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雑誌目次

雑誌文献

病院39巻11号

1980年11月発行

雑誌目次

事例・飛躍への条件 事例・1

ゼロへの道—赤字病院を抱えて苦闘の10年

著者: 竹本吉夫

ページ範囲:P.929 - P.931

着任のころ
 秋田へ赴任して今年で13年目を迎える.
 過ぎ去ってみれば誠に早いものであるが,これまでの院長生活を振り返り,思い出は尽きない.私にとって誠に得がたい人生経験であり,また試練の連続であった.

事例・2

疾病構造の変化の先取りと医師の教育

著者: 瀬戸泰士

ページ範囲:P.931 - P.932

病床数の推移
 私たちの施設を編集室が「飛躍」しているというならば,「飛躍」ということを,まず経過から追ってみる.昭和30年4月私一人で秋田に来て,中通診療所(4床)を始めた.31年に中通病院として病院化.33年115床,36年227床,43年に現在地に新築340床,現在56年6月を目指し増改築中,完成すれば530床.
 このほかに,42年大曲中通病院(現在111床),44年中通リハビリテーション病院(現在145床)を発足させている.

事例・3

コミュニティづくりへの参加

著者: 星源之助

ページ範囲:P.932 - P.933

 当院の開設は,昭和35年暮の12月である.
 この時期の我が国の国民総生産16兆2,900億円,一人当たり年間所得142,084円,敗戦の廃虚の中からようやく立ち上がり,朝鮮動乱の特需によって弾みをつけた日本経済は次のベトナム特需に向かって今まさにテークオフせんとする時期でもある.ちなみに,昭和53年度国民総生産は209兆2,400億円,一人当たり年間所得は1,442,113円で,この間各々が13倍,10倍となっている.

事例・4

サバイバルの条件は住民のニーズに結びつくこと

著者: 若月俊一

ページ範囲:P.934 - P.935

 今日の病院医療がこのままでは済まないことは確かである.そのあり方に必ず改革は来るに違いない.
 まず第一に,それは国民総医療費の増大から来る財政破綻から来るであろう.それが毎年15%ずつ増えるとなれば,5年後には26兆円になる.それではイタリーではないが,「医療国営」ということにもなりかねまい.

事例・5

大学医局と直結した診療体制

著者: 福内匡

ページ範囲:P.935 - P.936

発足当時既に飛躍への条件があった
 当院設立の動機は,昭和32年10月北佐久郡町村議員大会開催の折,「国保事業郡下一円実施を契機に,親病院的な公立総合病院を建設すべし」との議案が緊急提案され,満場一致で議決されたことに始まり,地域住民からの強い要望と期待が込められていた.このように病院設立の趣旨の中には,町村個々の孤立した国保直診施設がお互いに連けいを取り,その活動を活発にするための親元病院構想が既に芽生えており,国保保健施設の理念に則り地域医療の中心となって,地域住民の健康を守り高度の医療を目指す当院の性格と理念が明確にされていた.したがって開院当初より将来地区医療の基幹病院として発展することが目標とされていたので,最低規格20床の病院としてはぜいたく過ぎるくらいの医療設備が整備された.このことは吉沢国雄初代院長(現・名誉院長)の高邁なる理想と優れた指導力,ならびに当時の理事者の熱意と決断によるところ誠に大であり,今日の病院発展の基礎となったということができる.

事例・6

この28年間いかに対処してきたか

著者: 諸橋芳夫

ページ範囲:P.936 - P.938

 当院は昭和28年開院して今日まで28年を閲したが,この間113床・職員45名から670床・職員706名へと増大した.この当院の飛躍発展には歴代の病院開設者の方々のご支援はもちろんであるが,何よりも良き職員の協力を得たからである.その間にあって特筆すべき項目を挙げてみる.

事例・7

夢を追う勤務医生活

著者: 高木紹夫

ページ範囲:P.938 - P.939

 前院長の着任とともに,深谷赤十字病院が発足したのが昭和25年11月1日であったから,私の深谷生活も病院とともに29年余りとなった.発足当時13名の職員で60床.内科,外科,放射線科と称したものの,病床は半分は畳敷き,レントゲンは小川赤十字病院より借入した30ミリのポータブルのみ,検査室はわずかに中心視野の判別し得る顕微鏡1台であった.社会には終戦後の貧困の嵐が吹き荒れ,入院患者はほとんど生活保護の結核,及び赤痢,疫痢を中心にチフス,ジフテリー,日本脳炎等激症の伝染病,現在と違ってろくに治療薬も手に入らず,ただ院長以下,全職員の情熱と愛情を注ぎ込んだ本当に自分を忘れた看護であった.
 昼夜の別もなく,土曜,日曜もない生活が繰り返されながら,いつの間にか時の流れ,社会の要求に応えて増床を重ね,52年4月には新築移転も完了し,内容的には赤十字100病院の中でも,トップ級のものが出来上がった.

