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雑誌目次

雑誌文献

病院32巻7号

1973年07月発行

雑誌目次

特集 待たせない病院

待たせない病院のために—病院のシステム分析を用いた新しい問題解決法

著者: 木全心一

ページ範囲:P.22 - P.27

 医療を受ける立場に立って病院をみると,多くの問題点が目につく.外来はごったがえし,戦場のようである.おのおのの患者をよくみると,大部分は待たされている患者であり,行先がわからないでうろうろしている患者である.また個々の患者ごとに検討すると,検査結果がすぐ戻って来ないので治療の開始が遅れており,検査や他科受診の予約が相互に無関係になされるので不要の来院が強いられている.
 病院がこのような状態になっていることにいくつかの理由が考えられる.

外来予約システム—東京女子医大心研

著者: 野寺香織 ,   原田幸彦 ,   郡司篤晃 ,   池田祐之

ページ範囲:P.28 - P.33

はじめに
 病院は,そもそも患者の診察治療のためにある.ところが,外来待合室のあの混雑,待ち時間の長さ——一度でも,一般患者として病院外来を訪れたことのある者なら身にしみていよう.3時間待って3分診療というような状態では医療の質まで問題となろう.
 医師を含めた病院側にも不満がないわけではない.外来患者のかなりの部分は,病院で治療する必要がないのに,われわれは,そのような患者のために大部分の時間が費やされ,疲れ,病院本来の機能であるはずの入院患者の治療や自分の研究も思うにまかせないのだ.患者の殺到が待ち時間の長いことの最大の理由だ——ある者は憤懣やる方なしの思いで,ある者は半ば諦めながら診療を行なっている.

総合外来システム—北里大学病院

著者: 新井正夫

ページ範囲:P.34 - P.37

はじめに
 最新の医療技術を導入して最良の医療を要求される総合病院では,医療の分化と分業が進み,組織と規模の拡大は,ますます医療を複雑化しつつある.
 一方,患者側からみれば,いかに最新の医療機器を設置し,病院事務の機械化を行なっても,病気そのものが治りやすくなったり,良い治療を受けているとは必ずしも思ってはいない.このことは医療をひとつのシステムとして考えて管理されていないからかもしれない.病院内に発生する種々雑多な情報の処置,伝達,管理などについても同じことがいえる.

専門外来予約と総合予約

著者: 石原孝憲

ページ範囲:P.38 - P.40

必要診療時間の確保と待ち時間短縮を目的
 虎の門病院の外来診療の予約制度は,昭和37年12月に内科専門外来の一部で始めたのが最初であった.その後,昭和39年11月に内科外来の6科全部に広げ,2名の医事職員をアポイントメント係として置くことになり,昭和41年3月にさらに内科一般外来まで広げて係員も3名とした.
 予約制度の主な目的としてあげられるものは,1)必要診療時間の確保と2)待ち時間の短縮にあると思われる.

薬局の待ちを検討する

著者: 田口英雄

ページ範囲:P.41 - P.43

A,B 2病院の比較から
 病院の外来患者にとって,薬局での調剤待時間は,診療の最後の待ちで,非常に負担に感じるものであるので,薬局の職員は,極力これを減らそうと努力しているが,患者の満足を得ることは,容易ではない.
 手元にあったデータによれば,この待時間は,表1に示すような状況であった.

診療記録の搬送

著者: 高木二郎 ,   藤木茂登彦 ,   五十住政実

ページ範囲:P.44 - P.47

1 住友病院の例
医事課をセンターにして4系統を設置
 昭和35年2月現在地に新築移転(250床)と同時に中央管理システムを採用し,すべての診療録は医事課で保管することになった.
 当時の診療科は7科で,診療録の搬送についてはエアシューターを設置してこれにあたった.以後,診療科も年々増加され,さらに昭和42年7月には249床増設し計499床となり,診療科も現在15科に至り,通院患者数は1日平均約900名となっている.

窓口計算の迅速化

著者: 池田博 ,   亀井昭二 ,   加嶋政昭

ページ範囲:P.48 - P.57

1 慈恵医大付属病院の場合
6系統構成の‘医事オンライン・システム’
 当院で稼動中の‘医事オンライン・システム’は,①患者登録,②外来会計,③入院・退院手続,④入院会計の各オンライン・システムと,⑤デイリー,⑥マンスリー両バッチシステムの6サブシステムにより構成されている(図1).
 これらのうち,本号では主題に従って窓口計算に重点を置き,その関連項目を若干説明することにしたい.

