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雑誌目次

雑誌文献

病院38巻3号

1979年03月発行

雑誌目次

特集 病院検査部門の動向と問題点

外注の現状と問題点

著者: 斎藤正行

ページ範囲:P.208 - P.211

 「検査漬け」とまで新聞紙上で騒がれるまでになった検査.ここ20〜30年の短い歴史でこうまで発展した臨床検査.そのうちの特に飛躍的に発展し脚光を浴びている化学・血清検査を「なぜ外注するのか」と不思議に思われる方は多い.実際,私たちの北里大学病院が8年前に発足した時,検査は既に病院の診療上にもまた経済面でも重要な部門に育っていた.そのうちの最も効率的な部門をあえて外注に踏み切ったのであるから1),他が驚かれるのは当然であろう.それ以後今日まで,私たちの病院は躍進を続けて来たが,その間この外注システムがどういう結果を生んだか2).経過を振返って,飽くまで検査部長という立場からメリット,デメリットを論じ,その実績を土台に,将来への展望とか私見を述べてみたいと思う.もちろん病院長とか事務長という全体の管理責任者からの国は,また違ったものであろうことをお断りしておく.

中央化の見直し 検査部の立場から

画一的中検から特徴ある中検へ

著者: 林康之

ページ範囲:P.203 - P.206

 我が国の病院検査室の中央化は昭和25年,GHQの指示により国立東京第一病院(現在の国立病院医療センター)において始められ,昭和29年東大病院に中央診療部という形で中央検査部が建物まで新設されるに至り以後またたく間に全国に普及した.そもそも中央化の要因というのが我が国病院の事情によって,問題の打開の道を求めて始まったものでないことはその成立の過程をみても明らかなのであり,中央化自体になんらの抵抗がなかったとは言えない.ではなぜ遼原の火のごとく病院検査部の中央化は普及したか,また晋及した現在において何の問題も起こらなかったのか,考慮すべき欠陥はどんな形で表明されているかという諸点をまとめておくことも経過をみる上で大切であろう.著者は昭和25年国立東一病院において,中火化の渦中に巻き込まれ,かつ昭和36年からは病院中検と最も関係の深い臨床病理学講座に職を得て現在に至っている.この間たえず中央化の長所欠点を明らかにし,いかにその組織を有効に動かすか,利用すべきかを時には主観的に,場合によっては客観的に観察し判断すべき立場にあった.その経験をもとに中央化が今後どのような形をとり得るかの推定をして標題への回答としたい.

臨床の立場から

望まれる柔軟な再編成

著者: 阿部裕 ,   折田義正

ページ範囲:P.206 - P.207

 第2次大戦後の医学・医療の大きな流れの変革の一つとして,我が国の病院に,臨床検査部が設けられ,臨床検査に関する中央化・システム化が行われた.
 これによって,それまで医師が自らの研究室で,多少とも各個人の研究として,ばらばらに行っていた各種の検査測定が,同一の方法・精度により行われ,臨床検査が初めて評価に耐え得るシステムとなった.精度管理,正常値の決定などの仕事も,中央化・システム化なくしては行えないことであったと思われる.また,整理されたデータ(情報)の医師への提供によって,医学教育におけるPOS志向も確実なものとなり,専門医教育にも大いにあずかって力のあるものとなった.

RI検査の取扱い 大学病院の立場から

RI検査の実際と考え方

著者: 山田律爾 ,   中井利昭

ページ範囲:P.212 - P.215

 テーマはRI検査の取扱いであるが,シンチグラムなど放射線科の診断として現在繁用されているものは省略して,RI in vitro検査に限って述べたい.
 RI検査は,最初は主にホルモンの測定法として急速に発展してきた分野であるが,その応用分野は現在では内分泌系にとどまらず,ガストリン,セクレチンのような消化管ホルモン,α—フェトプロテイン,CEAなど肝や腸の悪性腫瘍よりの産生物質,IgEなどの免疫グロブリン,更にはジゴキシン,モルフィンなど血中薬剤濃度の測定にまで拡大されてきた.したがって今後各種生体微量物質の有力な測定法として臨床検査部門の中で将来最も大きな位置を占めると思われる.