事例・8

いっさいのことは愛を動機として

著者: 長谷川保

ページ範囲:P.939 - P.940

人を助けるために
 我が聖隷福祉事業集団は,聖隷浜松病院(538床)と聖隷三方原病院(650床)の二病院を中心に,健康診断センター,重症心身障害児施設,重度精薄児施設,特別養護老人ホーム,軽費老人ホーム,有料老人世話ホーム,療護施設,重度身体障害者収容授産施設,保育園,ベトナム難民収容施設,看護短大,高校,救護施設等々30余施設がある.職員数も2,000人を超え,今なお毎年いくつかの施設が増えつつある.
 昭和5年,肺結核を病み,付近の住民に嫌われて,次次と住居を追われて,「天地の間に5尺の身をおく所がない」と泣く貧しい患者を,5人の基督者青年が自分たちの住居を50円で病室に改造して,迎え入れて看護したことに始まる.この事業が,今日,世界的に注目される医療,社会福祉事業集団になったことは珍しいことであるかも知れない.

事例・9

私的精神病院の20年

著者: 水谷孝文

ページ範囲:P.940 - P.941

病院創立から一貫した病院の「あり方」
 かつての閉鎖的精神医療から近代的精神医療への転換の黎明期ともいうべき昭和34年に,八事山の一画に山小屋風の30床の木造病棟を建てたのは,これからの精神医療は「精神病者の人間的理解による治療法」であると堅く信じ,その実践を実社会の中で自ら行いたいという願望からであった.大学を離れ,職員とともに病棟に住みこんで患者と24時間の生活をしながら精神医療に取り組んだ.開放病棟だけからの出発は冒険とみられ,事実予期しない事態の発生もあり,とりわけ一般社会の理解協力を得るのに努力を要した.しかしながら20年余たって病床が586床となっても,病院創立時の「あり方」の理念はいささかも変わることなく一貫していると自負している.
 設立に当たって,あえて郊外の過疎地を避け市内住宅地の八事山を選んだのは,精神病者と社会の隔たりをなくし,患者家族の生活の場から「スープの冷めない距離」に病院が位置することを意図したためである.今病院は住宅文教地区の真っただ中にあり,初期の「あり方」にふさわしい環境となり,社会と密着した精神医療の実は外来入院の状況,地域との連携などにみられるに至った.

事例・10

経営と高度医療への積極的取り組み

著者: 甲斐太郎

ページ範囲:P.941 - P.943

 原爆の惨禍の跡もなお生々しい広島の都心に,この病院が開院してから28年の歳月が流れた.昭和27年8月,厚生省は,社会保険の普及と被爆者治療の目的をもって,この病院を建設し,その運営を広島市に委託した.
 当時の病床数は89床,職員数は59名の小病院であった.その後整備を重ねて,現在,許可病床数730床,職員定数826名,委託業務その他116名の総合病院に成長することができ,かつこの間,昭和49年度を除いては,健全経営に終始することができたことは,初代院長として,誠に幸運であったと申すほかはない.

事例・11

従業員主導型再建方式による転換

著者: 鷹取保三郎

ページ範囲:P.943 - P.944

 倉敷中央病院における転換の動機は,全く従業員主導型再建方式による転換であり,全員の再建意識を高揚し意識の徹底を図らんがための方式であった.全従業員は常に「最新の医療」「最善の治療」を目標に,40年間自らを犠牲にして働き続けてきた病院の斜陽化しつつある現状を見るに忍びず,転換を考え,将来お互いの物心両面における豊かさの追求をこそ祈念した結果であった.
 そこで主題である「飛躍への条件」に関し,ご指示の項目について現在までに経験した事柄について述べてみる.

