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雑誌目次

雑誌文献

病院35巻6号

1976年06月発行

雑誌目次

特集 病院と看護学校

病院と看護学校

著者: 神崎三益

ページ範囲:P.18 - P.22

 こんど雑誌「病院」に病院と看護学校というテーマで何か書くようにと頼まれた.私も現役を離れて2か年,毎日が仕事に追っかけられる現役時代と違って,ゆっくり昔を回想したり,本を読む閑も出たので,思い出の記でも書くつもりで独りよがりなことを書くことにした,お赦し願いたい.

院内実習指導体制

著者: 寺島敏子

ページ範囲:P.34 - P.37

はじめに
 看護学生の院内実習指導体制という課題について考えていることを述べたい.高等看護学院3年課程カリキュラムの総時間数の43%を占めている実習の意義は,また必要性は今さら問うまでもないが,この臨床実習を受けとめる病院においては,大きなエネルギーを必要とし,また,より質の高い看護の場を提供しなければならない.保健医療の中で看護が幅広い分野を占め,総合看護さらに看護の継続性と看護の概念の拡大など,戦後非常な革新をみている.
 最近は看護に関する雑誌も増え,また看護理論等々が内外で論ぜられているが,現場の臨床では,どこまで看護を明確化し,主体的に受けとめ,実践されているか,私は,はなはだ疑問に思う.科学的な,また理論的な看護が現場で統合され,実践展開されなければ看護は無に等しく,本質的な機能に答えることができない.看護は看護婦と患者のかかわりあいの中から生まれ,そして,これが患者のためになり,実践継続されてはじめて意味がある.学生の看護実習も何が看護であるか,という看護の概念の明確な認識に基づいて,学生が患者との真剣なかかわりあいを通じて,その患者のさまざまな健康レベルに対応する看護活動が何であるかを体得することを基本的な目的としている.以下,諏訪赤十字病院の現況をふまえて,病院における看護学生の臨床教育について述べてみたい.

看護教育の理想と現実

著者: 内藤寿喜子

ページ範囲:P.38 - P.40

 4月を迎えて,どの病院でも多くの新人を受け入れ,その新人が1日も早く一人前の看護婦として活動することができるようにと,婦長や主任は教育,指導に苦心していることと思う.
 毎年のことながら,4月は新人と同様に婦長や主任にとっても,大いなる期待とともに毎日が緊張の連続である.そして,卒業したばかりの新人が,看護婦としてどの程度できるのか--それを知ることから始まるのである.できる--ということのなかにはもちろん「手」をつかって「できる」ということもあるが,そればかりでなく,どう観察することができるか,どう判断することができるか,どう計画することができるか,どう行動することができるか,等々看護婦として仕事をするうえで必要と思われることが多く含まれている.また,ひとくちに新人といっても,看護婦あり准看護婦あり,さらに学校差ありとさまざまである.また,同じ学校で同じように教育をうけてきたからといって,同じレベルに達しているとは限らず,個人差の問題でもある.

看護婦学校卒業生の動向

著者: 吉武香代子

ページ範囲:P.41 - P.45

 看護婦学校卒業生の動向について論ずるに先立って,過去10年あまりの卒業生の動向についての数字をしらべてみた.同時に,改めて自分の周囲をみなおし,看護婦学校にも,看護婦学校卒業生にも,社会の変遷とともに,音もなく,しのびよるような変化が少しずつ起っていることをあらためて意識させられた.これらの点について少し述べてみたい.

看護学生と実習病院

著者: 磯西加津子

ページ範囲:P.46 - P.47

 昭和42年11月30日付で現行カリキュラム(新カリキュラム)に切り替えられ,以来8年を経過し,第1回卒業生も6年目を迎えた.看護教育の全教科課程の約2分の1が実習である.臨床実習の重要性を痛感し,その優劣が将来の看護婦の資質にも関連してくる.最近,各地で看護学校が増設されているが,ここで問題になるのは実習施設である.
 実習施設をもつ学校,実習施設を持たず他施設に実習を依頼している学校などがある.臨床指導者も専任の臨床指導を持つ施設,兼任している施設,特にもたない施設などさまざまである.実習病院に指定された施設は一校に止まらず,数校の看護学生実習指導を引き受けなければならない現状ではないだろうか.

