icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

病院37巻1号

1978年01月発行

雑誌目次

特集 病院と経営主体

民間病院はこれでよいのか

著者: 吉川暉

ページ範囲:P.35 - P.39

 一口に民間病院といっても,その歴史的背景も現状も千差万別であり,とりわけ診療所と病院がベッド数を中心として区分されている現状を考えると,民間病院という枠でくくって論ずること自体少々無理があると思う.しかし公的病院と対比して考えれば,それなりに特徴は明確であり,設問の「民間病院はこれでよいのか」という言葉は同時に公的病院はこれでいいのかということの裏返しでもあるので,そのように考えてゆきたいと思う.
 民間病院の登場の歴史の中で,われわれは,民間病院がその時代の地域医療ニーズに対応して優れた役割を果たしてきた事実を知っている.人間関係を中心として,所得再配分機能を医師自らが果たし,院長はリーダーとしての理想の実現を求めて運営され,専門家の求めるものと住民ニーズが一致し,経済基盤も確立されていた時代があった.

経営主体の再編成

著者: 須川豊

ページ範囲:P.40 - P.44

 病院は複雑で困難な組織体である.旅館や交通機関のように人間の生活を直接の対象とする業は,物を対象とした仕事よりも,はるかに難しいとされている.病院は罹病して正常でない人の生活の全部を引き受けるから,現代社会の組織体のなかで,最も運営の困難なものといえる.
 また近時は,保健システムや社会保障体系のなかで最も重要な位置を占めるようになった.そして条件はますます複雑になり,病院は独立した形では存在しえなくなっている.

問い直される設立目的

大学病院

著者: 笹本浩

ページ範囲:P.19 - P.21

大学病院は医学部の付属
 大学病院の設立目的が今さら問い直されるとは,いささか奇異な感じがしないでもない.日本では大学病院は単独には存在しえない.必ず医学部(あるいは医科大学)に付属して存在しているわけである.
 医学部の存在理由は,医学および関連諸科学の教育と研究を行うことである.臨床医学においては,そのために病院という場が必要となるだけである.

日本赤十字社病院

著者: 遠藤保喜

ページ範囲:P.21 - P.23

沿革と現状の概要
 時代の推移と社会経済環境の変化は,病院経営にも大きな影響を及ぼすものであるが,とくに永い歴史を有する病院の場合はその度合も大きく,設立目的にもかなりの変化を来すことは避け難いのではないかと思われる.創設以来90年余の歳月を経過している赤十字病院は,その意味での影響を多分に受けている好例であろう.
 赤十字病院が,どのような目的で設立されて今日に至っているのか.それには大平洋戦争の敗戦という,わが国の歴史上最大の転機をはさんだ,戦前,戦中,戦後にわたる,永い赤十字病院の歴史に触れねばならない.赤十字病院の歴史は明治19年7月,時の博愛社病院の設立に始まっている.博愛社病院は,赤十字社の前身である博愛社が設立したものであるが,明治20年に博愛社が日本赤十字社となったことに伴い,赤十字社病院となり,さらに日本赤十字社中央病院を経て,現在の日本赤十字社医療センターとなっているのである.

事業所病院—関西電力病院10年の歩みと今後

著者: 杉本雄三

ページ範囲:P.23 - P.26

 当病院は,昭和28年12月,関西電力健康保険組合立として,100床の規模で発足した.昭和30年4月,会社直営に移管,同31年増床して160床となる.しかし医学の進歩に伴う時代の要請と,施設が手狭なため旧病院を廃し,昭和42年7月,近代的な装いのもとに,現在地(阪大病院の西隣)に350床の病院として新しく発足した.
 関西電力株式会社は,従業員数23,200人で,供給区域の近畿一円に8支店,電源の立地条件から東海北陸に2支社事業所を置く.支店支社の各職場にそれぞれ健康管理室を持ち,産業医によって診療健康管理業務を行う.また電力供給業務を側面的に支える関係会社約23社を近畿一円に有し,その従業員数およそ15,000人である.

