりしてきた.正会員になるには一定の資格を必要としているので,会員数の増加は目立たないが,それだけに参加者には真剣な構えがみられた.

時評

経営危機に拍車をかける物価高騰

著者: あい

ページ範囲:P.65 - P.65

 この数か月,病院で使用する医療用材料や消耗性物品,印刷物にいたるまで,異常な値上がりが続いている.それでも容易に入手できるならまだ正常な医療活動に支障をきたさずに何とか間に合わせられるが,ひどいことには,品物によっては入手困難という状態がおこりかけている.

招待席

いまアメリカの医療が試みていること

著者: 小林玄一 ,   神崎三益

ページ範囲:P.66 - P.74

 神崎 私,先年,非常なハード・スケジュールでアメリカの代表的な病院をいくつか見てきて,日本のものと比較して,非常にその間に距離があると考えながら帰ってきました.日木も,先生もごらんになったと思いますが,ぼつぼつショーウィンドーに並べる程度のものはできていますが,全体のレベルは,私どもみずからがこんなことではいけないという不満を持っているんです.1977年の国際病院連盟コングレスをお引き受けするについても,もっと日本全体の病院のアベレージが上がってこなければ,その時期尚早なりという考えも持っておりますが,まあしかしコングレスが非常な刺激になって,病院関係者だけでなく,政治家から一般国民までが病院の大切さを知ってくれればと思ってお引き受けしたしだいです.
 私なりにはいろいろ承知しているように思うんですが,なんであんなにアメリカの病院が日本と比べて格段にいろいろな点で進んでおるのかを,ひとつお話しいただきたいと思います.

今日の精神医療・11

精神障害者の社会復帰施設—東京都立世田谷リハビリテーション・センターを見て

著者: 岩佐金次郎

ページ範囲:P.75 - P.80

社会復帰施設設置への発端
1.精神神経学会の提言
 精神障害を,分裂病に限ってみても,その病者の社会復帰について,多くの精神科医は体験として深い悩みと多様な困難を持ち続けてきている.しかし,こうした苦しみのなかにある精神科医が多く現われてきたのは戦後であり,戦前派医師のほとんどは,臨床精神科医としての意識が偏っており,活動範囲はきわめて狭かったから,ルーチン的‘治療’はするとしても,社会復帰を目標としている医療活動とはいえず,したがって,悩みや困難を持つことは少なかった,と言わざるをえない.そして,残念だが,同じような現象が戦後派の一部の精神科医にも認められる.——こうした事情は,精神神経学会の活動に当然のことながら影響していて,一群の医師の活動はあったとしても,その医療体系委員会が小委員会をつくり,社会復帰施設をとりあげて検討しはじめたのは,昭和41年12月で向精神薬がわが国へ導入されてから,8年余りがたっている.現在の他科の多くの医師さえ,精神病になれば廃人と思いこんでいるのは,このへんの事情もあずかっている.
 小委員会は,43年にその‘案'を発表し,精神障害者(主として分裂病が対象)の社会復帰促進のための社会復帰医療センターと,更生施設の設立を提言した.

私的病院からのレポート・23

—一宮市・伊藤放射線病院—‘攻撃型経営’一途の発展をはかる—伊藤研院長にきく

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.81 - P.89

名古屋市と岐阜市の間に位置する一宮市は人口21万人の毛織物の町である.伊藤放射線病院は,2つの市立病院と並ぶ規模をもち,その名の示すとおり,悪性腫瘍にいち早く取り組んだユニークな病院である.二代目の現院長(写真下)は,自らを攻撃型と規定するだけあって,進め進めの号令とともに,人工透析・高看教育・分院建築(110床)とたいへんな忙しさ.明年はコンピュータもはいり,また一段の飛躍を志しているという48歳の若い管理者である.

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東京都がん検診センターの使命と事業運営

著者: 笹本四郎

ページ範囲:P.90 - P.92

 東京都が千代田区神田駿河台に,がん検診センターを建設して昨年秋業務を開始した.このセンターのあり方として,医療福祉行政のひとつのモデルケースとして考えられているのは,がんの検診のみを行なう特殊施設としての運営を行なっているためである.その使命などについて紹介しよう.

