icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

病院32巻9号

1973年09月発行

雑誌目次

特集 病院と保育所

病院に保育所は必要か

著者: 前田マスヨ

ページ範囲:P.22 - P.24

はじめに
 看護婦不足が世界的に深刻な問題になってきていることはいうまでもないが,その対策の一端として,職場(病院も含む)に保育所をという要求がなされはじめてから,もう久しい月日が過ぎている.もちろん,保育所の要求は,看護婦不足の対策として職場への定着性を保っていくという目的のほかに,看護を生涯の職業として,育児をはじめとする家庭生活とも両立させながら続けていきたいという,職業に対する愛着や意欲からもその必要性を生じて,要求する方がたも多いときく.しかし,いずれにせよ,現実には,要求の強い割合にその実現がもどかしい状態であることや,あっても維持運営の点で困難な問題が多いのはなぜなのであろうかとしみじみ思う.

資料 育児休職制度と施設内保育所(その1),他

ページ範囲:P.25 - P.25

 昭和48年1月に,日本看護協会が‘看護婦の労働条件(夜勤,休職等に関する調査)’を発表した.47年2月に378施設(うち回答337施設)あて調査し,まとめたものである.その中から‘育児’に関する部分を抜すいした.

保育所運営の実際

著者: 古橋洋子 ,   児嶋喜八郎 ,   永松祥子 ,   川原田ノリ子 ,   永野和子 ,   関口一雄 ,   宮崎まさ子 ,   古屋芳造 ,   小野丞二 ,   武富喜美子 ,   平松勉 ,   杏美紀 ,   古川禎一 ,   山本千恵子 ,   吉武長子 ,   吉村幸子 ,   鈴木宗孝

ページ範囲:P.26 - P.43

東京都立豊島病院
準夜・深夜勤務の場合に問題
 私の所属する病院は,東京の北西部の中小企業の密集する過密地帯にある都立の総合病院でベッド数は726,特徴としては,脳外科救急センター,未熟児センター,心臓外科センターなど3つのセンターのほか,伝染病棟(230ベッド)をもち,職員総数は570名,このうち看護婦は約270名,医師は80名である.

保育所の経営

著者: 東義晴

ページ範囲:P.44 - P.46

はじめに
 ‘市町村長は,保護者の労働または疾病等の事由により,その監護すべき乳児,幼児または第39条第2項に規定する児童の保育に欠けるところがあると認めるときは,それらの児童を保育所に入所させて保育しなければならない.但し,附近に保育所がない等やむを得ない事由があるときは,その他の適切な保護を加えなければならない.’
 これは,ご承知のとおり児童福祉法第24条の規定である.したがって,保護者の側の事由によって乳児,幼児または児童(便宜上以下子どもという)を,公の手によって保育する必要のある場合は,当然,市町村長の責任においてこれを実現しなければならない.ところが,法律には明確にうたわれておりながら,現実の問題として,そのような施設はまだ十分には用意されていないことがそもそもの問題の始まりである.が,他面,医療施設における深刻な看護婦の不足は,何とかして,保育のために職を辞する看護婦を引きとめたいこと,さらには,すでに家庭にあって保育に専念している看護婦を職場に迎え入れることを可能にするための必須条件として,医療施設みずからの手で保育所を設置せざるをえない状況に追い込まれた,というのが実情であろう.

保育所に関する法律と設置基準

著者: 鈴木政次郎

ページ範囲:P.48 - P.51

はじめに
 保育所は,児童福祉法で規定されている児童福祉施設の1つであるから,保育所に関する法律の中心となるものは当然「児童福祉法」(昭和22年,法律第164号)である.これに関連して,同法施行令(昭和23年,政令第74号),同法施行規則(昭和23年,厚生省令第11号),児童福祉施設最低基準(昭和23年,厚生省令第63号)などがあり,また,保育事業が,児童福祉事業,社会福祉事業の一種であることから,社会福祉事業法(昭和26年,法律第45号)の規制をうけることになる.
 さらに,"児童は人として尊ばれる","児童はよい環境のなかで育てられる"という有名な文句で知られる「児童憲章」(昭和26年)や,"人類は,児童に対し,最善のものを与える義務を負うものである"という格調高い文章で知られている国際連合の「児童権利宣言」(昭和34年)も,保育所における保育が基盤とする児童福祉の理念・原則を高揚したものとして,参照されるべきものである.