自治体立病院

著者: 小笠原清富

ページ範囲:P.26 - P.31

 地方公共団体の経営する病院が,医療機関体系の中でどのような位置を占め,どのような医療を担当すべきかなどについては,現在においても依然として明確でない面がある.
 さらに,今日問題とされている医療と保健との連携の強化や,医療機関相互の体系づけ,あるいは経営の不安定な状態などがことさらに自治体病院の経営を複雑にしている.

国立病院

著者: 尾村偉久

ページ範囲:P.31 - P.34

 昭和22年終戦とともに,国内にあった146か所の陸,海軍病院が,一斉に厚生省直轄の国立病院として転換創設され,その目的を「一般国民のための医療を行い,医療の向上に努める」こととした.これは,わが国の医療体系進展のうえで画期的なことであったと思う.もちろんそれまでにも,国営の医療機関としては,医学教育,研究を目的とする国立医学校附属病院,軍人軍属あるいは所属の職域人を対象とする各省立病院,さらに公立の医療機関としては,それぞれの地域住民のために設置された自治体立(県,市,町,村)病院があった.しかし,広く一般国民のための国営医療機関として国が直接設置したのは,国立病院を以て嚆矢とするものであった.まず最初に,創設以来の国立病院の推移と国民医療との係わり合いについて述べてみたい.

グラフ

地域に根づく"駆逐艦"—新潟県厚生連中央綜合病院

ページ範囲:P.9 - P.14

 農民の健康の保持増進を図ることを目的に設立された厚生病院には,その設立の趣旨を全うすべく地域の健康を守るセンターとして地域医療活動に挺身する例か多く見られるが,今月取上げた新潟県厚生連中央綜合病院は,都市部において一般市民の医療を担いつつ,さらに周辺地域の地域活動にも積極的に取り組み,長岡市ひいては新潟県の主要な基幹病院として活躍している.
 長岡市は信濃川の交通の要衝地として栄えた街で,現在は人口17万,周辺部を合わせて27万の地方都市であるが,冬期には豪雪に見舞われ,一夜にして交通が途絶することもある.そのような厳しい自然の中で住民の健康を守ってきた本院の歴史は,医療組合運動の高まる昭和9年,中越医療組合病院の設立に始まる.その後幾多の変遷を経て,戦後,現在の地に厚生連中央総合病院として開設された.

第4回日本病院会学会会長に就任された南大阪病院院長 内藤 景岳氏

著者: 吉岡観八

ページ範囲:P.16 - P.16

 明晰・細心・緻密・果断,全身これ燃える火の玉といった医界では異色の闘士,硬骨漢.住吉神社にお祀りしてある神宮皇后が昔朝鮮征伐に船出した縁りの住之江に近く,昭和26年逸早く病院を開設し,これを基盤に持前の闘魂でみるみるうちに大阪で押しも押されもせぬ700床の大綜合病院を築き上げ,地域社会の医療福祉に貢献してきた業績は天下に高く評価されている.殊に,スタッフには大学の教授を始め専門医を迎え医学教育を中心とした近代的重装備を駆使しての高度医療を展開し,その業績を毎年発表されている.
 氏は毎朝7時出勤,8時朝礼で所信を訓示していられるとか.この大世帯に労組もできず運営しうるのは,オールマイティとしての氏の厳しい愛情と細心の配慮を基調にした超近代的大家族主義の経営によるものであろう.ある時,廊下を歩いているナースをみていきなり怒鳴りつけた.「走れ!」そのナースは何の抵抗もなく素直に駈足で行動するのをみたことがある.一刻も無駄をせず,職員が安んじて喜働できる院長への信望の現れとみた.また共にある理事会の役員だった頃,愚にもつかぬ(?)討論が長々と続いていると,氏は理路整然と一気呵成に結論をまとめ会長に議事運営を進言し,居眠りをしている私は心中快哉を叫んだことがある.

