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文献概要
特集 飛躍への条件 事例・飛躍への条件 事例・9
私的精神病院の20年
著者: 水谷孝文1
所属機関: 1医療法人資生会八事病院
ページ範囲:P.940 - P.941
文献購入ページに移動病院創立から一貫した病院の「あり方」
かつての閉鎖的精神医療から近代的精神医療への転換の黎明期ともいうべき昭和34年に,八事山の一画に山小屋風の30床の木造病棟を建てたのは,これからの精神医療は「精神病者の人間的理解による治療法」であると堅く信じ,その実践を実社会の中で自ら行いたいという願望からであった.大学を離れ,職員とともに病棟に住みこんで患者と24時間の生活をしながら精神医療に取り組んだ.開放病棟だけからの出発は冒険とみられ,事実予期しない事態の発生もあり,とりわけ一般社会の理解協力を得るのに努力を要した.しかしながら20年余たって病床が586床となっても,病院創立時の「あり方」の理念はいささかも変わることなく一貫していると自負している.
設立に当たって,あえて郊外の過疎地を避け市内住宅地の八事山を選んだのは,精神病者と社会の隔たりをなくし,患者家族の生活の場から「スープの冷めない距離」に病院が位置することを意図したためである.今病院は住宅文教地区の真っただ中にあり,初期の「あり方」にふさわしい環境となり,社会と密着した精神医療の実は外来入院の状況,地域との連携などにみられるに至った.
かつての閉鎖的精神医療から近代的精神医療への転換の黎明期ともいうべき昭和34年に,八事山の一画に山小屋風の30床の木造病棟を建てたのは,これからの精神医療は「精神病者の人間的理解による治療法」であると堅く信じ,その実践を実社会の中で自ら行いたいという願望からであった.大学を離れ,職員とともに病棟に住みこんで患者と24時間の生活をしながら精神医療に取り組んだ.開放病棟だけからの出発は冒険とみられ,事実予期しない事態の発生もあり,とりわけ一般社会の理解協力を得るのに努力を要した.しかしながら20年余たって病床が586床となっても,病院創立時の「あり方」の理念はいささかも変わることなく一貫していると自負している.
設立に当たって,あえて郊外の過疎地を避け市内住宅地の八事山を選んだのは,精神病者と社会の隔たりをなくし,患者家族の生活の場から「スープの冷めない距離」に病院が位置することを意図したためである.今病院は住宅文教地区の真っただ中にあり,初期の「あり方」にふさわしい環境となり,社会と密着した精神医療の実は外来入院の状況,地域との連携などにみられるに至った.
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