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雑誌目次

雑誌文献

病院34巻1号

1975年01月発行

雑誌目次

特集 医療費の配分

医療費の国民負担

著者: 市川洋

ページ範囲:P.22 - P.26

医療の需要と供給
 医療費をマクロ的に考察する場合,①国民医療費,②租税と社会保険料を含めた国民負担,③病院および診療所において国民医療費が医師,看護婦,パラメディカル,物件費,減価償却費,その他にどのように配分されたか,この3者とそのバランスが基本的な問題である.
 ①は医療の需要と供給が国民医療費という結果をもたらしたものである.②は国民医療費をまかなうため,社会保険と公費がどれだけ金をつぎ込んだかを明らかにするものであり,③は医療サービスの供給面である.

国民総医療費の公私配分

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.27 - P.31

 国民が医療のために支出する費用は,年々国民総医療費として推計されている.医療費は国民の罹患年・受療率の変化だけでなく,医療機関の供給量の増加,医療内容の変化,それに社会保険診療報酬点数の改訂などによって変わってくる.また受取る側としての病院・診療所についてみれば,経営や診療の性格や内容などの条件によって,必ずしも分配の割合は同じではない.そこで,病院・診療所の別と,国公立・私立・その他の法人立など開設者の種類によって医療費がいかに分配されているかを検討してみた.

医療費負担の動向

著者: 大村潤四郎

ページ範囲:P.32 - P.36

はじめに
 昭和47年度の国民医療費推計額は,厚生省統計情報部の推計によると3兆3,974億円に達した.この医療費は医療機関における診療費に処方箋薬剤料を加え,さらに医療保険や生活保護などで認められている看護費・移送費を含めたもので,正常な妊娠・分娩・産褥の費用や健康診断費などは含んでいないし,健康保険で徴収を認められている室料差額や歯科における金使用などの差額徴収も含んでいない.
 また,この医療費は支払い側から調査されたものだから,医療機関に対する国や地方自治体などの一般会計負担額,その他経営主体の負担額は含まれていない.西らの推計によると,この額は前記推計額の0.14に相当するという.

医療費配分の新しい方向

著者: 西三郎

ページ範囲:P.37 - P.41

はじめに
 ‘医療費の配分の新しい方向’という課題が筆者に与えられた.この課題は,たんに将来における配分を予測するのではなく,あるべき方向を探れということである.本来,何々をすべきであるといっても,意志決定者がその意見を採用しなければ,新しい方向には歩み出されるものではない.そのため,新しい方向を論じるには,意志決定者に新しい方向に目を向けさせ,その方向に歩み出さざるをえない状況をも作り出してゆく,という運動を含めていかなければならないのではなかろうか.
 このような重要な内容を含んでいる‘医療費配分の新しい方向’という課題は,筆者の能力を上回るものではあるといえよう.しかし,筆者が経済審議会の専門委員として経済社会基本計画の策定にあたった経験と,現在でも経済企画庁と関連を有し,医療費配分の新しい方向についての意志決定のための資料作製に多少とも関与していることから,この課題についての考察を報告しよう.

調査報告

西ドイツの病院財政安定法

著者: 紀伊国献三

ページ範囲:P.42 - P.44

病院の老朽化と赤字からの再建政策
 1972年6月29日,西ドイツ連邦政府は略称KHGとよばれる病院の財政安定と病院の医療料金の規制に関する法律を制定した.その背景となる考え方は,当法律案の提出理由説明書にもあるごとく,病院の赤字が急激に増大したことによるものである.西ドイツの病院は,3,600病院,約70万ベッドをもっているが,連邦政府病院施設現況報告書によると,1966年度において年間の経営の赤字は8億4千万マルク,1970年にはそれが8億9千万マルクといわれ,1973年では実に20億マルクにも及ぶといわれている.これは邦貨に換算して2千億円を超える赤字であり,いかに巨額であるかということがわかる.また同報告書によるならば,多くの病院が老朽化の危機にさらされており,全病院の約3分の1以上が建設後50年以上を経過した老朽病院であり,近代病院としての機能を果たしていないということも指摘されている.
 そのような事情を背景に,西ドイツ政府ではすでに,1969年5月第22憲法修正法によって,連邦政府が病院財政の安定のために権限を行使しうることを州政府に認めさせており,そのことを背景として1972年6月29日発行したこの法律によって,連邦政府が病院の維持運営の公的責任をもつことを明らかにした.ある意味では画期的な法律である.