診療記録の整理の工夫

著者: 酒井隆子

ページ範囲:P.58 - P.59

はじめに
 京都市立病院では,診療記録の中央管理方式が昭和40年12月に始められてから,外来登録患者数は10万4000件に達し,カルテは年度更新することなく保管している.ここでカルテというのはone-chart-system,すなわち1患者1病歴のカルテを意味する.待たせないで,カルテを提供することはどこでも行なわれるが,患者の関係カルテ——各受診科の記録,各科で依頼の検査報告——を全部,待たせないで提供する工夫のみで,それ以外については別にむずかしいこと,新しいことはしていないつもりである.
 カルテ整理・保管の目的は,患者の診療にあたって,ただちに役立つものであることはいうまでもない.カルテが必要な時,いつでもかんたんに抽出できる保管・管理システムと,記録しやすいものであることが望ましい.外来および入院診療記録を内容的に同じように取り扱うことはできないが,外来カルテについては,整理と保管業務に細心の注意を払いたいと思っている.

待たせない病院を志向する—病院建築家の立場から

著者: 高野重文

ページ範囲:P.60 - P.64

外来予約システム
1.予約システムと建築
 ‘待たせない病院’の最大の決め手は外来予約システムである.
 従来の病院設計の手法は,不定数の外来患者をできるだけ定量的に予測し,それに合った診療室や待合スペースをきめる.それでもはみだすラッシュ……季節的や曜日によるラッシュに備えて,建築家は限られた予算と面積の中から,できるだけ快適な,できるだけゆったりした待合スペースを生みだすことに専念した.

‘待たせない外来’への挑戦 その1—聖路加国際病院外来のレイアウト

著者: 上林三郎

ページ範囲:P.66 - P.68

‘病気を治療しに病院へ行ったが,あまり待たされるので,病気がなおってしまった’
‘朝8時に外来受付をしたが,11時になっても病歴が回って来ないので,診察してもらえない’

病院と統計

労働力の供給状況

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.10 - P.11

 今月は労働力供給状況の推移をながめてみよう.問題を単純化するために,新規学卒労働力だけに限定して考えることにする.新規学卒労働力供給数は2つの要素に関係する.1つは出生数であり,もう1つは就業希望数である.終戦直後,一時的に出生数が異常に上昇し,ベビーブームと騒がれた時期があった.昭和22年から24年にかけてで,年間出生数は260万人にも達した.その後出生数は急速に低下し,28年-30年頃には,年間180万人程度にまで激減した.ベビーブーム時代に生まれた子供は37年-39年頃に中学を卒業する.高校に進学すればその卒業期は40年-42年となる.こうして,40年-42年の大学・短大を含めた新学卒者は370万人から380万人にも達し,新規学卒労働力供給数は,そのピークを示した42年には150万人を数えるほどであった.
 しかしながら,図に見られるように,中卒者は40年以降下降の一途をたどり,高卒者もちょうど3年遅れて43年以降下降に転じている.こうして,新規中高卒労働力供給数は,40年の約120万人から45年には100万人に,そして47年には80万人にと,7年間に実に3分の2にまで減じている.ただ,ここで忘れてならないことは,そこには更にもうひとつ,進学率の上昇という要素が大きく影響しているということである.

グラフ

瀬戸内海をめぐる診療船—岡山済生会総合病院の活動をみる

ページ範囲:P.13 - P.17

 瀬戸内海を走る一そうの診療船がある.その名は済生丸.医療にめぐまれない瀬戸の離島,へき地のために行動する無料の検診船である.その活動はすでに10年にわたって持続しているが,ひとくちに10年といっても,その道は長く,困難であった.新しいことをはじめる者がつねにそうであるように,最初は周囲に誤解されたこともしばしばであった.そしていまも乗り超えるべきいくたの問題をかかえている.
 が,ともかく10年の実績をつくりあげ,瀬戸内海検診が軌道にのりはじめたことは確かである.船にも寿命がきて,いま2世号の建造が急がれている.つまり,第1ラウンドはおわり,2ラウンドめにはいるというわけだ.瀬戸内海社会医学の確立というひときわ巨大を目標にむかって,済生丸の前途はなお遠くけわしい.

ある日の済生丸

ページ範囲:P.78 - P.81

先に紹介したように(13-17ページ)診療船‘済生丸’は休む間も惜しんで瀬戸内をめぐっているが,先ごろその活動の1日をつぶさに見る機会を持ったので報告しよう.今年の5月13日は朝からよく晴れ,海から吹いてくる風は快かった.済生丸は午前8時すぎ,この日の目的地犬島に向けて岡山港を出発した……

八面六臂の実践家—岡山済生会総合病院 大和人士院長

著者: 間野清志

ページ範囲:P.18 - P.18

 大和院長は岡山医大を昭和15年に卒業され,昭和25年岡山済生会病院院長として赴任.当初病院とはいえ20床ばかりの小病院であったが,現在の515床の総合病院に育ててきたのは院長の功績である.
 現在,社会福祉法人恩賜済生会理事,日本病院協会理事,岡山県済生会常務理事,済生会病院長会副会長,厚生省看護制度改善検討委員等に就任されており,また岡山市教育委員長も歴任された.

