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雑誌目次

雑誌文献

病院32巻4号

1973年04月発行

雑誌目次

特集 病院の特殊性と労基法

病院における労基法違反の実情

著者: 宮沢源治

ページ範囲:P.22 - P.26

●まえがき
 昭和48年1月20日付の朝日新聞は"看護婦酷使を改善せよ"というタイトルで,"休憩なく残業強制"というサブタイトルをつけ,春日部市立病院の労働基準法違反事件を報道している.
 事件の内容は,①1日2時間以上の時間外労働を女子労働者に対して行なわせている.②36協定がないのに,1日8時間以上を超えて時間外労働をさせている.③休憩時間を所定どおり与えていない.また自由に与えていない.④女子に休日労働を行なわせている.⑤拘束者に通常の賃金を支払っていない,という内容のもので,①は労基法第33条・61条に違反,②は同法第32条・36条に違反,③は同法34条に違反,④は同法第35条,第61条,⑤は同法第24条に違反しているということを問題にしたようである.

労基法と女子職員

著者: 慶谷淑夫

ページ範囲:P.27 - P.31

●労基法のたてまえ
 労基法は,労働者の労働条件の最低基準を定めた法律である.同法は,病院にも適用されるから,病院の使用者としては,同法に定められた労働条件の最低基準を職員に保障していかなければならない.もし同法を使用者が守らないときには,刑事罰が課せられるし,また同法に違反する労働条件を定めた労働契約は,その部分について無効となり,無効となった部分は,同法の労働基準で置き換えられることになっている(同法13条).
 よく労基法に定められた労働条件の基準はきつすぎるのではないかということを聞くが,決してそうではない.昭和22年につくられた法律であるから,現時点でみると,むしろ低すぎるといえるのではないだろうか.
 病院においては,人命を預かるたいせつな仕事をしているわけであるから,そこに勤めている人びとが満足のいく条件の下で働き,人命保持に全力を注げるようにしていくことが,病院の使用者として社会的義務であるといってよかろう.もし,病院の勤務する人びとに法律どおりの労働条件が与えられていないという事情があるとすれば,その職責を十分に果たさせることができなくなるのではなかろうか.

労基法に関する労使の争点

著者: 林秀雄

ページ範囲:P.32 - P.36

●労働基準法成立と性格
 1964年3月6日,衆議院に対し政府が労働基準法の提案を行なった.その提案理由は,‘1919年以来の国際労働総会で最低基準として採択され,今日ひろくわが国においても理解されている8時間労働制,週休制,年次有給休暇など基本的な制度を一応の基準として,この法律の最低条件を定めたものである’と述べている.また労働基準法第1条に示されている労働条件の原則では‘労働条件は,労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない’,と述べている.
 この人たるに値する生活に対する解釈は次のように行なわれている.その趣旨は‘本条は,労働者に人格として価値ある生活を営む必要を充たすべき労働条件を保障することを宣明したものであって,本法条の解釈にあたり基本観念として常に考慮されなければならない.

病院における安全衛生

著者: 落合勝一郎

ページ範囲:P.37 - P.41

●衛生管理の推移
 従来わが国に定着してきた衛生管理の概念は,企業の生産性向上,労働力確保,稼動率防衛への傾斜が顕著であった.すなわち従業員の疾病管理,およびその予防管理によって,従業員の稼動率を高め,定着性の低下による労働力不足を積極的に補足して生産性向上に直結させることに集約され,したがって,作業環境の改善の面においてはいささか人間性を忘却したかのごとき感なきにしもあらずであった.
 第2次大戦が終わって,現行労働基準法に基づく安全衛生規則が制定され,労働者保護の立場がとられるに至ったが,使用者側の衛生管理を生産性向上へ直結する姿勢は,さして変化がみられなかった.実際に,事業所衛生管理者の報告の中には,疾病休業率を1%減じ得たというごとき稼動率に関するものが多く散見できたのである.また衛生管理の技術面においても,職業病,あるいは,一般産業における業務上傷害など,休業率に関する報告が大きくとりざたされている.

