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雑誌目次

雑誌文献

病院32巻3号

1973年03月発行

雑誌目次

特集 人工透析

透析療法のあり方—病院と透析

著者: 三村信英

ページ範囲:P.30 - P.33

はじめに
 透析療法が,腎不全の治療法としてわが国に導入されてから数年となり,その治療法はなお進歩発展しつつあるが,臨床的にはほぼ確立されたものとして日常診療に応用されるようになった.
 しかし,透析療法の普及には幾多の困難な問題があり,たんに医学的見地のみから取り扱うことは片手落ちであり,経済面,社会面などから多角的に取り上げ検討されなければならない.

長期人工透析における患者と家族への教育

著者: 樋口順三

ページ範囲:P.34 - P.38

 腎不全対策が国の施政の方針として取り上げられて以来,この1年間に全国各地に多くの透析施設が設けられたことはまことに喜ばしいことである.しかし反面,時代の波に乗って,長期のビジョンを持たないままにともかくも人工腎臓の器械を購入し,安易に長期透析を開始したが,つぎつぎに透析患者が死亡するにおよんで,せっかく透析センターを開設したものの透析患者も不安を持ち,透析スタッフも相つぐ患者の死によって自信をなくし,ついには透析センターを閉鎖し,せっかくの人工腎臓の器械も倉庫にしまいこまれるということすら起こりはじめている.長期人工透析センターの開設にあたりぜひ必要なことは,長期透析に対するしっかりした方針を持ち,その方針に基づいてパラメディカルスタッフを十分教育するとともに,透析患者およびその家族に徹底した人工透析による生き方を教えこむことである.
 ここでは,当センターで行なっている患者および家族教育の実際を紹介しながら,その指導方法について述べていきたい.

腎移植の現状と将来—人工腎臓に関連して

著者: 稲生綱政

ページ範囲:P.39 - P.41

はじめに
 腎移植の実験的研究はUllmanによりすでに1902年から始められていた.しかし,他の臓器や組織でもそうであるように,自家移植,あるいは同系移植,たとえば同じ純系同種間や一卵性双生児相互間以外では,ごく短期間の機能を維持することはできても,数日で移植腎機能は廃絶し,壊死に陥ってしまう.この事実に対してCarrelらは1913年,これは移植手技によるものではなく,同種あるいは異種移植時に起こる生体反応によるものと推察している.その後,Williamson (1923)がこのような場合に組織学的な異常のあることを見いだし,Medawar (1944)がウサギにおける皮膚移植の実験から,同種移植時における移植免疫反応を確認し,Simon-senやDempster (1953)らが被移植臓器は何も処置をしないかぎり,移植免疫反応に基づく拒否反応によってその機能を失い,壊死に陥ってしまうことを明らかにした.
 このような腎移植が実験的に行なわれている一方,臨床的にも1906年Jabouley,1910年Unger,1913年Schön-stadtらがそれぞれブタやサルからヒトへの異種移植を行なっている.

32台を備えた腎センターの運営と問題点—ケースレポート・1

著者: 土谷太郎

ページ範囲:P.42 - P.44

 人工透析,とくに慢性人工透析にはいろいろな特異性がある.それを列記すれば下記のごとくなる.
 1)人工透析は腎機能の回復を目的とせず,何らかの理由により失われた腎機能の代償をすることを目的としている. 2)一般的にいって,この療法は腎不全症患者の社会復帰を目的にしているのであって,たんなる延命効果を求めるのでは不十分である. 3)諸外国では家庭透析が賞用されているが,わが国では,腎センターなどでの病院透析がその主流となっている. 4)人工透析を必要とする患者は年々増加しているが,施設はまだ不足しており,しかもその地理的分布はいわゆる大都市にかたよっている,などである.

一無床診療所における人工透析の現状—ケースレポート・2

著者: 守屋美喜雄

ページ範囲:P.46 - P.49

当診療所の概要
 当診療所の透析室は,昭和47年6月1日にオープンし,現在4名の患者の外来透析を行なっているが,近くさらに2名ふえ6名となる予定である.
 立地条件は,都心にあるとはいえ,裏通りに面しているので,あまりよいとはいえず,加えてビルに間借りの無床診療所であるから,透析を行なうには,必ずしも適当な施設とはいいえない.