事例・12

がん専門病院への転化

著者: 三木直二

ページ範囲:P.944 - P.945

 昭和38年,私は国立松山病院へ副院長として赴任(教室人事)したが,松山は私が高等学校3年間を過ごした想い出の土地であったことも関係がないとはいえない.
 当時の国立松山病院は,鉄筋化しているのはわずかに外来棟のみで,他は全く終戦後のバラック建て200床足らずのボロ病院で,その中に結核患者も含めて,160〜170名の患者が収容されていた.私が赴任して間もなく,360床に増床高層化し,同時に地方がんセンターを併設する案が厚生省に台頭した.地方がんセンター設置に関しては,当時愛媛県には医科大学もなく,医療に関しては全くの後進県であったので,県を挙げて当院への地方がんセンター併設運動が行われた.

事例・13

国有民営—独立採算を肝に銘じて

著者: 近藤良一

ページ範囲:P.945 - P.946

 社会保険栗林病院は,昭和25年の年末,内科,外科,小児科,産婦人科,歯科の5診療科日40床で発足し,現在13診療科目256床の総合病院である.今,その30年を振り返って飛躍などという際立ったことはなかったが,「国有民営」というちょっと変わった病院形態の,決して平担な道ではなかった平凡な一社会保険病院の歩みをたどり,ご依頼に応えたい.
 社会保険病院は,戦後,社会保険診療を模範的に実施すること等のため,国費で,全国約60か所に設置された病院で,全社連(全国社会保険協会連合会)がその受託契約を結び,各病院はそれぞれ独立採算制で経営し,全社連がそれを統率し,経営指導を行う.つまり,ずばり一言で言えば,社会保険診療のため土地・建物は国費で,病院経営は各々独立採算制で,全社連がこれを統率する国有民営の病院であるということである.

事例・14

今後の課題は海外医療協力に

著者: 井手一郎

ページ範囲:P.946 - P.947

病院開設の経緯
 昭和23年2月1日,戦災の地に井手医院が再建された.父と従兄と私3人の協同経営である.実はその前に父が30年間当地で開業医として過ごしているが,この期間の地域の皆さんからの信頼が,その後の病院の発展の大きな基盤となったことは間違いない.再建された井手医院は幸いにして順調に発展,昭和27年3月県衛生部のおすすめにより医療法人設立,翌28年9月多数の在宅患者の収容のため現在地に79床の結核療養所を開設した.
 開設の直後10月から,朝鮮戦争後の日本のインフレーションに対する強力な財政引締め政策の影響をまともに受け,惨たんたる経営状態に陥り,病院職員一同死力を尽くしてやっと脱出することができた.その間2か月半に及ぶ給料の支払遅延と分割支払が2年数か月にわたって続いたのであるが,しかしその困難の最中にあって従業員一同1名の脱落者もなく,患者さんと病院を守ってくれたのは,最大の心の支えであり,同時に病院のその後の発展を方向づけたものと思う.

座談会

天の時,地の利,人の和を生かし得たか

ページ範囲:P.948 - P.955

 昭和3,40年代という経済の高度成長と医療の進歩を背景に,多くの病院が飛躍的発展を遂げた.その中から,今回14の病院に飛躍の足取りと秘訣をまとめていただいたが,14の事例を読み終えて,これらの事例に共通する飛躍への条件は,また飛躍をなし遂げたリーダーの条件は何であったか,更にこれからの低成長時代に生き残る条件とは何かを,各病院についての感想も含めて,匿名でざっくばらんにお話しいただいた.

グラフ

道南の基幹病院として120年—市立函館病院

ページ範囲:P.921 - P.926

 函館空港で「市立函館病院まで」とタクシーの運転手に行先を告げると,「函病ですね」と応えた.こちらでは市立函館病院を「函病(かんびょう)」と呼んでいるという.
 空港から函館市内の中心街を抜けると函館山の麓の高台に着く.市立函館病院は,駒ヶ岳から函館湾,函館市内を見晴らせる函館山の斜面にある.この付近は,明治初期には函館の中心街であり,現在も当時の建物が残され観光客も多い.

温情の人東京都立松沢病院院長 秋元 波留夫氏

著者: 原田憲一

ページ範囲:P.928 - P.928

 熱情の人,気骨の人,直截の人,挺身の人,無私の人--先生を語る多くの言葉がある.学問の広さはいうまでもない.
 先生は,昭和4年東京帝国大学医学部を卒業されたあと,直ちに内村祐之先生の門下に入られ,以後今日まで半世紀にわたって,一貫して我が国の精神医学を指導してこられた.金沢大学教授(昭和16〜33年),東京大学教授(33〜41年)として,アカデミックな活動のあと,昭和41年から12年にわたって,東京で唯一つの国立の精神科病院である武蔵療養所長として,精神医療に率先躬行された.