労基法上問題となった実例

ページ範囲:P.42 - P.45

●1 宿直と割増賃金
A病院
 かつて,昭和30年代の前半当時は,労働基準監督署の監査があるというと,ギクッとして,あれやこれや大騒ぎをして準備万端整えたものである.それでも,先方は専門家,穴をご存じだからとてもかなわない.表面を繕ってみてもいろいろと資料をつつけばすぐ化けの皮がはげて,‘右違反事実については左のとおり是正することを誓約致します’などと請書を書いてごかんべんを願ったことも一再ならず経験した.
 昭和35,36年の全国的な病院争議は,すでに一昔以上前の語り草になったが,その渦中でもみくちゃになった筆者としては,あれを機会に労働三法など徹底的に勉強せざるをえなくなり,おかげさまで,昨今では初歩的なことで監督署にご注意をいただくこともなくなったように思う.

座談会

病院の特殊性と労働基準法

著者: 遠藤幸作 ,   東義晴 ,   大津陽一 ,   中村省吾 ,   石原信吾

ページ範囲:P.46 - P.54

 先般の春日部市立病院の労基法違反事件は新聞を賑わしたことで未だ記憶に新しいが,患者の命を守るというのっぴきならない使命と,一方には労働者としての職員の生活も守らなければならない病院の特殊性を考えるとき,この事件は病院の労務管理の上にさまざまな問題を投げかける.さて,その実情を説きあかすと.

病院と統計

医療の値段

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.10 - P.11

 今月は医療の値段の問題をとりあげてみた.医療の値段はいわゆる統制価格であって,価格決定者の意向がその全体の価格水準を支配することは当然で,現在それが‘低医療費政策’という名で呼びならわされていることは周知のとおりである.したがって,その全体に対しては,それを低く抑えるような圧力が働いているのであるが,個々の医療行為の値段については,それをどう決め,どう改訂していくかは,それぞれに対する評価や考え方の推移にしたがって,相異が出てくる.
 とくに,最近10年ほどの間の,医療の分野における学問的進歩と技術開発は極めて著しいものがあり,値段表すなわち診療報酬点数表には次々に新しい医療行為が追加されてきた.つまり,値段表の項目数が非常に増えてきており,しかも追加分は高度の医療行為が多いために,値段も上り,これまでに見られなかったような高額のものが目にとまるようになってきた.そのために,最低と最高の値段の差は著しく開いてきている.ただし,その最高のものの価格が適正であるかどうかはまた別の問題で,おそらく,そこにも当然低医療費政策の圧力は及んでいるものと思われる.新医療行為の追加は,いうまでもなく手術と検査の分野に多い.しかし,使用薬剤の分野にもいわゆる高価薬なるものが次々に姿を見せ,図には出さなかったけれども,同様の図を作ってみればかなり興味深いものと思われる.

グラフ

ほんとうのチーム医療ということ—兵庫県玉津福祉センター リハビリテーションセンター付属中央病院

ページ範囲:P.13 - P.17

 このセンターができたのは昭和45年秋,兵庫県政百年記念事業のひとつとしてであった.
 兵庫県には,約4万人の肢体不自由者がいる.そして,その原因は,大部分が交通事故,産業災害,脳卒中,慢性関節リウマチなどの成人病である.これらの人たちにとっては,病院に入院し,症状が落ち着き固定すれば退院する——ということだけでは,ほとんどなんの意味ももたない.従来どおり家庭生活を営み,自立した職業人として再び社会に復帰できてはじめて,このリハビリテーションセンターの意義がある.

母と子の健康を守る—東京都立母子保健院

ページ範囲:P.78 - P.81

〈母子のための専門病院〉
 病院の機能的分化の傾向は,最近急速に進んでいるが,母と子のため医療施設は産院,乳児院という形にとどまっていることが多い.小児に対しては小児病院の設立があるが,まだ数は少ない.
 健康な小児を得るためには母体の健康管理が必要であり,小児の将来を健全にするためには新生児期の集中的医療が必要である.これは新生児死亡を減少させるだけでなく,心身障害児の減少にも役立つ.