座談会

いわゆる‘愛知県方式’についてその現状と問題点をさぐる—ケースレポート・3

著者: 太田和宏 ,   下地敏雄 ,   成田真康 ,   前田憲志 ,   長谷川辰寿 ,   大林祥吾 ,   伊藤研 ,   川口俊介 ,   高井俊一 ,   太田裕祥

ページ範囲:P.50 - P.60

なぜ愛知県方式がつくられたか
 司会(太田裕祥) きょうはお忙しい中をお集まりいただきましてありがとうございます.人工透析の愛知県方式とはどういうものかというところからいろいろお話を進めていきたいと思います.
 愛知県方式は,人工腎臓治療にあたっていろいろなネックがありますが,そのひとつである一生涯人工腎臓で生きてゆかなければならない人たちが,どう社会に適合してゆくかということ,またこの医療をより有効にやってゆくためにはどのような方法がよいかということを,いまから約3年半前,昭和44年の時点で太田和宏君などの参加によって,愛知の人工腎臓の仕事が軌道にのりかかったときに考えられたものです.これについて,当初から非常に努力しております太田君から,愛知県方式が発足せざるをえなかった(こういうやり方をせざるをえなかった)理由を話してください.

人工透析の社会心理的背景

著者: 高須照夫 ,   前田貞亮 ,   中川成之輔 ,   大野丞二

ページ範囲:P.62 - P.71

最近の人工腎センターの普及,またかつては最大の問題だった医療費自己負担の問題もほぼ解決を見たのは腎不全患者にとって大きな福音といえる.しかし今後ますます増えるであろう透析患者の長期管理に伴う社会心理的ストレスは複雑かつ大きな問題である。

病院と統計

狭くなる日本列島

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.10 - P.11

 夏目漱石の小説"三四郎"のはじめに,主人公が熊本から上京する途中,名古屋で降りて一泊するところが出てくる.当時は名古屋と東京はそんなにも遠かったわけである.ところが,現在では新幹線でちょうど2時間.通勤しようと思えばできないこともないくらいの近さになった.もちろん,実際の距離は三四郎時代と変わるはずはない.変わったのは時間的近接距離である.この時間距離は,交通機関の発達によって短縮する.そして,最近は,その交通の面にほとんど革命的ともいえるほどの大変化が起こっており,とくに大都市間の時間距離の短縮が急激に進んでいるのである.
 そうした時間距離によって地図を書きなおしてみたらどうなるであろうか.その場合は,ある地点を中心としたそれぞれの地図が書かれることになるが,地域間で時間距離の短縮の程度が異なるために,ある方向では非常に収縮するが,他の方向ではそれほど変わらないということから,地図の形が変わったり,あるいは遠近が逆になって形がねじれたりすることが起こるものと思われる.

グラフ

社会のニードを使命として—聖隷福祉事業集団の中の聖隷浜松病院をみる

ページ範囲:P.21 - P.25

 いま,総合病院聖隷浜松病院として,419のベッドを有し,東海地方の基幹病院の役割をになっているこの病院も,そのスタートは,昭和29年,浜松診療所の発足までさかのぼることができる.
 当時,国民病とまでいわれた結核がようやく衰退のきざしをみせはじめていた.浜松市郊外三方原の聖隷病院という結核を対象とした伝統ある病院とは別に,心臓病,癌など,いわゆる近代医療に挑戦する場として,いちはやく考えられ,つくり出されたのが,この施設なのである.そのとき以来,この施設は一貫して,社会の動きをきちんと受けとめつつ成長を遂げてきた.

愛知県方式 あるサテライトセンターにみる夜間透析の実情—名古屋市・名古屋クリニック

ページ範囲:P.90 - P.93

 愛知県においては,全国に先がけたかたちで,いわゆる愛知県方式とよばれるシステマチックなやり方がつくり上げられ,腎不全患者への効果的な医療のとり組みがなされている.これは,‘患者の完全な社会復帰’を最大のスローガンにして,それを実現するために整備された組織なのである(下図参照).