病院史のひとこま

ICUことはじめ

著者: 佐藤光男

ページ範囲:P.93 - P.93

 東北大学の助教授時代,昭和35年頃と記憶するが,麻酔科が病室8床を持ったことがある.これは東北・北海道にポリオが発生し,その対策としての鉄の肺の管理が麻酔科に一任された理由もあったが,それよりも岩月賢一教授をはじめ麻酔科一同が呼吸療法を中心とする病室をもちたいという願いを長年もっていたからにほかならない.

看護管理・23

シャーマン病院における院内教育(1)—リーダーシップセミナーにおける副総婦長の責務

著者: 渡辺もと

ページ範囲:P.94 - P.95

診療介助からチームナーシングへ
 患者中心の看護体制としてチームナーシングが日本に導入されて,早くも7年を経過している.日本では果てしない看護婦不足のため,合理的な機能別方式によって診療介助が重点に行なわれてきたが,近年社会の要請に基づいた看護の改善と,業務の独自性への探究により,チームナーシングの理論に基づいた体制をとる病院が多くなってきた.この体制については,都留伸子先生を始めとした諸先生方の懇切ていねいな指導書が明らかにされているが,さて実施となると困難な事情も多く,現状としては混合の体制が多いと思われる.体制のいかんを問わず,カンファレンスの必要性はだれでも認めるところであり,それぞれの病院が程度の差はあれ業務の向上のために熱心に展開しておられると思う.
 昨年訪問の機会を得たシカゴのシャーマン病院は,まったく短時間の見学であったが,看護部の資料をいただくことができた.その中の‘チームナーシングのリーダーシップセミナー’と‘カンファレンス’について,どのような基準を作製して日常の業務に取り組んでいるか紹介したい.

病院職員のための医学知識・11

脳卒中の今と昔

著者: 美原博

ページ範囲:P.96 - P.97

脳卒中という言葉の意味は?
 いろいろの病気の名前は,今と昔ではまったくちがい,近代医学の発達につれ,どんどん新しくあらためられ,昔の病名は,ほとんど残っていません.ところが面白いことに,卒中という言葉だけは,紀元前から記載されており,いまだに用いられています.‘卒’とは‘にわかに’とか‘急激に’という意味で,‘中’とはあたるという意味です.字典にも「血,脳に迫りて,にわかに卒倒し,人事不省に陥り半身不随となる」とありますが,今でも東北地方では,脳卒中になると‘あたった’といっています.俗に,手足がきかなくなってブラブラしている人を‘中気’‘中風’と呼びますが,昔の人は,高血圧や動脈硬化が原因だとは知らないから,悪気あるいは,悪い風に中(あた)ったから半身不随になるのだと考えていました.東洋だけでなく西洋でも,ギリシャの昔から,apoplexiaという言葉があり,アポプレキシヤは,ちょうど卒中と同じ意味です.
 いまでも医師の間では,ひとくちに‘アポ’といわれています.‘誰々がアポで倒れた’‘アポった’などと使います.

病院におこりやすい法律問題・11

解雇の正当性

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.98 - P.99

事例 1
 病院の看護婦の平生の勤務態度があまり良好とはいえず,そのうえ,軽い事故に終わったが,投薬のミスなどがあったので解雇したいと思い,1か月の予告手当を支払って解雇の意思表示をしたが,解雇理由を明示しないと裁判にうったえると言っているが,いかにすべきであろうか.

病院図書館

—浦 良一ほか著—建築計画学(吉武泰水編)4「地域施設医療」

著者: 橋本寿三男

ページ範囲:P.100 - P.100

 大胆な仮説と周到な答えを用意本書は吉武泰水氏編の「建築計画学」の第4巻として刊行されたものである.建築学の専門家でもない私が,本書の書評(というより推薦文)を引き受けるに至った理由は,まさに,その内容にある.
 私は現在いくつかの病院の経営を担当している.そのうちのひとつは,かつてある建築家が文部大臣賞を受けた記念すべき病院である.しかし,その病院は,今日に及んで,運営上なんともいたし方のないような困難に直面している.その要因のあるものは,病院の建物自体から発しているといわれても否定できない部分があるのである.