病院の窓

低成長下の病院と職員の働きがい

著者: 小笠原道夫

ページ範囲:P.17 - P.17

 戦後30年の医療界の高度成長の時期は,ほぼ社会の需要を充たして,1つの区切りに到達した感がある.病院にとって,病床の増設は急増した医療の量に対応する手段であったし,鉄筋化,暖冷房の完備は,医療消費者の生活水準の向上に対応して進められてきた.またこの間にあって,目ざましい医療技術の発展が,多くの進歩した医療機械の導入をもたらす結果となった.これらの病院の高度成長を振返ってみると,それぞれ必要性があって生じたものであるが,その一面,戦後のわが国経済界の高度成長の波にまき込まれ,必要以上の速さで高度成長を余儀なくされた点もないわけではない.施設,設備の拡張が必ずしも地域医療の必要性によったものではなく,そうすることがその施設の存在価値を維持することが目的であった場合もなかったとはいえない.医療施設がその地域の需要を充たすまでは,各病院が独自の考え方で発展成長してもさしたる問題は生まれないであろうが,昨今の少なくとも都市における状況のように,ほぼその需要を充たした後はいかなる事態になるだろうか.自然発生的な過剰設備は,自然淘汰によって整理される他ないであろうから,そこには不必要な競合が生じ,これが安定した形に落ち着くまでには,多くの医療経済上の浪費が生ずることは自明の理であろう.自由経済社会においてはそれも止むを得ないとする考え方もあろうが,膨大する医療費を考える時,不必要な浪費を防ぐこともまた医療人の義務の一つであろう.

図書紹介

—福見 秀雄編—「病院内感染その原因と予防」

著者: 実川佐太郎

ページ範囲:P.34 - P.34

 化学療法の発展は感染症に対する効果を通じて現代医学に確かに大きく貢献した.従来治療が極めて困難であった感染症患者の多くがその恩恵に浴している.しかし感染症対策が抗生物質にたよりすぎるきらいはないだろうか.化学療法剤の開発が次々と行われても多くの病原微生物が,これらに対して耐性を獲得し,このような耐性菌による感染症が次第に増加している.
 病院や診療所を訪れた患者が待合室などで感染症患者と接したために,原疾患に加えてさらに感染症に罹患することは決して好ましいものではない.まして抵抗力の低下した患者が病院環境由来の耐性菌に感染した場合の治療は極めて難しい.いずれにせよ抗生物質療法が始まって30年以上も経過した現在でも,病院内感染は依然として存在し悲劇を招く.

—高橋 有恒 著—「医者物語」

著者: 長谷川泉

ページ範囲:P.63 - P.63

 著者は千葉医大卒のクリニシャンで,臨床のかたわら小説も書く.すでに「甘き死よ来れ」「亡命者」などの小説を刊行している.「医者物語」も長編小説である.この作品は「医師の告発」「医者の告発」などとして一部既発表のものを主人公矢崎進の医学生時代から公害に悩む江東の三等院長にいたるまでの生涯で一貫させたものである。
 医学生から戦争,見習医官,終戦,勤務医,スト,病院長といった波瀾に富んだ生涯が,患者との対人関係のなかで展開されている.著者は川端康成の「雪国」の舞台である越後湯沢温泉の高平旅館の当主の弟にあたる.その文学的才能は,「雪国」のモデル芸者や,川端康成との邂逅について書いた文章によってすでに知られている.小説の文章はヒューマニティにあふれた医師の目と,日本の医学の歪みをえぐり出す医師の目とがおりまぜられて柔かに読者の心をほぐして行く.