東京労災病院長 近藤駿四郎先生

著者: 青山一夫

ページ範囲:P.26 - P.26

 東京が敗戦の虚脱からのがれ,京浜工業地帯にもようやく灯のともり出した昭和25年の春,森ヶ崎にわびしい木造2階建ての東京労災病院が建った.以来25か年,日本の災害医学史に脳神経外科の地位を確固たるものにしたのは,近藤院長である.各地に新設されていく労災病院の偉容をながめながら,傾きかけた病棟において脳外科および外科の合同で行なわれる院長回診はまさに壮観で,森ヶ崎の思い出として今も往時をしのぶ語り草となっている.
 油虫のはい回る病室で,烈々たる討論が展開され尽きるところがなかった.各地から集まってくる労働災害,交通災害による後遺症患者の診療のなかから外傷性頸性頭痛症なる症候群を世に問い,その臨床像,病態生理,治療に関して一連の体系づけを行なったのはそのころである.

時評

福岡県済生会八幡病院の火災が教えるもの

著者: せん

ページ範囲:P.72 - P.72

この火災の特徴
 3月8日,福岡県済生会八幡病院の火災と13人の死者発生は,最近この種の事件がなかっただけに大きな衝撃であった.
 この火災の特徴は北九州市随一といわれるほど防火設備の整った近代ビルの火災であったということと,医長の失火,患者救出の不手際という管理上の欠陥,そして死亡者が老人であったことである.

病院建築・50

人工透析室の設計

著者: 松本政広 ,   太田和宏

ページ範囲:P.73 - P.76

 人工透析室を設計するにあたって必要なことは,人工透析療法が何であるかを,現在の治療体系および社会医療体制の中で正確に把握することである.その上で,現場医療従事者すべての意見が反映されなければならない.これによって一本筋が通った治療体制ができ上がり,建築設計者は,問題点を明確に把握することができる.つまり,建築設計者と医療チームの意思の疎通が完全にできてこそ,良い透析室は生まれるといえる.
 今回は,主として,建築設計者の立場より取り上げてみた.

病院史のひとこま

マック先生の‘赤本’

著者: 守屋博

ページ範囲:P.81 - P.81

 わが国の病院管理学はマック(MacEachern)先生の赤本によって開かれたといってもよい.しかし,いまや赤本もマック先生も,だんだんと伝説の中に消え去ろうとしている.
 私がはじめてこの赤本にお目にかかったのは戦時中の昭和18年ごろだと思う.当時,私は東京逓信病院の外科にいたのだが,健康管理,ことに医療設備に興味をもっていて逓信省の保健課技官を兼務して勉強していた.偶然そこの図書室にこの赤本があるのを発見したのである.

看護管理・15

副総婦長制度を実施して

著者: 前田マスヨ

ページ範囲:P.82 - P.83

看護組織の目標
 わが国の総婦長制度のいきさつは,本誌第31巻第5号に金子光氏が書いているとおりで,看護の先進国といわれる国々を参考に日本の看護の新しい方向づけとなったのである.しかし当時の看護の状態から20年を過ぎた今,医療とそれを取り巻く社会状勢の変革は予想以上であり,看護はこの変革に適応する能力と知識を前提とした‘土台’を必要とし,その上に立って看護を進めていくということになってきている.しかし看護組織に混乱の生じやすい要素がわれわれの周辺に多く漂っている.看護組織が一貫した看護機能集団の活力源であるためには,その根源的存在のセクションが看護のマネジメントをすることで変革に適応する能力と知識の土台を提供したり整備することではないかと思う.
 この考えから当院では,看護組織はその背景によって変化をしながら,今日の組織に至ったのである.

病院職員のための医学知識・3

臓器移植の現状と将来(1)

著者: 初音嘉一郎

ページ範囲:P.84 - P.85

臓器移植をひとくちで定義するとどうなりますか
 人体にはその人の生命を維持するのに絶対欠かすことのできない臓器や組織があります.たとえば心臓,肺,肝臓,腎臓などの臓器は,その機能が低下したり,あるいは廃絶したときには,これをなんらかの方法で補わないかぎり,その人は比較的短期間のうちに死亡することはいうまでもないことで,これを寿命としていたわけです.
 しかし医学が進歩するにつれて,こうした機能の低下あるいは廃絶した臓器を取り去り,他の人体あるいは動物から臓器をもってきてその機能を代行させ,その人の寿命,生命を延長させようとする試みがなされるようになってきました.こうした臓器にはその機能を発揮させるために,その臓器に血液を供給する動脈とそこで使われた血液を再び心臓へもどす静脈とがあります.こうした‘血管どうしをつなぎあわせて,その臓器特有の機能を他の患者の中で営ませようとする手術’を臓器移植といいます.

