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雑誌目次

雑誌文献

病院39巻8号

1980年08月発行

雑誌目次

小特集 病院管理専門家の養成

病院管理専門家の必要性

著者: 守屋博

ページ範囲:P.665 - P.668

親分とは
 我々が社会的活動をするためには,行動の方向を決ある意志決定者が必要である.個人の場合は,無論,本人の意志によって行動が決定される.数人または数十人の場合は,必ずそのうちにリーダーがいて,その人の意志によって全員が導かれるものである.
 一般に我が国では,このような行動体の原点は家族である.農家では主人が自ら耕やし,自ら取り入れるものである.工業家庭においては,主人自身が職人であり,桶を作り,布を織り,味噌を作るという形がとられる.これらを一般に家業といい,家長自身が行動体の中心になる.家族労働だけですまなくなると,若干の弟子を取ることがある.しかし弟子は技術的にあくまで弟子であるから,主人に対して絶対に頭が上がらない.このような関係を親分子分といって,その行動は親分の意志通りに動くものである.

病院管理専門家の養成

著者: 高橋政祺

ページ範囲:P.669 - P.673

はじめに
 病院が組織体であり,ここに管理者が必要とされる以上,それがどのようなルートで昇進してくるのか,この現実が望ましいものであるのかをまず考えてみたい.病院の管理者とはだれなのかということになるが,法的には病院長であるが,実質は必ずしもそうでない場合が少なくない.すなわち副院長あるいは事務長などとの職責権限が病院ごとに違っており,実際の管理を行っている者は一様ではない.
 病院長が名医として名声が高く,病院の看板である場合,全く管理能力がなくても一種の天皇制として非常にうまくいっていることもある.かつては大病院ではほとんどがこの形態で,事務長が実質的な管理業務遂行者であるのが普通であった.これが大々病院となると,これに管理的仕事に興味を持った副院長が加わったチームが組まれるようになる.

聖路加国際病院における病院管理専門家の養成

著者: 落合勝一郎

ページ範囲:P.684 - P.685

 与えられたテーマで,まず解明しておかねばならない問題は,病院における病院管理専門家とはいったいだれなのか,ということである.医療法には,なるほど病院の管理は医師が行うことになっている.しかし管理の解釈や,その範囲には一向に触れていない.院長が病院管理者であることは間違いないだろう.また事務長も病院管理専門家と言って差し支えないだろうと思われる.実際に国立病院,自治体病院,日赤,済生会,農協,その他の公的病院,公益法人立,医療法人立,その他個人立など開設のタイプも様々で,その中で病院管理専門家とはだれなのか,そしてその範囲はとなると,はなはだあいまいで,明らかでないのがほんとうのところではないのか,と思われる.

外国における病院管理専門家の養成

アメリカの場合

著者: 井上宏

ページ範囲:P.674 - P.676

 今日,アメリカでは,数多くの大学に病院管理の修士課程(Master of Hospital Administration,以下MHAと略),またはより幅広い意味を持たせた保健衛生サービス管理の修士課程(Master of Health Services Ad-ministration,以下MPHと略)が設置されている.通常は,大学の公衆衛生学部(School of Public Health)の中に,日本の大学の学部に相当するそれぞれのデパートメントがある.例えば,先にあげたMHA及びMPHのコースは,保健衛生学部(Department of Health)の中に設けられている.現在では,公衆衛生学部という名称よりも,幅広い意味で,保健衛生学部(School of Health)の名称で親しまれている.中には経営学部(School of Business)に上記の修士課程を置いている大学もある.病院管理専門家がどのように養成されていくのか,一面的な見方であることを,あらかじめお断りした上で,筆者が学んだローマリンダ大学(カリフォルニア州南部)保健衛生学部の病院管理コースのカリキュラム及びその内容を中心に述べてみたい.

フランスの場合

著者: 小林太助

ページ範囲:P.677 - P.679

 病院管理専門家の養成について述べる前に,フランスの医療制度について若干述べる必要があろう.フランスの医療機関は公的と私的医療機関から成り立っているが,主体的役割は公的医療機関が占めている.そこで,ここでは,公的医療機関に絞って述べることとする.