対談

子らを託された保母から

著者: 神杉陽子 ,   井田ヨネ

ページ範囲:P.52 - P.59

 井田 豊島病院が保育園を始めたのはいつごろからですか.
 神杉 40年ごろ組合で始めたらしいんです.44年から衛生局管理になりました.

病院と統計

国民総医療費

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.10 - P.11

 厚生省が8月8日に発表したところによると,昭和46年度の国民総医療費は2兆7710億円,国民1人あたりでは約2万6000円になるという.
 その対前年伸び率は9%弱.45年度の19%弱にくらべれば大変な減少ぶりだ.新聞では46年7月の保険医総辞退の際の患者減も主な原因の1つと報じていたが,それは患者数にして約86万人,金額では220億円であるから,そこからの影響は1%にも足りない.日ごろ,総医療費の増加によっていまにも日本経済が破算しそうなことを言ってきた新聞にとって,今回はちょっと勝手がちがったらしく,どの新聞の論調もあまりさえなかった.それでも,47年度には3兆円を越すだろうとか,例によって43.7%という一般診療費に対する薬剤費の比率が高すぎるとか言って,従来の見方を執拗にくり返していた.

グラフ

48年の歴史をもつ総合老人医療施設—浴風会病院と浴風園

ページ範囲:P.13 - P.17

 渋谷から井の頭線で20分,高井戸の駅を降りて,10数分行くと,このあたりでは珍らしいうっそうと緑の生い繁る中に,古色蒼然とした練瓦造りの建物が見えてくる.わが国の老人医療福祉事業の先端を切った浴風会病院である.
 浴風会は,大正14年に関東大震災で自活できなくなった老人のため,恩賜金と一般義捐金をもとにして建てられた.現在老人病院(265床),養護老人ホーム(400名),特別養護老人ホーム(100名)その他を含め,合計900名の老人の世話をしている.いわゆるワンセットシステムの老人福祉施設として民間では最大級のものである.

医療にかける兄弟院長—札幌・手稲ルカ病院長 上泉 隆先生 ルカ病院長 上泉 清先生

著者: 和田武雄

ページ範囲:P.18 - P.18

 このご両人を世間なみの常識をもって評しようとすれば,きたんないところ医者仲間のワクからはみ出すことまちがいなしである.兄さんは度の厚いめがねの奥にやさしい目をしばたかせながら,いつでも‘先生,弟にブレーキをかけてください’といいながらみずからもへき地医療だ,老人医療だ,看護婦養成だと一生けんめいだし,弟さんはそのブレーキが故障したブルトーザーのように海外医療だ,ネパールだと走り回っている.止まるすべも知らなきゃ,止めることもできない.病院が焼けたり,借金がかさんだり(だろうと思う)でさぞや苦労が多かろうと心配されるのだが,ご当人たちは気配にもそれを感じさせない.のみならずりっぱな病院が建ち,着々と施設が整備され,次はなにをしようか,そんな構えのきょうこのごろである."旅のために,杖(ツエ)一本のほかには何ももたないように"いつかの集りに兄さんはそんな聖句をよみあげていたが,つえならぬお二人の靴の底はいつもすりきれている.そんな上泉隆・清両先生である.

時評

人事院勧告を考える

著者: せん

ページ範囲:P.60 - P.60

人材確保を意図した人事院勧告
 恒例の人事院の国会と内閣に対する国家公務員の給与引き上げの勧告が8月9日になされた.平均15.39%という過去20年間で最高幅の引き上げといわれる.
 相変わらず医療職の引き上げは大きく,とくに初任給のアップ率は准看が19.4%,看護婦18.2%,薬剤師17.9%,医師16.0%と昨年をさらに上回っている.

私的病院からのレポート・21

—伊豆韮山温泉病院—‘保養’では満足できない温泉病院—長谷川恒雄院長にきく

ページ範囲:P.61 - P.71

 入院患者にいわせるとモーレツに訓練する病院だという.リハビリ関係では老舗的存在になりつつある.長谷川院長(写真下)は49歳,慶大卒.米国留学から帰国後すぐにこの病院に赴任.以来,とかくむずかしいこの種の病院経営を堅実に支えてきた.そのコツは職員や患者間の‘和’を保つこと,不信感を招かないよう経理を‘ガラス張り’にすることだそうだ.失語症の強化回復訓練などユニークな分野に精力的な活動を展開する院長だが,そこにまた尽きせぬ悩みやカベもある.