病院が看護学校をもつメリットとデメリット

自らが教育し,自らの病院に適した看護婦を得る

著者: 杉岡直登

ページ範囲:P.24 - P.25

 病院が看護婦養成施設を持つことの損得を論ずる前に思うことは,まず病院の使命の一つとして,医師,看護婦その他医療技術者を教育し,研究の場を与えることである.ことに看護婦にあっては臨床実習を重視した関係上,自らの手で卒前教育を行うをよしとされた.病院開設の先覚者たちは,優れた病院の資格として看護婦の養成を考えていたに違いない.立派な病院であるが看護婦の養成施設を持たないで卒後教育のみを行う病院を見かけるようになったが,臨床教育を重視するならば,白い布地から染めてゆく場となるのが望ましいと思う.
 厚生年金病院(東京,大阪,九州)において,開院後まもなくそれぞれ高等看護学院が併設されたのも,1つにはその次元の目的があり,2つには自らの施設に適した看護婦を自らの手で養成することを考えられたのであって,当然であろう.

通学制を敷いてから新卒者定着率が好転

著者: 橋本昌武

ページ範囲:P.26 - P.27

 表題について寄稿の依頼を受けたが,おそらくは,その功罪自明で,特に目新らしいことを述べえないので,本院の実情を率直に披露して責めをふさぐことにする.

不合理と運営の苦労はあっても

著者: 豊島正忠

ページ範囲:P.27 - P.29

 私は看護教育については全く素人であり,なんらの蘊蓄も見識もあるわけではない.ただ済生会中津病院に勤務し,管理に携るようになり,その付属看護学校の運営についても関与せざるをえず,求めに応じて病院と学校との関係について病院側の見地より,その「メリット」,「デメリット」を振り返ってみることにした.

経費と労力の負担は大きくても

著者: 長谷川豊男

ページ範囲:P.30 - P.31

市立静岡病院の場合
 市立静岡病院は伝染病棟を含め病床数445床,11看護単位で看護婦定員250名であるが,なかなか定数に満たず,看護婦の充足にはいつも苦慮している.
 当病院では戦前から看護婦の養成を行っていたが,准看護婦の制度ができてから昭和29年に静岡市医師会付属准看護婦養成所が設立され,これを当病院で実施してきた,昭和35年市医師会館ができ,養成所もそちらに移り准看護婦学校となったが,その後も現在まで准看護婦学校の実習病院となっている.このような実情から当病院では毎年准看護婦生徒を10-15名市医師会付属准看護婦学校に委託し義成してきた.そのため病院の看護要員構成では准看護婦の数が増し,看護婦数とのアンバランスが目立ってきたので高等看護学院の必要性が叫ばれ,昭和45年4月静岡市立高等看護学院が開設された.この高等看護学院は市立病院付属という形でなく,市立の独立した機関として設立され,事務吏員の学院長と4名の看護婦の専任教員,3名の事務職員で運営されているが,病院のすぐ隣に市の保健所とともに建設され,当病院が実習病院でもあり,病院に併設されているようなものである.

定時制夜間進学コースの場合

著者: 平井一郎

ページ範囲:P.31 - P.33

はじめに
 青森市立高等看護学院(以下学院という)は,青森市民病院(以下本院という)の付属看護学院として発足したものではない.また,学院は進学コースの定時制(夜間3年)であるうえ,まだ歴史も浅い.編集部の意図に十分応じえないことをおそれるものである.
 しかしながら,学院は地理的に本院に隣接し,本院から,少なからざる医師および看護婦が講師として出向いており,かつ本院は,学院の実習指定病院になっている.現在では,学院は青森市の機構上で,本院管掌になって,学院長は本院の副院長の兼務である.したがって,実質的には"病院が看護学院をもつ"とみて支障はないと思う.