自治医大病院の運営を担う 松本清一院長と一条勝夫教授

著者: 高久史麿

ページ範囲:P.18 - P.18

 自治医科大学は各県から選ばれた医学生の教育を目的として昭和47年に開学されたが,病院開設を昭和49年4月にひかえて目下その準備に忙殺されている.その中心になっておられるのが松本清一病院長である.松本院長は昭和16年に東大医学部を卒業されたあと,関東逓信病院産婦人科部長,群大産婦人科教授の職を歴任されたあと,自治医大の開設に伴い,中尾学長のたっての要請に応じられて群大在任期間中にも拘わらず自治医大に移られた.群大時代に2年間病院長の職につかれ,その間名病院長としてつとに高名であった事もよくしられている.
 一条勝夫先生は昭和22年に東北大学経済学部を卒業されたあと病院管理学を専攻され,東北大学医学部病院管理学講師,厚生省病院管理研究所の経営管理部長をつとめられ,わが国における病院管理学の草分けの1人としてその創設と発展につとめられてきた.自治医大では特に病院管理学の学科をもうけ,一条先生を教授としておむかえし,御専門の講義をしていただくと共に,松本病院長の補佐役として,一条先生のお考えを,新しい病院の運営に反映させていただく事を一同期待している.

時評

医科大学をふやすだけですむのか

著者: えい

ページ範囲:P.55 - P.55

にわかに医師をふやす
 最近医師不足の声が高くなってきた.病院に医師が来ない.無医地区は解消されない.そこで医師養成のために,医科大学(および医学部)が増設される.それも昭和45年から2-3年の間の急激な増加であり,またその大部分が私立であるという特徴がある.
 医師をふやして,国民に医療を普及することはよいことである.しかし数だけでなく,質がたいせつであることはいうまでもない.医師の養成には,他の学部に比較できないほどの経費がかかる.それなのに増設される医科大学の大部分は,私的経営である.採算が合うという考えがあってのことであろうが,たいへんなことだと思う.

今日の精神医療・4 座談会

男子看護者の役割

著者: 中谷靖夫 ,   塙利三 ,   赤坂守保 ,   宮崎秀夫 ,   伏見俊三 ,   岩佐金次郎

ページ範囲:P.56 - P.65

精神病院という特殊な状況の中にあって,とかく一般社会から差別の目で見られがちな精神障害者の心の支えともなり,日常生活の援助を果たしている男子看護者の役割は重要である.ここで改めて,患者・医師・看護婦・パラメディカルの間に立って働く男子の看護者の実情を伺ってみた.

問いかける沖繩・4

現実からの要請

著者: 大城喜久次

ページ範囲:P.66 - P.67

構想—その夢と現実
 新那覇病院,すなわち現在の琉大付属病院の基本構想には多くの夢が秘められていた.それにはたんに教育機能ばかりでなく,当時の琉球政府立那覇病院が果たしていた機能をも併有するものであり,両機能の根底には新しい包括保健医療の理念が流れていた.その理念は,つまり大学病院の地域化であり,地域病院の大学病院化であった.
 しかし,理念の具体化には困難を伴った.躯体建設工事は当初構想のとおりに着手されたが,建築技術面,琉政の予算額,さらに執行上の制約があって,工事の進歩は予定のようではなかった.

病院史のひとこま

医療ソーシャルワーカー—‘一粒の麦’が播かれたころ

著者: 中島さつき

ページ範囲:P.69 - P.69

GHQ,保健所に医療社会事業係設置
 医療社会事業という仕事が日本にとりいれられてからもう25年たった.終戦当時の日本国民は食糧難,住宅難,生活難にさらされ,敗戦の悲惨きわまりない状態の中にあった.病人は巷にあふれ,しかも緊急入院を必要とする患者は累積するのに,収容するベッドはみつからず,医療費の捻出も困難なままであった.
 このような状態の中でGHQ公衆衛生福祉局のサムス準将が,日本の保健所に医療社会事業係をおくように示唆し,全国のモデル保健所であった杉並保健所(現在:杉並西)に医療社会事業係がおかれたのが,昭和23年3月であった.これを契機として全国のA級保健所に1人ずつ採用するようにすすめ,また日本赤十字社,済生会の各病院,国立結核療養所,国立国府台病院(精神)にも配置されるようになった.しかし医療社会事業家といわれていたこれらの担当者たちは,医療社会事業についての基礎知識も訓練の機会もなく孤独であった.