病院と統計 病院労働統計・1

ベースアップと賃金水準

著者: 宮沢源治

ページ範囲:P.10 - P.11

昭和49年ベースアップ状況
 昭和49年春の賃上げ状況は,労働省発表によれば,民間主要企業の定昇込み賃上げ額は28,981円,賃上げ率は32.9%となっている.病院企業の場合,全国病院労務管理学会発表によると,賃上げ額は26,494円,賃上げ率は31.1%になっている.
 したがって病院企業は,民間主要企業より賃上げ額で2,487円,賃上げ率で1.8%低めになっている(図1).

グラフ

脈うつ伝統を確かめつつ—飛躍をはかる倉敷中央病院

ページ範囲:P.13 - P.19

病院のメタボリズム
 病院の関係者が何人か集まると,どこかの病院の新築や改築のことで,ひとしきり話の花が咲く,といった情景はよくみられるものである.ことに70年代前半をピークとして,全国津々浦々,最新の設備をそなえた堂々たる病院がぞくぞくと建ち,話題に事欠くことはなかった.
 国民の医療に対する要求の拡大化,深化に呼応して,医療供給側が質量ともに飛躍を迫られたことにその理由は集約される.いわゆるシビルミニマムの思想の普及は地域医療計画実行の呼び水となり,国公立病院の整備は目ざましかった.病院の新・改築が,実質的には,高度成長経済下における資本の多量投下の可能性によって保証されていたことも忘れてはなるまい.事実,総需要抑制政策のあおりを受けて完成が遅れたり,設計変更を余儀なくされている病院がある.

順大医院で大がかりな火災訓練

ページ範囲:P.78 - P.81

 かねてから火災対策に意欲的に取り組んできた順天堂医院は,秋の火災予防週間中のさる11月29日(金),本郷消防署の全面的な協力のもとに消防総合訓練を行った.
 病院建築の高層化は,設計上の工夫をもってしてもなお,火災時避難には多くの難点を残す.今回は高層ビルにおける消火,人命救助にひとつのポイントをおき,消防署の特殊建物消防訓練も兼ねたため,はしご車,空中作業車をはじめヘリコプター,レインジャー隊まで出動する大がかりなものとなった.

長島の"村長"国立療養所長 島愛生園園長 高島重孝先生

著者: 小林忠義

ページ範囲:P.20 - P.20

 昭和の初め頃の高島君はまだ慶応の学生で,長身に裾の長い外套のモダーンな姿が印象的であったが,その後,新進癩研究者としての高島君は‘学会で声涙ともに下る学術報告をした熱血漢’と新聞に書かれたこともある.爾来戦中戦後の厳しい時代を経て癩一筋に四十余年.現在の高島君は長島愛生園長としてますます長者の風格を具えてきた.長島の"村長"として患者と厚生省との交渉ごとなどに頭を悩ましている.しかし彼独得の一見飄々とした話術で患者をなだめ,厚生省を説いているらしい.
 癩一筋に生きる高島君の心底にあるものは何であろうか.医の使命観といったものが,現在のイヤらしい話題の多い社会にあって,彼の心裡にいわゆる純培養状態で温存されている,と私は思う.たとえ彼の何かの意見に納得しない者でも彼の誠実さには頭が下がるに違いない.このような高島君の交遊の幅の広さもまた独得で,東西の宗教家,文人墨客,財界人等等で,"高島先生を囲む人びと"というべき集団もあるらしい.私もまた彼に教祖的魅力を感ずるものである.まさに達人というべきであろう.

座談会

病院経営喜怒哀楽

著者: 尾村偉久 ,   伊藤国彦 ,   岩井宏方 ,   前田昭二 ,   浜屋昌一 ,   深瀬邦雄 ,   田谷実 ,   高野睦 ,   鈴木達雄

ページ範囲:P.46 - P.57

ここにお集まりいただいた8人のお医者さんは,みなさん昭和20年代に慶応の医学部を卒業され,現在都内の第一線病院をきりもりしているお若い病院長,副院長の方がたである.そして8人のうち7人の方は,父上の病院を継がれたという二代目である.親の‘七光’にあえて一光を増そうじゃないかと,この8人のメンバーでつくった会が「八光会」.月に一度は集まるそうだが,そこにおじゃまして,日頃の抱負をうかがってみた.

