文献詳細
文献概要
グラフ
沖繩の医療の中枢として—県民と共に発展した沖繩県立中部病院
著者:
所属機関:
ページ範囲:P.9 - P.14
文献購入ページに移動 「今まで,苦しまぎれに何とかやってこられたのは,医師やスタッフ,患者の協力があったからてすョ」と言われるとおり,中部病院の歴史は,沖繩の世情と通するものがあり,県民と苦労を共にして発展したといえよう.
中部病院は,沖繩各地の戦争孤児や傷病者を収容,治療するために,沖繩戦中に設けられたテント小屋なとが前身である.その後,米軍は,この施設を県民の正式な医療施設とするため,コザ市(現在の沖繩市)に病院を新設し,沖繩中部病院とした(1946年,ベッド数500床).さらに,1952年10月には新たに病院を建設,オープン病院として運営を開始(ベッド数180床).また'55年には76床の結核病棟を竣工,'56年には那覇病院の新設に伴いコザ病院と改称した.
中部病院は,沖繩各地の戦争孤児や傷病者を収容,治療するために,沖繩戦中に設けられたテント小屋なとが前身である.その後,米軍は,この施設を県民の正式な医療施設とするため,コザ市(現在の沖繩市)に病院を新設し,沖繩中部病院とした(1946年,ベッド数500床).さらに,1952年10月には新たに病院を建設,オープン病院として運営を開始(ベッド数180床).また'55年には76床の結核病棟を竣工,'56年には那覇病院の新設に伴いコザ病院と改称した.
掲載誌情報