看護管理・16

討議方式による院内婦長研修—国立東京第一病院の試み(1)

ページ範囲:P.70 - P.71

高まる看護管理者養成の気運
 一般に,サービスの質と職員の士気は管理者の質を反映するといわれているほど,組織体における管理・監督者の役割は重要である.
 病院の看護部門において,婦長(head nurse)は,病棟など業務の第一線において,部下職員の指揮・監督,関連他部門との協調,物品管理などを通じて,看護部の決定した目的・方針および施策を具現していくという任務をもっている.

病院職員のための医学知識・4

臓器移植の現状と将来(2)

著者: 初音嘉一郎

ページ範囲:P.72 - P.73

拒絶反応について説明して下さい.またその対策にはどんな方法があるのでしょうか.
 体内に侵入し,それに対抗する抗体を生じしめる源になるものを抗原といい,抗原に対して抗体が拮抗して働く現象を抗体抗原反応といいます.この現象は生体が病原菌から身を守る防衛上たいせつな機構で免疫反応とも呼ばれます.人体にはこのように後天的に生じる抗体の他に,生来他の個体が体内に移入移植された際にこれを自分と組織と異なると認識し,これを体外に排除しようとする性質があります.すなわち生体を構成しているすべての細胞には組織抗原というものが存在し,これらはY染色体上の遺伝子やX染色体に支配されているため遺伝しますが,これらの抗原はある臓器組織が他の生体に移植された際にはその生体特有の組織抗原と異なった構成をもっているので認識され,これに対抗し,体外に排除しようとする反応を惹起します.この反応を拒否反応と呼びます.このような免疫反応は一卵性双生児間の移植では全くみられません.これはこのような2人の組織抗原の構成が全く同じであり,受け入れる側の反応中枢が認識すべきよそ者が移植されるものの中に1つもないからです.同様な無反応状態は2つの系統間の交配で得られた第一代の子に父系または母系の動物から臓器を移植した際にもみられます.

病院におこりやすい法律問題・4

病院と医療事故

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.74 - P.75

事例
入院患者のうちから治験薬投与の対象者を選定し,投薬を試みたところ,投薬後まもなく異状を訴えはじめ,約3時問後に死亡するに至った.病院・製薬メーカーの責任はどのように考えられるか

病院図書館

—関谷友一郎著—「病院の損益分析と生産性」(第2版)<病院管理新書2>

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.76 - P.76

病院生産性に関する本格的な著書
 本書の初版が公刊されたのは,約10年前の昭和38年であった.当時病院に「生産性」という言葉を用いるには多少の抵抗を禁じえなかった.「生産性ということ」とか,「病院に生産性の法則が適用されるか」という章がかかげられ,かなり遠慮がちに主張がなされたものであった.
 この事情の背景には,病院は高度の医療を提供するのが至上の目的であり,経営とか経済は従属的な二次的な意義しかもつものではない.損益計算とか生産性測定ということで,病院の主要成績を評価されてはたまらないという病院管理当事者の抵抗も見られたからであろう.

トピックス

最前線で国民の健康を守る人びとを表彰—第1回医療功労賞

ページ範囲:P.77 - P.77

 WHOの創設と世界保健憲章の制定・発効とを記念して,毎年4月7日が‘世界保健デー’と定められているが,25周年を記念して,本年から日本国際連合協会と読売新聞社の主催により‘医療功労賞’が設定されることになり,4月6日読売ホールにおいて第1回の表彰式が行なわれた.
 ‘医療功労賞’の主旨は,エンの下の力持ちとして,外面にはあらわれず,むくいられるところのきわめて少ないところで,もくもくと国民の健康の維持・管理・増進に奉仕している人たちに感謝し,それを表彰しようということである.