ホスピタル・マンパワー

病院給食の輝かしい先達—名古屋第一赤十字病院栄養課長 安永 幸生さん

著者: 田代勝洲

ページ範囲:P.58 - P.58

飛騨の「角正」じこみの腕
 安永君は,円満折目正しい人である.病院給食が一定の金額で2,400Calを要求され,栄養も十分なければならないというきびしい条件の下で,私の病院が当地方で指導的立場にあることは,君の力に負うところが多い.昭和31年2月,君が病院に赴任されて給食は院の内外から確固たる信頼を得ている.飛騨の高山市に「角正」という有名な精進料理屋がある.そこの料理長をしていて私の病院に赴任された.栄養士で調理士で,実に熱心で,‘病院給食は治療の一環である’というのが君の信念である.この考えが実際に生かされているのがわが病院である.
 君の履歴を見ると,昭和8年に東京で商業学校を卒業して魚河岸の店で働き,料理の日本的良いものを学びたい熱望から飛騨の「角正」に移ったという.そこで6年の経験を積み東京で食糧学校,厚生省の栄養研究所で栄養学を学び,福岡県の衛生部公衆衛生課に勤務した.その後昭和28年「角正」が名古屋に店を出すのでその責任者になって当地に来て,同店が閉鎖後,わが病院に来られた由.いろいろのことを身体で経験した後であるが,病院という特別な条件をよく研究されて,独自の道を拓かれたと思う.

病院建築・71

国立病院医療センター中央手術室

著者: 山下九三夫 ,   阿部光正 ,   千葉節子 ,   伊藤誠

ページ範囲:P.59 - P.63

設計とその特長 使用者の立場から
 国立病院医療センターの手術棟は,病院本館の東側の東棟3階に位置し,本館3階のICUと廊下をもって同一階に隣接している.その手術部総面積は2,320m2で,全館に対する面積比は4.6%,手術室数は13である.

Guest just arrived

世界のらい撲滅へ第一歩—第1回アジア地域らい対策国際会議に出席して

著者: F.Noussitou ,   犀川一夫 ,   紀伊国献三

ページ範囲:P.64 - P.68

 昨年11月28日から12月3日にかけて,第1回のアジア地域らい対策の国際会議が開かれたが,この機会に会議に出席されたらい専門の2氏に国際会議の成果とおもに沖縄と東南アジア諸国のらいコントロールの実情をうかがった.

病院私論・1

トップマネジメントの資格

著者: 守屋博

ページ範囲:P.69 - P.69

 病院管理学とは,元来実証的な学問なので,特別にこれといった教科書などがあるわけではない.とにかくやってみなければわからないという代物なのである.一方,医療は日に日に変貌を遂げている.これら有象無象の変化をあとから一生懸命におっかけていたのが今までの病院管理学であった.しかしここらであとと先との交替が必要だ.新しい理論やアイディアを現実の場に投入し,新しい組織をつくり上げる.これはさし迫った要件である.
 残念ながら私には実行と実証のための手持ち時間が限られてきた.先のみえてきた私の代わりに,これから誌上に吐き連ねる私の勝手な意見に耳をかしていただきたいと思うわけなのだ.

病院職員のための医学知識・25

自己免疫疾患

著者: 河合忠

ページ範囲:P.70 - P.71

自己免疫という考え方は,いつ頃どんなことがきっかけで,いわれ始めたのでしょうか.
 かの有名なエールリッヒは,実験的事実に基づいて,生体は自己の有するさまざまな体構成成分に対しては決して抗体産生をしない,という理論を発表し,これは自家中毒忌避horror autotoxicusと呼ばれました.

医療事故と法律・13

ショック死をめぐって

著者: 饗庭忠男

ページ範囲:P.72 - P.73

手術や薬剤の投与などによるショック死は,しばしば医療訴訟にもちこまれる.患者が特異体質であるということが事前には予見できなかったが,ショックへの対策はできるかぎり果した.にもかかわらず患者はショック死してしまった.このようなとき,医師の法的責任はどのように考えられているのだろうか.

変貌する外国の医療・1

崩れゆく業務分担—医師と看護婦のあいだ

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.74 - P.75

 日本では,看護業務の範囲というものがいろいろ議論されている.それは‘患者の療養の世話と医師の診療の補助’という「保助看法」の中での議論に終始している.そこから出て看護業務を展開しようという動きがないのではなかろうか.
 少し前のことだが,サンフランシスコやロスアンゼルスの病院と衛生局を訪ねたとき,pediatric nurse practitioner (PNP)の活動を知ることができた.これは1966年からあるもので,育児相談,健康指導,予防接種などおもに小児保健面を担当している.しかし鼻かぜ,中耳炎,皮膚病などには薬を与えている.もちろん医師の監督のもとと思うが,看護というよりも診療面へ深くはいってきているようである.一面では日本の保健婦の活動に似ていると思うが,ベッドサイドの看護からとび出していくという点が興味深い.サンフランシスコ総合病院の小児科では,看護職員35名のうちPNPが7名はいっていた.

