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雑誌目次

雑誌文献

病院33巻1号

1974年01月発行

雑誌目次

特集 医療計画

医療計画のすすめ方

著者: 紀伊国献三

ページ範囲:P.22 - P.25

計画の意味するもの◇
 計画は恣意的,思いつき的,主観的,経験的行動からの訣別である.それは限られた資源と情報の組織的活用を目ざす,より慎重な,システム的な,客観的な行動過程を意味するものでなくてはならない.過去における医療の社会への提供という人間行動をふり返ってみると,そこには,限られた計画行動が,特定疾患(たとえばハンセン氏病,結核など)に対するものに認められても,全体としての計画行動は不十分であったといえよう.多くの医療提供のしくみは善意,人道主義に支えられた自然発生的であり,常に複数の責任者が相互関連なく存在し,その調整は,市場メカニズムによる見えざる手に期待した部分が多かった.その結果が,現在先進諸国に多く見られる利用者のニードと提供体制との間の多くのギャップによる問題点を生み出してきている.
 医療計画はこの増大する医療ニードに対して,有限の資源(金,人,設備)をいかに適正に配分することができるかという不確定性の探求過程である.その過程自身がシステマティックに計画されたものでなくてはならぬが,それは固定的なものではなく,ダイナミックなものであり,常に進歩のためのいわばらせん状の過程であり,静的な段階的に決められた過程ではないはずである.

高福祉社会,高技術社会の病院

著者: 武見太郎

ページ範囲:P.26 - P.27

病院概念の更新◇
 病院は病者を収容する施設として定義づけられてきた.これは歴史的な定義として永久に残るかもしれない.ことに20床以上を病院とするというような規定が医療法に設けられているけれども,これは病院の本質と機能とについて何ら考慮がはらわれていないで,ホテルのベッド数に対応するものとしか病院を考えていない.また,栄養管理者あるいは看護婦,医師らの定員制が定められているけれども,これは何ら病院の質を代表するものではない.

医療計画における医師の認識と役割

著者: 若松栄一

ページ範囲:P.28 - P.31

医療計画の必然性◇
 工業化された世界の先進国では,その方法や程度にいろいろの差はあるにしても,国家的な関与による医療保障のしくみを持っていないものはない.しかもその保障の程度は拡大することはあっても縮小することはありえない.一方では人口の老齢化や産業構造の変化などによる社会生物学的変化を通じて医療需要の増大が加速され,さらには医学医術の進歩による高度医療の開発はとどまるところを知らない.
 それら先進国においては国民医療費は国民所得に対して4-9%の率を占めている.しかもほとんどの国々で医療費の伸び率は国民所得の伸び率を上回っているのが近年の傾向である.それでいていずれの国民も医療が十分でないことに大きな不満を持っている.

医療計画の必要性と考え方

著者: 諸橋芳夫

ページ範囲:P.32 - P.34

 国民の医療を確保し,向上するためには,医療機関の計画的な配置計画が必要であるという考え方は戦後各方面から指摘され,論議されてきているし,政府においてもいくつかの委員会,審議会に諮問し,その答申を得てきている.最近の社会保障制度審議会の答申で指摘しているように,わが国の医療制度は医療の需要者である国民には国民皆保険体制を強いながら,医療の供給者側には野放し的な自由開業医体制を基盤としているところに,今日における国民医療の矛盾や混乱が生じて国民に不満と苦悩を高めているのが現状である.

医療計画の技法

著者: 松本啓俊

ページ範囲:P.35 - P.41

まえがき◇
 ある設定された目標があって,それを達成するためにはいく通りかの手法があるはずである.たとえば医療に関するシビル・ミニマムの設定があって,それの達成にはいく通りかの手法があるはずである.これらの手法を適用して目標を段階的に達成することが計画ということであれば,計画技法という言葉はそれらが確立している場合にのみ用いられることが許されるのであろう.そのような意味でと,その多様性の画一的統一化を意識的にはばむ意味とからあえて計画手法と読み代えて,与えられた責を果たそうと考える.したがって,いわば試論を述べることとなろうし,同時にその段階で当面しているいくつかの問題提起を行なうにとどまることとなろう.
 医療計画のめざすところは,第1に,現状としての受診需要とサービス提供の間の質的・量的欠損(defect)を明らかにし,それらの欠損をどう補正するのかということであり,第2にあるべき姿の設定があり,それと現実との間の欠損をどう調整し実現化してゆくのかに段階的に大別できよう.