一般病院の立場から

RI検査の普及と管理

著者: 木下文雄

ページ範囲:P.215 - P.216

Radioisotope(RI)in vitro testの進歩と普及
 血液中の甲状腺ホルモンはTBPと,鉄はTransfer-rinと,それぞれ特定の蛋白と結合しているので,それら蛋白の未結合部分をRIを利用して測定し,間接的に血液中の甲状腺ホルモン,鉄の量を知るdirect saturationanalysisに始まったRI in vitro testは,その後com-petitive Radioassayとして総括されるcompetitiveprotein binding assay, radioimmunoassay, radiorece-ptorassayによる血中各種甲状腺ホルモンの測定にと進歩し,RI in vitro testの検査は大学病院はもちろん,広く一般病院にまで普及し,またRI検査センターの林立(100か所以上)現象まで見られている.
 昭和38年以降のRI in vitro test件数の漸増を,市中に出たtest tube数で示すと,その伸展は図2のごとく驚異的であり,昭和52年の総test tube数は1400万木に及びその金額も年間60億前後と言われる.特に検査センターの測定件数の伸びは著しく,大学,病院の利用件数の約1/2を占めている.

夜間・緊急検査体制の問題点 福岡大学病院の場合

試行・破綻・再挑戦の経緯

著者: 黒田吉男

ページ範囲:P.217 - P.219

歩いてきた道
1.病院と検査のことはじめ
 福岡大学は昭和9年高等商業学校として発足し,第2次大戦後規模を拡大して総合大学になった.昭和47年度に医学部が開設され,2か年間福岡市の東北端の香椎の代用病院において診療を行った.その間に,市の西南部にある大学のメインキャンパスに隣接して「福岡大学病院」を新築して,昭和48年8月3日に移転を完了した.すべてが新しく,不馴れのことも多かったが,新進気鋭の医療スタッフを中心に,病院の全職員が若いエネルギーにあふれていて,新病院の雰囲気は坂道を急上昇してゆく感じがあった.
 臨床検査部は完全に中央化された形である.しかし,それは病院内のほかのどこにも検査設備がないことを意味していて,あらゆる検査がこの一か所に集中した.

中通病院の場合

"患者の立場に立った医療を"で当直制採用

著者: 西丸功

ページ範囲:P.219 - P.221

 当院は昭和49年4月より,それまでの夜間診療,休日診療を廃止して,時間外は救急体制をとり強化に努めてきた.その一環として昭和50年8月より,拘束制のみであった検査を,検体検査について当直制とし,その他に生理検査,病理を拘束制として現在に至っている.
 秋田市は日本海に沿った人口27万人の地方都市である,市内には大学病院を始め,200床規模以上の病院が5施設存在し,救急告示医療機関は県交通災害センターを含め8施設である.休日応急診療所が開設されており,診療圏は市内のほか,男鹿市,南秋田郡,河辺郡など広範囲にわたっている.秋田県の救急車による患者搬送の年次別の変化を表3に示したが,急病(内科系疾患),その他の不慮の事故が急増している.少し古くなるが昭和48年県医務薬事課調査の秋田県,秋田市の時間外取扱い患者数と中通病院のそれを比較してみると,外来数で県の25.6%,市の56.6%,入院数では県の11.8%,市の32.0%を取扱っている.県交通災害センター設置により,交通事故の搬送回数は減少しているが,時間外救急患者の秋田県,秋田市における当院への依存度は依然として高いものがある.

座談会

病院検査部門の新しい動きと反省点—患者中心の臨床検査を考える

著者: 大森安恵 ,   児玉あい子 ,   塙勇至 ,   野島泰子 ,   清瀬闊

ページ範囲:P.222 - P.228

 清瀬私は最近の患者は,大病院指向型になっていると思いますが,なぜ患者が大病院を希望するかというと,やはり,検査が十分できるとか,あるいは施設がいいとかだと思うわけです.
 そのような患者の増加とともに検査の医学もだんだん進歩したので,検査の量が非常に増大してきた.そして検査部は質的量的に応じきれないので今度は外注ということになっています.特に検体検査では検体を唯物的にみるという傾向がありますので,とかく患者不在の医療の傾向になりやすく,私は,そこに問題が多々含まれていると思います.