招待席

ネパールでの体験から

著者: 岩村昇 ,   佐藤智

ページ範囲:P.72 - P.80

 佐藤 すでにご存じの方も多いとは思いますが,一応,岩村さんがネパールへ行かれた10数年前の経過からお話しくださいませんか.
 岩村 35年ほど前から日本キリスト者医科連盟というクリスチャンのお医者さんや看護婦さんの集まりがあったんですが,戦争が終わって平和になってから,なんとかアジアの国に医療奉仕に行きたいという同志が集まって,海外医療協力を実行する団体として‘日本キリスト教海外医療協力会’ができたわけです.そこを通してネパールで公衆衛生を必要としていると聞きました.私は公衆衛生の中で伝染病サイドのことをやっていたので,海外へ出るときがきたと思いました.当時のネパールは,秘境ヒマラヤということで,探険的な興味もあり行ったんです.行った先には,12か国から25のキリスト教団体が集まったネパール合同ミッションというのがありました.このミッションのやり方は,それぞれの医者や看護婦の人件費等は本国からの浄財献金によって,それから生活費,新しい仕事の経費,共同の事務費などの一部分担金として一定額を出しているわけです.そのネパール合同ミッションが,現在までネパール政府の許可を得て病院・診療所を7か所ばかりつくってきたわけです.私はその中の1つである西ネパールのタンセンというところで初めの9年間やってきました.

ばらんす・しーと

現代社会科学のほとんどは‘呪術’にすぎない

著者:

ページ範囲:P.80 - P.80

 昨年9月25日号の米週刊誌「タイム」の"行動"欄には,怒れる社会科学者’とよぶにふさわしいイギリスはリーディング大学社会学教授,スタニスラウ・アンドレスキーの近著"呪術としての社会科学"Social Sciences as Sorcery, 1972の書評並びに解説が載っていた.
 これを取り寄せて読んでみるに,つねひごろから私がそうではないかと思っていたことが,彼によれば,まさしくそのとおりだというのである.私としては近来,これほどの快哉を叫んだ本はない.

ニュース

—1977年の開催地‘東京’に決定—第18回国際病院連盟(IHF)コングレス(モントリオール,6月17-22日)から

著者: 落合勝一郎

ページ範囲:P.82 - P.84

マンモスホテルでのコングレス
 カナダは広大な国である.神崎先生とトロントからモントリオールまでCNという国営のエキスプレスにのったが,約5時間もの間,町らしい町はなく,牧場と原野,小高い丘,農場などがえんえんと続くばかりで,人家もほとんどといってよいくらい見あたらない.片側だけで100軒もあっただろうか,ソ連についで世界で2番目に大きい面積を有するこの国は,人口がわずかに2300万人という.したがって消費力が小さいから大きな生産事業は盛んでない.
 もっとも地下資源は豊富だから生活は余裕があり,トロントにしても,今回の国際病院連盟コングレスの開催地モントリオールにしても,すっかり近代化された巨大な都市造りに熱心だ.

病院史のひとこま

輸血技術の導入—院内血液銀行について

著者: 村上省三

ページ範囲:P.85 - P.85

民間血液銀行の開設
 昭和23年東大分院におきた輸血梅毒事件の結果,当時のGHQは日本政府に対して,善後策として,保存血液を取り扱う血液銀行を作ることを示唆してきた.そのため厚生省は昭和24年5月,都・日赤・学識経験者を加えて打ち合わせ会を開き,将来日赤が血液事業を行なうことを決定した.その結果,加藤勝治先生が日赤の嘱託としてアメリカ各地を回って血液事業を視察して帰られた.しかし当時のわが国の工業のレベルでは,信頼するに足る血液保存用冷蔵庫もないし,もろもろの採血器具にしても,乾燥血漿作成用としてやっと作り出された程度で,はたして長期の保存に耐える品質であるか心もとないので,日赤としてもすぐ着手するだけの自信がなかった.
 とかくするうち朝鮮における戦争も下火となり,ある程度半島における需要を意識して作られていた民間の‘乾燥血漿を製造する’目的で作られていた製薬会社がその施設の血液銀行への転換を考えはじめた.昭和26年のことである.同じ年には米海軍の関係者の援助により横須賀市立病院内に血液銀行がつくられた.これは厚生省のライセンスもとり,広く血液を他病院にも供給しうる資格をもったものであった.