特別企画 慢性疾患の増加と病院

ホスピス—末期患者へのケアの模索

著者: 前田信雄

ページ範囲:P.956 - P.960

 1980年5月29日のNHK教育テレビは,「高齢化社会への展望」と題する討論の録画を放映した.フロアからのひとつの質問は,ある病院長からなされたが,その核心は,排泄の世話が必要な寝たきり老人を,いったいだれがみるのか,みなければならないのか,ということであった.主として病院がケアしなければならないのか,それとも福祉施設なのか,いや主として家族がそれを支えるのか.その点をめぐる答えやコメントは不十分かつ浅薄なものであった.問題は確かに深く,解決は容易でなく,その見方も多様に分かれるテーマではある.しかし,こういう問題を避けて通ることはできない.
 今日本では,全死亡約70万人のうち,予後不良,死亡が近い将来予測されていて,現在治療の方策もなく苦しんでいる末期患者は数10万人に達すると思われる(がんだけで年間約15万人の死亡).約50万人余の寝たきり患者の一部に相当し,その人たち以上に困難な医療と福祉の対象なのであるが,欧米ではホスピスという極めて意欲的な新しいケアの方式が実践されている.欧米と口本での数少ないケア体系ではあるが,このホスピスのやり方と模索を通じて,老人医療や慢性病患者医療のあり方を展望してみることにしたい.

設備機器総点検

BGM (バックグラウンドミュージック)とその装置

著者: 村井靖児

ページ範囲:P.961 - P.961

 最近は病院の新増築に伴い,院内放送設備との抱き合わせで,BGM機器を付設する施設が多い.患者サービスを含めた病院のイメージづくり,あるいは職場環境づくりの手段として,BGMは意外に好評のようである.
 病院のBGMの使用目的は多様で,待合室などパブリックスペースにおける環境サービス並びに患者の緊張,不安の緩和,各種現場での環境調整あるいは騒音の遮蔽,更には手術室や,それに準ずる治療室,または機能訓練室など特殊な場面での治療的BGMの利用など,様々な用途が考えられる.その用途,放送規模に応じて,設備も複雑となる.

統計のページ

医師と医療従事者の所得・3—1.病院勤務の医療従事者の所得

著者: 二木立

ページ範囲:P.962 - P.963

民間病院勤務の医療従事者の所得(承前)
 2回に分けて,人事院「民間給与の実態」によりながら,民間病院勤務の医療従事者の所得を検討してきた.
 しかし,初めに触れたように,人事院調査は,企業規模100人以上の事業所(おおむね150床以上の病院)の常勤者のみを対象としているという制約を持っている.そのために,人事院調査だけでは,民間の中小病院の医療従事者や非常勤者の所得の実態は十分に把握することができない(注).特に,医師の場合,民間中小病院勤務者や非常勤者の所得は,民間大病院常勤者の所得とは非常に異なっているため,この点は重大である.

医療の周辺 社会学(家族関係論)—老人と家族・1

家族とは

著者: 奥山正司

ページ範囲:P.964 - P.965

 高齢化社会は,寿命の延び,出生率の低下,死亡率の低下と相まっていやおうなしに近づいてくる.したがって,老人問題も医学的レベルから福祉的レベルまで社会的対応を余儀なく迫られている.その中で,老人と家族の問題はどうとらえたらよいのか.同居・別居の問題,寝たきりに伴う身辺介護の問題,経済的扶養の問題などひとつひとつ挙げればきりがない.これらの解決のためには,少なくとも家族とは何であるのか,という基本的命題を共通に理解しておく必要があるであろう.

講座 解説・新しい医療機器・5

ニデックアルゴンレーザ光凝固装置AC−3500Gについて

著者: 庵原章良

ページ範囲:P.966 - P.967

はじめに
 瞳孔より眼内に入射した強い光線は,その熱エネルギーによって,眼底組織の一部に熱凝固現象を起こさせる.この現象に着目して,太陽光線の利用から始まった光凝固装置も,新しい光源の開発とともに改良が重ねられ,現在では,最も進歩した実用性の高い光凝固装置として,クセノン装置及びアルゴンレーザ装置が広く利用されている.
 光凝固施術の対象となる疾患は数多くあるが,網膜剥離(予防または手術と併用),中心性網膜炎,網膜静脈閉塞症および糖尿病性網膜症の4疾患で全体の90%近くが占められている.この光凝固装置の導入により,視機能予後が好転し,罹病期間も短縮できるようになり,現在では,眼科臨床に不可欠の手段となっている.