資料

病院検査部の収支状況

著者: 黒田幸男

ページ範囲:P.229 - P.231

検査部門の拡張と収益性
 検査部門の収支状況は検査の高度化,自動化機器などの導入により変化した.前者の多くは不採算になり易く,後者は多量処理の効果としておおむね採算ベースに乗り利益率は高い.検査技術の進歩はそのような検査の質的変化と量的増加をカバーするため日々向上し,近代医学における臨床診断には欠かせない機能になっているが,反面,その多様化が問題になりつつある.
 検査技術の質的変化は検査技師の技術革新をもたらし,検査の専門化・分業化を促進し,高度で複雑な検査に高価なME機器が導入される一方,量的増加に対しては検査の自動化,各種データのコンピュータによる自動処理の採用なども活発になり,能率的多量処理を可能にした.その意味では病院検査部門は今や精密検査工場化しつつあるともいえる.このような状勢は検査技師の増加と検査料収益の伸び方に具体的に現われている.自治体病院の経営分析調査によると検査技師の増加は昭和45年から昭和50年の6年間に病院職員数の伸び率122.4%を大きく上回る144.7%を示し,全職員数に対する構成比も昭和45年の2.2%から昭和50年の2.6%に増加している.

宿日直によって行う緊急検査と労働基準法

著者: 笹川靖雄

ページ範囲:P.232 - P.233

 〔答〕病院等の医療機関においては,よく日勤のことを日直勤務,夜勤のことを宿直勤務と呼んでいるところがあるようだが,労働基準法上の宿直勤務あるいは日直勤務というのは,性格を異にし,単に夜間に勤務するとか日中に勤務するとかいう区分を呼称するのではない.
 労働基準法上の宿日直勤務とは,通常の勤務とは全く違った勤務態様を意味するものであり,例えば,病院における看護婦の通常の業務といえば,外来患者の受付を始めとして,診療の補助業務等の看護業務全般が該当してくるが,宿日直業務は原則としてこれらの業務は含まず,所定の勤務時問外における火災,盗難防止のための定時巡回,緊急の文書や電話の収受,あるいは非常事態に備えた待機等の業務態様を意味するものである.

グラフ

長崎県の地域医療の中核として—国立長崎中央病院

ページ範囲:P.189 - P.194

 戦後30余年間,国立病院はその診療および立地条幹などに応じて地域の医療に貢献してきた.医療の荒廃がいわれる現在,国立病院のあり方や意義をめぐって多くの場で検討・論議されている.国立長崎中央病院は,国立病院の中では早くから地域の医療に積極的に取組んできた病院である.
 国立長崎中央病院は,長崎県の空の玄関として発展している長崎空港のある大村市内にある.大村市は古くは大村藩の城下町として,また明治以降には軍都として栄えた街である.本院の前身は昭和17年に発足した大村海軍病院で,20年に国立大村病院と改めている.その後国立長崎病院(元陸軍病院)を統合し,50年には,本院が地理的に長崎県の中央にあること,および地域医療の中核的立場を保持推進するということから国立長崎中央病院と改称している.

歴史を誇る好生館館長として四半世紀佐賀県立好生館館長 鶴丸廣長氏

著者: 尾口平吉

ページ範囲:P.196 - P.196

 佐賀市を訪れる誰もが,佐賀平野に堂々とそびえる8階建ての白亜の殿堂,佐賀県立病院好生館(550床,延面積25,700m2)に驚くであろう.しかし病院人であるならば,この殿堂以上に感銘を受けるものは,この病院の燦然たる歴史であり,当代城主である鶴丸館長の病院人としての偉大な足跡と人柄とであろう.
 好生館は天保5年(1834年)藩の医学寮として設立され,安政5年(1858年)鍋島閑叟公が医学校として西洋医学の導入を意図され,好生館と命名,その後西南戦争時軍病院的役割も果たし,明治29年佐賀県立病院好生館となり今日まで82年間県立中央病院として多彩な役割を果たしてきた.

焦点 対談

チーム医療と医療チーム(上)

著者: 砂原茂一 ,   若月俊一

ページ範囲:P.197 - P.202

 医療が専門分化するに伴い,病院に様々な医療関係職が導入され,それぞれの専門領域を分担するようになった.そこでは,職種間の密接な連携がなければ,患者を全人的に診ることが困難であろう.では,スタッフがチームを組んで患者のための医療をスムーズに進めるには,今どうすべきか.