—フィリップ・セルビー 著 若松 栄一 監修—「医療の未来像」

著者: 榊田博

ページ範囲:P.80 - P.80

 健康と医療の問題がどのように変化し,発展していくか,未来の方向を考えることは,現代世界の最大関心事である.医療の未来予測は,科学性と社会性の二面から,その綜合的な機能とに把握する必要があることは,著者の言をまつまでもない.本書は多数の専門家にDelphi法といわれる方法で実施した質問調査の利点と円卓討論の長所とを組み合わせて最終的な意見を作成したものである.
 本書の編纂のために19の先進国から62人の専門家が参加した.臨床医学,公衆衛生学,経済学,社会学,医学評論および未来学を含む広範な学問領域を代表する人たちであった.元厚生省医務局長若松栄一博士がその一人であったことが機縁で本書の邦訳が企画された.

ホスピタル・メモ 医学教育

家庭医教育と家庭医専門医制度—アメリカのFamily Medicine Training

著者: 編集室

ページ範囲:P.44 - P.44

 アメリカにおける医学の専門分化は,新知識や診断技術などの発展をうながす一方,専門性に対する国民ニードとの間にアンバランスを生ぜしめる結果となった.たとえば循環器専門医は,国のニードとしては年間300人で間に合うのに現在は年に900名も養成している.この教育はたいへん金がかかる上に,その専門医が自分の力を振るおうとすると医療サービス・施設面でもたいへん金がかかる.しかも患者側からみると,自分の訴えをよく取り上げてくれる医者がいなくなってしまう.特定の家族は専門的な領域に答える何人かの医師をもつことになる,ある一家庭でみると,子供は小児科医に,母親は産婦人科医に,父は内科医に,その他外科,耳鼻科,精神科etc.医療は拡散し,非協力となり,成人病予防などの幾多の重要なサービスはすべて忘れられてきている.
 専門医が訓練され,適切な医療を行うには設備のいい病院を必要とし,この施設がまた非常にたくさんの人を基盤にしないと成り立たない.専門医は専ら大都市の高度病院に集まるため,遠隔地や小都市では医師不足で医療が受けられない状況になった.これらの市民は為政者に苦情を呈し,GPに替わるもの,家庭医養成に対して融資を始めた.これらの影響は大都市の市民にまで拡がり,一組の専門医の医療を受けることの不便さとぼう大な経費についての世論が喚起された.

精神医療の模索・1 座談会

わが国の精神医療の今後を探る—諸外国の状況をみて

著者: 風祭元 ,   鈴木純一 ,   飯塚礼二 ,   林峻一郎 ,   佐藤壹三

ページ範囲:P.45 - P.52

 精神医療の混迷は,わが国のみならず世界的な傾向といえよう.諸外国は,その状況の中でどのように精神医療を展開しているのであろうか.もちろん,国情には差違があり,その国なりの医療を進めるのが最善であろう.しかし,外国の医療を学ぶことによって,自国の情勢に反映させるのも一策と考えられる.シリーズ第1回は,アメリカ,イギリス,西ドイツ,フランスの精神医療について,造詣が深い先生方にお集まりいただきお話し合いいただいた.

地方の病院から

広域圏病院の現状と課題—大分県・東国東広域国保総合病院

著者: 籾井真美

ページ範囲:P.53 - P.53

広域圏病院の構想
 東国東広域国保総合病院は仏の里国東半島の一角に,広域行政圏立病院としてはわが国第1号として,昭和51年4月開院したものである.前身の安岐町立病院は,32年35床で出発し,44年には219床になったが,全国的な国保直診衰退と同様に,諸条件の悪化から,赤字転落,医師確保の困難,施設の老朽化,一町で地域中核病院を運営する矛盾,および施設近代化資金調達不能から郡立化の話が起った.次いで郡がそのまま広域行政圏となり,ゴミ,し尿処理や消防等が広域圏事業となったことから,人間の消防である病院事業を広域圏でやるのは当然ではないかということになった.
 この間広域病院の必要性を説いた小冊子の配布,将来構想の経営診断,県や県議会への陳情,各町村議会への説得などをすすめたが,紆余曲折を経た.その中で最大の難関は困窮する地方財政が巨額な負担に耐え得るか否かであった.限られた財源を「いのちを守る」ことに使うか,他の福祉に使うかは,地域住民の選択にまったわけであるが,結局は命は金では買えないということで,16億円の巨費を投ずることになった.しかし起債返還の過重な負担は,現在,一般財政を圧迫し,「医療行政あれど,一般行政なし」とまでいわれるようになっている.