現場訪問

東京衛生病院外科部長(「5日でタバコがやめられる」主催者)林 高春氏に聞く

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.968 - P.969

 東京衛生病院の定期講習会「5日でタバコがやめられる」は病院脇の古い木造洋館の一つで隔月1回開催されている.1回30〜40人を対象に夕刻6時半から1時間半の講座である.私が当院を訪れたのは5日間のうち2晩目.入口では出迎えの職員らしい人から,人る人ごとに「こんばんわ,この24時間どうでしたか」という声がかかる.出欠をとる側では,ナースが体調を聞き血圧を計っている。いよいよ定刻になるとカウンセラーが挨拶をして,映画が始まった.この教室のスタッフは,医師,ナース,PT,栄養士,カウンセラー,事務職員等々.沖縄の系列病院におけるものと依頼による講座開催を含め,平均すると全国で毎月1,2回行われている計算になるという.当院で外科医として診療のかたわら禁煙運動普及に努力する林高春氏にお話を伺った.

実務のポイント 図書

文献検索サービス

著者: 加島民子

ページ範囲:P.970 - P.971

 情報の急激な増加は,必然的に,二次資料の充実,検索技術の進歩をもたらした.コンピュータを駆使した情報サービス専門の企業も出現するようになった.個々の二次資料の使い方とか,医学文献の探し方といったガイドブックも最近よく目にする.このような情勢の中で,病院図書室に対する,利用者からの文献検索援助の要求は高まりつつある.そこで,文献検索サービスの概略を,当院で行っている検索業務を中心に,具体的プロセスに従って述べる.

ハウスキーピング

委託業務の運用と費用の算定(4)

著者: 近藤英二

ページ範囲:P.972 - P.973

基礎人件費のつかみ方
 委託の料金の基礎は,人件費である.その人件費のつかみ方は,種々あると思われるが,その例を2,3紹介する.
 一つは,近隣の工場,商店,その他のアルバイトの時給,日給,あるいはパートタイムの募集の時給,または日給を参考にして,時給の動向をみること.

医事

医事統計の分析と活用

著者: 三浦秀夫

ページ範囲:P.974 - P.976

医事統計について
 医事統計というのは病院運営に当たって大変重要な役割をもつ統計で,いわば病院自体の指針となる.その範囲は一般的には医事業務の中から算出される統計を指しているが,ここでは広く病院全般にわたっての統計について触れてみたいと思う.
 基本的資料としては医事統計といわれる患者数を対象とした統計と,収益を対象とした統計に分けることができる.

新病院建築・35

市立四日市病院—現実に則した地域中核病院

著者: 細川一

ページ範囲:P.977 - P.983

予期もしなかった患者数
 市中にあった市立四日市病院は,郊外に,200床増の557床の規摸で順調に一昨年11月に開院した.
 昭和30年代に建設された病院が,最近軒並みに今までの病院をすてて新築せざるを得なくなった.当病院もその例に洩れない.近年増改築に対する配慮(フレキシビリティ)が叫ばれるようになったのも,再びその轍を踏むまいとする発想からである.

精神病院医療の展開

精神病院外来通院医療の現状と今後

著者: 原洋二 ,   菊野恒明

ページ範囲:P.984 - P.988

はじめに
 近年,精神科医療における通院医療の重要性は,とみに高まってきた.我々精神病院の医師の通院医療へのかかわりあいも,外来患者の増加,地域からの精神衛生和談の呼びかけの増加などによって,年々深まっている.
 本稿は,①精神科医療の流れ,②我が国の精神科医療の特徴,③精神病院の通院医療の現状を報告し,④精神病院の立場より通院医療の今後のあり方を述べようと思う.

ニュース

「10年後の病院医療」を論議—19回全国自治体病院学会福岡市で開催

著者: 編集室

ページ範囲:P.989 - P.989

 第19回全国自治体病院学会は,光富慎吾学会長(福岡県立遠賀病院長)のもと,去る10月16〜17日に,福岡市民会館を主会場に開催された.学会には全国の自治体病院関係者約1,800人が参加.シンポジウム「肝炎を取りまく諸問題」,「10年後の病院医療はどうなるか」,宮城まり子ねむの木福祉会理事長,遠藤英也九州大学教授両氏による特別講演のほか,分科会でのシンポジウム,一般演題の報告がなされた.
 まず,学会初日にはシンポジウム「肝炎をとりまく諸問題」が大河内一雄氏(九州大)の司会で行われた.