看護管理・21

退院計画をいつたてるか

著者: 所沢綾子

ページ範囲:P.86 - P.87

リエゾンナースの存在
 アメリカ,ロスアンゼルスの郊外に,郡立病院ランチョ・ロス・アミゴス病院Rancho Los Amigos Hospitalというリハビリテーション専門の病院がある.
 この病院が設立された1888年当時は,結核と慢性病が中心のいわば療養所であったが,1944年,この地方にポリオが流行し,急性病院はポリオ患者で満床となり,急性期を過ぎて後遺症を持ったポリオ患者がここに回されてきた.このポリオの後遺症をどうするか,そのあと始末が看護婦にゆだねられた.ポリオとの取り組みの歴史がランチョをリハビリテーション専門の病院として確立させ,今日の独特のナースの機能を開発させた.

病院職員のための医学知識・9

コンピュータ診断への道

著者: 王子亘由

ページ範囲:P.88 - P.89

近年コンピュータ診断がいろいろの分野で研究されているようですが,コンピュータ診断の目的はどこにあるのですか.
 臨床医学の目的は疾病に対する的確な診療を行なうことはいうまでもなく,さらに疾病の病因を明確にすることと,病態生理に基づいて最適の治療を行なうことにあります.
 また臨床医学が自然科学として高い水準を維持するには,疾病の診断・治療面において,1)どの医師が行なっても同じ結果が得られる(客観性),2)何度試みても同じ結果が得られる(再現性),3)偏りのない正しい結果が得られる(真実性),などが要求されます.

病院におこりやすい法律問題・9

病院と争議行為中の安全管理

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.90 - P.91

事例
 最近組合が結成され,従来からの待遇その他の問題について労使間に交渉が開かれたが,争議に発展する可能性も考えられる.団交の席上,組合側は争議中の安全保持に関し協定を結ばねばならない義務はない,と主張しているが,この点についての見解をうかがいたい.

ホスピタル・マンパワー

義眼作製35年のキャリアをもつ人間国宝的存在—国立東京第一病院写真室勤務 松木 才助氏

著者: 山下九三夫

ページ範囲:P.92 - P.92

 最近医師の技術評価を高くするよう朝野の声が高まっている.医師以外にも,高い技術を誇っている人が数多い.私がここに紹介する国立東京第一病院写真室の松木才助氏もその1人である.写真室勤務という以上,医学写真がその本業であって,顕微鏡写真や手術・解剖時の写真,摘出標本や患者のカラー写真などに多忙の毎日のようだ.実はこの本業は趣味で始めて20年の年期がはいっている.各医師の学会が近づくとそのスライド作りに大わらわであり,氏自身も医学写真の研究発表6回に及んでいる.しかし氏の本当の仕事はその道35年の義眼作製なので,いわば国宝的技術をもっている義眼師なのである.生れながらの無眼球や,眼球萎縮の患者,戦傷や外傷で失明した人びとに明るい希望・光明を与えている職業といえよう.
 義眼は古くは木製,金属,貝殻などを加工して作っていた.18世紀の始めごろフランスでガラス製の義眼が発明され,その後ドイツのミューラー氏が,1898年当時としては非常に精巧なガラス製義眼を製作発表した.わが国では大正初期大阪で高橋為春氏,ついで支那事変当時の厚沢銀次郎氏,人形義眼の研究から戦争失明者の義眼作製のため臨時東京第一陸軍病院(現国立東京第一病院)に招かれた駒沢勉氏,義眼材料研究の大島亀吉氏に技術が伝わり,松木才助氏に伝承されているわけである.