病院におこりやすい法律問題・3

病院と不法行為

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.86 - P.87

事例 臨時で,5年ほど前まで勤務していた看護婦をパートで使ったところ,注射液のラベルを見誤って患者に注射,幸い大事に至らないで済んだが,結局入院期間が2週間ほど延びることになった.
 患者は直接病院長のほうに損害賠償を求めた.当の看護婦はすでにパートに来ていないので請求はしないようである.この看護婦は,継続的でなく,単に3日間来ただけであった.これは病院の不法行為となるだろうか.

病院図書館

—岩佐金次郎著—「精神病院管理の問題点」

著者: 川上武

ページ範囲:P.88 - P.88

好感のもてる現場からの発言
 精神科疾患はいわゆる成人病・老人病(脳卒中・心臓病・悪性腫瘍)とならんで,疾病構造のなかでしめる比重が年々たかまっている.同時に,かつては"不治永患"としてかえりみられなかった精神科疾患が向精神薬の開発により近代医療のレベルにのりはじめるにつれて,精神病院が医療経営として確固たる地歩をしめるにいたった.
 しかし,日本の明治維新いらいの医療に関する公共投資を個人(開業医)の営利性に転嫁してきた低医療費政策は精神医療のなかにも貫徹していた.結核病院の斜陽化の声のなかで精神病院の新設がすすめられたわけだが,その主力は民間病院であった.現在では精神病院の80%以上は民間病院であるといわれている.精神科疾患が他の病気より,本質的に社会的性格が強いことを考慮にいれると,これは異常な事態であり,現代日本資本主義の特殊性を示す重大な指標の一つだといえよう.

病院の広場

病院の全従業員にむくいる道を考えつづけて

著者: 大西益太郎

ページ範囲:P.89 - P.89

船医の道を選んだ私
 昭和4年東北大学医学部を卒業した私は医局に残らず,船医の道を選んだ.インドに4回往復して,サイパン,テニアンに移民を運び,心境の変化で船医をやめて,南洋興発製糖会社の病院に勤務した.サイパン,テニヤン,ロタの3島を中心に診療に携わりつつ医学論文を作り,昭和10年に母校の熊谷岱蔵先生のところで,内科を専攻して,再びロタ島に帰った.そのうちに矢も盾もたまらず開業したくなり思い切って会社をやめた.これが私の運命の別れ道だった.南洋にいたら一家玉砕していたろう.
 こうして中国に渡り,南京で開業したのが昭和14年であった.日本を離れて開業することについては何とも思わなかった.やはりはじめに船医として出発したせいか,広い気持ち,視野といったものが私の中に育っていたためだと思う.

話題

第10回日本医師会病院委員会総会開かる—"病院調査"結果も報告される

ページ範囲:P.94 - P.95

 2月24日,第10回日本医師会病院委員会が開催された.会場の日本医師会館には各都道府県推薦会員はじめ約200名が参加した.
 武見日医会長は冒頭‘来年度は病院学会という形式で開きたい’と述べ,ほかに(1)技術と社会の関連が論じられているが,最も重要なものとして医学がその対象となってきている.(2)10年後の日本の医療はどうあるべきかを明らかにしたうえで現在を考えるべきだ.(3)建物の中だけの病院を考えるのではなく地域の中において考えるべきだ,とあいさつした.

私的病院からのレポート・15

—浜松市・総合病院聖隷浜松病院—社会事業集団の中の総合病院—中山耕作院長,長谷川力専務理事,大塚暢事務長に聞く

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.96 - P.105

 聖隷福祉事業団の設立の端緒は劇的である.昭和5年,貧しくて結核を病み,‘天地の間に身の置き所もない’と悲嘆にくれる1青年に,病室を建てて,あたたかく迎え入れた青年クリスチャンの愛が,現在のこの大きな集団の礎となったのである.
 かの古戦場三方原の地には,結核と精神科を主体とした伝統ある聖隷病院がおかれ,心臓センター,がんセンター,あるいは救急医療などを担当するもう1つの病院が,ここ住吉町の聖隷浜松病院である.

