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特集 病院組織と看護の専門化
成人看護の専門性を考える—クリニカル・スペシャリストとしての専門看護婦
著者: 杉森みど里1
所属機関: 1東海大学医療技術短期大学
ページ範囲:P.540 - P.541
文献購入ページに移動 近年筆者は,10年ぶりに学生の臨床実習指導教師として,病院の最前線に復帰する機会を得た.その現状の中で理論と現実のギャップにわが身のつたなさを嘆くことも度々ある.したがって,本稿はきわめて現実的な発想からというよりも,教育担当者としての現場からのレポートに終る可能性が強い.
最近の病院は昔と違って,それを利用する人々の健康レベルは特定レベルに限定されなくなってきている.とはいえ,外来を除けば,自分の生活環境を病院に移してまで医療を受けなければならない人々に利用されている.さらにその人々は,大別して,生命維持を主目的とし生活維持を二義的とする人々と,生命危機をまず予測しないで,その人の生活過程の中へ医療を適応することを主目的にしている人々とがある.後者は往々にして,医療を確保し受けるために,その間自分らしい生活を犠牲にする状態に陥りやすい.その違いは,医療主体が(医療を)受ける側にあるとする考え方と,あくまで授ける側にあるとする考え方の差となる.授ける側といっても生きている人間であってみれば,いつでも受ける側になる可能性が強い.だが,その辺には常に目に見えぬ明瞭な線が引かれているのも不思議な現象である.
最近の病院は昔と違って,それを利用する人々の健康レベルは特定レベルに限定されなくなってきている.とはいえ,外来を除けば,自分の生活環境を病院に移してまで医療を受けなければならない人々に利用されている.さらにその人々は,大別して,生命維持を主目的とし生活維持を二義的とする人々と,生命危機をまず予測しないで,その人の生活過程の中へ医療を適応することを主目的にしている人々とがある.後者は往々にして,医療を確保し受けるために,その間自分らしい生活を犠牲にする状態に陥りやすい.その違いは,医療主体が(医療を)受ける側にあるとする考え方と,あくまで授ける側にあるとする考え方の差となる.授ける側といっても生きている人間であってみれば,いつでも受ける側になる可能性が強い.だが,その辺には常に目に見えぬ明瞭な線が引かれているのも不思議な現象である.
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