院内管理のレベル・アップ 医療社会事業(MSW) 病院におけるMSWの役割・1

医療社会事業(MSW)の理解のために

著者: 田戸静

ページ範囲:P.54 - P.55

病院におけるMSWの位置
 人間は病気になって改めて自分が健康であることの仕合せを,しみじみと思い知らされる.一度病気になると,個人によって多少の違いはあっても,前途への不安と生きる力が挫かれる.その病苦は本人のみならず家族にも影響し,揚句には生活破壊,家庭崩壊ということにもなりかねない.医療の目的と福祉の目的と同じにいえることは,人間が人間らしく生きることへの手助けともいうべきで,個の生命の充実を目指して,人間が自己の生きがいある生活を実現させることにある.それには,常に健康であることが保障されなくてはならない.
 現代はルネッサンス以降の人間性の回復と人権尊重の思想が熟し,健康は権利であるという認識を多くの人はもっている.健康であることが権利であるならば,当然健康を損ねた病人が,健康回復のために医療を受ける権利が保障されなければならない.昔は治らなかった病気も,今日では医学の高度の進歩によって生命を延長できるようになった.だがこうした医学,医療技術の高度化,専門分化は,病気とその病苦を訴える人間とは全く無関係なところで生命が追求される傾向が強くあった.

診療録 カルテを「利用」するために・8

診療記録の量的管理—診療記録管理とは記録の単なる保管業務ではない

著者: 栗田静枝

ページ範囲:P.56 - P.57

貧しい日本の実状
 診療記録とは一口でいえば,医師によって書かれた,明確で完全な患者に関するすべての情報であって,これは患者のたあのものであると同時に,病院,医師にとっても貴重な財産なのである.
 「診療記録は,病院で医療行為が的確に行われているかどうかを知るための尺度である.A.H.A.(Ame—rican Hospital Association)では,それぞれの病院の診療記録管理の報告を,病院の評価を決める資料の一部として重要視している」とDr.MacEachernはいわれたが,20年以前ならともかく現在の日本の病院管理者に,この言葉の意図が正しく理解されているであろうか?わが国の診療記録管理の実状は,米国はもちろん,オーストラリヤ,ニュージーランドをはじあフィリピン,台湾,韓国の官公立病院と比較して,劣ってはいないと断言できないことを知っておく必要があると思う.

病理 病院病理の課題・7

臨床家は病理医に何を望んでいるか—産婦人科医の立場から

著者: 高橋克幸 ,   平野睦男 ,   星和彦

ページ範囲:P.58 - P.59

 産婦人科領域における日常診療では,細胞診と組織診がともに多く試みられ,病理医に診断を依頼しているが,その例数も非常に多い.これは産婦人科領域では標本のほとんどが外来で簡単に採取し得るという特殊性と,臨床病理学の進歩によるところが多いが,その他病理学的検索法のシステムの改善や,産婦人科医の病理診断への関心の強さと啓蒙も無視できない.今度,日本病院病理医協会交見会で行われた,病理医への希望に関する産婦人科医の意識調査の結果を紹介する.
 調査対象として,産婦人科医は宮城県在住者と東北大学産婦人科教室同窓会関係者のうち,大学病院勤務者と現在活動していない高齢者を除く351名であり,この数値はほぼ施設数をあらわすと見做してよい.調査は一定の設問方式をとり,設問外のことは"その他"の項に記載するようにした.記入は無記名の上,全例郵送による調査方式にし,比較的自由な,ありのままの意見なり,実数が出されるよう配慮した.回答数は257(73.2%)で,勤務医96名,開業医161名の率になっている.