イギリスの場合

著者: 姉崎正平

ページ範囲:P.679 - P.683

 周知のごとくイギリスでは1948年に国民保健事業(The National Health Service, NHS)が実施され,保健・医療サービスが国営化された.しかし,その際,主として,労働党政府と医療担当者との妥協のため,NHSの組織が病院部門,一般医療,市町村衛生部の3部門に分かれて出発した.
 これら3部門に分離した組織が1974年に地域ごとに統合された.この統合を機会に,病院管理者(hospital administrator)よりは,保健サービス管理者(health service administrator)の呼称が用いられるようになるとともに,その実際の機能の拡大が目指されている.

グラフ

—八尾・宇治徳洲会病院—地域の健康を荷なう若い力

ページ範囲:P.649 - P.654

 徳洲会病院の形態や理念については,医療関係者の周知するところであろう.実際,数年来これほど耳目を集め,さまざまな論議を呼んだ病院はほかにない.したがって,ここでは屋上屋を架すことを避け,経過年数を異にする二つの徳洲会病院について,一日のスナップを中心に構成した.「当たりまえのことを当たりまえのようにやっているだけ」と言う,地道な日常の医療活動の一端を紹介することができれば幸いである.
 八尾病院(311床)は昭和53年7月,宇治病院(572床,現行250床)は54年12月に開院した.大阪市と京都市の,ともに近郊に位置する人口急増地域である.前者が更に100床の増築を急ぐなど,既に地域に定着しつつあるのに対し,後者は,職員間の疎通ができ,これから本格的な医療活動の緒につこうというところである.

この人を得て東京都立神経病院院長 椿 忠雄氏

著者: 豊倉康夫

ページ範囲:P.656 - P.656

 都立神経病院の開設は,患者にとっても,医師にとっても長い間の念願だった.武蔵野の一角にすばらしい建物と設備をもっこの神経専門病院は,椿忠雄院長という正に最高の人を得て一層歴史的な発足となった.
 椿忠雄氏は昭和20年東京大学医学部卒業後,沖中重雄教授の下で神経学を志し,その後30有余年その道一筋の精進をつづけてこられた方である.先生の歩まれた道は決して安易ではなかったし,我が国における臨床神経学の確立と発展のために尽された蔭の御苦労と不屈の意志を私どもはよく知っている.高潔な人格公平無私な態度,冷徹な論理,そして先生の心暖かさは,学界の良心という言葉こそふさわしい.学問的な業績は数多いが,なかでもスモンの病因としてのキノホルムの発見,有機水銀中毒に関する広汎な研究は,我が国の誇るべき業績として万人の知るところである.神経学の臨床が限りなく深く,道遠く,高いものであることを,先生は身をもって証しつづけておられる方であると,いつも私は思う.そして,先生の学問には,いまだかつて「患者」を欠いたことがないのだ.

焦点 対談

臨床栄養と病院給食

著者: 細谷憲政 ,   石原信吾

ページ範囲:P.657 - P.664

 最近の食事療法の進歩にみられるように,現在の医療では食事の占める役割は大きくなってきている.しかし,病院で食事を扱う栄養部(科)は,組織上でも不明確であり,近代病院の中で十分な機能を果たすべきものと認識されているかどうかは疑問である.この対談では,臨床栄養学の最近の動向にふれながら,栄養士の専門性,更に専門性を生かすにはどうするか,を話し合っていただいた.

ニュース

都立大塚病院閉鎖へ

著者: 編集室

ページ範囲:P.673 - P.673

 本年7月31日をもって,老朽化,財政難を理由に都立大塚病院が閉鎖される.住民の閉鎖反対や存続に対する強い要望によって現地再建は決まったものの,具体的プランとなると規模・性格も工事開始年度も明らかにされていない.
 閉鎖に伴う病院の動きとしては,既に7月初旬には入院患者は他の都立病院や民間病院に移され,医師も数人を残して移動が完了し,他職員も8月末の移動先に一喜一憂しているのが実情らしい.これまで大塚病院が行ってきた特殊診療,即ち障害者歯科診療は豊島病院へ,リウマチ,膠原病は大久保・府中病院へ引き継いでいる.更に,本年度中に現建物の取り壊しを完了させるというが,それ以降については白紙の状態である.