病院建築・58

新生児特別養護施設

著者: 奥山和男

ページ範囲:P.101 - P.104

新生児Intensive Care Unitと特別養護施設Special Care Unit
 最近およそ10年間に,未熟児および病気の新生児の養護には大きな変化がみられた.未熟児は特別な取り扱いを要するので,一般の新生児室とは別に,独立した未熟児センターが設けられたが,従来の未熟児センターの構造や運営でもっとも重視されたのは感染予防であった.そこでは主として合併症のない未熟児が育てられ,外科的疾患を有する子どもや強力な検査・治療を必要とする子どもは,別の病棟に移されることが多かったのである.病気を有する成熟児の取り扱いは病院によって異なっており,新生児の一般保育室内で治療するところもあるし,小児病棟内に入院させるところもあるが,やはり感染予防と隔離が養護上もっとも重要なこととされていた.
 感染症はたしかに新生児の死因として頻度の高い病気であるが,呼吸障害,重症黄疽,低血糖症,無酸素症などは,新生児の死亡や神経学的後遺症の原因として,もっと重要な病気である.そこで,このごろはこれらの病気の予防,早期発見,治療が積極的に行なわれるようになり,intensive careによって新生児の予後は著しく改善されることが広く認識されたのである.

欧州における救急医療の問題・3

イギリスとスイスの救急医療

著者: 渡辺茂夫

ページ範囲:P.105 - P.110

イギリスの救急医療
ロンドンの救急車サービス
 大ロンドンの救急車サービス(Emergency service)には3つのセンターがある.
 1)イルホード(Ilford)コントロールセンター 2)ケントン(Kenton)コントロールセンター 3)中央司令部(C.E.C.)コントロールセンターこれと,救急業務ではなくて運搬・移送のみをする 4)カムデン(Camden)コントロールセンター 5)ブロムレイ(Bromley)コントロールセンター 6)マルデン(Malden)コントロールセンターがある.ここの救急車は,英国では救急業務のみでなく,non urgentの運搬・移送を,すなわち歩行不自由者,ねたままの患者などの病院間の移送,外来通院の送迎などをやっている.この件数のほうが圧倒的に多く,全体の95%であって,救急活動に動員するのは年間総実働数の5%にすぎない.最近1年間の1750万の移送患者のうち,5%がいわゆる救急業務(事故・突発的急病)で,15%が妊婦を含めた入院・退院・転院の患者,80%は外来に通院する患者とのことである.

研究と報告【投稿】

病院麻酔科と病理の問題点—その認識と医師不足の解決法

著者: 浅山健

ページ範囲:P.111 - P.113

はじめに
 いま病院が直面する問題のひとつに,麻酔科をどう運営する1)かがあげられよう.この麻酔科を考えるとき,患者の一貫診断・治療に直接に関与しないで,主治医の医療行為を手助けする臨床科——臨床病理を似た科目としてあげることができよう.
 そこで麻酔科と臨床病理の外国における姿を日本でのそれと比べるとき,日本の両科の姿がくっきりと浮かび上がってくると同時に,これら特定科目の医師不足を解決する手がかりがつかめるといえよう.

問いかける沖繩・11

‘地域医療’部(3)

著者: 鈴木淳

ページ範囲:P.114 - P.115

設立の経緯
 附属病院に地域医療部を設置する構想は次のような経緯であった.
 戦後のわが国に導入された病院管理学の成果は,中央検査部,中央材料部,中央手術部,ICU・CCU,病歴部の設置となって具体化されてきた.これからの課題は病院全体の管理はもとより,病院機能を地域側の評価によって充実させ,病院診療を地域へと伸展させることである.この担当部局として‘地域医療’が考えられた(図1).

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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