文献詳細
文献概要
民間病院の新しい試み 夜間診療
開設以来一貫して継続
著者: 増子忠道1
所属機関: 1柳原病院
ページ範囲:P.168 - P.169
文献購入ページに移動柳原病院は,東京・足立区の南の一角にあり,荒川と隅田川の蛇行して生じた三角州のような島に位置している.昔は東京三大貧民窟(山谷,南千住,北千住)といわれた典型的な貧しい下町であった.戦後,焼け出された人々や全国からの流れ者のような人々が集まって町を作った.当時は衛生状態もひどく,幾度も"赤痢"が大流行したという.現在は以前に比べ,多少は生活状況も向上したが,この地域の産業は金属・皮革などの極小零細企業で家内企業である.4帖半の部屋に2人で生活しながら近くの工場や地区の工場に通勤する労働者の街でもある.東京では次々に消えていって,今では貧しさの象徴として有名な"風呂屋の煙突"もここでは4軒もあり,繁盛している.老人だけの世帯も増え,淋しい老人が沈澱している.住民はアルコール中毒患者も多いが,概して働き者であり,長時間労働にも耐え,生活のためには一時間でも惜しい人たちである.
昭和25年前後,生活環境の劣悪さと労働条件のひどさもあり,結核がこの地域を支配していた時代,住民が"貧乏人のためにも医療を!"と運動を起した.住民の熱情にほだされた病気勝ちの女医さんが決意して,中国解放軍帰りの看護婦数人と住民運動の先頭に立った人を事務長に,診療所が開設された.貧乏人相手の診療はいつも赤字であったが"住民のために"なることは何でもやった.
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