ばらんす・しーと

バランスを失した考え方

著者:

ページ範囲:P.27 - P.27

 サッカリンといえば戦時中と戦後のあの物資欠乏時代を体験した人びとにとっては,昔懐しい思い出の合成甘味剤である.
 私が今次大戦で3年間南方に転戦したとき,何よりも飢えたのは,故国からの便りでもなければ,戦捷の報道でもなく,じつは甘味類だったといってもそう過言ではなかった.多くの戦友たちの告白もまた,私の実感を強く裏打ちしている.

時評

"殿様"中医協委員からの脱却を望む

著者:

ページ範囲:P.65 - P.65

 食事のできてくるのが一時でも遅れたらもう飢え死にしそうだという者を前にして,またしても料理人同士がケンカをはじめた.
 診療報酬のスライド制と薬価基準の適正化問題を審議してきた中医協で,診療側・支払い側の意見がどうしてもまとまらず,結局またお定まりの審議を中断してのチャンバラがはじまったわけだ.はじめに手を出したのは,これもまた従来通りに診療側委員.どうしていつもこう型通りに事が進むのかと不思議なくらいだ.しかも診療側のやり方は,だれが聞いても横紙破りとしか言いようのないものだ.これもまた従来のパターンとちっとも変わりがない.

病院史のひとこま

国立療養所の変遷

著者: 尾村偉久

ページ範囲:P.69 - P.69

 国立療養所の変遷が,わが国病院史もしくは医療史のなかで占める意義は大きなものがある.

病院職員のための医学知識・7

人工腎臓の原理と限界

著者: 中田不二男

ページ範囲:P.70 - P.71

人工腎臓とはどんなものですか?
 人工腎臓というのは器械あるいは装置の名前です.ごく簡単にいえば血液の洗濯機と考えてもよいと思います.その原理も実に簡単なことです.それは‘半透膜の原理’といわれます.たとえば食塩水のうすい溶液と濃いものを作り,その間に食塩の分子を通すような膜を境としておくと,濃いほうからうすいほうへ食塩の分子が通ってゆき,時間がたつと両方の溶液の濃さは一定になります.この濃い食塩水の代わりに血液とし,うすいほうを透析液という血液に近い電解質を含めた液として,半透膜としてセロファン膜を用いたのが人工腎臓というわけです.そしてこれを用いてする治療を血液透析法といいます.セロファン膜の代わりに腹膜を使うこともできます.この方法を腹膜透析(または腹膜灌流)法といい,これら2つの方法をあわせて人工透析といわれます.

病院におこりやすい法律問題・7

医療事故と係争処理

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.72 - P.73

事例
 医師の過失で左眼を負傷,失明したということで,その患者の父親と話し合いが行なわれ,入院費用,義眼の費用負担について病院側が了承し,いっさい今後は金銭上の請求をしないという条項も定められたが,のちになって,まだ不法行為による損害賠償請求権がある,ということで訴えが起こされた.前の示談の効力はどう考えるべきか.

看護管理・19

部下を評価するポイント

著者: 木村千枝子

ページ範囲:P.74 - P.76

考課は必要なのか
 看護婦の個人別評価はなぜ必要なのか,何を評価しようとするのか,またそれをどのように標準化するのか,公正を保つ評価をだれが行なうのか,ということがまず大きな問題点である.
 近年看護の評価という声を耳にするが,看護の評価とは看護職員の評価と相対的なものであるとはいえないであろうか.あるべき看護,あるべき看護婦像というものが確立されて,はじめて評価ができるという考え方は当然だが,それに固執するあまり,現在評価をしないほうがよいとはいいきれない.看護が社会の要請によってきわめて流動的に変革・拡大化されている今日だが,今日的な看護職員の評価がまた明日の評価につながっていくのではないだろうか.

ニュース

‘第5回国民の健康を守る看護大会’開かる

ページ範囲:P.82 - P.82

 6月25日,東京都新宿区の日本青年館ホールに全国から1000余名の参加者を集めて第5回看護大会が開催された(主催:日本看護協会・日本看護連盟).
 本大会は‘国民の健康を守る’とあるように,いつでもどこでも国民が安心して医療を受けられるためには,医療供給主体を構成する‘看護’はいかにあるべきかを看護婦等看護職にあるものが自ら問い直すことから出発している.しかし看護職にあるものが責任をもって看護を行なうためには,現在の国の医療制度,政府の低医療政策は大きな足かせとなり続けてきた.そこで看護婦の賃金および労働条件の向上,看護婦不足の解消など具体的要求を政府につきつけ,みずからの生活を確保・整備するとともに,真の国民医療確立へ向かって運動を起こしてゆくことがこの大会の主眼点になっている.

