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問いかける沖繩・7
救急医療
著者: 伊波茂雄1
所属機関: 1沖縄県厚生部
ページ範囲:P.114 - P.115
文献購入ページに移動終戦当時,医師は50名足らずしかいなかったといわれ,その確保策として,昭和24年に奨学制度が設けられ,医学生を本土大学へ送り出し,今日まで継続している.また,それより早く,昭和21年に3か所の地区病院(当事医療公営であった)に看護学校が付設され,看護婦養成が始められた.さらに医師不足を緩和する方策として,医師介輔・歯科医師介輔という特殊の資格を規則で設定し,限定された治療を担当させた.この介輔制度は現在も特別措置として認められ,主として医師確保の困難な地域で診療に従事している.このようにして医療要員確保と施設設備の整備は終戦後ただちに手がけられたが,当時の琉球政府の力ではとうてい国と同様の成果をあげることは困難であった.
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