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雑誌目次

雑誌文献

病院32巻5号

1973年05月発行

雑誌目次

特集 看護に提言する

看護婦の果たす役割は何か

著者: 日野原重明

ページ範囲:P.22 - P.23

 ‘看護とは何か’‘看護学とは何か’ということが,最近数年間,看護指導者のみならず,看護学生の間でもさかんに討議されている.これは,今までの看護に,心が満たされないこと,現実にいわれている看護は,あるべき看護からほど遠くへだたっているのではないかという観点から,ナースによる自己批判とともに,あるべき看護への探求がなされている姿と考える.
 しかし,ナースの間では,看護を扱う前に‘看護学’の定義から出発しようという考え方をとっている方が多く,しかも,看護学を‘医学’と相対した概念で位置づけようとする考え方や,その現われとしての日常看護業務の‘ワク’づくりがなされようとするところに,私は大きい問題を感じている.

看護の専門職化

著者: 石村善助

ページ範囲:P.24 - P.27

●‘専門職’ということばの使われ方
 筆者は,医療や看護問題の専門家ではない.また看護の学に通じているものでもない.ただ専門職(プロフェッション)をめぐる諸問題について興味をもつ研究者の1人として,今日看護の世界において論議されている看護の専門職化の問題について,若干の感想を述べてみようとするものである.
 まずことばの問題から考えてみよう.今日さまざまの職種において専門職や専門職化の問題が論議されているが,少しく問題の中に立ち入ってみると,この専門職や専門職化ということばが,決して一義的なものではなく,さまざまな意味で用いられていることに気がつく.看護の専門職化が論議される場合もその例外ではない.

看護婦の管理能力の触発とその必要性—とくに病院看護部門の幹部に対して

著者: 尾村偉久

ページ範囲:P.28 - P.31

●はじめに
 病院職員の過半数を占め,患者に常時直接接触して患者と病院の間の要(カナメ)となっている看護部門のあり方は,現在病院経営を左右する大問題であり,このことは現に看護婦のいわゆるニッパチ制(月8回以内複数夜勤制)問題や,看護職員の確保難が,病院業務の縮小や病院紛争の最大の原因になってきていることからも明らかである.このためには,看護部門の管理にあたる総婦長,副総婦長,婦長,主任の職にある幹部看護婦の管理能力に対する期待は大きなものであるが,従来本誌をはじめとする数多くの場で,‘総婦長論’とか‘看護管理論’とかのテーマで論じられてきているので,ここではそれとの重複を避けて,若干異なった観点から論じてみたい.

私の期待する看護業務とは

著者: 芝田不二男

ページ範囲:P.32 - P.35

●はじめに
 現代日本の医療は,全体として見ると,片輪であるといってよい.なぜなら医療全体では,中心的役割を果たすものであるが,機能としてはその一部である診療部門は,ある程度発達している.しかしそれを協力して全体医療を構成するはずの看護やその他の部門が未成熟であるために,全体としては,バランスのとれた医療として機能していないからである.
 まず医師の行なう診療は,笹原邦彦教授の言うように(‘現代看護論集’"看護の本質——あるひとりの予備患者の提言"昭和45年,メヂカルフレンド社,p.264)本質的にプロクルステスのベッドであるといってよい.ギリシア神話の巨人プロクルステスが,訪れた旅人をベッドに寝かせ,旅人の身長がベッドより長ければ,その長い部分を切り落とし,ベッドより短いときは,それに合うように伸ばして殺したというが,診療が,医学と医療技術に支えられ,その機能がある限界をもち枠組をもっているかぎり,それによって人間に対すること,そのことがすでに,その人間を切り殺すことを意味している.つまり科学的に整理された病気の科学がまず先にあって,そのプロクルステスのベッドによって,生きた具体的人間の診断が下されるということ,そのことが,具体的な生活をもった人間としての患者から,生きた個性的人間としての諸特性を取り去り,‘もの’としてのケースを扱うこととなるのである.

看護教育と現実の看護との関係—実情と対策

著者: 季羽倭文子

ページ範囲:P.36 - P.38

 看護学校の立場から,現実の看護に対する提言を述べてほしいという依頼をうけ,あれもこれもと思いがいっぱいある反面,看護教育のあり方そのものに対する自分自身の迷いをもあらためて思い出され,なかなか筆がすすまない.
 看護教育に関する問題点のひとつは,学校の形態,すなわち,大半の学校が各種学校であるということから発生しており,他は看護実習環境に関するもの,すなわち,実習施設の規模,そこで現実に行なわれている看護のあり方,そして看護実習指導にたずさわる人の資質などに関する問題が多いと思われる.また看護の内容に関してより具体的に考えてみるなら,①看護計画,②総合看護,③精神的・社会的ニードに関する看護などの,看護教育で取り上げられている取り上げ方と,それらについての現実の看護とのギャップが常に私たちそれぞれの立場に重く問題を提起していることに思いあたる.