病院の新しい職種

ホスピタル・エンジニア

著者: 田中政彦

ページ範囲:P.76 - P.76

病院は数十種類の専門職からなる組織体とみることができる.ところで,医療の高度化は日々,新しい職種の必要性を生み,現にいくつかの新専門職が誕生した.それを紹介したい.

焦点

昭和50年度厚生関係予算を論ず

著者: 本誌編集委員会

ページ範囲:P.77 - P.77

2割増にすぎない福祉充実の内幕
 先ごろ閣議決定をみた50年度の政府予算案によると,厚生省関係予算は約3兆9千億円とほとんど4兆円に近い額に達し,21兆3千億円弱の一般会計総予算の24.5%,つまり約4分の1を占めるに至った.最近の福祉指向の社会的動向と,「社会的不公平の是正」を1つのスローガンとして登場した三木内閣の最初の予算であるということから,蔵相も述べているように「福祉の充実に重点を置いた」ことの結果といえよう.
 ただし,すでに各方面からの指摘もあるように,金額にして1兆円近くも増加した社会保障費の8割程度は,昨年2度行われた医療費の引き上げや,文字通り狂騰の勢いを示す人件費増の影響による自然増であり,実質増と見られるものは残りの2割にすぎない.「2割福祉」という皮肉が聞かれるのも当然である.あるいは「目玉となるものが何もない」という批判もあり,これも厚生省当局自身も認めているとおり事実であろう.

今月のニュース

重藤・秋月両氏朝日賞(社会奉仕賞)を受賞

ページ範囲:P.82 - P.82

 昭和49年度朝日賞の贈呈式が,1月16日午後,東京・有楽町の朝日新聞社講堂で挙行された.荒畑寒村,山本安英,桑原武夫,山川民夫,大沢文夫氏ら5名の文化賞受賞者に加え,社会奉仕賞の部門では重藤文夫(日赤広島原爆病院長),秋月辰一郎(長崎・聖フランシスコ病院長)の2氏が賞を受けられた.
 重藤・秋月両氏とも,原爆の投下された広島・長崎の地にあって,30年の長きにわたり献身的に被爆者の医療に挺身された医師として,そのお名前はかねてより広く知られた方々である.贈呈式に引き続いて行われた記念講演では,「被爆医師による原爆治療」と題して作家の大江健三郎氏が重藤氏の業績を,そして同じく作家の佐多稲子氏が「医師として,長崎の証言者として」と,秋月氏の業績を熱っぽく紹介された.

精神医療の課題 わが病院の院内作業療法

山梨県・日下部病院

著者: 冨岡詔子

ページ範囲:P.83 - P.87

 日下部病院は中央線の沿線,山梨市駅から歩いて7分,笛吹川沿いにあるが,門も囲いもなく,どこが玄関か探すのに苦労するようなオンボロ病院である.つい2か月ほど前に,それまで4畳半だったOTの職員室がやっと7畳半に拡大し,総勢8人のOTスタッフが‘広くなったネー’と喜ぶといったように,あっちこっちがつぎはぎで,これ以上修理のしようがないというありさまである.環境上のとりえは,どの見学者もそれしかいわない笛吹川沿いの‘いい眺めですネー,自然環境に恵まれてますネー’ということと,近所の子どもたちがグランドで野球をしたり,自転車を乗り回したり,主婦が買い物に通り抜けたりといった光景に象徴される開放的な雰囲気があげられよう.
 日下部病院のOTを知ってもらうには,病院全体の雰囲気とか,OTが所属している生活療法部全体を知ってほしいという気持が強く,"OTそのもの"についてよりも,むしろ"わが病院"のほうに重点をおいて,当院での作業療法について述べてみたいと思う.

佐賀県・国立肥前療養所

著者: 平野寛子

ページ範囲:P.87 - P.90

はじめに
 ここ数年来,精神科作業療法のあり方は,論議の的になってきたが,点数化されたことでさらに取り上げられる問題が多くなった.たとえば,治療手段としての普遍妥当性,患者使役の問題,長期在院化の助長など,点数化に伴う諸問題が改めて問い直されており,その結論が急がれている.このような流れの中で,20数年の作業療法の歴史をもち,現在,多様な作業療法的試みを行っている肥前療養所にも一定の動きがみられるようになった.
 著者は,作業療法士(OTR)として,当所に勤務して5年になるが,その間,現場でさまざまな試みをし,問題点に直面してきた.この報告は,その軌跡であるとともに,精神科医療施設におけるOTRのアイデンティティを模索する姿でもある.したがって,あくまでも当所のOTRの立場からみた活動の紹介であることを前提として,本論にはいりたい.