てい談

精神科看護のあり方

著者: 最所節子 ,   海老原貞子 ,   岩佐金次郎

ページ範囲:P.75 - P.83

 看護の專門性が問われるなかで,精神科においてはとりわけ複雑な様相を呈している.OTなど多くの専門職が生まれるとき,看護者は彼らに,仕事の一部を渡していった,それでもなお,精神科の看護には「療法」であるのか「生活」であるのか判断しかねる面が多い.そもそも精神「医療」自体の抱えている悩みであるのかもしれない.長く病院に勤務する2人の看護婦に,看護の現場で何が行われているか語っていただいた.

グラフ

「社会復帰」を目標に—人工透析に高い実積を示す 京都市・洛陽病院

ページ範囲:P.9 - P.14

 多くの矛盾をかかえた現今の医療制度のもとで,150床以下の一般病院の多くは,転換を迫られているのが現実である.その危機の打開には,専門病院化への道が一つの方途であるといわれている,ここで紹介するのは,結核療養所として出発し,現在は人工透析部門に,50%の力をそそいでいる医療法人洛陽病院(院長山本寿氏)である.
 京都市北部,京都国際会館よりさらに北方へ,京福電鉄の岩倉駅から徒歩で約15分,自然環境に恵まれた岩倉地区に洛陽病院はある.開院当時,付近一帯は田園地帯であったが,近年の都市化の波はここにも押し寄せている.だが,まだまだ閑静な地域である.

農村医療と取り組んで25年 秋田県厚生連由利組合総合病院院長—和泉昇次郎氏

著者: 菅原虎彦

ページ範囲:P.16 - P.16

 学生時代からの良悪友で,若いヒューマニストグループの仲間でもあった,いろいろの場で青臭い議論に陶酔したり,満洲の巡回診療に一緒に出かけたりもした.昭和14年東北大医学部を卒業すると陸軍短期軍医として大陸戦場を転々し,何度か命拾いをして引揚げ,抗酸菌研究所に籍をおいた.
 将来の進路を模索中の昭和26年6月突然,由利組合病院長に指名された.仕方なしに行ってみると,両便検査と血算程度の設備しかない30床の惨めな病院に驚いた.6か月の約束だったが,その間に彼の中で発酵してきた理念は,恵まれない農村の生活環境で物質的な地域格差はともかくとしても,医療に地域格差や貧富格差があってはならないとの信念となり,"最高の医療を最低の医療費で"の目標を掲げた.地域の人びとは最早彼を放さない.

一頁評論

医者のエリート根性

著者: 野村實

ページ範囲:P.49 - P.49

 昨年の暮,余暇開発センターが行った世論調査の結果が3月始めに発表された.そのなかに「信用できない職業」という一項があって,その「ご三家」が大臣に代議士,次が大企業の経営者ということであった.ロッキード事件がまだ表沙汰にならない時だっただけに,国民の眼の高さに驚いた.幸い,医者が何番目であったか,新聞では知る由もなくたずねてもみなかったが,国民の眼識を信ずれば,大病院の院長はさしずめ大企業の経営者に入れているであろうし,一般の医者は4番目くらいに並んでいるのではあるまいか.
 昔,とはいっても戦後もしばらくは,医者と弁護士は尊敬される職業として1-2位を争ったことであった.思えば,いかにも落ちたものだとの感は深い.

院内管理のレベル・アップ 労務 労務担当15年の記録から・12

お医者さんは管理がお嫌い

著者: 藤田栄隆

ページ範囲:P.50 - P.51

医師は労務管理のカベ
 「医師を管理することのできる院長がいたら,それこそ日本一の名院長といってもいいだろう」と,いつか立教大学の杉政孝教授が言われたことがある.けだし名言というべきであろう.
 昔,後白河法皇が加茂川の水と叡山の法師に手古ずられた話は有名だが,病院の医師もどうやら叡山の法師並みらしい.