看護婦の転・退職から考えること

著者: 山本善信

ページ範囲:P.40 - P.43

●はじめに
 「病院」編集室のほうから首題についての原稿の依頼を受けたとき,はじめ私は,ちょっとためらった.けれども,現在日本の病院では,看護婦が結婚などの理由からではなく,他に何らかの理由で転職を考えなければならないという切迫した事情もかなりにあると思われるので,これを機会に看護婦という職業を私なりに見直したい気持もあって,あえてお引き受けした.
 私の奉職する病院は,郡の人口が約7万人の田園過疎地帯にあって,丹波・但馬地方の胃がん,子宮がんに対する検診センターを持ち,地域の救急医療を行なう唯一の病院でもあるので,年間約2000名の退院患者のうち,4分の1を交通外傷による救急患者で占められており,悪性新生物患者がこれに次いで多い,また地域の中核病院としての色彩が濃く,重症患者が集まってくるために,退院患者の死亡率は7%を上回っている.したがって,医師や看護婦にとっての勤務条件は,最もきびしい病院のひとつであろう.

対談

とらわれた固定観念からの解放を模索する—看護における発想の転換

著者: 小林冨美栄 ,   今村栄一

ページ範囲:P.44 - P.51

 保助看法ができて25年,いまだに"看護とはなにか"の議論が絶えないが,現実は旧態依然ではないかという声も聞かれる.現在看護はどんな発想の転換を迫られているのか,看護のあり方,業務,体制の面に鋭いメスを入れていただいた.

病院と統計

疾病構造の変化

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.10 - P.11

 疾病,患者,診療技術は,病院存立のための基本条件である.そこで,今月は疾病構造,患者構造および一部診療構造の変化の問題を取り上げてみた.周知のとおり,その変化は最近10年間ほどは特に著しい.つまり,病院にとっての基本的環境変化が,そこに急激に生じているのである.
 まず,昭和10年以降の主要死因別死亡率の変化をみると,下図左面の結核,肺・気管支炎,胃腸炎,老衰,腎炎・ネフローゼ等の減少が著しく,下図右面の悪性新生物,心疾患,不慮の事故,胃癌等はほとんど変わらないか,あるいはそれほど大きな変化はない.しかし,前者の減少が大きいために,死因順位は後者が前者に入れかわって上位に上がっているのである.このうち,結核の25年から30年までの減少ぶりは目ざましく,5年間で約3分の1になっている.こんな大変化がおこったことはかつて他に類例を見ない.その結果,結核療養所等は急速にその目的変換を行なわなければならなくなり,病院界に大変革が生じたことはまだ記憶に新しい.死亡総数の減少が,上記のいくつかの疾病の減少に負うものであることは明らかである.

グラフ

総合メディカルセンターを目ざす こども専門病院—兵庫県立こども病院

ページ範囲:P.13 - P.17

 *わが国の病院は,一般的な総合病院から総合的な専門病院へと展開しようとしている.子どもには,子どものための專門医療が必要である.小児病院はその目的を達成するものである.しかしその運営は容易ではない.
 *小児の医学も成人の医学のように分化してきた.そして成人と違ったひろがりと深さが生まれてきた.未熟児医療もhigh risk infantの医療へと拡大している.

スウェーデンの老人病院をみて

ページ範囲:P.77 - P.80

 スウェーデンの首都ストックホルムの中心部から車で10分ほど行った効外にStureby老人病院がある.樹木や芝生に蔽われた広い敷地内に老人病院,老人ホーム,研究施設などが,それぞれいくつかの建物に分かれて散在している.各建物はそれぞれ100米ぐらい離れていて,緑の多い敷地内は人通りも少なく,森閑としているが,一度建物の中に入ると,豪華さはないが,小さな備品にいたるまでわが国ではみられないさまざまな工夫がこらされていて驚かされる.ここでは,そのいくつかを紹介してみたい.