いま民間病院は

民間病院の経営規模の限界

著者: 岡山義雄 ,   津端求

ページ範囲:P.234 - P.235

地域における性格づけと病床数
 私は昭和25年,23床の外科病院を日本の中央名古屋市の官庁街の一角に開院.その後内科,整形外科を併設し37年,67床.44年現在地東京の銀座通りと言った市の中心地,繁華街に近く商社も多い名古屋駅よりタクシーで10分の地区に移転し,150床の新病院を建設.爾来「救急医療」と「リハビリ」「人間ドック」ならびに「健康管理」に主力をおいた病院とした.更に医療の進歩とともに地域住民の医療のニードを先取りした形で脳神経外科,麻酔科,婦人科,歯科,人工透析,東洋医学科を増設し,昨年200床の総合病院に準じた中規模病院になった.外来300〜400人,入院占床率85%,従業員約200名である.
 さて私は私的病院の経営管理に当たって,特に中小病院の性格づけとして次の4点を挙げて考えている.

設備機器総点検

病院用電動掃除機

著者: 近藤英二

ページ範囲:P.237 - P.237

 電動掃除機は,今では,清掃の効率化に不可欠の機器となっている.しかし電動掃除機の吸込み空気の噴出音が,病院内の作業に求められている静粛を破ること,および噴出空気に吹上げられる塵埃が病室内を再汚染することの二つの理由により,病棟内では従来の電動掃除機は特別の場合を除き使用できなかったため,音が静かで,しかも吸込んだ塵埃(細菌は塵埃に付着して空気中に浮游する)のうち0.3μ以上のものを除去して噴出するものが望まれていた.これまでも音が静かだが0.3μの条件を満たさないもの,および0.3μの条件は満たしていても音の点で不向きなものが販売されていた.そこで,本院では,病棟,病室内での使用を差控えていたが,先般0.3μのフィルター付で,軽量,音も静かな電動掃除機が開発されたのを知り,試用した.その結果,当院の要求する条件を具備していたので,現在は院内全域でこれを使用している.
 仕様概要は表のとおりで,50Hzでも,60Hzでも使用可能.コードの長さも8mあり,たいていの場合,補助コードを必要としない.

統計のページ

病院の原価管理—第3回 入院部門の原価計算

著者: 黒田幸男

ページ範囲:P.238 - P.239

 図9の損益分岐点図は中央診療部門の収支を含めたもので,図5(2号147頁参照)の部門大別収支結果とは異なる.この損益分岐点収益は48年では107,500千円で約980万円の収益不足になる.50,52年は損益分岐点収益を上回る収益を確保でき,わずかではあるが利益が出ている.
 これを患者1人1日当たり収益対原価により比較したものが図11である.収益/原価でこれをみると48年,50年,52年と損益状況は若干好転した.

医療の周辺医療経済 医療経済・3

医療サービスによってもたらされた成果の効率性

著者: 前田信雄

ページ範囲:P.240 - P.241

効率の概念
 一般に効率は,経済学では効果よりも多く使う概念になるが,ある一定量の投下サービス量に対するそのサービスのもたらした効果の比で表される.それは医療労働単位時間当たりの成果とか,成果1単位当たりの医療サービス費用で示されることが多い.換言すれば,1単位の投下サービス当たりの成果である.究極的には,医療サービスの目標達成度をそのサービスに要した経済量と対比させたものになろう.
 従来から,効率は,「最も安上がりなサービス」につながる側面をもつ概念であった.これでいくと非専門職とか素人(付添婦制)でもって看護を行わせるのが最も効率的となりかねない.つまり,サービスという過程そのものを少ない費用で実現する,という発想が確かにあった.しかし,最近の医療経済の考えでは,過程ではなく,目標の達成度とサービスの対応を効率と考える方向が出てきている.一般の経済活動では,利潤とか生産そのものが目標となる.医療の場合は,何回も述べてきたように,患者または健康者の健康回復または維持増進が目標であって,「何人の患者を診る」というプロセス自体とか,医療活動の収益とかが目標ではない.ある目標達成に可能で相対的に最も経済的な方法を見付けようというのが,医療における効率性の使い方である.

講座 入門・診療記録管理・3

補助委員会と専門職員の養成

著者: 栗田静枝

ページ範囲:P.242 - P.243

V.必要な診療記録委員会・用紙委員会
1.診療記録委員会
 よい診療記録管理ができるためには,診療記録が正確に書かれていることが第一条件である.管理室の成否は,診療記録を書く医師次第といっても過言ではない.そのため,準備委員長は,この主役となる医師を中心として,診療記録委員会を設けるとよい.
 メンバーは医長のほか,看護婦長,検査部門主任技師,診療記録管理室長等,指導的立場の職員で構成する.この委員会は,将来,診療記録管理室が発足してからも存続し,管理室に協力的な役割を持つことになるのであって,診療記録管理室が常によりよい方向に前進するために是非必要である.将来,この委員会の医師部門の委員は,順次交代してゆくようにすると,すべての医長がこの仕事に対して理解を深めるのに役立つ.