購買・倉庫 購買・倉庫の管理のポイント・1

物品・医薬品の購買管理

著者: 塩山雅英

ページ範囲:P.52 - P.53

 病院で取り扱う物品や購買する数量は,一般企業のそれと異なり,多種少量といった点に特徴があって,5,000種から6,000種に達するといわれている.これを金額で示すと,病院収入に対して30%から40%といった非常に膨大な額になる.特に,医薬品の購買額は毎年,「5年倍増説」を裏付ける数字の伸びを示している.そのためには病院で取り扱う材料,資材の合理的,経済的な運用と物品請求,補給のサイクルの標準化をはかる必要がある.さらには,帳票統制(帳票の種類,型式,印刷様式),内部牽制組織などを再検討して,過剰在庫品やデッドストックをもたないよう,十分なチェックと注意が払われなければならない(図参照).

給食 給食をおいしくするポイント・3

病院は食堂を設置しよう!

著者: 最勝寺重芳

ページ範囲:P.54 - P.55

 前回は病院給食を運営するに当って,どのような姿勢で対処すべきか,そして批判の対象をどのように処理したらよいか,の最も端的に表現できるものが食器であり,それを数多く取り揃えて,視覚的にイメージチェンジする必要性を提唱した.
 続いて病院給食をおいしくするポイントは,それに適合した献立計画,調理工程,盛付,配膳という一連の技術面の改善向上のカギを述べなければならないが,あえて,それ以前の基本事項として,いわば給食の最終作業である,食事の運搬,つまり給食方式について言及したい.

リハビリ リハビリテーション部門の管理・3

リハビリテーション専門病院の運営—中通リハビリテーション病院

著者: 渡辺淳

ページ範囲:P.56 - P.57

中通リハビリ病院の概況
 中通リハビリテーション病院は医療法人明和会(3病院,1診療所,出張診療所で構成)に属している1民間医療機関である.当院は,本院である中通病院とは徒歩で3分くらいのところにあり,秋田市内の唯一のリハビリテーション専門病院であると同時に中通病院の分院としての役割を果たしている.
 本院は,昭和30年診療所として出発し,昭和31年には病院化が行われ,昭和43年には,330床の新病院が建設された.中通病院は,開設以来,秋田県の県民病といわれる脳卒中や救急医療に取り組み,特に脳卒中患者(年間約200名,発症してから24時間以内90%以上)の救命という点では,県内でも一定の評価を受けてはいたが,リハビリテーションは行われていなかった.中通病院を退院した脳卒中の患者の組織「だるまの会」(昭和37年に結成)の中からリハビリテーションに対する切実な声がまき起り,昭和44年5月に旧中通病院の施設を改造して,中通リハビリテーション病院が誕生した.その後,診療内容や体制上のいくつかの改革が行われ現在に至っている.

検査 検査部門の管理・3

検査器具,試薬などの需給管理

著者: 星野辰雄

ページ範囲:P.58 - P.59

 検査部門の業務内容は,最近とみに特殊性を帯び,それが特殊であればあるほど使用する器械・器具も特殊であり,それに必要な薬品,器材などはこれまた特殊なものが多い.したがって複雑多岐にいくつかの領域を異にする現状では,一部の管理者が目を皿のごとくして管理しようとも,それは所詮不可能である.
 管理とは,一般的には管理者が行う業務と認識されがちであるが,検査部門の特殊性を考えるとき,管理とはそういうものでなく,まず検査環境(建物設備,危険防止,検体管理,精度管理,機械管理,薬品管理,生菌管理,健康管理など)を良くし,その中で正しい検査を,事故なく迅速かつスムーズに運ぶことのできる条件を,各自がいかにつくるかということである.それは検査部門の職員一人一人が即管理者的自覚をもつことであり,日頃より検査部門に働く職員が相互に工夫し,より良い職場環境作りに,みんなが努力することが一番である.その流れの潤滑油的役割が主任者であり,技師長である.そのためには各施設ごとに簡単な作業指針的なマニアルが必要なのであるが,病院の規模,地域性によって,その内容は一様ではなく,平列的に述べることはできないが,今回はその中でも特に消耗品的器材と試薬類の発注より廃棄に至る一連のものを中心に,職員の心がけなどを含め,述べてみたい.