医療計画と経済性

著者: 都村敦子

ページ範囲:P.42 - P.44

計画と合理性(経済性)◇
 最近,医療計画に対する関心は,WHOの専門委員会をはじめとして諸外国においても急速に高まりつつある.医療計画を前進させるための可能性はいくつかあるが,とりわけ現存の理論ベースでの進展が必要とされよう.
 公共政策策定の領域とともに医療計画の理論においても問題となる基本的な論点は,合理性という扱いにくい概念と取り組む必要があるということである.医療計画の立案者はだれでも合理的に計画したいと考え,だれも非合理的というレッテルをはられたくないであろう.しかし医療計画の理論では,合理性という概念を医療計画のための意義のあるタームとして操作可能なものにする試みはあまり行なわれてこなかった.

システム論と計画・立案

著者: 原野秀永

ページ範囲:P.45 - P.47

システム論の必要性と背景◇
 われわれの周囲にはシステムという言葉が横行している.いわく医療のシステム,いわく病院のシステム,といったものから,生活のシステム,とか明朗会計システムといったように,いろいろに使われている,しかしシステムとは何であろうかと問いかけるときに明確な答えは返ってこない.システムとは何なのであろうか?
 これに対して‘浪華の芦も伊勢の浜荻’のたとえのごとく,人により立場により定義は変わってくるであろうが,筆者は次のような定義を与えている.システムとは‘ある目的を達成するためにもの(有形,無形の)が有機的に結合されて安定した活動可能の状態となっているものの集合’であると定義している.これで一応は定義したようなものの目的とは何か?ものとは何か?と1つ1つを明らかにしないかぎりシステムは本当に理解されないであろう.

外国にみる医療計画

著者: 緒方昭

ページ範囲:P.64 - P.68

 私は,日本病院管理学会主催の第4回世界病院管理専門調査団に参加し,昭和48年6月7日より30日間に,欧米主要国の医療事情を視てきた.このうち,とくに米国,英国,フランス,スウェーデンの諸国が,医療費の高騰する中で,国民に必要な医療を提供するためにどのように考え,実施しているかについて,私なりに理解して報告したい.

地域医療計画の実際

僻地を含んだ広域での医療計画

著者: 木全心一 ,   郡司篤晃

ページ範囲:P.48 - P.51

日本の僻地医療の現状と対策◇
1.僻地の医師の希望
 今日,僻地が社会的に注目を浴び,広く議論されている.ここでの議論は常に深刻である.医師を得るのが困難で,どのように一生懸命探したか.高給を出しても来てくれないので東南アジアの国々から医師を得た話が出てくる.解決法は,医学校を多く作り,その1つを自県になんとか誘致しようとする.それではさしあたり間に合わないので短期間教育の‘準医師’の制度を導入しようとする議論さえ生まれる.さらに僻地へ進んでゆくように医師のモラル,ヒューマニズムを昂揚する必要性が強調される.
 今日,私たちは,なぜ僻地に医師が行かないか,それを解決するためにはなにをしなくてはならないかとの視点から議論を進めたいと思う.今日の僻地での医師の苦悩を要約すると次のようになる.

大分市医師会のMultichannel Medical System

著者: 杉田肇

ページ範囲:P.51 - P.55

 ‘地域のニードに対して,医療供給システム,あるいは計画をどのように施されているか,また開業医の役割分担をその中でどのように考え,行なっておられるか’という問いにお答えするには,私どもが10年来歩んで来た道について,ありのままをお伝えするのが最上と思われる.なぜなら,私どもはみずから育ててきた医師会病院を軸とした地域医療計画を考えているからである.そしてその長い苦しい道のりが,これからの役割分担を当然として受けとめる基盤を作ったと信ずるからである,いわゆる‘医師の使命感’というものを超えて.