実務のポイント 看護

申し送りのポイント

著者: 上坂良子

ページ範囲:P.244 - P.245

 三交替勤務の中で,業務を円滑に進め効果的に看護を行ってゆくためには,どんな看護体制下にあろうともなんらかの方法で,看護活動の概要を伝えるという情報交換が必要不可欠になってくる.観察や判断や行動を間断なく続けてゆく中では,情報を有効に活用してむだを省くことも大いに必要である.情報交換の手段としては,一般的に各勤務の交替時に行う"申し送り"という方法をとっているわけだが,これまた多くの問題がある.この伝えるという行為は私たちにとって大切な技術の一つになるのだが,学ぶ姿勢を持っていないと(申し送りだけに限らず),一般論を知っていても一人一人の患者に置きかえた場合の応用問題が出来ず,そして,そのことが当たり前のように受けとめられがちである.しかし,どんなにうまくいかない人でもベッドサイドからは,いくらでも学ぶ資料は得られるのであって,ちょっと目を向け,「なぜなのだろう」と考えて観察する態度を持つようになると驚くほど成長する.うまく出来なかった結果が問われるのではなく,そこから一つでも多く学びとってゆく過程が大切なのだということを「申し送りのポイント」と併せて考えてみたい.

人事・庶務

新入職員の教育

著者: 岡野博

ページ範囲:P.246 - P.247

はじめに
 毎年春ともなれば,新入職員の受入れで,各企業や事業体は大わらわである.中には,長期カンヅメ教育を行う会社も少なくない.ニーズに合せた研修方法には様々なものがあるが,ここでは,病院における集合教育による新入職員教育の実務ポイントについて,昭和41年以降の体験を通して述べてみたい.

現場訪問

虎の門病院分院ドクターエイド 浦上和美さん

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.248 - P.249

 最近,我が国でも様々な病院で医療秘書が活躍している.しかし一口に医療秘書と言っても,外来での問診担当から,院長や部長秘書,病棟での雑用受付けとその業務はまちまちである.
 そこで,医療秘書導入では10年近い歴史を持ち,医療秘書(この病院ではドクターエイドと呼称)と病棟クラークの二本立てで診療の円滑化を図っている川崎市梶ケ谷にある虎の門病院分院にドクターエイドの浦上さんを訪ね,この病院の秘書業務の実際についてお話を伺った.なおこの分院は慢性疾患患者の入院治療を原則とする250床の病院で,看護はPPC方式を採用している.主な機能は本院に集中され,検査や種々の連絡のため,一日三回の分院—本院連絡バスで患者や職員が往復している.

今月の本棚

—森 幹郎 著—「老人問題とは何か」/—岡村重夫・磯 典理 著—「老人を見つめる」

著者: 金子仁郎

ページ範囲:P.250 - P.250

老人問題の展望と老人の実態
 これらはミネルヴァ書房から一昨年来続いて出版されている老人問題のOP叢書のなかの2冊である.森幹郎氏は厚生省の初代老人福祉専門官で老人福祉法の制定に当たって中心的な役割を果たした人で,現在は奈良女子大教授をしているが,我が国における老人福祉問題の第一人者ともいえる,この著者が今日の老人問題を厳しく分析し,分かりやすく解説し,かつ未来を具体的に展望したのが「老人問題とは何か」である.

調査

精神科入院患者に対する愛称について

著者: 吉田登 ,   岩瀬清子

ページ範囲:P.251 - P.252

 豊川市民病院精神神経科は高看3校,准看1校の精神科実習を担当しているが,ある実習生から「職員が患者を『ちゃん』づけの愛称で呼んでいるのを奇異に感じた」と,幾分の非難を含んで指摘された.「精神科では長期在院患者が多くなりやすく,病棟が患者の生活の場になるので,できるだけ社会生活に近い,家庭的な雰囲気になるように努力している.愛称は決して馬鹿にしているのではなく,親しみの表現である」と,その場では答えたものの,その実態は把握しておらず,自信はなかった.この経験が本調査を企図したきっかけである.

