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問いかける沖繩・3
琉大病院の整備
著者: 照谷浩一1
所属機関: 1琉球大学保健学部付属病院
ページ範囲:P.124 - P.125
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復帰前の沖縄(昭和45年)の医師数は人口万対5.1人で,本土平均の3割強であったし,病院総病床数も万対77床で,本土平均の6割であった.医師数と病床数の不足は必然的に悲しい状況を多く引き起こしていたので,医療援助は本土政府の対沖縄援助の重要項目のひとつであった.琉大付属病院の建設もその援助の一環として行なわれた.
昭和40年佐藤首相の来沖時の琉大医学部設置の発言から端を発して,審議のため懇談会が設けられ,当面,医療関係者の養成と,病院施設の充実が必要であると結論された.
復帰前の沖縄(昭和45年)の医師数は人口万対5.1人で,本土平均の3割強であったし,病院総病床数も万対77床で,本土平均の6割であった.医師数と病床数の不足は必然的に悲しい状況を多く引き起こしていたので,医療援助は本土政府の対沖縄援助の重要項目のひとつであった.琉大付属病院の建設もその援助の一環として行なわれた.
昭和40年佐藤首相の来沖時の琉大医学部設置の発言から端を発して,審議のため懇談会が設けられ,当面,医療関係者の養成と,病院施設の充実が必要であると結論された.
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