イギリス精神医療の旅・6

イギリスの精神病院(2)—精神病院の雰囲気

著者: 金子嗣郎

ページ範囲:P.60 - P.61

 イギリスの精神病院の雰囲気について述べておきたい.

病院図書館

—日本科学者会議 編—「現代日本の医療問題」(講座・現代人の科学11)/—岩佐金次郎,他 著—「病院精神医学の実際」

著者: 上林茂暢

ページ範囲:P.62 - P.63

医学,医療の問題を簡潔に集約
迫られている原則的検討
 日本医療はいまや転機をむかえ,将来像の確立を迫られている.医療荒廃の進行は,患者,国民・医療関係者はもちろん国家にとっても,医療費問題を直接の契機としてぬきさしならないものとなってきた.もはや部分的な手直しでは,どうにもならないことは共通の認識といえよう.最近,「医療計画」「保健計画」が議論にのぼりはじめたのも,その現れであろう.
 それだけに,日本医療の将来のあるべき姿,根底となる医療観,技術観,医療システムの基盤としての社会との関連で,矛盾の根源をどこに求めるか,変革の主人公は誰かなどのいくつかの原則的検討を欠くことができなくなってきた,同じ言葉を用いても,出発点が違えば内容は全く異質のものとなるにちがいない.この点は,医療危機打開の方向を集約する理念として登場してきた「地域医療」をめぐる動きに明瞭に示されている.矛盾の社会的側面には目をつぶり,テクノロジーのみによって突破をはかろうとするのか.また住民参加とはいえ,住民は国家・企業・エリート研究者の作ったプログラムに従うお客様的な存在にすぎないのか.

病院建築・84

越谷市立病院の設計

著者: 石田順一 ,   河辺和年

ページ範囲:P.65 - P.70

はじめに
 越谷市は東京から25kmの位置にある,人口19万人強の周辺都市である.東京のベッドタウンとして,最近の人口の増加は目ざましく,10年前に比べ,昭和50年は約2.5倍となっている.
 このような人口の爆発的伸びに,当然のように医療施設は置いていかれ,ついには人口10万人あたり病床約500床(昭和46年度),全国でもまれな医療過疎地帯となっていった.昭和46年度の全国平均では,10万人あたり1,274床,また埼玉県平均でも724床であった.

ニュース

第2回日本病院会学会開かる

著者: 川北祐幸

ページ範囲:P.72 - P.73

 第2回日本病院会学会は,倉敷市の川崎医大付属病院(写真左上)で,5月21日(金)より3日間にわたり開催された.会場には多数の会員が参集,学会長挨拶(写真左中)を皮切りに,シンポジウム「医学教育と病院の役割」(写真左下)など,数々のシンポジウム,特別講演,一般演題の発表などが行われた.
 写真右中は学会長川崎祐宣氏,写真右下(向って右)は次期会長田代勝洲氏(名古屋第一赤十字病院長).

私的病院運営のポイント

経営近代化への脱皮を目指して〔3〕

著者: 長沢一男 ,   荒井潔 ,   武内昶篤

ページ範囲:P.84 - P.86

新しい方向へ
 前回,前々回の2回にわたり,このグループの生い立ちを記した.それは3段階に大別できる.第1段階は,昭和35年頃から昭和40年頃にかけての模索の時代.この時期は,結核医療の斜陽化と全国的規模の病院ストがきっかけとなり,各病院が方策を求めて試行錯誤を行うと同時に,病院経営の前近代性が明白になったときである.ここに,このグループの近代化への歩みが始まった.第2段階は,昭和40年頃から昭和45年頃にかけての研究期の時代.この時期は,病院経理の近代化を共通課題に,そのあり方をお互いに学びあい,病院間の閉鎖性を少しずつときほぐし,共通の地盤固めを行った.第3段階は,昭和45年頃から昭和50年にかけての連携の時代.この時期は,労働組合の共闘攻勢の影響によって,中心テーマが経理研究から労務研究へ発展的に移行した.そして,労組攻勢に対応する必要から,経営諸表の交換やメンバーの増加とともに,各病院の閉鎖性打開がさらに前進し,連携が確立したと言えよう.
 そして昭和50年にこのグループはひとつの転換期を迎えた.「経理研究」という初期の目的をほぼ達成し,活動の内容はすでに「経理」という狭い範囲をはるかに越えた.そこで,従来の「経理研究会」から「病院管理研究会」と名を改め,病院の経営管理を検討する場としてその目標と活動内容をさらに一歩前進させた.