下北地方の広域医療圏その後

著者: 福島高文

ページ範囲:P.56 - P.58

 昭和46年4月1日青森県下北郡下の全市町村1市3町4か村が,図1に示す地区内公的医療機関の統合を行ない,下北医療センターとして発足してから早や2か年半を経過したが,その発足までの経過についてはすでに「病院」第31巻No.1に詳述している.いま下北医療センターの現況のうち,発足の主旨に関与し,さらに大方の興味の中心にあると思われるものから4項目をあげ,その成果の判定を行なってみたいと考える.

高蔵寺ニュータウンの医療計画

著者: 柳沢忠

ページ範囲:P.59 - P.63

 人口10万の新都市を名古屋市近郊に建設しようという計画が日本住宅公団から発表されたのは1961年であるから,この高蔵寺ニュータウンもすでに公表以来12年を経過したことになる.当時大阪府の千里ニュータウンに続く大規模な計画であり,都市らしい魅力をもったワンセンターシステム,自家用車時代にふさわしい道路計画,歩車道分離の緑道計画などといったキャッチフレーズに世の注目が集まったものであった.
 その後,泉北ニュータウンとか研究学園都市などと新しい話題が登場するにつれて忘れられ,専門家の間でも初期のマスタープランは知られていても,実際にどのように町づくりが進んでいるかほとんど知られていないのではないかと思う.

病院と統計 病院の部門別原価計算・1

病棟部門の原価計算

著者: 尾口平吉

ページ範囲:P.10 - P.11

部門別原価計算のあらまし
 目的 病院は病棟,外来,検査などいろいろな部門に分かれて業務を行なっている.病院の経営を合理化するためには,病院全体の経営を分析するが,これだけでは,どこの部門の経営が良いのか悪いのか判断ができない.そこで,部門別に原価と収益とを把握し分析する必要がある.またわが国の診療報酬体系は非合理的であって,病院の財政難の原因の大半はここにあるといわれている.これの是正のための的確な資料は病院自体が提供しなければならない.

広い視野と先見の明をもって医育の途を照らす 岩手医科大学学長 篠田糺先生

著者: 島内武文

ページ範囲:P.13 - P.13

 病院ほど管理が難しいものはないが,大学の管理も多くの難題をむかえている.先生はこの両方をかかえ,岩手医科大学学長として17年間同医大の発展につくされ,まことに偉大なる管理者ということができよう.
 先生は大正6年東大御卒業,昭和14年に東北大学産婦人科教授,昭和23年より5年間同大付属病院長をつとめられた.昭和25年進駐軍勧告に始まる文部省の大学病院改善に関する諸協議会においては,常に指導的かつ実際的な提案をされ,各種診療施設の中央化,管理の専任化をとなえられた.PPCは1957年に米国に始まるというが,先生はその2-3年前にこれを実現しておられた.東北大学に日本で最初の病院管理学講座を昭和27年に創設され,今日8大学に発展した先鞭をつけられたのも先生の御功績である.

グラフ

おだやかなひかりに姿を映す—香川県立中央病院

ページ範囲:P.14 - P.19

 去年の夏はたいへんだった.ひどい水飢饉が香川県一帯を襲ったからである.水を豊富に使うことによって成り立っている文化生活は,たちまちのうちに悲鳴をあげた.水洗便所は使えない,風呂にははいれない,洗濯ができないと.これはまさに,今,世間に吹きまくっている石油不足のもたらしたショックにも似た状態であった.なんといってもいちばん困ったのが病院であった.
 500人の入院患者を抱え,1日1200人にものぼる外来患者の診療を引き受けている香川県立中央病院は,大所帯であるだけに,その影響もいっそう深刻であった.運の悪いことに,一昨年12階建の近代的な病院に生まれかわったときに,2つの地下タンクを埋めてしまったからである.

