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人
文献概要
お若い先生である.明治30年生まれ,75歳とはとうていお見受けできない.また,行動力と鋭敏果断な決断力はいつも周囲の人を驚かす.大正12年東大医学部を卒業.在学当時,三田教授・真鍋教授の下で血清化学・内科学を専攻され,若き日の情熱はいきおい結核亡国論が叫ばれる中で,敢然とこれに取り組むこととなられたようだ.以来50年,結核一筋に歩み続けられ,死ぬ病院から治る病院に変わった.この間,結核の予防事業に貢献した功により,昭和44年保健文化賞を受賞されている.
しかし,今なお150万の潜在患者が放置に近い状態にあるのに対し,結核の恐しさを説き,軽視の風潮を戒めておられる.老人性結核が多いことが契機となって,近時老人病問題にも熱意を傾けておられるが,現実にベッドサイドで脈をとる先生の胸中には,見せかけが先行する老人病政策に,同世代を共に歩んだ患者への共鳴といたわりが混然となって,きびしい批判が口を開かせることもある.
しかし,今なお150万の潜在患者が放置に近い状態にあるのに対し,結核の恐しさを説き,軽視の風潮を戒めておられる.老人性結核が多いことが契機となって,近時老人病問題にも熱意を傾けておられるが,現実にベッドサイドで脈をとる先生の胸中には,見せかけが先行する老人病政策に,同世代を共に歩んだ患者への共鳴といたわりが混然となって,きびしい批判が口を開かせることもある.
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