烏山病院のインダストリアル・セラピィ

著者: 須崎進

ページ範囲:P.91 - P.94

はじめに
 烏山病院において,生活療法の一環としての作業療法が導入されたのは昭和34年である.以来,集団療法,レクリェーション療法,生活指導との併用により,総合的に開発してきたのであるが,さまざまな効果をもたらすと同時に,作業に対する関心,態度,適性,種目,指導方法等に種々の問題が生じ,常同化・固定化の傾向がみられ,対象の質的・量的変化に対応しえなくなってきたのである.
 一方,次の段階である社会療法においても,ナイトホスピタル,デイホスピタルともにその発展に伴い諸問題1)が発生し,作業療法との格差と断絶等の現象もみられ,両者ともに行き詰まってきたのである.

報告

西ドイツにおける医師国家試験の改革

著者: 紀伊国献三

ページ範囲:P.95 - P.97

医科大学の増設と期を同じくして,わが国の医師国家試験のあり方が論議を呼び,すでに改革の方針が打ち出され,検討が始められている.そして試験委員の少数への絞りと,その公表が行われ,本年春からの大きな改革が準備されつつあるようだ.ちょうどこの時期に,わが国に一歩先んじて国をあげて取り組んだ西ドイツの新しい医師国家試験の模様を,具さに現地で見聞した紀伊国氏からレポートを寄せていただくことができた.医学教育のあり方にまでかかわるこの問題を,徹底的に爼上にのせて検討した西ドイツの方式は,われわれにも大いに参考となるものではあるまいか,

抄訳

multiple choice方式を採用した西ドイツ医師国家試験の第1回実施状況

著者: 若林保司

ページ範囲:P.98 - P.100

1974年はじめて採用したmultiple choice方式
 1974年はじめてアメリカ方式のmultiple choice systemを用いて医師国家試験を行った.今回の試験問題の選び方,およびこの方法の信頼性と妥当性について医学教育の立場から多くの批判がなされたが,この新医師国家試験法によると,従来の方法よりも受験しやすく,しかも合格率も高かったので,関係者はもちろんのこと医学生はこの新医師国家試験法が決定されたことを喜ぶと同時に,自信が出てきたようである.
 はじめての試みとしての新医師国家試験規則であるので,ドイツ試験中央機関,専門家委員会,およびそれぞれの関係者は,今後多くの障害をのりこえてゆく覚悟のようである.ちなみに本論文の著者は法学博士で,試験問題作成機関の責任者である.

トピックス

「日本診療録管理士協会」発足す

著者: 落合勝一郎

ページ範囲:P.101 - P.101

診療録管理士の全国組織成る
 昭和49年10月19日,日本診療録管理士協会が結成された.
 これに先だち,合併前の日本病院協会が主催して,2年前の昭和47年7月から2か年コースの診療録管理通信教育を開始したことは,すでに一般に知られているところであるが,応募者が実に160名を数えたことは病院人の関心がこの分野に意外に高いことを示していた.もっとも,かなり高い専門性からついてゆけずに脱落した人も多く,2か年のコースを消化して無事卒業し,診療録管理士として認定された人たちは,50%の80名であった.

研究と報告【投稿】

国立病院外来合理化のデスクプラン

著者: 小林忠

ページ範囲:P.102 - P.103

 現在わが国の病院は一般的にいって経営に苦しんでいる.開設者の違いによって病院経営の仕方に多少の相違があるのはやむをえない.いくら病院の管理を理想的にやろうとしても病院が財政的に成り立っていかなければ,その理想的な管理案も‘絵に書いた餅’になってしまう.国立病院においても財政面を全然無視してよいというわけではないが,それほどやかましい規制はないので,国立病院くらいは現在の日本の医療環境の中で理想案に向かってやってみるべきではないだろうか.その観点から,従来から問題になっている病院と診療所の機能の分化,とくに病院外来の問題,(実は病院外来といいたいのであるが,他の開設者の病院の立場はわからないので)自分が勤務している国立病院について考えてみたいと思う.
 国立病院外来のあるべき姿,すなわち合理化については従来から種々論じられてきたが,ひところ‘病院は入院,診療所は外来’と単純に割り切ることが良い案だと思われていたが,医学の発達と医療が高皮複雑化してくると,これもいつまでも決定打とは思われなくなった.それで病院外来,とくにわれわれが関係している国立病院外来はどうあるべきか,その合理化案はどうかと研究することはたいせつなことと思う.現在の日本においては地域の医療計画がしっかりと確立しておらず,また医療機関の開設者もまちまちであるので,その立場上病院外来の合理化についてもある程度の相違はやむをえない.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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