病院図書館

—I.Douglas-Wilson & Gordon McLachlan 編—「Health Service Prospects: An International Survey」

著者: 西川滇八

ページ範囲:P.25 - P.25

(保健医療事業の展望—国際的見地から)
 10数年前にわが国の公衆衛生はたそがれであるという論議が沸いたが,今や世界の保健医療事業は曲がり角にさしかかっている.保健医療の科学技術は目ざましい進歩をとげ,いかなる疾病も医療の対象にとりあげられるようになった.しかし,多数の専門家と多くの医薬品,大がかりな医療器機を必要とし,医療費はぼう大にかさみ,それを個人が負担することはほとんど不可能になった。各国の識者たちは,早急に保健医療の合理化が必要であり,その再編成に努めなければならないことに気づいている.しかし対応策は五里霧中の状態である.このような時代的要請をかかえる時,世界の保健医療に対して指導的役割を果たしてきたTheLancet創刊150年記念として本書の発刊が企画された.
 本書の編集は,The Lancetの編集委員であるDouglas WilsonとNaffi—eld Hospitals Trustの事務局長であるGordon Mc Lachlan両氏である.「健保医療事業の展望」は,東は中国,日本,インドから,西はアメリカ合衆国に至る世界の15か国について,それぞれの国内で保健医療事業の全般について,すでに永年にわたり研究し,経験をもった筆者が分担執筆している.たとえばアメリカはJ. Knowles,スウェーデンはȦke Lindgren,日本は橋本正己,イギリスがG. Forsythらである.

話題

MEDIS-73

著者:

ページ範囲:P.47 - P.47

 この聞き慣れない略語は,Medical Information System-73の意味で,医療情報システムの国際シンポジウムであり,昭和47年9月に大阪で開催され好評だったものの第2回目である.昭和48年にも大阪商工会議所国際会議場を舞台に10月4-6日の3日間,内外から多くの参加者を集めて開催された.
 問題を多くかかえる医療,保健問題の解決を情報システムの,とくにコンピュータを利用してのシステムに期待する動きが,先進国の国家的プロジェクトに共通して見られるのも,急増する医療ニードに対応する医療提供のしくみのもつ問題の複雑さを示している.

病院のクオレ

第1話 未来学とは何ぞや

著者: 原素行

ページ範囲:P.69 - P.69

2度目の黒船
 未来学には3つの方式があるという.そのひとつは,爆弾のように,1回で全面的に病院の革新を行なうことである.第2は計画的に時間をかけて,第3の方式は年を重ねて,実情に添って漸次改良してゆくやり方であるという,まことに手ぬるい.しかし,考えてみると,日本は欧米の文明の尻を追い,駆け足文明の国であった.明治の上葉がその手始めで,戦後また病院の革新が行なわれはじめた.戦後の革新を筆者は‘2度目の黒船’と呼んでいる.はじめの黒船はアメリカだけではなく,欧州からも来た.2度目はほとんどペリー提督の後輩が乗り込んできた.

英国で学んだ病院管理・1

ゆりかごから墓場まで

著者: 関武矩

ページ範囲:P.70 - P.71

はじめて訪れるヨーロッパ,英国ロンドンの土を踏んだのは,昨年の3月初旬,まだ寒い冬の日のことである.国際病院連盟の主催による海外病院管理関係者のための3か月研修コースに参加するためであった.13回目を迎えたこの研修会の参加者は15か国21名であったが,この3か月間に私なりに学び,見聞したことを,私の研修ノートからひろいあげてみたい.

病院職員のための医学知識・13

輸血の進歩

著者: 隅田幸男

ページ範囲:P.72 - P.73

日本の輸血学はどのように進歩してきたのでしょうか
 1900年にLandsteinerが血液型を発見して輸血学ははじあて正しい治療法の仲間入りをし,動物から人への異種輸血や,人間同士での異型輸血で患者の生命がおびやかされるようなことはなくなりました.
 本邦で輸血がはじめて行なわれたのは1919年のことであり,東大の塩田と九大の後藤がその先鞭をつけました.しかし,一般大衆が‘輸血’を知ったのは,1930年11月5日兇弾に倒れた浜口首相が‘輸血’によって救われたという報道によってであるから,血液型の発見から30年後のことです.事実,最近まで輸血というごく実際的な医術は30年間の遅れをとったままでした.この間第1次(1914-1918)および第2次大戦(1939-1945)を経て欧米の輸血学は飛躍的に進歩しました.

医療事故と法律・1

静脈注射

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.74 - P.75

質問
 静脈注射について,厚生省の通達と判例の考え方が異なるという見解がありますが,保助看法との関係ではどのように理解すればいいのでしょうか.