リハビリテーション・その現状

国立療養所長崎病院リハビリ科の運営と長崎市の地域リハビリ活動

著者: 浜村明徳

ページ範囲:P.991 - P.995

はじめに
 全国の国立療養所が脳卒中患者のリハビリテーションに取り組み始めて間もないが,当院の歴史も未だ日が浅く,やっと一通りの体制が整ったばかりである.当院は長崎市内にあり都市型の療養所に属する.そのため脳卒中患者を急性期から治療できる利点を持つ反面,当地域にリハビリテーション専門病院がないこと(専門病棟を有する病院も当院のみ)から,慢性・重症患者の入院も多い.また対象患者も,重症心身障害児から脳卒中を中心とする老人まで幅広く数も多い.これを限られたスタッフで遂行してゆかねばならず,悩みも多い.
 このような状況の中で,患者を生活圏から切り離すことなく治療し,退院後は地域ケアの中で指導を継続することによって,リハビリテーションの目的とする患者の実生活における生活行為の確立を目指して努力している.今回は,当院リハビリテーション科の運営に触れつつ,長崎における地域リハビリテーション活動の現状を紹介する.

いま民間病院は

海外医療協力を担う民間病院—名古屋市・医療法人喜浜会原病院(その2)

著者: 川原啓美 ,   一条勝夫

ページ範囲:P.997 - P.999

愛知国際病院誕生の経緯
 一条今度,先生を中心に東南アジアの医療従事者の教育を行う愛知国際病院をお作りになるようですが,これはどういういきさつから始まったのですか.
 川原主としてキリスト教の医療関係者が中心になり,昭和35年ごろから東南アジアの国々に医師や看護婦などの医療技術者を送るという活動を始めたんです.日本キリスト教海外医療協力会という団体で,そのメンバーにネパールで医師として18年働いた岩村昇先生がいらっしゃいます.それで,私自身もしばらくでしたが,ネパールに行きました.そういうことを進めていますうちに,私たちが行ってお手伝いをするということよりも,もっと恒久的に大事なことは,向うで,しかも僻地の医療にすでに取り組んでいらっしゃる方々の技術のレベルを少し上げる,あるいはもう少し広い視野でアジアの健康を考える機会をそういう人たちに与えることではないか,ということを考えたのです.それで,岩村昇先生とか,佐藤智先生,それから私の3人ぐらいが中心になって,そういうものを作ろうと考えていました.その矢先に,名古屋市の郊外,日進町というところで牧場をやっておられる老人の方が,そういうことならと土地を寄付して下さったんです.それがもとで具体化してきたのです.

海外の医療

カナダの保健・医療

著者: 中原俊隆

ページ範囲:P.1000 - P.1002

 カナダは,北アメリカ大陸の北部を領域とし,ソビエト連邦に次ぎ世界第2の広さの国土をもつ国で,イギリス連邦の一員である.画積約998万km2で,これはヨーロッパ全体より広いが,人口は約2,100万人で,人口密度は約2人/km2に過ぎない.国土は,その気候が寒冷に過ぎる地域が広く,人口の大部分はアメリカ合衆国との国境に近い南部地帯に住んでいる.
 カナダは連邦国家で,10の州(province)と2つの準州(territory)からなり,首都はオタワである.保健・医療に関することは,州の権限となっている.したがって,各州によってその制度や組織が異なっている.

ほんねたてまえ

『よい病院』とは

著者:

ページ範囲:P.1003 - P.1003

 病院管理の目標は何かと大上段にふりかざされると,答はなかなか難しい.ベターペーシャントケア,すなわちよりよき医療の提供はまさにだれも同意する目標である.たてまえと言ってよい.しかし我が国8,600の病院の,いや75,000の診療所の目指しているのはいったい何なのであろうか.
 F病院事件以来医療のあり方に迫るマスコミの声はまことに厳しい.果たして真相はどこにあるのか,正確な情報が与えられていないので断定は避けたいが,その本質は,今の我が国の病院は,診療所はよい医療を利用者に提供しているのであろうかというところにあるのではなかろうか.もちろん多くの病院は良心的に,患者のための医療を行っているものと思う.F病院事件は氷山の一角といっても,大きな氷山でないことを祈っている.しかしこの事件の一つの教訓は,あの病院は利用者にとって『よい病院』だったのではないかということである.マスコミもまた利用者同様何がよい病院なのかという点について,少なくとも我々医療担当者の考えるよい病院--それは一言でいえば我々の家族に入院が必要なとき入院させる病院--とは違った評価基準で決めていることである.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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