リハビリテーション・その現状

伊豆逓信病院リハビリテーション科の運営

著者: 大田仁史

ページ範囲:P.687 - P.691

はじめに
 私どもの病院は,昭和45年12月に,結核療養所からリハビリテーション(以下リハと略す)科をもつ総合病院という現在の姿に移行した.病院全体のベッド数は185床で,リハ科は2看護単位,実床数は50床である.PT7名,OT4名,ST2名,SW4名,心理士1名,医療体育士1名,事務員1名,医師2名で治療に当たっている.東京から新幹線を利用して1時間30分,東海道の在来線では約2時間30分かかる伊豆の北部にある.このように都会から離れている上に,電電公社及び郵政の職域病院という性格上,受診者の居住地区は広域に及んでいる.特にベッドをもっているリハ科が,他の職域病院にないため,北海道や沖縄などの遠方から紹介されてくることもまれでない.
 昨今,リハ・サービスは,トータルケアの立場から,居住地で受けるのが最もよい,という議論が盛んになってきているが,このようなときに,立地条件が悪く,全国的な組織の職域病院のセンターという特殊な条件をもつ私どものような病院は,今後どのような道を選んでいけばよいのか,はなはだ難しい.

設備機器総点検

便器洗浄消毒器

著者: 高崎絹子

ページ範囲:P.693 - P.693

仕様(設置条件)
材質本体;ステンレス製・ヘヤーライン磨便器受;砲金製Crメッキ便尿器掛;黄銅製Crメッキ足踏ペタル;鉄製ゴム板被覆
給水圧0.8kg/cm2以上(フラッシュバルブ使用)

統計のページ

病院経営分析の実態・5—「病院経営分析調査」(全国公私病院連盟,昭和54年6月)より

著者: 森福省一

ページ範囲:P.694 - P.695

検査部門職員と検査収入
 表16に,1件当たり検査収入,職員1人1日当たり検査件数及び1人1日当たり検査収入を示した.
 1人1日当たり検査収入は,一般病院では38,329円であるが,精神病院では20,800円,結核病院では26,671円となっている.

医療の周辺 人間工学—病院建築への提言・4

患者の居住空間

著者: 古川俊之

ページ範囲:P.696 - P.697

 病院の起源は病気にかかった旅人を保護し,手当てをしたことといわれ,hospitalという言葉は巡礼,旅人,異邦人をもてなす場所を意味している.hostelとかhotelはhospi—talと同義語である.病院の由来を考えると,現在の病院,特に入院患者の居住空間については,人間工学の立場から改革のための様々な提案ができる.

講座 解説・新しい医療機器・2

血液像自動分類装置"ヘマトラック"

著者: 瀬谷誠

ページ範囲:P.698 - P.699

機器導入の現状
 血液像自動分類装置は,近年急速な勢いで,諸施設の検査室に導入されてきている.この背景には,医療における診察・投薬と検査の比重,検温・検脈と並ぶ血液検査の重要性,増加する検体処理,増勢人件費の抑制とアンバランスな技師不足,技師の熟練度,疲労解放と時間的有効活用,精度向上,等の諸観点から,機器の省力化・自動化が強く要望されてきたことが挙げられる.
 一方エレクトロニクスに結合した「光」が情報の媒体として利用される複合技術開発とコンピュータによるパターン認識法の応用原理が,ここに血液像自動分類装置を生み出しこの分野に画期的な変革を与えた.