東京・社会福祉法人豊洲厚生病院

ページ範囲:P.82 - P.83

 墨田川を渡り,深川・洲崎・木場という下町情緒あふれるところをずっと下る.そして江東区も南のはずれ,埋め立てられたデルタ地帯豊洲に,昨年8月,しょうしゃな9階建の病院が出現した.社会福祉法人豊洲厚生病院である.道路より一段高く2階の部分が玄関・ロビーとなっており,この階と1階とが外来で使われる.
 自動ドアをはいると,床にしきつめられたじゅうたんと,すみずみに配置された植木鉢と,壁にかけられた絵とが目にとびこむ.病院らしくない病院である.この中では,いくつかのおもしろい試みを見つけることができる.

順天堂医院院長 小酒井望先生

著者: 守屋博

ページ範囲:P.18 - P.18

 一般に大学病院の院長は,教授間の回り持ちで,早く1年ないし2年の任期がすぎればよいと考えている.
 順天堂大学では,この意味においてまったく異色の院長があらわれた.教授会満場一致の推薦によるものであるが,それは2年間の診療部長の手腕を買われたものである.同時に彼の細心の決断力と,独特の話術による抱擁力に対する信頼の結果である.しかし私は,彼が他の臨床教授にみられない集団指導性をもっている点が一番大きな理由だと思う.

時評

ナース旱天とひとつの提案

著者: あい

ページ範囲:P.52 - P.52

 日病の会長年頭の辞に,今年はとくに看護婦問題に取り組みたいと述べて注目された.
 全日病ニュース(51号)をみると,論説で,‘看護婦充足対策を望む’をトップで大きく扱って,看護婦不足の要因,病棟閉鎖もやむなし,などあげ,"ここ数年前までは,新聞による募集広告でも必ず反響があり,1回に数人の応募者があったものであるが,今日ではピタッととまってしまった.近畿一円,西日本全域に新卒の募集行脚を半年かかってしてみても,まったく1人の反応もない.新卒ナースはいったいどこに消えていったのであろうか?……看護婦不足は続々と病棟閉鎖を来させ,ついには病院閉鎖にまで追いこみつつある"と結んでいる.

病院建築・52

世田谷リハビリテーション・センター

著者: 南雲与志郎 ,   網代友衛

ページ範囲:P.53 - P.59

発足の意義とその機能
はじめに——成立の経緯
 精神障害者の社会復帰施設がいわゆる中間施設の名のもとに論じられはじめたのは昭和30年代の後半である.向精神薬の導入とともに開放的扱い,作業療法が常識化し,精神病院が隔離収容所的な性格を脱して,活発な治療の場たらんと努力するなかからその課題は生まれた.たしかに戦前でも精神分裂病の7割はなんらかの形で軽快退院することができたし,その多くの人は自力で社会生活に復帰していった.しかし残り3割の患者は不治の病いとみなされ,退院はおろか外出さえも厳重に制限される入院生活を送っていた.
 大正の後半から一部の病院では作業療法,レクリエーション,開放的な処遇,院外作業などの試みがなされていたが,分裂病不治の通念をうちやぶるには至らなかった.

座談会

女性管理者に求められる‘適性’とは

著者: 貞閑晴 ,   臼井真香子 ,   滝田あゆち ,   嶋崎佐智子 ,   本誌編集室

ページ範囲:P.60 - P.68

病院の看護部門を管理する婦長,総婦長の役割は重い.しかし,なかなかうまくいかない,不適格なのでは,といった悩みもあちこちできかれる.なぜ,どうしたらいいのか……,と思案する前に,ここで外に目を転じて,企業などで活躍されている女性管理職の意見を聴いてみよう.

読者の声

地域医療の実際例を知り感銘/パート臨時の扱いをどうするか

著者: A生

ページ範囲:P.68 - P.68

 毎月"病院"を読んでおります.種々な面で勉強になります.まだ病院に勤務して3年で,職務内容をどうにか把握したところです.病院そのものを知ることがたいせつだと感じまして独自に"病院"を購入し,はじめてわかってきたような気がします.
 地域医療に努力されている医療機関などを知り,かねてから上司より聞いていましたが,具体的な例を知りますと,そのすばらしさにあらためて共鳴し,国の政策に待つことなしに,地域医療機関の特質を知り,組織化して,機能的な,また経営面でも,社交面でも,共存調和をはかれるよう努力されるべきだと思いました.

