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特集 飛躍への条件 事例・飛躍への条件 事例・12
がん専門病院への転化
著者: 三木直二1
所属機関: 1国立病院四国がんセンター
ページ範囲:P.944 - P.945
文献購入ページに移動 昭和38年,私は国立松山病院へ副院長として赴任(教室人事)したが,松山は私が高等学校3年間を過ごした想い出の土地であったことも関係がないとはいえない.
当時の国立松山病院は,鉄筋化しているのはわずかに外来棟のみで,他は全く終戦後のバラック建て200床足らずのボロ病院で,その中に結核患者も含めて,160〜170名の患者が収容されていた.私が赴任して間もなく,360床に増床高層化し,同時に地方がんセンターを併設する案が厚生省に台頭した.地方がんセンター設置に関しては,当時愛媛県には医科大学もなく,医療に関しては全くの後進県であったので,県を挙げて当院への地方がんセンター併設運動が行われた.
当時の国立松山病院は,鉄筋化しているのはわずかに外来棟のみで,他は全く終戦後のバラック建て200床足らずのボロ病院で,その中に結核患者も含めて,160〜170名の患者が収容されていた.私が赴任して間もなく,360床に増床高層化し,同時に地方がんセンターを併設する案が厚生省に台頭した.地方がんセンター設置に関しては,当時愛媛県には医科大学もなく,医療に関しては全くの後進県であったので,県を挙げて当院への地方がんセンター併設運動が行われた.
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