病院建築・54

長野県・市立大町病院

著者: 杉森格

ページ範囲:P.83 - P.88

設計の過程
 大町市は長野県北部北安曇郡の中心に位する人口3万余の小地方都市であり,北アルプスや黒四ダムの入口として知られている.市街は周囲を山に囲まれ西から北にかけてのアルプスのながめが美しい.海抜約720メートルの高冷地であり,冬の寒さは厳しく積雪もかなりあるが,夏は湿度が低く過ごしやすい気候であり,四季を通じて豊かな自然環境に恵まれている.
 大町病院の医療圏は人口11万余であるが,医療施設の整備が遅れており,とくに大町市以北の町村は山地の多い過疎地域であり,昭和2年に開設された市立大町病院は唯一の公的病院として,地域医療活動を続けている.また,北アルプスをひかえているため,毎年遭難者の手当て,屍体の収容など,山岳事故の救急活動件数も多い.

私的病院からのレポート・19

—東京・河北病院—公的使命を果たす地域の中心病院—河北恵文院長にきく

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.89 - P.97

たいへん真面目な勉強家……河北院長(写真上)を知る人の河北院長評である.この評判にたがわず,院内の統計はきちんと整えられ,その要点はすっかり頭の中におさまっている.めざましい病院の発展も,数字という客観的データに基づいて,確実にそして着実に計られた結果なのだ.地域住民から信頼され,またそれに応える,名利につきる病院管理者の役割を堂々と演じている.

今日の精神医療・7

治療関係論

著者: 小此木啓吾

ページ範囲:P.98 - P.101

はじめに
 治療関係とは,治療を目的として成立する人間関係のことである.当然のことながら,どんな医療も治療関係を介することなしには実践されえないが,必ずしも,医療に携わる各種の専門家が,自分と患者,自分と他の医療スタッフとの間で発展してゆく治療関係について,十分な認識をもちながらその実践を続けてきたとはいいがたい.
 ところが,最近,医療過誤問題や患者の人権問題がきびしく追及される時代になって,どんな医療従事者も,それぞれに応じた,自分なりの治療関係論をもつことが,急務の課題になろうとしている.そのような意味で,精神科医療,とりわけ入院治療の中で発達してきた治療関係論の動向のいくつかを,ここに紹介してみたいと思う.

主張

老人医療への提言

著者: 近藤六郎

ページ範囲:P.102 - P.103

 戦後日本の社会情勢ならびに環境は,一部を除けば大局において好転し,国民の寿命が著しく延びたことは疑う余地のない事実である.
 しかしそういう高齢者は確かに増加したものの,その年代の罹病率・死亡率はあまり改善されてはいないようだ.つまり,われわれの周辺には,一見健康そうな老人が多くなった反面,病気の老人が増えたことも確かである.

座談会

経済学的側面からみた医療の現状

著者: 宇沢弘文 ,   江間時彦 ,   紀伊国献三

ページ範囲:P.105 - P.112

 ‘健康と医療の経済学に関する国際会議’が去る4月2日から6日間,東京で開催されたが,国際経済学会が医療を国際会議の議題にとりあげたのは,どのような状況によるものであろうか.世界に共通の傾向である医療費の急激な上昇,医療の需要と供給のアンバランス,さらに各国の医療制度が内包するさまざまな矛盾など,経済学的な分析を必要とする段階に来たことによるとみられる.そこで,この会議に出席された3先生にこの会議の背景となった世界各国の医療の経済学的側面へのアプローチを試みていただいた.

問いかける沖繩・7

救急医療

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.114 - P.115

 沖縄県は第2次大戦によって焼土と化し,すべての社会資源は荒廃し,県民は家屋財産を失い,生活の基盤を失ったまま,米軍の管理下にはいった.さらにサンフランシスコ平和条約によって祖国日本から切り離され,戦争の傷痕を癒やすこともなく引き続き異民族支配下へ強制編入されてしまった.以来27年間,日本国民として享受すべき諸権利も行使できず,国による社会基盤整備や福祉拡充もなされず,米国の軍事優先の政策下でわずかな援助を受けて,細々と医療施設整備を行なってきたことを銘記すべきである.
 終戦当時,医師は50名足らずしかいなかったといわれ,その確保策として,昭和24年に奨学制度が設けられ,医学生を本土大学へ送り出し,今日まで継続している.また,それより早く,昭和21年に3か所の地区病院(当事医療公営であった)に看護学校が付設され,看護婦養成が始められた.さらに医師不足を緩和する方策として,医師介輔・歯科医師介輔という特殊の資格を規則で設定し,限定された治療を担当させた.この介輔制度は現在も特別措置として認められ,主として医師確保の困難な地域で診療に従事している.このようにして医療要員確保と施設設備の整備は終戦後ただちに手がけられたが,当時の琉球政府の力ではとうてい国と同様の成果をあげることは困難であった.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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