診療 医療業務の標準化・6

業務処理基準の標準化(2)/業務配分の基準

著者: 榊田博

ページ範囲:P.60 - P.60

8.診療記録についての約束
 診療記録は法で定められた規定1)によらねばならないことはいうまでもない.医師法第24条に診療録の記載および保存が規定されている.医療法施行規則第23条にも診療録の記載内容が規定されている.また,健康保険法第43条にもとづく保険医療機関は保険医療養担当規則第8条で診療録の記載および整備を,第22条に診療録の記載様式と必要事項の記載が規定されている.法律による規定だけでなく診療録は医学の研究や教育の資料としても重要である.医師は診療に際し患者の病歴を完全に把握し,臨床に必要なあらゆる手段を用いて治療に当る.そして,これらの内容は完全に記録されねばならない.
 診療録の記載内容については専門科によって異なる.病状,病期およびその経過によっても異なる.その内容は決して画一的なものではない.特定の診療科で記載項目をあらかじめ取り決めておき,用紙に印刷して診察に際して見落しのないように工夫することがある.各科共通診療録の場合には,記載内容とその順序をあらかじあ定め,これによって記録用紙に記載させる2)

最近の判例からみた医療事故・1

児童の破傷風による死亡と医師の過失

著者: 稲垣喬

ページ範囲:P.64 - P.65

判例
 破傷風の診療に関しては,問診等による受傷の状況等から,病名・症状を的確に診断するようにし,その程度,段階に応じ,場合によっては,破傷風の先駆症状を指示して患者の協力をまつとともに,適切な処置を早期にとるべきであるが,本件は,児童をその受傷後診察した医師が,患部を切開消毒したけれども創底の洗滌が十分でなく,また抗生物質の投与等もなかったため,児童が破傷風により死亡した結果について,医師の過失を肯定した事例である(福岡地裁昭51・3・9判決,判例タイムズ348号276参照).

今月の本棚

—蜂矢 英彦著—「精神分裂病の治療と社会復帰」

著者: 岡上和雄

ページ範囲:P.66 - P.66

どこまで手を貸せるか
病像の変遷のなかで
 ここ20年来,精神分裂病と呼ばれる病気の様相もずいぶん変った.ひとくちでいえば,軽症化し,健康との間の割れ目が埋まってきた.だが,同じく分裂病と呼ばれながら,その対極には依然として,今の医学を受け付けない人たちもいる.これを戦線にたとえるならば,ちょうど左右にのびきったそれのようで,全体的俯瞰が本当に難しくなった.
 一方の極に立つ人は,精神科医療は総合病院で--これは精神医学誕生以来の悲願ともいえるが--というであろうし,他方をみる人は,分裂病の治療こそ精神病院でなければと主張するであろう.それらは,いずれもそれなりの根拠をもつが,ともに他を否定できるほどの妥当性はもっていない.必要なのはさまざまな手だてである.

—上野 高正著—「薬局管理」

著者: 堀岡正義

ページ範囲:P.67 - P.67

病院薬局の業務と使命を明確化
永年の研究と体験の成果
 「これまで米国でも日本でも病院管理学のなかで薬局管理は置き去りにされる傾向があった.そこでわが国の病院薬局管理を病院薬剤師自身で考えるために,昭和38年日本薬学会年会に病院薬局管理部会が生まれて研究が進められた.最近に至り病院薬局管理の大系もようやく一つの形をなすようになってきたので,これまでの経過をふまえ,ここに『薬局管理』としてまとめてみることとした」と本書の序文に記されている.
 著者の上野高正先生は長年病院薬局長として勤務され,昭和32年よりは虎の門病院薬剤部長の職にあり,この間日本病院薬剤師会会長,日本薬学会薬剤学委員会部会長として,文字通りわが国病院薬局最高の指導者である.それだけに今回同氏永年の研究と体験の成果を本書にまとめられたことはまことに意義深く,正に待望の書の感がある.