病院建築・56

茅ケ崎市立病院の設計

著者: 鈴木昭

ページ範囲:P.93 - P.100

はじめに
 1972年度神奈川県建築コンクールにおいて,茅ケ崎市立病院は他の一般建築にまじり優秀建築3点のうちの1つに入賞した.このことは私ども病院建築の設計に従事する者にとって初めての喜びであった.当然,福祉の年ともいわれ国をあげて国民生活の向上に関心が寄せられている風潮によることも大きいが,病院建築が一般建築とならんで社会的興味の対象として取りあげられたことは,これからの病院建築に対して新しい方向を示すものと考えられる.
 今日まで,とかく病院設計という仕事は特殊な分野での専門的作業であって,その難しさは理解されても,あるいは,医療的方法のなかでの良否は問題にされても,いろいろな建築が人間社会と織り成す愉しさや環境造りの主役を務めていることに比べるときわめて地味な存在であった.病院は患者にとっては闘病生活の場であり,医療従事者にとっては職場以外の何ものでもない.昨日まで千差万別の市民生活を送ってきた市民が,患者という一律的な呼び名のもとで共同生活を営み,一方,数十種類におよぶ何らかの資格を持った医療従事者が,それぞれの立場から協調と献身的努力を日夜重ねる職場としての病院建築は,他のいかなる建物にも増してヒューマニズムによって貫かれ,常に深い関心を持たれる建物であらねばならない.

今日の精神医療・9 対談

歪められた精神病院像

著者: 小木貞孝 ,   金子嗣郎

ページ範囲:P.102 - P.111

 世間というものは,一般のジャーナリズムに代表してみられるように,あらゆるものを一面的に断じ,非常にご都合主義的な理解と解釈とを加えてみせるもののようだ.今回は,精神病院,あるいは精神病者にあてられた世間の目をここに取り上げ,実体を論じる中から真実というものに肉迫してみようというわけである.

欧州における救急医療の問題・1

ドイツにおける救急医療

著者: 渡辺茂夫

ページ範囲:P.112 - P.119

 今般1972年5月より11月まで西ドイツ留学のさい,欧州各地の主要都市を中心として,その救急医療の実体を把握すべく調査を行なった.もちろん,私は,昨年は日本全体の救急医療体制の現状を調査し,今般は欧州の体制を調査したのであるが,一部は自分の専門の脳神経外科の臨床教室を中心として救急医療の実際をつぶさにみてきた関係もあり,全科にわたらないものもある.幸い政府の関係者の紹介で,医療行政担当者に面会し,種々の行政上の問題も調査できた.ここでは,西ドイツ,フランス,イギリス,スイス,イタリアなどの主要都市,大学,病院における救急医療の大様について,順次述べてゆきたいと思う.

問いかける沖繩・9

‘地域医療’部(1)—沖繩の特性

著者: 鈴木淳

ページ範囲:P.120 - P.121

渦巻く診療不満……
 沖縄の二大新聞は朝刊でも夕刊でもほとんど毎回といってよいぐらい医療関係の記事を載せている.急病患者の取り扱いの不当性,離島鄙地での診療苦,難病者の本土加療,医療職員数の不足,これらの背後にあると想定される行政への不満が述べられ,結局は国の無為無策ぶりを指摘することになる.結論が抽象化される一方,現実へも厳しい眼が向けられ,現存診療所病院の運営ぶりも批判の対象となり,なかには医師不信の情念を露骨にあらわした投書もしばしば掲載される.
 赴任の当初は保健医療関係記事をひとつずつ丹念にスクラップしていたが,あまりに数が多いのと,使用ゴシック活字が1-2号なみなので,切り抜きどころではなく,ここ数か月前より全紙を机上にただ積み重ねる始末となった.

--------------------

‘待たせない外来’への挑戦(その3)—システム転換作業を実施してみて

著者: 上林三郎

ページ範囲:P.122 - P.125

 受付の整備,患者の番号登録制検討,そのための準備作業を悪戦苦闘のうちに終え,本号では番号登録制システムの転換作業が実施に移される.‘待たせない外来への挑戦’としてのこのシステム採用はうまく軌道にのるであろうか…….

トピックス

International Symposium on Medical Data Processingに出席して(1973, Toulouse-France)—J.L.Cutler (W.H.O.—Genève)による定期検診(Periodic Health Examination)の評価

著者: 八坂敏夫

ページ範囲:P.126 - P.127

 医療情報処理(medical data processing)に関する国際シンポジウムが,南フランスの産業都市Tou-louseで開催された.このシンポジウムのプロムグラを略記すれば, 第1日 Openig Session 第2日 Health Screening 第3日 Monitoring 第4日 Disease Simulation 第5日 Patient Identificationであり,約30か国,300人が参加した.
 そのうちでも,ハイライトは第2日のHealth Scree-ningのセッションにあったようである.筆者も幸い,このセッションに演題を発表する機会を得た.W.H.O.のCutler氏の発表も注目すべき演題であったと思うので,その概要を紹介したい.以下は論旨の要約であり,私も若干のコメントを付した.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?