病院史のひとこま

国立病院の再編成(1)—‘国立’創設の頃

著者: 尾村偉久

ページ範囲:P.69 - P.69

日本医療団の設立(昭17)
 昭和20年の終戦を機に,100余個所の国立病院がいっせいに発足したことは,わが国の病院史のうえで見のがすことのできない画期的事柄であったと思う.明治維新に始まった近代国家としてのわが国の歩みの中で,一般国民の一般疾病の診療を目的とする国立の医療施設(病院)は,終戦までは皆無であった.もっとも,国立癩療養所(らい患者用),鉄道病院・逓信病院(職員とその家族用),陸海軍病院(軍人用),傷痍軍人療養所(傷痍軍人の結核,精神病,頭部戦傷および温泉治療用)が設けられていたが,いずれも特定の対象を目的としており,また国立医育機関(帝国大学,医科大学)の付属病院があったが,これは医学の教育・研究を主任務としていて,そのために必要な臨床教育手段としての患者の診療を取り扱っていた.
 一方,この期間のわが国全般の方針は,富国強兵をモットーとする中央集権の傾向が強く,現在公社経営となっている鉄道,電信電話,専売も,終戦までは,それぞれの省に直属する国の直轄事業であったし,また都道府県の知事(地方長官)以下行政を管掌する職員は,すべて内務省に所属する国の官吏であって,通常の事務に従事するもののみが地方公務員の身分であった.

看護管理・17

討議方式による院内婦長研修(2)—国立東京第一病院の試み

著者: 木戸栄子 ,   岡本正子

ページ範囲:P.70 - P.71

<討議>
問題No.3
 婦長になったばかりの私は毎日はりきって勤務している.先日,病棟配膳室の冷蔵庫付近にゴキブリが発生しているのを見つけ,びっくりして,ただちに家政係に消毒を依頼した.ところが,その後総婦長室に呼ばれ,家政係からどこにどの程度発生しているのかという問い合わせがあったが,総婦長室では何も知らなかった.今後はきちんと報告してほしい,といわれた.私はただちに消毒を必要とすることであるし,直接担当科に連絡すればよいものと考えていたが,こんなことも連絡しなければいけないのでしょうか.

病院におこりやすい法律問題・5

医療事故と立証責任

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.72 - P.73

事例
 病院で内科医が夜勤でいたところ,救急車で運ばれてきた外科的治療を必要とする患者に対し,治療を行なうことになった.
 結局,足を部分的に切断しなければ止血そのほか生命を救うことができないと判断,その手術を行なった.治療後,交通事故の加害者とならんで,不手際な手術のため損害が拡大したということで損害賠償を求めてきた.どのように対処すればよいか.

病院職員のための医学知識・5

ここまできた検査の自動化

著者: 高原喜八郎

ページ範囲:P.74 - P.76

最近臨床検査の自動化ということばがすっかり定着してきているようです.この自動化の目的はどこにあるのですか.
 ひとくちに自動化と申しますが,製品を作り出す生産工場から臨床検査室の現場まで,種々の自動化の姿があります.そして分野が異なれば自動化の目的もそれぞれ異なるでしょうし,また共通点もあるでしょう.ここで臨床検査(以下単に検査)は最終的には病人の診療と人類の健康のためという至上目的に基づいて,主治医の診療のタイミングにまにあうよう迅速に成績を出さねばならない点が,単なる生産工場の自動化とは異なるものであることを強調しておきましょう.いずれの自動化においてもその利点は
 (1)大量生産性によるコストダウンと迅速化 (2)品質(データ)の均一性と優秀性 (3)人件費の縮小化の3点があげられます.これは検査の自動化にもそのままあてはまります.たとえば,ここに12種目の検査を依頼された血液が100人分ある場合,この作業を全部ピペットさばきによる人手で行なえば,8-12人の検査技師が午前9時から午後3時過ぎまでワキ見もせず一心不乱に精力を集中してやっと成績が出てくるのですが,その成績には写しまちがいや計算違いが0.1-1%の割合で混入されるのが宿命でしたし,またその成績の精度(バラツキ)も,疲労のために5-10%の変動幅が余儀なくされておりました.