院外活動日誌

難病患者の巡回診療

著者: 別府宏圀

ページ範囲:P.68 - P.68

○月○日
 9時30分病院出発.今日はIさん(MSW)が同行.車の流れは比較的順調.車の中で,第一の訪問予定者K.M.さんについての最近の問題点をIさんと検討.
 10時10分M宅到着.いつものように窓際の小さな椅子に腰かけている.かなりすすんだALSの女性患者で四肢はすでに全く動かせない.首をまっすぐに保持することさえ困難で頭を椅子の背にもたせかけるようにして,身じろぎもせずに坐っている.夫は毎朝患者に食事をさせたあと,この椅子に患者を坐らせて出勤する.あとは夕方夫が帰宅するまでこの姿勢が続く.椅子のわきにはちょうど口の届く位置あたりに小さな棚が作ってあり,ストローを差したビンがおいてある.ビンの中には,口の乾きを抑えるに足る程度の水が満たされている.時々嫁ぎ先から娘が赤ん坊を連れて看病に来るようになってから,最近は少し楽になったという.食事に時間がかかるようになってきたとの訴えは,おそらく球症状の出現を意味するものだろう.

中グラフ

第3回日本病院会学会(52年11月18-20日名古屋)—医療人の精神的裏打ちを追求して

著者: 三宅史郎

ページ範囲:P.70 - P.71

 第3回日本病院会学会は,さる11月18,19,20日の3日間,名古屋市公会堂で開催された.
 前日まで雨模様の天候であったが,会期中の3日間を通して,11月中旬とは思われないような快晴の秋空に恵まれ,学会は大変さわやかであった.

第15回日本病院管理学会総会(10月14,15日東京)—多彩さ・充実度を一段と増して

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.72 - P.72

 第15回日本病院管理学会総会は,さる10月14日,15日の両日,倉田正一会長(慶応義塾大学教授)の下に,新宿住友ビル内の住友ホールにおいて開催された.会場の立派さもさることながら,発表された演題の多彩さや,内容の質的高さなどから言っても,きわめて充実した学会であった.
 演題は一般演題が31で,このほかにかなりのと出題希望数があったが,かなえられなかったという.他にシンポジウム1,特別講演1という内容であった.

新病院建築・1

病院各部の面積配分—その1.一般病院

著者: 伊藤誠

ページ範囲:P.73 - P.80

はじめに
 10年以上も前のことになるが,厚生科学研究補助金による研究の一部として,当時の代表的な病院がどのくらいの面積をとって建てられているか,またそれを院内各部門にどう配分しているかなどについて分析考察したことがある.そして結果を守屋博・吉武泰水の両先生と連名で本誌の24巻1号1)に発表した.当然のことながら,記述は無味乾燥な数値数表の羅列で,読物としては決して魅力的といえるものではなかったが,各方面で意外に活用されたようであった.
 病院の計画に当っては,第一に全体の概略規模をおさえ,次いで各部の面積配分を大まかに決めることから出発しなければならない.ブロックプランの大筋を描くにも,最少限,部門別の面積だけは欠かせない.もっとも,このような進め方は何も病院建築に限ったことではない.そして,この段階で全体規模についての把握が当を得ていなかったり,あるいは各部の面積配分が均衡を失したものになっていれば,以後の努力もまったく無意味になる.したがって,さらには,設計の途中過程においてもしばしば計画案について各部の面積比率をチェックしてみる必要がある.その際の指標もしくは比較の対象として,既存病院についての分析結果が常に有力な手がかりとなるのである.

民間病院の新しい試み

京浜総合病院の検査システム—医療経営に銀行経営理論を導入した例

著者: 矢作忠政

ページ範囲:P.83 - P.85

シリーズにあたって
 公的病院と違って独立採算を強いられる民間病院は時代の波をもろにかぶる.しかしそれ故に生き残るための多くの試みがなされている.論文,インタビューを織りまぜて新しい試みを紹介する.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?