実務のポイント 医事

診療費の算定と請求事務—コンピュータ利用の場合

著者: 土井正

ページ範囲:P.700 - P.701

 近年コンピュータはあらゆる分野に進出しもはや我々の社会はコンピュータなしにはやってゆけないまでになってしまった.そして我々医療関係者にとって最も興味のある医療へのコンピュータの利用も,年々高度なものとなってきている.しかし我が国においては諸外国と比較するまでもなく,低医療費のため病院の経済基盤が貧困で,その貧困さが新しい技術開発への努力の芽を摘みとっていると言っても過言ではない.しかしながら医療機関における多品種少量生産的な情報を収集するためにはコンピュータにまかせることが好ましいとの考え方から,最近,医療機関へのコンピュータの導入も急速に進められている.
 当院の場合の導入の動機を簡単に述べてみると,まず医事課の残業があまりに多く,このため課員の定着性が悪く,その結果ミスによる減収が目立つということがあげられよう.そのことからコンピュータの導入を考え,昭和46年に機種を決定し,昭和47年1月にNEAC 1,240超小型コンピュータを導入した.その後試行錯誤を重ね,すべてのレセプトをコンピュータで出すことができたのが昭和48年である,そしてその後機種のレベルアップを行い,50年7月NEACにシステム100が導入され現在に至っている.

放射線 診療放射線技師の役割・6

機器類の保守管理

著者: 平和夫

ページ範囲:P.702 - P.703

 近年メディカルエレクトロニクスの目ざましい発達に伴い医療用放射線機器類においてもX線CTの出現に代表されるように長足の進歩を見せている.このような新しく診断分野を広げた機器,画質や精度を高めた機器,省力化や能率化,コンパクト化やまた省エネルギー化を計った機器,コンピュータを使用して撮影条件やデータ処理を行う機器など,様々な開発や改良がなされ,これらの新しい機器が病院に次々に導入されている.また機器の変遷に伴って保守管理の方法も急速に変化してきている.
 こういう状況のもとで病院の機器の保守管理者は,常に装置を正確に作動させ,安全かつ清潔に,正しく使用するよう努力されておられることと思う.

看護

看護助手,付添の管理

著者: 長尾真澄

ページ範囲:P.704 - P.705

 ニッパチの影響で,助手の数が減り,看護婦の雑務が増える傾向にある.一方医療の高度化により,看護業務も変化しており,助手の導入とその上手な活用を図らないと,看護婦の負担は増すばかりである.また慢性疾患患者,重症者が増加しているが,そのような患者には家族の協力が,患者の回復や社会復帰に果たす役割は大きい.看護婦はこれらの人人のよいリーダーとなり,健康回復へ向け,業務を円滑に進めてゆかなければならない.
 当院はベッド数302床の総合病院で,助手数36,看護事務2名で,補助者は,看護職員の約19%である.日常の管理は各婦長下で行うが,助手全員を対象とした教育は看護職の教育計画の一環として,教育婦長を中心に担当婦長により行われている.

現場訪問

聖マリアンナ医科大学附属病院薬剤部試験研究室 篠崎 公一さん

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.706 - P.707

 本誌では,4月号(1980年)で「クリニカル・ファーマシィの導入」を特集し,その中で,臨床薬学教育を行っている,東京薬科大学専攻科の教育を紹介した.本号では,この専攻科を修了され,現在,クリニカル・ファーマシストへの道を歩まれている聖マリアンナ医科大学病院薬剤部の篠崎さんを訪ねた.
 篠崎さんは,1978年(昭和53年)に,東京薬科大学医療薬学専攻科を修了し,同年4月に聖マリアンナ医大病院に入られた.

新病院建築・32

大阪府立千里救命救急センターの設計

著者: 太田宗夫

ページ範囲:P.709 - P.713

本センター設立の背景
 救命救急センターの役割は,最重症救急患者の救命治療にある.また救急医療体制の中では,最終防波堤としての使命を担うものである.大阪府では本センターを大阪府北部における中核として位置づけ,人口200万人以上の地域からの最重症救急患者に対応させた.従ってこの構想に相当せる診療機能を保有することが設置の第一の条件であった.
 設置にあたってもう一つ重要な議論が行われた.それは連営形態であるが,在来の概念では,総合病院附設・行政直営を原則とする救命救急センターを,完全独立型専門病院・外郭団体(財団法人千里保健医療センター)への運営委託という新方式を採用した.その理由は様々あるが,自主性のある思い切った運用を期待する点が大きく,結果的にも独立型による実診療上のデメリットは他の手段によってカバー可能とする考え方に致命的な誤算は生じていない.