女性職員あらかると

現代就職気質

著者:

ページ範囲:P.76 - P.76

 毎年,学校の卒業の頃になると,親しい友人やらそのまた紹介の親ごさんから娘さんの就職の相談をうける.ある大きな飲料会社の専務をしているという頭のはげ上がった立派な風さいの人がやってきて‘娘を嫁入り前に世間をみさせておきたい,ついては,あなたの病院なら安心だから2-3年社会探訪のつもりで預かってくれないか’というしだいでその娘さんの就職をお引き受けしたことがあった.
 同じような頼みは数多く,中にはおまけもついて,良いお婿さんがいたら頼みますヨ,と結婚のことまで頼んでいくのもある.頼まれた中には,栄養士や薬剤師の資格を持つプロフェッショナルの女性もいる.別に資格のない人もまじっている.

病院建築・59

川崎医科大学付属病院の設計

著者: 高橋進

ページ範囲:P.77 - P.84

周辺の環境条件について
 岡山市と倉敷市心とのほぼ中間,国道2号線に沿った田園地帯のひろがりの中に,緑うっそうとした小高い丘陵が浮かんでいる.この丘陵を中心とした約16万m2(付属病院の建つ敷地は約11万m2)の広さをもつ地に,川崎医科大学および付属病院の一連の施設の建設が計画された.この敷地は,丘陵地(平坦地盤上約22m)がほぼ3分の1の約4万m2を占め,国道に沿って丘陵地との間に残る3分の2の約7万m2の平坦地がひろがっている.
 この地に,第一次計画として設けられた施設は,医科大学としての教育・研究施設と医療施設たる付属病院(約1100床)および看護婦宿舎(約400人収容)である.将来計画としては,リハビリテーションセンター(現在施工中)および小児,老人病院等々の医療施設,また医に関連する他の教育施設あるいは各種の付置研究所の設置が見込まれている.さらに,福利厚生に類する諸施設や宿舎群の必要性も予想される.

時評

年のはじめに

著者:

ページ範囲:P.85 - P.85

 石油不足を頂点として,あらゆる資源不足でまさに騒然たるうちに,昭和48年も暮れた.今年のはじまりほど多くの日本人にとって不安感をもって迎えた年もそれほど多くはあるまい.ふり返って病院界も,まことに多難な年であった.これほどの苦難に満ちた年もまた少なかった感じを与えるものである.そしてこの困難の度合いは,昨年は一昨年よりも,そしてそれは前の年よりもと,加速度的にその大きさと深さを増している感じを与えている.
 福祉元年とのかけ声で始まった昭和48年だっただけに,病院の世界,医療の世界も,少しは前途に光明が,いや光明のきざしでもが見られるのではないかと期待されたが,それもふり返れば,予想はされてはいたものの,マイナス福祉のはじまりではないかと思わせるきびしい年であった.そしてその方向は,昭和49年にも変わるとは考えられない.

招待席

医療荒廃の現状と原因

著者: 高橋晄正 ,   石原信吾

ページ範囲:P.86 - P.95

 石原 現在‘医療の荒廃’ということが1つのはやり言葉のようにいわれています.そういう実態も確かにあると思うんです.それに対して,先生は日本においてはいわば先駆的改革者の役割を果たしておられると思うんですよ.とすると,そこにはどうしても孤独の面が出てくると思いますし,また現在医療界には先生への誤解から発するいろいろな疑問点もあると思いますので,たいへん僣越ですが,読者を代表して私が聞き役になり,いろいろお話をうかがいたいというのが趣旨なんです.ひとつ談論風発的に率直なお考えをお聞かせください.

今日の精神医療・13

これからの精神科医—過去へのきびしい反省と訣別をこめて

著者: 岩佐金次郎 ,   竹村堅次 ,   金子嗣郎 ,   近間悟

ページ範囲:P.96 - P.103

入院者のうち少なくとも2割の人たちは退院してもさしつかえない——出席した4人の方がたの共通した認識である.しかし,現実の壁は内も外も強固だ.ここで,1人の精神科医として,おのれにかかわってくる問題にどう対処すべきなのか.‘自分ひとりの幼い善意’だけでは,決して事態は改善されはしないというきびしい目で,医師としての自分を見直そうというわけだ.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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