ホスピタル・トピックス 看護

「看護部だより」・「看護研究月報」の発行について

著者: 阿部寿満子

ページ範囲:P.86 - P.86

 現代は情報の社会と言われているが,間違った情報も多く,トラブルの原因になっている.当院内においても例外ではなく,また,あまりにも閉鎖的であって自分の立場がわからないために,わがままや不満を言っている人もよくみかける.そこで,正しい情報の交換をするために,他部門との話し合いや,婦長会の中で情報交換の場を設けている.しかし,全員に徹底させるのは容易でない.そこで,「看護部だより」を発行することにした.各部署でのできごと,看護婦の人生観その他,何でもよいことにしている.
 また,看護研究そのもののあり方や,実践したことのまとめが不十分なので,この点を強化するために「看護研究月報」を発行し,半ば強制的に論文を書かせ掲載することにした.

建築

時代にマッチした革新的病院工法

著者: 高橋重雄

ページ範囲:P.90 - P.90

 建築コストの上昇は,新築,増築,改築にあたって頭痛の種である.筆者は昨年秋に「良質もの」「安く」「短期間に」「熱効率のよい」新工法にめぐり合い紹介して喜ばれている.
 その新工法は,「HUB型シリーズnew hospital」と名づけられるもので,「良質」なSPC造,外壁PC,屋上RC.坪当り30万円内外(在来工法40万円くらい)と「安価」で,工事の範囲は,主体工事,内装工事,電気設備工事(電話工事を除く),給排水衛生設備工事(合併処理槽を除く),空調,防災,放送設備を含んでいる.工期は150日(着工から完成)しかも熱効率が25%もよい.

レセプトを読む・6

いかに解読するか・実地編(2)

著者: 黒田幸男

ページ範囲:P.87 - P.90

2.診療行為別構成比
 2)3病院の構成比と推移(承前) 入院診療①全科(表9)1入院総体の推移では,表9のとおり,A,B病院の患者1人1日あたり診療額は,A病院94.7%,B病院95.3%となり,診療実額と合わせて,ほぼ同程度の上昇率を示している.C病院の上昇率については資料がなく不明だが,診療実額ではA,B病院に比し約30%もの高額を示している.C病院の診療行為大別の特色は,A,B病院と比較してみた場合,「投薬」の診療実額が500-1,300円高いこと,「処置・手術・麻酔」が2,000−2,800円とA病院の2.5倍,B病院の1.7倍もの収益構造をもつことである.この収益構造はそれぞれの病院の医療構造を表しているものとすれば,後述する内科・外科の同項目における診療実額の相異点より大よその判断がつく.他の2病院に比し,C病院の内科における「処置料」の高さは透析収益が入っているものであり,内科の注射,外科の注射,処置などの診療額をみれば,それを確認することができる.
 構成比では,B病院のレントゲン診断がA,C病院に比し高く,前述の「処置・手術」では,C病院が一番高い.A,B病院における構成比の推移(表10)から,収益構造の主な変化をみると,点数が据置かれた「レントゲン診断」がともに(−)ではあるが,差があること,またそれとは逆に,「検査」ではともに(+)ではあるが若干の差があることである.

海外レポート

欧米各国にみる病院救急部の実情—欧米の10病院を訪問して

著者: 佐藤太一郎

ページ範囲:P.91 - P.94

 わが国と欧米との医療制度の相違は著しいが,欧米の病院救急部の悩みと,わが国における救急医療の問題とは1,2の共通点があることを知った.筆者は1973年に米国の,1975年には欧州の病院救急部を視察したので,それらを紹介し,若干の考察を加え,諸賢のご批判を得たい.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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