今日の精神医療・3

精神医療における技術とは何か

著者: 川上武 ,   金子嗣郎

ページ範囲:P.106 - P.113

 金子 このところ精神病院の不祥事がいろいろ問題にされています.その背景は,向精神薬が昭和30年ごろからはいってきて,精神医療が明るくなったという見方がある.ところが,それに乗って気楽に精神病院がどんどんできてきて,病床数もだいたいピークにさしかかってきて,来年度から措置入院の予算要求を厚生省がいままでより100人ばかり減らすんですね.それは実際に措置の患者がそれだけいなくなってきたということもあるでしょうけれども,現象としては,戦後の精神医療のターニング・ポイントみたいになってきているということがあると思います.
 結局内部的にいろいろな不祥事が起こって,それに対する批判が出てきた.一方では,精神病院に入院させるのは罪悪だという極論まで出てきていますね.そのへんは,もう一度精神科の医者なり,看護婦なり,いろいろな新しい職員たちの仕事の内容をきちんと整理をして,いったい精神医療における技術とは何かを考え直していかなければならない.そういうことで,今日は川上先生にいろいろおうかがいしたいわけです.

座談会

農村地域の第一線病院からみた 日本の医療

著者: 奥田幸造 ,   榎本敏雄 ,   越山健二

ページ範囲:P.114 - P.120

日本の医療を語る人はたくさんいる.それぞれに旗色鮮明に自身の論理で問題を解剖されてきた.しかし,農山村の現実の中に活動する第一線病院の視点から,再度問いかけねばならないものが,まだまだあるのではないか.長く苦労を重ねてこられた3病院長に腹をわって話していただいた.

研究と報告【投稿】

医療過誤からみた過失相殺(1)

著者: 臼田正堅 ,   山内譲

ページ範囲:P.121 - P.123

はじめに
 医療上において発生した不結果が,医療過誤あるいは事故と称されて,訴訟問題に及ぶものが年々増加の傾向にある事実は見のがすことのできないものである.
 その医療過誤訴訟問題のうちで,とくにその医療上の不結果たる損害の発生,原因,責任について,医師側の過失責任もさることながら,患者側にも不結果や損害の発生に関して責任原因,すなわち過失責任があると問題にされる.そして裁判の結果,医師側と患者側の両者に損(被)害の発生原因責任があるとして,当事者双方にそれぞれ損害と過失の程度を比較考量して責任の配分を行なったいわゆる過失相殺・斟酌について,以下にその概要を記したので医療過誤問題の防止あるいは解決策の措(処)置対策の一助に寄与する資にいたしたい.

問いかける沖繩・3

琉大病院の整備

著者: 照谷浩一

ページ範囲:P.124 - P.125

進歩と効率を目標に
 復帰前の沖縄(昭和45年)の医師数は人口万対5.1人で,本土平均の3割強であったし,病院総病床数も万対77床で,本土平均の6割であった.医師数と病床数の不足は必然的に悲しい状況を多く引き起こしていたので,医療援助は本土政府の対沖縄援助の重要項目のひとつであった.琉大付属病院の建設もその援助の一環として行なわれた.
 昭和40年佐藤首相の来沖時の琉大医学部設置の発言から端を発して,審議のため懇談会が設けられ,当面,医療関係者の養成と,病院施設の充実が必要であると結論された.

霞ガ関だより

英国の国民保健事業改造案の概要

著者: 寺松尚

ページ範囲:P.126 - P.127

英国において,現行の国民保健事業(National Health Service,以下NHSと略す)にかわって新しいNHSが1974年4月から発足しようとしている.当地の新聞には,中央・地方の関係職員がこの新事業の準備のため過労となり健康状態を心配しているという大臣談話が載るほど,いまや発足を目前として関係者はおおわらわといったところだという.そこで最近英国からもどられた厚生省の寺松技官に,現地の見聞と72年8月1日に刊行された白書(Cmnd 5055)から,その内容の紹介をお願いすることにした.なおこの計画はイングランドについてであり,ウェールズは別に策定することになっている.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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