健康および医療の経済学に関する国際会議

著者: 紀伊国献三

ページ範囲:P.82 - P.82

 国際経済学会(IEA)の主催で,去る4月2日から6日間東京で開催された,‘健康および医療にかんする国際会議’は,先進7か国の経済学者33名と,わが国からの9名が参加して,25の報告論文を中心に論議が行なわれた.
 医療問題は先進諸国のいずれにおいても大きな問題となっており,この問題に対しての経済学からのアプローチによる国際会議ははじめての試みであり,しかもそれが日本で開催されたことは,わが国でも海外先進国同様,医療問題が国民的関心事であることと,それに対して日本での研究が相対的に遅れているので今後の研究の刺激にしようとするねらいがあったといわれている.

病院建築・50

平塚交通救急センターの運営と問題点

著者: 玉村一雄

ページ範囲:P.83 - P.89

 本誌の昭和47年10月号に載った‘わが国救急医療センターの実態’を書かれた済生会神奈川病院の大内院長は,私と同期生であるが,救急病院としては兄貴分である.
 済生会神奈川病院は,県立交通救急センターの第1号を併設し(昭和40年),本院にはその第3号が併設されているからである(昭和46年).

話題

第23回日本病院学会開催にあたって

著者: 河野稔

ページ範囲:P.89 - P.89

 日々の診療,看護をはじめ,それぞれのお仕事ご苦労さまです.
 すでにご案内のとおり本年度の学会は東京丸の内帝国劇場で開催され,併設ホスピタルショウは晴海の国際見本市特設館でビジネスショウと同期間内,同一会場で開催されます.

座談会

病院と麻酔科医

著者: 久保田行男 ,   塩沢茂 ,   野村正規 ,   小坂二度見 ,   山下九三夫

ページ範囲:P.90 - P.98

医療の高度化・近代化に伴って,麻酔科医の重要性は急速に増しているにもかかわらず,わが国の現状は欧米諸国と較べて,非常に遅れているといわれる.医師数の不足はいうに及ばず,供給体制の上でも,さまざまな問題を残しているが,まず,一般の麻酔科医に対する理解の欠如から正されなければなるまい.

私的病院からのレポート・16

—東京・河野臨床医学研究所北品川総合病院—‘喜働者づくり’の病院経営—河野稔理事長にきく

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.99 - P.108

 なにごとにおいても型破りの人はいるもので,この河野稔理事長(写真下)も,およそ医師という範疇にはおさまりきれないようだ.大正5年9月の生まれというから,いま56歳.22年前,7床の河野医院からスタートしたこの事業も,4つの病院をつくり上げるまでになったが,まだまだ血気盛ん.それぞれの病院の増改築と,国際医科大学の設置を目ざし,ペースをおとすことなく八面六臂の活躍をつづけるおつもりのようである.

対談

病院管理の軌跡(上)

著者: 吉田幸雄 ,   長谷川泉

ページ範囲:P.109 - P.115

厚生省病院管理研究所第3代所長,専任としては最初の所長だった吉田幸雄氏が昨年末に研究所を退任した.戦中・戦後を含めてその足跡は日本の病院管理の近代的開眼に資するところが大きい.そこで本号と次号にわたり吉田前所長の回顧談を中心に,日本の病院管理の軌跡を追求してみる.

読者の声

魅力のある職場を作りたい/医療費の公費負担に6つの提案

著者: H生

ページ範囲:P.115 - P.115

 私のところは中央放射線部です.診療放射線技師が40名,助手が4名です.15年以上勤続の技師が15名ぐらいです.各撮影室が20くらいありますが,業務量が多いところのローテーションはきらわれます.そのため年に1度のローテーションが非常にむずかしいのです.
 職場に魅力がないといいます.永年勤続者が多くなって,役付のポストが少なく,停年退職者でも出ないと上にあがれない職場です.働きやすい魅力ある職場を作るには国家公務員の場合,私はいつも悩んでいるのです.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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