精神病院医療の展開

ハーフウエイハウス「家路」のあゆみ

著者: 谷野芙美子 ,   谷野亮爾 ,   半田佳世子

ページ範囲:P.714 - P.717

 我が国の精神医療が入院中心主義から,外来治療・地域活動へと変化するにつれ,古い民間精神病院である谷野呉山病院(昭和16年設立,ベッド数310)でも,長期入院患者の社会復帰が少しずつ実現されていった.その背景には,外勤や社会見学を通しての社会生活の経験,家族会活動を通しての家族への働きかけなどがあった.
 しかし,長期入院者の社会復帰が現実のものになるにつれ,次のような問題が明らかになってきた.

海外の医療

40人の見たUCLA Medical Center (2)—虎の門病院のUCLA見学プロジェクト

著者: 伊藤安子 ,   村川和枝

ページ範囲:P.718 - P.721

UCLA見学
組織図が明確な手術室
 実質4日間の見学,研修でどの程度実状を知り,知識を吸収できるか不安が大きかったが,AMY, TACHINO, R.N.(ナース)の指導により快適な研修ができた.地下1階,2階と相当のスペースの広さの手術室の勤務者は,看護婦80名(平均約70名),オーダリー約15名,クラーク各1名で,変則性を含む3シフト制で構成されていた.手術件数,年間約10,000件,救急手術1,600件,1日約40件,手術室15室(16番号室で13番号室は除いている).各手術室には,準備室,2部屋に1個のハイスピード用オートクレーブ,手洗い場があり,他設備面も完備されていた.使用器材はディスポーザブルが多く,ごみの処理の仕方が気になりながらその点の質問は怠ってしまった.

いま民間病院は

西能病院はどうあるべきか—職員の意識改革を促した小論文より

著者: 西能正一郎

ページ範囲:P.722 - P.725

 民間病院は何を考えているかというテーマをいただいた.端的にいうならば生存競争に負けないことである.その目的のために各病院長は知恵をしぼり,日夜努力を重ねているのであろう.具体的な方法についてはそれぞれのオーナーのカラーによって,また環境条件に従っていろいろな方針が打ち出され,その病院の特徴となるのであるが,私は病院の生存第一条件を従業員の質であると考えている.去る53年3月,病院従業員の意識改革を目的として,以下の小論文を発表し,全従業員に浸透を図った.その成果を測る物指しを持たないので,表示できないが,むだではなかったと判断している.実物は23,000字に及ぶ部外秘の文書であるが,そのうち私の病院経営哲学ともいうべきさわりの部分を抄録して発表させていただく.諸賢のご批判を仰げれば幸いである.

研究と報告【投稿】

検査オーダーから成績報告までのトータルシステム—都立駒込病院検体検査情報システム

著者: 清水健一

ページ範囲:P.727 - P.731

 都立駒込病院は,癌・感染症を中心とした高度な医療サービスを行う総合病院として,またコンピュータシステムを導入するモデル病院として全面的に改築がなされ,昭和50年4月に開設された.その運営規模は病床数900床,外来患者数1,000人である.
 なお,コンピュータシステムの導入に当たっては,部分的な,いわゆる「機械化」でなく,医師を中心とした情報発生源での入力を前提としたトータル・オンラインシステムが採用された.診療データを対象とし,かつ日常業務に密着したシステムであるため高度な信頼性を要求されるので,センターコンピュータはデュープレックス構成(2台構成で,1台でオンライン処理を行い,他の1台は故障時のために予備として配置し,通常は,オフライン業務,プログラムテストを行う)をとり,また情報の発生源である診療室,病棟等の院内各所にディスプレイ約170台を配置した.

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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