ニュース

‘未来の開かれた病院’をテーマに—第12回日本ME学会大会開催

ページ範囲:P.81 - P.81

 M (医)とE (工)の協力により診療技術を向上し,医学研究の新しい方法を提供をすることをめざす日本ME学会(学会員2,500名)が,5月11-12日,東京・日本青年館ホールで第12回大会を開催した(大会長:東京女子医大榊原仟教授).今回は‘未来の開かれた病院’の主題の下に3つのシンポジウム(①広域医療とME,②システム工学と医学,③循環システムの工学的アプローチ)と約280の一般演題をとりあげ,活発な発表・討論が行なわれた.これまでの着実な基礎固めと進歩の評価の上に立って,MEが内容として獲得した学問と技術が,未来の医療をどれだけ予測・予知しうるのか.院内の次元にとどまらず,地域を含めた将来の‘広域医療’システムにMEはどのように位置づけられるのか.そして医療供給主体としての病院の役割はどうなるのか.こうした位置づけをもって開かれた本学会において,MEはより新しい視野を求めて踏み出す段階にはいったといえよう.
 なお同会場で併設して開催された‘73年東京MEショー’(電子機械工業会主催)も,多くの参加者の注目を集めていた.

私的病院からのレポート・17

—東京・豊洲厚生病院—ほかの病院の一歩先をいこうという思想—水野精已常務理事にきく

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.84 - P.92

 水野常務理事(下写真)は医師ではない.大学では法学を専攻した.終戦直後の混乱期に,荒廃した町の住民のためには,医療機関が必要だと思い,医師を呼んできたことが,医療界に足をつっこむきっかけであった.
 昨年8月,埋めたての進む江東区の豊洲に9階建の病院を新築した.医師でない管理者のつくった病院である.そこでは既成の概念を吹きとばすユニークな数々の試みがみられる……

今日の精神医療・5

精神科医療の福祉的課題

著者: 白木博次 ,   金子嗣郎

ページ範囲:P.93 - P.103

 精神病院だけで精神医療の一部始終を荷うことは,患者の数からも,スタッフの面からも,また疾患自体の多様化からも,まったく不可能に近くなっている.こういう現状が,現実の精神医療の中でどう把握され,どう進んでいくべきか……東京都政の医療に関わりの深い白木博次氏を迎えて,精神医学,精神科医師のこれからの方向を含めて,広く話し合っていただこう.

対談

病院管理の軌跡(下)

著者: 吉田幸雄 ,   長谷川泉

ページ範囲:P.104 - P.110

病院管理研修所事始
 吉田 新発足の病院管理研修所のスタッフとしての守屋さんを主事と呼びました.研修所の所長は東一の院長がなるときまっていたので,実質‘校長’の名前のつけようがないわけです.そこで付属小学校校長を主事という,そのことばをもってきてきめました.
 長谷川 教務主任というのもあったでしょう.

トピックス

痘そうの防疫体制を考える

著者: 今川八束

ページ範囲:P.111 - P.111

22年ぶりの痘そう侵入!
 ‘入院中の患者1名がどうも痘そうらしい’との内報が東京逓信病院(以下東逓)よりもたらされたのは,3月31日土曜日正午少し前であった.すぐに関係職員が足留めされると同時に,至急調査の結果,午後3時に痘そうの疑いとして正式に届出がなされ,検体を予研に送付するとともに午後5時患者を都立荏原病院に収容,防疫活動の幕は切って落とされた.翌4月1日,厚生省は臨床およびウィルス診断の結果真性と決定,患者の家族2名も荏原病院に収容された.
 患者T氏(33歳男)は同行者5名とともに,2月8日−3月16日までバングラデシュの首都ダッカに公務出張,3月18日バンコク経由で羽田着,3月23日までは平常に勤務していたが,23日午後より熱感あり,24日,25日は自宅で就床,26日午前10時すぎ東逓受診,約1時間後に内科個室に入院した.なお出張前の1月9日外務省医務室で受けた種痘は不善感であつた.

問いかける沖繩・5

外来予約制 1

著者: 鈴木淳

ページ範囲:P.112 - P.113

 外来予約制のメリットはすでにあちこちで立証ずみであり,待時間の短縮と適正診療をモットーとする病院では予約制の採用が定石とされている.だが,この制度があまねくゆきわたらないのは,古くからの診療慣習と予約に伴う財政上の憂慮が主な理由であろうとされている.

霞ガ関だより

難病,老人福祉対策などに特色—昭和48年度厚生省予算決まる

著者: 佐々木輝幸

ページ範囲:P.114 - P.115

 昭和48年度の国の予算は,14兆2,841億円,対前年度比124.6%であるが,そのうち厚生省予算は2兆930億円,対前年度比131%であり,全体の伸び率を上回り,いよいよ重要な位置を占めるに至っている.以下医療関係を中心に述べる.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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