新・病院建築・15

宇部興産中央病院—増改築なって充実した医療を地域住民に提供

著者: 藤原博

ページ範囲:P.253 - P.257

はじめに
 本院は,宇部市西岐波という地にある,500床の病床をもつ総合市民病院である.市中心部より北東約4km,海岸線より北方約1.5kmに位置し,田園風景の実にすばらしい環境である.
 本院は昭和28年に,宇部興産の従業員および家族の結核治療を目的として,39,670m2の敷地に延面積6,610m2,病床228床をもつ社団法人宇部興産サナトリウム協会として開設された.以後,宇部興産サナトリウム,宇部興産株式会社中央病院と改称されてきた宇部興産株式会社の直営病院である.

精神医療の模索・15 対談

精神科救急医療

著者: 岡上和雄 ,   計見一雄

ページ範囲:P.258 - P.262

精神科救急の一例
 岡上千葉病院では救急は多いんですか.
 計見まず,昨夜と今朝のことを話したいと思います.それはある患者さんについてですが…….その人は,病状的には赤ちゃんを産んでから今までにないほど精神状態は安定しているんですが,多少問題がないわけでなくて,赤ちゃんを部屋に残したまま夜フラフラと2,3時間くらい外出してしまうことがあるわけです.

研究と報告【投稿】

病院における賃貸借・委託・外注の実態—類型別規模別分析(2)

著者: 車田松三郎

ページ範囲:P.263 - P.265

 清掃,警備,給食配膳洗浄,下足番等の外注,また機械設備等の保守契約の外注に共通してみられることは主として人の供給サービスであった.これは契約上では,請負関係にもとづいていると考えられる.われわれはこれをA型として類型化し検討した.
 さて,A型とは異なって明らかに病院の所有物ではないが,物品の供給サービスに関連し,しかもこれが賃貸借にもとづく契約により,病院が主体的に利用できるものがある.これをわれわれはB型として,類型化した.たとえば,寝具類,おむつ・肌着等,医療器械・事務機械・その他病院環境整備に役立つ貸植木,BGM,そしてルームエアコンなどである.

ほんねたてまえ

医薬分業を考える/医療指導監査官(医療Gメン)の強化

著者: H.M

ページ範囲:P.266 - P.267

 明治初期に,我が国で,医療制度が法制化されて以来,一貫して,医薬分業が唱えられている.それにもかかわらず,未だにその緒もつかめていないのは,珍しい事例と言わねばならぬ.その間の議論を振りかえってみると,すべて「建て前」論であって,本質にふれた点が少しもない.医師は本業が診療だから,それ以外に手を出すべきでないとか,調剤は薬剤師の聖域だから,これを医師によって侵されると面子にかかわるという理論である.なかには欧米の先進国は医薬分業だから,我が国も,これにならうべきだというのもある.
 そもそも医薬分業で問題になる薬品業務には次の3段階がある.①草根木皮から製粉抽薬したり合成化学による製薬(製剤)②医師の処方による調剤,③薬品を患者に手渡して販売する販剤,なお薬品業務にはこの外に病棟での与剤,及び注射がある.

読者の声

T製品の処方ボイコットはなぜ始まったか/受診しやすくする努力を—精神科の場合

著者: 吉田登

ページ範囲:P.267 - P.267

 この夏,私たちは一通のアピールをオーレ・ハンソン博士(スウェーデンの小児神経科医で,早くからキノホルムの毒性を指摘し,同国におけるキノホルム剤規制の端緒をもたらした)から受取った.アピールの内容は,スモンの責任を認めようとしない製薬企業に対し,その製品の処方ボイコットを呼びかけるものであった.It is time, therefore, to end theSMON disaster, It is time to makeuse of the logic of the economic lawswhen the logic of common sense andjustness is insulted. It is time for theJapanese doctor to start a boycott.
 そこには,一万人を超える空前の犠牲者を出しながら,社会的には何ひとつ意志表示を行おうとしない日本の医師に対するいらだちのようなものすら感ぜられた.ハンソン博士の呼びかけにどのように答えるべきか,スモンに深い関りをもった世代の医師を中心に相談がはじめられたのは9月の半ばであった.私たち自身こそが道義的には被告の立場にあるという意識が決定をためらわせた.しかし,加害者としての罪の意識に沈み込んでこの場を無為に過ごすならば,私たちの道義的責任がなお一層問われるであろうことも確かだった.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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